前編【依頼】
「ねぇ、協力して────」
これはバレンタインに報われた、とある勘違いのお話である。
ヴィーン──ヴィーン──。
行きつけの牛丼屋を出ようとした時、ポケットの中でスマホが鳴った。
「どうした志保?」
表示された名前は、大学からの友人で会社の同期──田中志保。
何かの縁で同じ会社に内定し、さらに同じ部署に配属された腐れ縁級の間柄。
顔立ちは整った所謂『クールビューティ』という感じのやつなのだが。
「ねぇアンタ、バレンタインってどう思う?」
この口調から分かるように、同期からは『姉御』と呼ばれていて。
「おー、そういえばもうそんな季節か」
ならば姉御と親しい俺──七海蒼太は、男連中から『舎弟』などと揶揄されるわけだ。
「季節じゃなくて今日よ」
「え、マジか。じゃあ訂正しよう。そういえばもうそんな日か!」
「なんでわざわざ言い直したのよ⋯⋯。しかも少し変だし」
「いいんだよそんなことは。俺の頭は昼飯のネギたま牛丼を消化するので手一杯なんだ」
手一杯なのか腹一杯なのかはともかく、お昼に何のメニューを食べたか話すくらいには仲が良い俺たち。
尻に敷かれている、とは言わないでくれ。
「アンタの昼飯事情なんてどうでもいいんですけど。それより、バレンタインはどう思うか答えなさいよ」
「昼飯事情はどうでもいいのにバレンタイン事情は気になんのかよ」
「⋯⋯切ろうかしら」
「おっと落ち着け志保さん。つまりあれだ、『俺の人生に関係があった試しがないからよく分からねぇ』としか言えん」
生まれてこの方、『パリピ』やら『青春』やらに縁遠かった俺は。
同類である『バレンタイン』にも当然、一家言どころか二家言くらいない。
ならば俺にできるのはボケることくらいだと。
「ふーん、そう」
「いや反応薄っ! 部長の頭くらい薄いじゃねぇか」
「⋯⋯チクろうかしら」
「いやいや志保さん!? お互い辛く厳しい就活戦争を乗り越えた戦友じゃないっすか!」
ボケてはみたが、不評だったようだ。
「恐ろしく鬱陶しいわね⋯⋯。けど鬱陶しいアンタに依頼があるの」
「いやその『前置詞』酷くない!? 過程と結論が一致しないんですけど!?」
何その『鬱陶しいからこそできる』みたいな言い方。
漫画とかでよくあるけど、実際言われるとダメージの方がデカくないか。
「⋯⋯あのさ、そういうのがモテない理由だよ」
「────さて、『依頼』を聞こうか」
そしてついに直球が腹に刺さり、もはやボケることもできなくなった俺は。
声を渋くして『依頼』の内容を尋ねた。
司令室にいる長官をイメージしてみたは良いが、おそらくこれも鬱陶しいだろう。
だがそんなことなど無視した様子で志保は。
「はぁ⋯⋯。 ねぇアンタ、協力しなさいよ──」
何かへの協力を頼んできた。
こいつからの『依頼』など珍しいと、その内容を聞いてみると。
「何に協力するんだ?」
「バレンタインに協力って言えば一つしかないでしょう?」
「誰かにチョコレート渡すのか。んで誰に?」
「アンタの友達、営業部のエース──藤野明良君よ」
俺が会社で一番仲の良い男、『アキラ』へチョコレートを渡すことへの協力だった。
「『天は二物を与えず』なんて、どこの誰が言いやがったんだろうな」
「何の話?」
「アキラの話だよ。営業成績トップ、イケメン、良い奴と揃って三物も持ってるじゃねぇか」
「ふふふ。『良い奴』がちゃんとあるのね」
「だから恨めねぇわけよ。まぁアキラなら志保がチョコレート渡すってのも分かるわ」
恋愛に関しては百戦錬磨であろうアキラなら、この姉御すら落とすかと舌を巻いた。
入社してまだ一年目、初めてのバレンタインを迎えた今日。
俺の勘違いでなければ、アキラと一番仲が良いのは自分であり。
今から退社するまでの間、こんなやり取りがもう少しあるかもしれないことが予測されるが。
第一次チョコレート大戦に巻き込まれることだけは勘弁してほしい。
「んで、そのチョコレートはどうやって受け取ればいい?」
俺はこれでも心の機微には敏感な方だ。
女子の心理とは難しく、たとえ俺が貰うでないにしろ、人前で堂々と渡したくない場合もあるだろう。
まぁこの女に限ってそんなことはなさそうだが。
「それじゃダメ。手渡ししたいのよ」
「⋯⋯俺の輸送能力に不安が?」
「違うわよおバカ! アキラ君なら沢山チョコ貰うはずでしょ? なら特別にしなきゃ印象に残らないじゃない!」
「なるほどな。こりゃ大戦の匂いがするわ」
「⋯⋯何言ってんの?」
「いや、こっちの話だ」
そうこれだ。
手渡しをする、他の女に見られる、俺が詰められる、死ぬ。
この未来が容易に見えるからこそ、俺が受け取って渡したかったのだが。
いや待て、それじゃ『大戦』ではなく『暗殺』では。
「じゃあアキラが退社する時間を教えればいいか? 入口で待ってりゃ渡せるだろ」
「それもダメ。たぶんだけど、他にも沢山いると思う」
「──ほーん。俺今鼻ほじってる」
「現実逃避してんじゃないわよ! アキラ君はそれくらい人気、仲の良いアンタは巻き込まれるんだから覚悟しときなさい!」
『巻き込まれるんだから』と、もう確定したかのように話す志保。
俺の頭の中では既に、次に起こるであろうゴールデンウィーク戦争やお盆戦争の文字が踊る。
退社理由が『友人の恋愛仲介による心労』だった人間は未だかつていないだろう。
「けどどうする。人のいない会議室にでも呼び出すか? でもアキラはたぶん、そういうの嫌いだぜ」
「私もそんな気がする。だからアンタに協力してほしいんじゃない」
「と、言いますと?」
「今日は偶然にも金曜日、花金よ! アンタが飲みに誘って私たちが着いて行く。完璧な作戦ね!」
よくそれを『完璧』と言えたな、というツッコミは鬱陶しいだろうから止めておいたが。
しかし、この作戦ならば一番避けたい戦争を回避することができるのでは。
それに、まぁなんだ。
「長い付き合いだからな。俺にできる限りのことはやってみるよ」
「ふぅー蒼太君天才!優男!きっとそのうちモテる!」
「『きっと』なのかよ⋯⋯。まぁいい、あんまり期待せずに待っとけ」
「はいはーい。でも本当に、アンタのそういうところだけはモテると思うわよ」
「⋯⋯あざっす」
「んじゃよろしく〜」
一方的に切られた電話。
それっぽいことを言うだけ言って消えやがった。
「まぁアキラが飲みに付き合ってくれるかどうかは、正直怪しいところだけどな」
オフィスビルがひしめく交差点で、スマホをポケットに戻しながら呟く。
吐く息が白く変わる今日この頃、行き着く先がブラックなチョコレートでなければいいが。
そんな心配を抱えながら青になった信号を渡ると、そのまま巨大な自動ドアへと吸い込まれた。
「まずはこの昼休み中にアキラを見つけて話しないとだな」
上昇する鉄の箱が『14』で止まり、長い廊下を一番奥へ進む。
いくら大手とはいえデカすぎる、などと思いつつ、革靴でコツコツと歩いて行くと。
横目に止まったのは、窓際に置かれた缶コーヒー。
この場所にこの置き方、おそらく。
「捨てられてんな。まぁこの規模の人数ならいろんなやつがいるか」
自分のオフィスにポイ捨てをする人間の心理は分からんが、まぁ誰かが捨てるだろう。
そう思いながら通り過ぎたのだが。
直後、パタッと革靴の音が止まり。
「誰かが捨てんなら、俺が捨てればいいんじゃね」
と、非常に変な動きで後ろに戻り始めた。
志保がこの場にいたら『民族舞踊?』と聞かれそうな動きでゴミを回収し。
そのまま自販機横のゴミ箱へとダンクシュート。
NBA選手さながらのゴールだったわけだが、不幸にも観客が一人いたようで。
「うふふふ────」
という上品な笑い声が民族の横を通り過ぎた。
「あっ⋯⋯うっす──」
誰もいないと思って油断した。
咄嗟に出た言葉は、本当にどこかの民族語ではないかと思える程にコミュ障で。
決めたゴールはオウンゴールだったと後から気が付いた。
「ミスったぁぁぁ⋯⋯。しかもあの子、たしか同期人気NO.1の──綾乃千秋さんでは」
俺の同期は約五百人。男3:女2の割合でかなりの人数存在する『男』の頂点が、先程の大人気野郎ことアキラ。
対する『女』の頂点こそ、今し方俺の踊りを見て下さった千秋さんだ。
「いや普通に取って普通に捨てろよ2分前の俺⋯⋯。タイムマシンがあったら間違いなくここに使うよドラえもん⋯⋯」
恥ずかしさを紛らわすように、まだ開発されていないネコ型ロボットに話しかけてみる。
当然返事はないが、代わりに思い出したことが一つ。
「そういえばこの前、俺が退社した時。掃除のお婆さんが大変そうだから手伝って掃除してたら──」
後ろから通った千秋さんが、さっきみたいに笑っていたような。
「相当変なやつだと思われてるだろうな⋯⋯」
まぁそれはある程度事実なので仕方がない。
ただ千秋さんとは同じ部署であるため、他の人に変な噂が広がらないといいのだが。
というか、噂次第では切腹まである。
千秋さんもアキラみたいなのが好きなのかとか、志保に言われた『だからモテないんだよ』とかをグルグルさせながら。
廊下の一番奥、職場の扉を開くと、真っ先に探すのは『問題の発生源』。
完璧超人に生まれてしまった罪なき罪な男の姿は。
彼のデスクにその存在を確認された。
一足先に入った千秋さんにまた笑われないかビクビクしながら、友達からの『依頼』を達成するべくアキラの元へ。
なるべく自然に、いい流れで話を持っていきたい。頑張れ俺。
「ようアキラ、順調か?」
「おう蒼太。ネギたま牛丼は美味かったか?」
「げっ──なんで分かんの?」
「服にネギついてる。お前あそこの牛丼屋しか行かないだろ」
「⋯⋯そういう所が営業の成績にも関わってるんだろうなぁ。さすが一年目でトップのホープは違いますわ」
「褒めても何も出ないぞ。あとさり気韻踏むな」
各所に的確なツッコミを入れつつ、嫌味なくその能力の高さを発揮するアキラ。
一方の俺は、そんなアキラに関心するばかりで肝心の『ネギ』すら取り忘れている。
「それでよアキラ、たまには──夜の街に遊びに行かね?」
「どうしたんだ蒼太。なんか変だぞ」
──終わった。
すみません姉御、どうやら切腹するしかないようです。
舎弟である俺には『変な噂』の広がりを待たずとも切腹の機会が訪れてしまったらしい。
「ヘンジャナイデスヨ」
「ロボットか?」
「変じゃないよのび太くん」
「それはネコ型ロボット」
「おいのび太、野球しようぜ」
「それはジャイアン──って何の関係もないじゃん。どうしたんだよ蒼太」
丁寧なツッコミありがとうアキラ。
『鬱陶しい』だの『うふふ』だのに心を折られそうになっていたが、今ので多少は回復した。
回復して冷静に考えてみたが、こいつは服についたネギだけで今日の昼飯を当てるようなやつだ。
端から下手な小細工が通用するはずなどなかった。
ならば選択肢は一つ。
「なぁアキラ、今日の夜俺に付き合ってくれねぇか?」
当たって砕けろ、だ。
「今日の夜は──ちょっと渋いな」
「何か予定があるとか?」
「そういうわけじゃないんだけど──」
「なら頼む! 俺を助けると思って!」
顔の前で手を合わせる。
もはや取れる行動は『堂々としたお願い』しかないが、これでダメなら仕方がないと思ってもらうしかない。
俺の顔を見ながら何かを思案したアキラは、はぁーとため息を着くと。
「お前の頼みなら、まぁしゃーない」
「来てくれるか!?」
「いいよ。俺18時に上がるから、その後な」
「なんて良い奴なんだお前は! 持つべきものはイケメンの友達だな!」
「だからそれも関係ないし⋯⋯」
何と言うことだろう。
切腹の危機から一転、面目躍如の大名に昇進まで見えてきた。
初めから策を弄する必要などなかったのだと、友達なら普通に頼めばいいのだと気付いた俺は。
しかし『変な噂』が流れればまだ切腹の危機があることには気付いていない。
「じゃあそろそろ休憩も終わるし、また──」
アキラに退社後の予定を取り付け、意気揚々と仕事に戻ろうとしたその時。
「綾乃くぅーん。お茶持って来てくれよぉ」
薄汚れた声が聞こえてきた。
「おい蒼太、またやってるぞあのハゲ」
「またか⋯⋯。いい加減にしたらどうなんだあの野郎」
この完璧超人をして悪口を言わせる程の、ある意味逸材と呼べる汚物の正体は。
この部署を取り仕切る『部長』の飯田だ。
「ありがとう綾乃くぅーん。今日も可愛いねぇ」
「ありがとうございます部長。では私は業務の方に──」
「待ちたまえよ綾乃くぅーん」
この光景は半年前から始まり、日に日にキモさを増している。
最近では目に余る完全なセクハラなので、皆がどうにかしたいと思っているが。
相手が『部長』なだけに、大きく出れる社員はそういない。
「止めなくていいのか蒼太」
「めんどくせぇけど、見過ごす方が気分悪いな」
なので面と向かって意見を言うわけにはいかないから、『先方から電話』だの『この資料について聞きたいことが』だのと言って飯田から綾乃さんを引き剥がしている。
主に俺が。
「今日の題材はそうだな──」
辺りを見回し、部長に話し掛けられそうな物を探す。
毎度同じ物を使っては露骨すぎるので、色々と変えながら攻めているのだ。
「おっ、こいつでいいかな」
発見したのはプリンター。
そそくさと歩き、目の前まで移動すると意を決して声を発する。
「すみません部長ー!! プリンターが紙詰まりを起こしたと同時に紙が切れて、かつインクが切れたかと思いきや電源も切れましたー!!」
確信犯的にふざけているセリフ。
冷静なアキラ、そして部長の横にいる綾乃さんまでニヤニヤしているが。
おじさんには理解が追いつかなかったようで。
「チッ──。七海はいつも何か問題を持ってきおって。それで、何が起こったって?」
とりあえずの陽動作戦は成功したようだ。
その場の全員がホッとして、各々のデスクに戻って行く。
それは同時に休憩終了の合図でもあり、そのタイミングで当然ながらあの女も戻って来て。
『どうだった?』みたいな視線を送ってくるから、とりあえずのサインとして親指を立てた。
その後、でっち上げのプリンター問題をさっさと解決し。
LINEで集合する場所と時間を伝えると、『さんきゅー!』と書かれたうさぎのスタンプが返ってきた。いや急に女子やん。
そして午後の仕事は一つ壁を越えた影響か、ぐんぐんタスクを片付けることができ。
久しぶりに時計を見た時には、既に17:50になっていた。
バレンタインの企画として書いてみました!
前中後編の3部完結作です。
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