5 全ては順調
レオンは十秒後の未来を見ながら、魔法の詠唱を開始した。彼が視ることの出来る未来は、ある程度の制限がある。自分の視点からの未来しか見ることが出来ず、集中力によって視る未来の長さが変わるのだ。
だから二十秒後にジェイナスの息子と関わる未来が待っているとしても、相応に集中しなければ二十秒先の未来は見えないし、集中すれば行動が止まる。
現在の行動が止まれば、当然ながら未来はそれに準じたものになるだろう。つまりジェイナスの息子が死ぬ――ということだ。
だからレオンは十秒先を視続けることで未来を担保し、現在の行動を維持していた。これ以上集中すれば魔法の詠唱に差し障る。
他の魔眼ならいざ知らず、未来視の魔眼を発動しつつ戦うという技術は、それだけでも高度なものなのだ。
十秒後、迷宮の路地を曲がったところで未来予測の通り、レオンはミノタウロスに遭遇した。迷うことなく詠唱を終えた【火球】の魔法を敵の顔面に叩き込み、レオンは突進する。
ミノタウロスの知能は低い。牛と人間を合わせた肉体と同様に、知能も牛と人間を足して二で割った程度なのだ。動物としては利口でも、結局のところ言語も解さない獣であった。であれば「火」という根源的な力を恐怖すること、これも獣と同様なのである。
極太の腕で巨大な戦斧を振るうミノタウロスは顔に炎を浴びると、あからさまに怯んだ。たたらを踏んで後退し、「ブモォォォ!」と悲鳴とも威嚇とも判別のつかない声を上げている。
その隙にレオンはジェイナスの息子を弾き飛ばし、ミノタウロスからの距離をとっていた。息子の方は意味も分からず壁に叩きつけられ、茫然とレオンを見つめている。
「……な、なに?」
「ジェイナスの息子――バルバロイだな?」
「そ、そうだけど……あ、あなたは――……ハッ! 父上の!?」
レオンにとって、わざわざ現実世界で確認するまでも無い事であった。彼はこの会話を、未来視で既に知っている。彼が驚き、先に続く言葉も分かっていた。
もっともバルバロイの方も、どうやら未来を視たらしい。全てを察したのか驚愕して、ガチガチと震えている。
「未来を視たならわかるだろう。死にたくなければ、そこで大人しくしていることだ……」
赤く輝く右目でジェイナスの息子を一瞥し、レオンはミノタウロスへと向き直る。臆病な騎士見習いの少年は、カクカクと首を縦に幾度も振りながら震えていた。
彼の右目は青く、左目は赤い。それは左右で瞳の色が違うことを意味していたが、同時に左目の魔眼が自分のものではなく、まだ馴染んでいないということでもあった。にも拘わらず力を使ったから、充血するどころか出血までしてしまったのだろう。
――そうまでして騎士になりたかったのか。
などとレオンは思わない。他人に共感したところで、何の得も無いからだ。
そもそも彼の目的はジェイナスの息子を保護することであり、その目を回収することであった。彼が生きていた時点で、目的の大半は達成できたようなものだから、彼は無表情ながら上機嫌である。
――どうやら大金貨三百枚は、オレのものだな。
必死で魔物と戦いズタボロ状態になった少年を前にして、レオンはなおも金のことを考えている。酷く利己的だが、しかしバルバロイに対して彼が同情する余地など無い事も事実であった。
もっともレオンが大金貨をせしめる為には、まずミノタウロスを排除する必要がありそうだが。
「あ、あなたも未来が視えるのですか?」
「オレの専売特許だと思っていたのだがな。まあ、二秒で終わる――……少し待っていろ」
火球の攻撃から立ち直り、雄牛の頭をブルンブルンと振るミノタウロスへ、レオンは鋭い剣の刺突を見舞う。狙いは寸分たがわずミノタウロスの喉元を貫いた。噴水のように真っ赤な血が吹き上がる。
未来が視えていれば、造作も無いことであった。
ドドゥと派手な音を立てて倒れ、乾いた砂を巻き上げる。血が一面に広がったと思われた刹那、ミノタウロスの黒い身体は煙と共に消えていた。残ったものは大きめの赤い石と、一本の雄牛の角である。
「か、勝った。すごい……あのミノタウロスに勝ったんだ」
声を上ずらせて角の下へ這い寄ってくるのは、先程レオンに突き飛ばされたジェイナスの息子――バルバロイだ。
彼はべこべこに凹んだ純白の鎧を身に纏い、千切れた赤いマントを肩から掛けていた。どうやら相当に魔力の込められた装備らしく、見た目の損害に反比例して彼の肉体は無事らしい。
だが、ここでバルバロイにミノタウロスの角をくれてやるほど、レオンはお人よしではないのだった。
「お前、あまり先の未来は見えんようだな」
「え……どういう意味で……うぐっ」
「こうなる未来を視ていたなら近づかなかったはずだし、そもそもしっかり未来が見えていたなら、ミノタウロス如き、敵じゃあ無い」
這い寄るバルバロイの横腹を蹴飛ばして、しれッとアイテムを拾うレオン。恨みがましい目が、サラサラとした金髪の隙間から覗いていた。
「そうそう。ついでに、こいつも回収させて貰うぞ。お前には、過ぎた玩具だからな」
レオンは無造作にバルバロイの顎を掴むと、左目に指を突っ込んだ。ぬめりとした感触と共に、赤い魔眼が抉り出される。
「ギャアアアアアアアアアアアアアア!」
試練の迷宮地下三階層に、バルバロイの悲鳴が響き渡る。それはミノタウロスの雄叫びさえも上回る、大きな大きな声なのであった。