4 未来視の魔眼
レオンが語る自らの生い立ちを、ジェイナスは目を瞑り静かに聞いていた。それが終わると、元勇者は唐突に口を開く。
「――おれも両親を賊に殺され、左目を奪われた。八つの時だ。魔眼は高く売れるからな」
「左目は、魔王にやられたんじゃあないのか……?」
「ん、ああ……違う。そもそも、ずっと別の魔眼を嵌めていたのでな。そのお陰で、おれは二つの魔眼を駆使することが出来た。だから魔王に勝てたと言っても、過言では無かろう」
レオンは突然の話に戸惑ったが、大金貨三百枚の仕事が掛かっている。慌てず騒がず静かに頷き、「それで」と続きを促した。彼にしては珍しい、おもねりだ。
元勇者という権威に大金貨三百枚という実利が加われば、年寄りの昔話に付き合うなど、どうということも無い。
「別に、それだけだ。オレの両親も農民だったからな。街を囲む壁の中へ入れない農民たちにとって、盗賊に襲われるなんぞ日常茶飯事だ。それどころか、農民兼盗賊なんて輩もいる。そんな世界じゃあ、こんなことはよくある平凡な不幸さ。おまえさんも、そう思うだろ?」
「そう言うからには、ジェイナス――アンタは両親を殺した賊を、恨んでいないのか?」
「ああ、恨んでいない。やつらもおれたちを殺し、奪うことで生きようとしたのだ。当時は飢饉でな、誰もが食うに困っていた時代だ。それもこれも、魔王のせいだった。だからオレが恨んだとすれば、人の世をこんなにも滅茶苦茶にした――魔王だけだ」
「それでアンタは勇者になったのか、随分と立派なことだな」
眉間に皺を寄せ、レオンが言う。彼の内には今なお消えることの無い怨念が、渦を巻いてた。だから元勇者の言葉が、俄かには信じられないのだ。
「だが、偶然にもオレは両親を殺した賊に出会ってな――……つい、殺してしまった」
「結局、恨んでいたということだろう」
「さぁな、よく覚えていない。今から二十五年も前のことだ」
ジェイナスの一つだけ残った青い瞳が、じっとレオンを見つめている。二十五年前と言えば、レオンが父母と左目を失ったのと同じ時期であった。
「――団長」
凛とした女性の声が、室内に響いた。先程まで机に齧りついて書類の処理をしていた秘書が、ジェイナスを見ながら首を左右に振っている。
勇者にあるまじき発言だと言うのだろう。レオンも同感だった。あまり聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして、バツが悪い。
「なんだ? ちょっとした身の上話を、しているだけだろう」
「次の予定がございます。あまり時間がありませんので、必要の無いお話は控えて頂きますよう」
ぴしゃり、とした秘書の物言いだった。ジェイナスも毒気を抜かれたのか、苦笑を浮かべて昔語りをやめている。
「まあ、何が言いたいかというとだな……お前さんは自分の両親を殺した賊を――左目を奪った賊を見つけたら、一体どうするのかということが聞きたくてだな」
「聞くまでもないだろう。おれもアンタと同じだ。必ず殺す――……」
「おれと同じ、か。いいだろう」
大きく頷き、ジェイナスが膝を打つ。パンと乾いた音が鳴り、それが本当の意味で合格の合図となった。
「邪眼のレオン。依頼の件、君に任せることにした。君には、その権利があると思う」
ジェイナスの奇妙な言い回しが気になったが、しかしレオンは何も言わなかった。それよりも、依頼内容の確認を優先させたのだ。いくら条件の良い依頼でも、達成不可能なほど難しければ、話にならないからであった。
■■■■
ジェイナスからの依頼を受けて二日後、レオンは旧魔王軍四天王の一人が作ったと言われる迷宮へと足を踏み入れた。
当然この迷宮に、ボスである四天王はもういない。けれど迷宮そのものが異界と接続されているから、主亡きあとも常時魔物を生み出し続けているのだ。そんなものを王国があえて残しているのは、騎士団の訓練に最適だからなのであった。
とくに金竜騎士団は、地下三階層に出没するミノタウロスの角を持ち帰ることが入団条件の一つとなっている。そこで彼等は、ここを試練の迷宮と呼んでいるのだった。
どうしてそんな場所へレオンが向かったのかと言えば、それが依頼だからという他にない。ジェイナスはこう言った。
「息子がおれの魔眼を持ち出し、試練の迷宮へ出かけた。それさえあれば、ミノタウロスに勝てると思ったのだろう。つまり君の仕事は魔眼を取り戻すと同時に、不甲斐ないおれの息子の身を守ることだ」
ちなみにジェイナスの息子は十五歳で、優秀な姉と違って剣も魔法も才能に乏しいそうだ。それでも勇者の息子という事で騎士見習いになり、二度ほど試練の迷宮に潜ったという。だがどちらもミノタウロスに惨敗し、騎士にはなれなかった。
そこで父の魔眼を使えば勝てるのではと考え、持ち出したのだろう。わざわざ自分の目をくり抜いて迷宮に向かったというのだから、覚悟だけは立派なものである。
もっとも、この迷宮の地下三階層などレオンであれば片手でも踏破できる程度。実際、冒険者のうちでもミノタウロスは、苦戦するようなら才能が無い――と言われるモンスターだ。
むろんそれは、ミノタウロスが弱いことを意味しているのではない。一般人であれば十分に脅威だ。けれど、冒険者や騎士のトップレベルを目指すならば、これを余裕で倒せることが条件になると思えば良いだろう。
――要するにジェイナスの息子は、可愛そうだが才能がない、ということだ。
地下二階層を駆けながら、レオンは身も蓋もないことを考えている。ミノタウロスからジェイナスの子息を護り連れ帰るだけで大金貨三百枚なら、楽な仕事だ。
要するにジェイナスは、レオンが秘密を守るかどうか――その点を気にしていたのだろう。
第一に、勇者が満身創痍で、種類の異なる二つの魔眼持ちであったという秘密。
第二に、勇者の息子が才能の欠片も無いという秘密。
この二点を、ジェイナスは決して口外するなと言っていた。むろんレオンは頷いた。
あるいは、この二点は情報として大金貨三百枚以上の価値を持つのかも知れない。けれど情報を扱う伝手の無いレオンにとっては、意味の無いものだ。
結果としてジェイナスの信頼を勝ち得たレオンは、だから報酬を口止め料と理解したのである。
――どうせオレには、秘密を語り合う友もいない。似合いの仕事さ。
レオンは迷宮に入ってから、いっさい速度を緩めることなく進んでいた。
そんなことが出来るのも、彼が魔眼を常時発動させて、十秒先の未来を見続けているからだ。そうすることで危険を事前に知ることが出来るし、敵の動きも全て分かる。だから止まって警戒する必要が、全くないのだ。
しかし、あまり先の未来を見過ぎてもいけない。疲労が激しくなる。といって見るべき未来が短すぎれば、思わぬ反撃を受けることもあった。だから自分が何秒程度で敵を撃滅し得るか考慮して、その最大値を未来としてレオンは見続けているのだ。
突き当りの路地から、二匹のゴブリンが躍り出た。四秒先の未来だ。
――ここは弓でいい。
自分が行動に移したあとの未来が映る。弓の攻撃は最適解だ。三秒で倒せる。
レオンは肩に担いだ弓を構え、矢を番えて放つ。放つ。
二本の弓矢は狙いを違わず、ゴブリン達の眉間に突き立った。暫くして緑色の身体から煙を噴き上げ、赤く小さな宝石を床に残して魔物が消える。
腰に下げた袋に宝石を入れて、レオンは止まることなく先へ進んだ。
未来とは、自らの行動によっても様々に変わる。だからこそ彼は、あまり長い先の未来を戦闘の際は見ない。短い未来を繰り返し見て、最適解を探すのだ。そういう戦い方であった。
しかし強敵とまみえた時には、どうしても戦闘に時間が掛かる。すると必然、長い未来を見なければならなくなってしまうのだ。
それでも戦闘中に見ることの出来る未来は、せいぜいが二分。これ以上長く未来を見ては、結果として現在を疎かにしてしまう。すると全ての未来が死に繋がるから、未来視と言っても決して万能ではなかった。
――ま、これ以上便利な眼だったら、それこそオレが勇者にでもなっていただろうさ。
自嘲気味に苦笑を浮かべたレオンの耳が、激しい剣戟の音と悲鳴を捉えた。前方だ。
「うあああああああ! ミノタウロスめぇぇぇ! なんで倒せないんだぁああああ! ボクには、ボクには、未来が見えるハズなのにィィィイイ!」
「グルァァァァァアアアアアアア!」
どうやらジェイナスの息子が、ミノタウロスと戦っているらしい。
それにしてもレオンには、ジェイナスの息子が言っている意味が不明であった。
「未来が見える――……だと?」