頭痛がするネーミングの数々
コンコンとノックの音。
しまった、奇声をあげすぎたかも。「はーい」と控えめに返事をすると、ドアが開いた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
入ってきたのはひとつ下の妹だ。私とは違い、妹は青いセミロングの髪を一房だけ編み込んでいる。
「ええ、大丈夫よ。ラジア」
……記憶を取り戻した今となっては、思うことがある。
(絶対ラジアンから来てるよねー!!)
ラジアってラジアンだよね?おぼろげな記憶ながら習った覚えあるよ(前世で)!なんか4分のパイとかその辺だよね?
聞くだけで頭痛くなってくる数学用語が自分と妹の名前についてるなんて心底笑えないよね!
「大丈夫ならいいけど……」
妹……ラジアはほっと息をついた。ちっちゃくてかわいいけれど、油断してはならない。
コイツは結構な狸だ。腹のなかは真っ黒といかないまでも灰色だ。
「お姉ちゃん倒れたら次私があの地獄をやんなきゃいけないし」
「ラ~ジ~ア~?」
妹、ラジアの特徴。
それは─────超打算的なこと。十歳にしてこの完成度である。おまけに私と同じで大の数学嫌いと来た。
原作乙女ゲームでは、シータはラジアに対し数学の素晴らしさをとうとうと語っている描写があったのだが、正直頭からすっぽぬけている。だって……数式見た時点で頭痛と関節痛がしてくる私だよ?
シータの話についていけるはずなくない?
まあそれはラジアも同じだったみたいだから、どっちかって言うと前世の私はラジアに感情移入してたり。
それでも、ラジアは意外と要領がよくそつがない。たぶん私よりはよほどうまくやるだろう。
そんな意味をこめ、じろりとラジアに恨みがましい視線を向ける。
「私がやるより、ラジアがやった方がいいに決まってるのに」
「長女でしょー。次女は楽がしたいの」
ラジアは気にした風もなくそう言うと、赤い装丁の本を取りだし、ひらひらと振った。
赤い革表紙の装丁。
え……それは……それはまさか……!
「ら、ラジア……!それ……!」
「いいでしょ。買ってもらっちゃった」
「ず、ずるいわ!ずるすぎるわ!」
前世完全文系文学少女だった私。娯楽が少ないこの世界で、辛うじて公的に売られているこの……小説!!
当然、貴重品である。 今のところ少数しか出回っていないらしく、入手は恐ろしく困難だ。
あらすじでもあったと思うが、学問が廃れているせいでまともな文を書ける人が少なく、また識字率もしかり。当然小説も望むべくもない……と思っていたところに現れた救世主。
それが、シエン……。
謎の覆面作家……!
「シエン様の小説だなんて!!私も読みたいのに!」
毎日毎日古代書と銘打たれた数学の教科書とにらめっこ!飽きて抜け出してもすぐ捕まる!
しかもゆくゆくは魔物と戦わされると言うこのストレス!そこにぶら下げされるシエン様の小説って、小説って……!
私は文系だーっ!!
そんなことを叫べるはずもなく、いっそう派手に髪をかきむしる。我が妹はまぁまぁと宥めながらベッドに座った。
「お姉ちゃんも読みたいと思ってなんとか買ってもらったんだよ?」
「ら、ラジア……まさか?」
ラジアは慈愛の微笑みを浮かべた。
「私が読んだら貸してあげる」
「世界中の誰より愛してるわラジア!」
それはさすがに気持ち悪いといいながら、ラジアは身をよじる。抱き締めようと広げた手は空を切った。
まあいいや。
シエン様の小説……!!それが私を待っていると言うのだから!
うっとりと視線を明後日の方向へ向ける。なぜかラジアは距離を置いた。
いいよ、今だけ許す。存分に離れるが良いよ。なんなら今暴れだしそうだから。世界はかくも美しい。
「あ、言うの忘れてたけど回復したなら勉学に励めって、お父様が」
「チッ」
「今舌打ちした?」
許すと言ったけどごめん。妹と言えど今の私の感動に水を差していいと思うの?数学は忘れたいんですけれど?
「あとねー、あまりに抜け出すから監視付けるって言ってた」
妹よ、後出しじゃんけんが多すぎやしない?
監視?監視ってナニ?
穏やかじゃないね?
「監視……」
「そー。あ、もうすぐつくと思う」
妹はドアの方へ視線を向ける。いたずらっ子のような笑みが頬に張り付いている。
「お姉ちゃんと同じで、数学の習得を義務付けられてる人だよ」
「へ」
コンコン。
再びドアがノックされる。
答えない私の代わりに、妹が「どうぞー」と緩く返事をした。
「久しぶりだね、シータ」
ドアが開かれる。
ドアの向こうにはクリーム色の髪に緑の目……攻略対象者にして『シータ』の初恋相手、サイン・スーカンが穏やかに微笑んでいた。