死にかねないんですけどどうしたら良いですか
もうお分かりだろう。
サイン・スーカン。
sin、関数。
……頭痛いなあ。
「ようこそ、いらっしゃいました、サイン様……」
「頭打ち付けたって聞いて飛んできたよ。具合はどう?」
あれ監視のために駆けつけたんじゃありませんでしたっけ。そう思っていると、サインは眉をハの時に下げつつ近づいてくる。
このサイン、シータとは一応幼馴染みと言う関係だ。
「ええもうすっかり良くなりましたわ」
にこりと微笑んだがその口角はひきつっている自信がある。妹は「ごゆっくり」と口をパクパクさせて退出した。
やめて一人にしないで。
でないと……
「それはよかった。じゃあ一緒に勉強できるね」
ほーーらーーーねーーーーー。
にこにこと笑っているサイン。性格がネジ曲がってるわけではない、むしろ十一才にしてレディの扱いを心得ている紳士。
しかし。
しかしだ。
私にとっては天敵と言って良い!
何せこのサイン……数学が、大好きなのだ。
始めに顔を合わせたときは、第一声が「同志だね!」だった。どうやら同じ数学仲間と認定されたらしい。あまりに目をキラッキラさせて言われたものだから少々面食らってしまった。
シスー家の屋敷の装飾、微分積分やルートの記号だったりするものにいちいち目を止めては嬉しそうな顔をし、シータの勉強に参加したがったサイン。
まあシータよりはよほど勉強できるようだったけど。
……今のシータは─────つまり私だが、分数計算すら少し怪しいので当たり前とも言える。
そこの読者諸君。
「ヤバイコイツ思ったより結構バカだ」と思ったでしょう。大丈夫私もそう思ってる。記憶力ってはかないね。なんで私がシータなんだろうね。
いかん、回想に浸ってしまった。
「シータ?」
「申し訳ありません。少しぼーっとしてしまいましたわ」
頭を下げる。サインは心配げに体を寄せてきた。
「まあ、疲れてしまうのも無理はないよね。だって来年には魔物討伐に行かなきゃいけないし」
無言で目を伏せた。……そういやそうだったね。忘れてた。と言うのをごまかすために。
シータたちが十二才になる前辺りから、ちらほらと弱い魔物が現れるようになった。真っ向から対抗する力をもった者は少数、それこそシータやサインのような特別な貴族だけ。
しかし、弱いと言うだけあって、ダメージは少ない。倒せないけれど受ける傷は擦り傷程度と言うことで、あまり問題視されていないのだ。
つまるところは、良い練習台なのである。
「大丈夫だよ。僕もついてるし」
サインは目を伏せた私のしぐさを良い感じに勘違いしてくれたようである。恐ろしさに震えている令嬢と見なしたらしく、そっと優しく肩を叩いてくれる。
……ああ……絶妙なリズムだわ……。
サイン、君マッサージ師の素質あるよ。セラピストでも良いかも。
たぶんシータはこんな優しいところに惚れたんだろうな。その上イケメンだもん。落ちないはずないわ。そう考えると『ミソラさえいなければ』って思ってたとしても全然おかしくないな。
たしか前世にスチルで、こんな風に肩を叩かれてる絵が……。
「……っ!!」
「シータ?」
やばい。やばいやばい。
あの絵を見たのは……たしかシータの初戦闘の回想。死にかけのシータを介抱するサイン。サインは泣きながらシータの肩を優しく叩いていて……!
(ちょっと待ってよ。あれって)
三ヶ月後。
私は十二を迎える。
義務付けられる初戦闘。
ここで待ち構えているのが……前世にスチルで見た、シータの生死の狭間。何が起こるかと言うと、想定外の魔物がシータに立ちはだかるのだ。シータでさえ苦戦する魔物が出る。
(下手すると、死ぬ!)
私はシータよりも数学知識がない。意味するのは、戦闘力大幅低下。死にかけどころか死ぬかもしれない。本当やばい。
あのとき立ちはだかったのは、弱小魔物ではない。突然に現れた強大な力を持つ魔物。すなわち、難関問題を使ってくるヤツである。
シータは、身を呈して魔物を追い払っていた。今の私では追い払うどころか獲物になるのがせいぜいだ。
む、無理。逃げ出したい!
サインが怪訝そうに顔を覗きこんでくる。やめて、絶対今顔真っ青だから。
案の定サインは目を見開いている。うぅ、ごめんね、十一歳に心配させて……。
「シータ、怖いの?」
そりゃ、怖いですとも!なんせ生命の危機だから!
原作シータでさえ恐怖してたんだもの!雑魚も雑魚な私が恐怖しないはずがない!
「大丈夫。僕が守ってあげる」
かたかた震えていると、サインが抱き締めてくれた。
良い子だ……!あったかい……!
恐怖がちょっと和らいだよ、ありがとう。君も怖いのに、私なんかを守るって言ってくれる……十一才にして男前が出来上がってる。
将来期待できるよ。
将来知ってるけど。
ハッ。
そうだよ。
私だけじゃなくてサインもその場にいたんじゃん。下手するとサインの生命の灯火までも消し飛んでしまいかねないのでは……!
……サインの将来は守らねば……!
(こんなに未来ある良い子を危険にさらして良いはずない……!)
シータはひっそりと決意した。
(くそ、やってやろうじゃない。とりあえずの目標は、サインを守ること!)
シータ、十一才。
まだ見ぬ敵を跡形もなく粉砕することを誓った。