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『信長の懐刀』 ~名武将は高校生~  作者: たらい舟
桶狭間
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第三話 ~桶狭間の真相~

<永禄3年(1560年)五月十九日 尾張国 知多郡 桶狭間>



 ガキン! ガキン!!


 今川義元と二名の侍が戦っている!

 どちらも死に物狂いだ。俺ができることなんて一つもない。


 形勢は二名の方が優勢だった。だが次第に剣筋を読めてきたためか義元が優位に立った。

 そして!


「ウオォオオッ!!」

 

 ズバッ!!


 義元が鮮やかな剣さばきで服部小平太と名乗った侍を切った! 次にもう一人の毛利新介へと向かっていく! 

 だが、


 グサッ


 服部小平太の死に際の刀が義元の脇腹に突き刺さった! 


「ぐぬっ!」


 苦痛に顔をゆがめる義元。そこへ毛利新介が飛び掛かった!

 義元は一瞬仰向けに倒されたがうまく体を入れ替えた。毛利新介の指が口に入ったがそれをかみ千切った! これがあの義元?! 何て荒々しいんだ。


 最後は傷だらけになりながらも今川義元が毛利新介を討ち取った。凄い。凄すぎる。


 二人を討ち果たした義元。しかし、先ほど刺された腹からは腸が飛び出し血が噴き出している。重傷、いや、致命傷だ。


 それをぼうぜんと見つめていた俺。

 そんな俺に気づいたのか、義元は急に俺に話しかけてきた!



「これ、そこな面妖(めんよう)な者」

「えっ!?」

 面妖って、変って意味だよな。学校の学ランなんだけど。

 俺はようやく気付き始めた。夢の続きだ。桶狭間に入り込んだと思い込んでいるんだ。ならどんどんいこう。


「は、はい」

「儂はもう助からぬ。耳の聞こえも悪い。もそっと寄れい」

「ははっ」

 

 口から血を噴き出しながらも威厳のある声だった。死を間際にしては落ち着いた穏やかな口調だった。


「お主、名を何と申すか?」

「はっ。羽原(はばら)多喜二(たきじ)と申します。」

「ふむ。良い名じゃ。 …… そこな娘は、お主の嫁か?」

「い、いえ …… いや。はい」


 俺はとっさに嘘を付いた。「はい」と言わねばならないと思ったからだ。

 だが、義元は察したようだ。


「ふっ。好いた女子は大事にせよ。儂の室は武田の娘。政略婚ではあったが、よい仲であったわ」

「は、ははっ!!」

 

 義元の妻って、確か武田信玄のお姉さんだったな。無念だろうな。

 俺は、敗れた今川義元に声をかけたくなった。


「京への上洛の途中で織田家に敗れるとは、想定外でしたね……」

「上洛? 何のことじゃ? 儂は目障りな織田家を潰そうとしただけじゃぞ」

「えっ!?」

 

 上洛じゃなかったのか。


「兵はこちらの方が多かった。圧倒的有利で進み、いくつも出城を落とし油断したわ。あの『尾張のうつけ』が内通の者からの知らせもなく、まさかあのように儂目掛けて一挙に攻め込んでくるとはな」


 奇襲したのは間違いない。だが、普通の戦だったのか。

 内通者を送り込み、情報が筒抜けになって安心していた義元。だが、それを逆手にとった信長が信頼できる武将にのみに攻めることを知らせ、どうやって知ったか分からないが今川義元の首を狙って一点集中で攻めたということが真相か。出城を捨て石にして見捨てたのも策略だったのか。完全なカウンター攻撃じゃないか!


「まあ、あ奴の力量を計り損ねた儂の負けじゃ。」

 

 義元は肩を落とした。

 策略家だ。やはり信長は軍事の天才だ。


「儂のことはもういい。……お主の装い、体の中心に金の石がついておるぞ?」

「あっ、はい。これは学校の制服でして……」

「ぬ? がっこう? せいふく?」


 首をひねった今川義元。

 あぁ、そうか。この時代には学校も制服もないんだ。


「信じてもらえないでしょうが、実は俺達は未来から来たのです。」

「ほぅ! 面白い!!」


 義元は座り込み、俺に色々尋ねてきた。


「では尋ねよう。天下はどうなるのか?」

「織田信長が、天下統一直前までいきます。ですが、途中で討たれます。」

「ぬ、その後は?」

「その後には豊臣秀吉が、最後には徳川、いや、松平元康が天下を握りました。」

「なんと! あの三河の小僧が!! 驚きじゃ!」


 そうだよな。人質として今川家で過ごして、先ほどまで一緒に行軍していた徳川家康が天下取りになるなんて夢にも思わないだろう。

 ……いや、むしろ徳川家康が今川義元の場所を信長に教えたんじゃないか? 桶狭間の合戦の後に家康は三河で独立を果たしている。つじつまは合う。


 ゴフッ!


 義元がまた血を大量に吐いた。長くはもたないだろう。


「…未来は」

「はっ!?」

「…未来の日ノ本は、泰平(たいへい)か?」

 

 泰平って、平和って意味だな。俺は少し考えた後にこう答えた。


「…… はい。完全に、とは言えませんが戦争は今の所なく、皆穏やかに暮らせております。」

「そうか。生まれ変わったら是非それを見たいのう……」


 かすかに微笑(ほほえ)んだ今川義元。

 だが、その直後に俺に真顔で忠告してきた。


「羽原、と申したな。お主これから、決して『未来から来た』と申すでないぞ?」


 どういうことだ!?

 桶狭間の合戦の定説は、

「上洛途中の大軍を率いた今川義元を、少数の兵しか持たない織田信長が奇襲して討ち取った」

 かと思っております。幼少期の刊行物はそのように書いてあったと記憶しております。


 ですが、今川義元が軍を率いて敵対する織田家を潰してさらにその先の美濃国や近江国を抜けて京へ行くことは可能か。流石に無理があります。糧秣のことを考えてもとても持ちません。故に普通に尾張を攻めたと考える方が信ぴょう性があると私は考えています。

 「四万五千vs三千」と言われる兵力差も、当時の石高を考えても実際の兵力差もそこまでではなかったかもしれません。今川軍の方が多かったのは間違いなさそうですが、分散していたようですし。


 徳川家康は松平元康(元は今川義元からもらった)として、今川家の中にいました。ですが、今川義元が死んだ後の大混乱の中、家康は何もなかったように三河を制しました。

「桶狭間の戦いは、織田信長と徳川家康の共同作戦だった」というような内容で大河ドラマが演じられました。真相は闇の中ですが。家康が天下を取った江戸時代に、家康が神格化されて都合の悪い物は処分され、家康を悪く言う者は処断された、ということから推して知るべきかもしれません。


 定説は明治時代に陸軍参謀本部が出した『日本戦史 桶狭間役』による所が大きいようです。「少数でも団結して敵に立ち向かえば、大きな敵を倒すことができる」という都合のいい解釈に使われてしまったのかもしれません。


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