そのご お兄ちゃんとの約束
「……じゃあ私、学校行くから……」
「…………」
「……お通夜には、また来る……から」
「…………」
彼女、音成奈芝美が去ったあと、パタンと扉の閉まる音が聞こえた。
横で鼻をグズグズと鳴らす音がしなくなって
部屋にはまた、静寂が訪れる。
「…………」
私は、お兄ちゃんの血塗れの顔を、ただずっと眺めていた。
ほんの半日前までは、色んな表情を見せてくれていたその顔。
それほど表情豊かではなかったが、
常に注意深く観察し、僅かな違いを感じ取ることが私の生きがいであり日課であった。
出会った時からずっと変わらず
いつもこの顔で私に暖かな眼差しを送ってくれていたよね
優しい、私だけのお兄ちゃん。
昨日だって
私が、今日提出の課題を学校に忘れ物したから……
それを取りに行くって言ったら
「女の子一人、行かせられないだろ?
一緒についてってやるよ」
もう寝る時間だってのに微塵も億劫がらずに
ノータイムでそう言ってくれた。
事故は、その帰りに起こった。
高速道路のインターチェンジから降りてきた一台のトラックは
長時間運転の疲労でぼうっとしていたのか、スピードを誤り
カーブを曲がりきれずに私たちのいる方へと突っ込んできた。
そのままだと二人一緒に撥ねられる筈だったけど
咄嗟にお兄ちゃんが私を道路脇の花壇に突き飛ばしたおかげで、
私だけが難を逃れることができたのだ。
数瞬の間、意識が飛び
気がつき振り向いた時には、もう、全てが終わった後だった。
「…………」
◇◆
「うっ……ぐすっ……」
「もう泣くな! お前をいじめてた奴は、俺が全部撃退してやったから!」
「ぐす…………うん……ありがとう」
「女一人に男が寄ってたかりやがって!
どんな理由があってかは知らねえが、来るなら一人で来やがれってんだ!」
「…………わたちのパパ、ちごとでいつもよるおそくて、
ママは、ずっとまえからいなくて、だれもようちえんにこないの、だから……」
「親が来ないから、いじめられてたのか?」
「おまえ、じつはみなちごなんじゃないのか? って、いわれて……」
「はっ! じつにくだらねえ理由だな
そんなんでマウント取った気になってるなんて、育ちがしれるぜ!」
「……でも、やっぱり……たれもこないのは……さびちいよ」
「…………ま、まあ、そうだな…………
俺も、母親しかいなかったから、なんとなくはわかる」
「……そうなの?」
「ああ、でも、それも昨日までだ」
「……?」
「……おまえ、名はなんていうんだ?」
「わたち、あやめ! おにいちゃんはどこのひと?」
「俺か? 俺は……伊吹。 あやめの、家族になる人だ」
「かぞく?」
「ああ、これからは、ずっと一緒だぞ」
「……ずっと? えいえんに?」
「……う、ま、まあな!」
「うそだよ! かぞくでもえいえんはないよ!
だって、わたちのママはもう、いないもん!」
「…………俺だって、父さんは、もういない」
「でも、わたちのパパはあたらちいママと、
ふうふになってえいえんのあいをちかうって、いってたよ」
「そういや、言ってたな」
「えいえんってなに? ちぬまでってこと?」
「そう、なのかも、しれない」
「かぞくでも、えいえんはふうふだけ、きっととくべつなんだよ」
「特別な家族か、そうかもしれないな」
「おにいちゃんは、わたちにえいえんのあいをちかえるの?」
「……え?」
「ずっと、いっちょに……ちぬまでいてくれるの?」
「う、うーん……そうだなあ」
「……なんだ、やっぱり、うそか!」
「う、うそじゃない! ち、誓えるさ! 俺はずっとあやめのそばにいる!」
「ほんとに?」
「あ、ああ、もちろん!」
「ほんとうに? ずっと、えいえんにいっちょにいてくれる?」
「いるさ! これからはずっと一緒だ」
「……そっかあ……にへへ! ……わかった!
じゃあわたち、おっきくなったらおにいちゃんのおよめさんになる!
そしたらえいえんに……ずっと、いっちょだよ!」
「……まいったな、俺もうお嫁さん決まっちゃったかー」
「なによ! ごふまんですか?」
「いや、あやめはかわいいから、他にもっと選べるのになって思って」
「そ、そう? えへー……じゃあ、ありがたくもらってください!」
「いいのか? 俺で」
「……おにいちゃんが、いい」
「そっか、なら、約束だ」
「うん! やくそく!」
◆◇
考えてみたら、子供とはいえ私も凄いこと言ったもんだよね。
出会った瞬間に婚約するとか、普通はないよ。
「…………」
そういや私
事故現場でもお兄ちゃんの倒れている姿を……たぶん、見てたんだと思う。
その辺り覚えていないのは
やはり、ショックによる一時的な記憶の混乱だからだろうか?
その後も私はお母さんにスマホで連絡して何かを喋った筈なんだけど
その内容も、もう、覚えていない。
しかし、不幸中の幸いにも、お兄ちゃんは生きていた。
姿形は変わってしまったけれど。
死んではいないんだから
これからもえいえんにいっしょに、いられるのかな?
…………
「……………………無理、だよ。
だって、もう私は……お兄ちゃんの、お嫁さんには、なれない……なれない、よ……」
目の前の、動かなくなった兄。
やはり、私にとってはこの人が兄なのだ。
幼い頃に交わした約束。
それはもう、永遠に果たされることは、無くなった。
ゴメンナサイ
ちょっとこの辺り、欝展開になります。