王道悪役令嬢は、急展開に戸惑う
彼は話を変えるように、
「もしかして本をお探しですか? 僕、ここの管理を司書さんから任されていまして。よろしかったら、ご案内しますが」
おいおい、司書さん。それって怠慢じゃね?
私は思わず困る。
「いえ、その、目的の書物があるわけではなくて・・・・。
“世界のケーキ”というのがあまりに途方もないので、少し頭を整理させたかったと申しますか・・・・」
「・・・・そうですか」
ーー沈黙。
さっきのように話が続かない。プレーヤーの時は、なんやかんやで会話が続き、親密度がアップしていったのだが。
何とはなしに、再度本棚を見上げる。ふと、先程疑問に思ったことをスフレ君に聞いてみることにした。
「あの、あの辺りにある本」
「はい?」
「あの、天井高くにある本なんですが・・」
「どこですか?」
スフレ君は私が指さした方向を見上げる。
「あんな高くにある本って、どうやって取るんですの?」
「ああ、それは魔術ですよ」
「魔術・・・・」
にっこり。
いつの間にこんなに間近に来たのか、スフレ君の笑顔が眼前にあった。
これって、近すぎないかい?
だが、彼は気にした風もなく、再び本棚に向かい直すと、両手を突き出し、何やら呪文を唱え始める。
すると、するりっとそこにあった本が取り出され、ふよふよとスフレ君の手におさまった。
おおおおお!見事!!
私も『火』の魔術は使うが、どちらかと言えば、精密さが求められることはあまりない。蝋燭に火を灯すことぐらいかな。これだって最近は、明かり用のアイテムが流通しているから、蝋燭自体使う頻度は少ない。
「素晴らしいですわね。これほどピンポイントに物を操れるというのは、プディング様は相当鍛錬されたのでしょう?」
「そ、そんな鍛錬なんて」
スフレ君は顔を赤らめながら、下を向く。おねーさん、君のそういうところ、大好きよ。うん、眼福眼福。
「あの!マ、マドレーヌ様!」
「はい?」
「ぼ、僕のことも名前で呼んでいただけますか?」
眼鏡の奥から、真剣な眼差しで私を見る。
「勿論ですわ、スフレ様」
推しキャラからそんな風に言われて嬉しくないわけがない。
「ああ、良かった」
・・・・え。
気のせいではあるまい。彼の右手が、すっと私の左手甲を撫でる。
「僕、あなたに名前を呼んでもらえて、嬉しいです」
甲を撫でた指先が、そのまま中指を通り、掌に行き着く。ぴたりと掌と掌を合わされた。
彼は小柄だ。私と同じか、少し小さいぐらい。言い換えれば真正面に彼の顔がある。
「マドレーヌ様、あの日、入学式のあの日、廊下でお会いした時から、なんて美しい方なのだろうと思っておりました」
なぜだ。何故そんな目で私を見る?うっとりと、心なしか頬を赤らめて。しかも、微妙に砂糖を吐く台詞付きで!
まてまてまて!これはヒロイン、逆ハール
ートじゃなかったの?
そもそも、悪役令嬢たる私はパートナーに先生を選んだよね!?なのになぜこんなことになっている!?
混乱する私をよそに、ゆっくりと指に指が絡まっていく。
実は彼は言うところの“ロールキャベツ男子”というやつである。一見草食系に見えて、その実、めっちゃ肉食系という、個人的には好みのタイプだ。だからと言って、このまま彼の好き勝手にさせていて良いのだろうか。
逡巡するこちらをよそに、本を抱えていた手がそのまま私の腰に回される。
展開、早っ!
「マドレーヌ!」
突如、図書館中に響き渡るのではないかと思うぐらいの大きな声で名前を呼ばれた。
びくりっと驚いた拍子に、スフレ君がさっと私から離れる。つかつかと足音をたててやってきたのは、兄のフィナンシェだった。
「こんな所にいたのか! 校内中、探したぞ」
「お、お兄様・・・・」
「さあ、一緒に帰ろう」
私の手首を掴み、ぐっと引っ張る。じろりとスフレ君を一瞥、
「妹が世話になったみたいだね、プディング。この礼は後ほど」
目が笑っていないんですが。
恐ろしく意味深な言葉をかけ、何も言わない、いや言えない彼を残したまま、図書館を出た。
兄は怒っているようだ。いや、実際怒っているのだろう。いつものような柔和な笑みは一切ない。口もきかない。
帰りの馬車の中、正面に座った兄は、腕を組み、眉間に皺を寄せながら、睨みつけるようにこちらを見ている。
「あの、お、お兄様」
この空気感に耐えられず、フィナンシェに声をかけた。
シスコンだシスコンだと思っていたが、妹が他の男に手を出されそうになると、こうもプッツンくるものなのか。
「なんだ?」
「いえ、あの・・・・」
「プディングには二度と近づくな」
「はい?」
「あの男は優しそうに見えて、その実、危険な男だ。お前を狙っている狼だ。二度と近づくな」
非常に強い口調で言われた次の瞬間、今度は泣きそうに顔を歪ませる。
「マドレーヌ、お前が“世界のケーキ作り”のパートナーにガトー先生を選んだ時の僕の気持ちが分かるか?」
「え?」
「あの時、どうして僕じゃないんだ。どうして兄である僕に頼ってくれないんだと、心底、情けなくなった。だが、それも仕方ない」
おおっとー!?
フィナンシェは、馬車の中、立ち上がるといきなり私を抱きしめた。
「僕は確かに社交界デビューをはたした2年前から、色々なレディたちと親交を密にしたよ。
でもそれはマドレーヌ、ひとえにお前の代わり、お前に触れられないからだ」
・・・・・・なんだか、今、もの恐ろしい台詞を聞いた気が。
「お前が我が家に来た日を、今でもハッキリと覚えているよ。
今と同じ緋色の髪が輝いていた。大きな瞳は僕を真正面から見つめて、吸い込まれそうだった。ぷっくりとした桜色の唇で、『お兄様』と呼んでくれた時は、なんて愛らしいのだろうと思った」
ちょっと待て。
「い、今、お兄様“我が家に来た日”と仰いましたか?」
それでは、それではまるで・・・・・・。
私の困惑などさておき、兄の砂糖のような独白は続く。
「お前が成長するにつれ、どんどん美しくなっていき、僕は息が詰まりそうだった。
ああ、今すぐ僕のものにしたい。何度そう思い、眠れない夜を過ごしたことだろう。ああ、マドレーヌ、愛しいマドレーヌ」
私を抱きしめる腕に力がこもる。
ここへきて、初めて気がつく。いつもは兄と一緒に乗っているはずの従者がいない。なぜ。
ヒヒィンと馬のいななきと共に馬車が停まる。「着きました」と御者の声。
馬車の扉が開かれると同時に兄は颯爽と立ち上がったその時、私にだけ聞こえるように耳元で囁いた。
「他の男にとられるなんて冗談じゃない。もう、我慢はしないから、覚悟して」