第8日 私と俺の変わらぬもの
お昼ご飯の時間には少しだけ遅い時間。
アイビーとロイドはお互い少し疲れた様子でやっと席へと着いた。
そんな二人の目の前にはテーブルいっぱいに広がる食事の数々。
余り手の込んだ物ではなかったが、種類とその量は二人だけで食べるには多すぎる量だった。
「張り切りすぎた……」
「やり過ぎたな……」
お互い熱中し過ぎた結果を見て二人は顔を見合わせ苦笑した。
時はそう――数時間前に遡る。
そもそもロイドはアイビーより年上と言う事もあり昔から彼女の面倒を見ていた。
忙しい仕事の所為でアイビーの両親は幼い我が子の面倒も碌に見れず、物心付いた頃からはほぼ放置気味の生活だった。
そんなアイビーの側に付かず離れず世話を焼いたのがロイド。
本人の性格もあるが、私生活において大雑把で面倒臭がりなアイビーにあれこれと日常生活のいろはを叩き込んだロイドにとってはやはり成長しているとはいえ、相変わらず面倒臭がりで自分の事は後回しにしがちなアイビーに小言を言うのを我慢出来なかった。
「だから常日頃から規則正しい生活をしろと言ってるだろうが」
「分かってますぅ〜でもほら、調合とかあったし」
「それはただの言い訳だろうが」
ちゃんと食事は取れと言った小言に対してぶーぶーと口を尖らせる彼女にロイドは止まらない。
「つーか、何で調合する時はいつも綺麗に使うのに料理とかする時は道具とか投げっ放しなんだ」
「それは、ほら。後で一気に片付けようと」
「そうして片付けた事がお前にあったか?それに材料もそのままにせず使ったら仕舞えよ。逆に邪魔だろうが」
「そこはローが片付けてくれると思ってね、ほら」
「俺がいつもやるとは限らんだろうが」
主に料理をするアイビーの周りで使い終わった道具や調味料類、食材、ゴミ、と乱雑に放り投げられた物を洗ったり片付けたりするロイドはとても甲斐甲斐しい。
ぶつからないようにお互い気を付けてキッチンを行き来してそれぞれの作業を行うのはまるでダンスでも踊ってるかの様に滑らかで息の合った行動だった。
しかし、まるで母親のようにあれは、これは、それは、と言われる小言は止まることを知らない。
だがそれも十五年振りとなれば懐かしさも一入だった。それに彼はアイビーを心配して言っているのだ。
感謝すれこそ嫌がる気持ちは無い。
だが、やはり口煩くはありアイビーは少し不貞腐れた様子でロイドをじとっと見つめる。
「なら、ローがご飯作ってよ」
「断る」
「何でよ」
ほら、と炒め物のフライパンを手渡そうとするがロイドは断固拒否。
それに首を傾げるアイビーに彼は少し照れ臭そうな様子で目を逸らした。
「久々にビーの飯が食いたいんだよ」
「……」
ぼそりと小さな声で呟かれた言葉にぽかんと一瞬呆ける。
家事が壊滅的なアイビーの調薬以外の唯一の特技である料理。
幼い頃から忙しい両親の代わりに台所に立って作り上げるそれはロイドにとってはお袋の味同然で、いつもご相伴に預かる為に夕食の場に突撃していたのも今や懐かしい思い出だ。
そんな手料理が久々に食べたいと照れながらも甘えるロイド。
様々なものを買い込んで来た彼がわざわざ出来合い料理では無く食材を買って来た理由を察してアイビーの口元は綻んだ。
「そっか」
「……なんか文句あるか?」
「いいえ〜ローも可愛い事言えるんだと思って」
「うっせぇ」
くすくすと笑い声がキッチンに広がる。
よくよくロイドの耳を見れば赤く染まっていて……それを見てアイビーはふわっと心に温かい気持ちが広がるのを感じた。叫び出したいほど嬉しくて少し涙が出そうになる。
柄でも無く「ここに来て良かった」と離れ離れだった時間を反芻してはその衝動を堪える為に茶化すようにロイドに笑いかける。
「なら気合を入れて作らなきゃね!」
「……片付けはしてやる」
さぁやるぞ!と気合を入れる彼女にロイドは罰が悪そうな顔で使い終わった器材を片付けていく。
それを横目で見ながらアイビーは昼食を仕上げていく――その結果がテーブルに所狭しと並ぶ料理だった。
*
無事出来上がった昼食を並べて二人はダイニングの席に着いた。席は変わることなく隣同士。
「女神に癒やしの感謝を」
「日々の糧に感謝を」
己が信仰する神と食に携わる人々に感謝を捧げて二人は同時に手を付け始める。
「そういえば、さっきも聞いたけどローはこの後どうするの?」
「あぁ、今日明日は休みを貰ったからビーの手伝いでもしようかと思ってるんだが」
泊まっても良いか?と尋ねるロイドにアイビーは頷きながらも疑問に首を傾げた。
「でもお仕事は大丈夫なの?」
ロイドは騎士だ。しかも騎士でも上の立場と聞いてる分、そんなに休んで大丈夫か?と心配する。
「あ〜それが、団長と副団長が休みをくれたんだが、俺が働き過ぎで事務から苦情が来たと、言わ、れて……」
チラリと恐る恐る隣を見る。
言いながらも隣から感じる冷気にロイドは余計な事を言ったと後悔した。
「ロー?」
「いや!あの、無理はしてないぞ?ちゃんと俺だって休んでたし」
「それで?」
いつもより一段と低い彼女の声。
それだけでアイビーが怒っているのを察し、ロイドは慌てて言い訳を並べる。
だがアイビーはある意味でいい笑顔で続きを促す。
言い分を聞いてやろう。と言わんばかりの声色はロイドを追い詰める。
「その、他の仲間達の休みを代わったり、していて、な。それと、有給も、使う暇が無かったというか、使う必要が無かったというか、余ってて……」
「それで?」
「合わせて二年位、休みが溜まってると……」
「それで?」
同じ言葉を繰り返すアイビーにロイドはつい天を仰ぐ。
「誰か助けてくれ」と救援を求める声は心の中で。
薬師であり医師であるアイビーに休んでいないと言うのは随分と覚悟が必要だった。
その怒りを身を持って知っている分、逃げ出したくもなる。
「ロー?それで?」
「うっ、……いい加減ちゃんと休めと、団長が、休みをくれました」
「ふーん、ちゃんと休め、ね」
「あ、アイビー?」
勿論食べる手は止まらず二人とも食事をしながらの会話だ。もぐもぐと静かに咀嚼しているアイビーにロイドはついその名を呼ぶ。
何か言われると思っていたからこそロイドの言い訳を聞いて何も言わないアイビーは不気味な感じで恐ろしく思えた。
そう、まるで――嵐の前の静けさのようで。
「ロー」
「お、おう」
ごくん、と食べ物を飲み込みロイドの名前を呼ぶ。
アイビーが恐ろしくじっと動かない彼を一瞥もせずアイビーは次の食事を口に運ぶ。
「後で、覚えてなさい」
「ぐっ」
ダンっと隣の足を踏み締め凄む。
あれ程手紙で休めと書いたのにも関わらず、無視をした幼馴染に手痛い罰を下す。
「〜っいってぇ」
「痛くしたのよ」
ぐりぐりと靴の踵で体重をかける。
「ビー!」
「後で一応診察するから」
「っ分かった!分かったから足どけろ!」
「なら、よし」
痛みに涙目で幼馴染を睨む。だがそれよりも遥かに怒りを宿した瞳で睨まれてロイドはサッと顔を下げる事でその視線から逃れようとした。
「でも、一応健康診断などは騎士団で受けてるぞ?」
「――だから、何?」
やんわりと断る言葉を吐いてもそれに被せてくるアイビーに手が汗を掻く。
今日一番に低い声が恐ろしい。
「 だ 、か、 ら、 何 ?」
一言一言力を込めて発せられる。
ロイドは己の敗北を悟った。
「……何でもないです」
「ふんっ!」
師匠譲りですぐ手が出てくるアイビーに勝てる訳も無かった。
言葉よりも早く出てくる手はどんなにロイドが防御しようともそれを掻い潜り届くのだ。
しかも小さい頃の力比べではロイドが一度も勝てた事が無い程アイビーは怪力だった。
今でこそ拮抗するとは思うが……そう思いたい。
*
食後の片付けもそこそこに早速ロイドの診察を始めようとするアイビーにロイドは待ったを掛けた。
「何よ逃げる気?」
「いや、まず荷物の片付けが先だろうが!何だこれ足の踏み場が無いぞ!」
往生際が悪いと言わんばかりのアイビーにロイドは逆に説教する。
それもその筈、二階の私室は足の踏み場が無い程荷物が散乱していた。
どうすればここまで乱雑に出来るのか甚だ疑問だが、整理整頓が苦手なアイビーにその辺の事を言っても仕方無いとロイドは頭が痛いと呟く。
脱ぎ放しの服に、医療関係の学術本、武器や何に使うか謎の道具類と所狭しに床一面に広がっている。
「こ、これは!その、シャルルさんの置いて行ってくれた奴でちょっと気になって、ね」
勿論片付けようとしていた!と言い訳するアイビーにロイドは騙されないぞ、とじっと見つめる。
「ビー?」
「や、やだなぁロー」
「ビー?」
先程とは立場が逆転し、今度はアイビーがロイドから目を逸らして言い訳する。
そんな怒りの気配を漂わせるロイドにアイビーはチラリと見上げて幼い頃のようにお願いを口にした。
「て、手伝って下さい」
「はぁー」
素直に言うお強請りに深い溜め息を吐く。
「取り敢えず、下着類は流石にお前がどうにかしろ」
「よ、よろこんでー!!」
荷物の山から見え隠れする物から目を逸らして言えばアイビーはどこかの飲み屋みたいな言葉を吐いて俊敏な動きで服の山を漁った。
それを横目にロイドは指示を出して行く。
要るもの、要らないもの、使わないもの、使うもの、服は洗濯に、道具類は纏めて一旦廊下に出す。
その指揮能力は流石に黒檀騎士団のリーダーと言えるが無駄な才能の使いどころでもあった。
アイビーの部屋は大きなダブルベッドと文机、大きな棚が壁に二つあった。
位置的にはリビングの隣で店舗側の上。
その部屋の続き扉を開けばそこにもちゃんとした部屋があり一人用のシングルベッドと小さめな棚に机と、隣の部屋と同じ様な配置で置かれていた。
頭に浮かぶ疑問符にロイドはアイビーに問い掛ける。
「なぁビー」
「なーにー?」
「こっちの部屋ってなんだ?」
ごそごそと荷物を片付けていたアイビーが顔を上げてロイドが覗く部屋を見てあぁ、と頷いた。
「なんかねぇそっちは娘さんの部屋だったんだって。ここが夫婦の部屋で、そっちが娘さんの部屋で、向かいの部屋二つがお弟子さん用に作ったんだって言ってたよ〜」
「……あの人に弟子って居たか?」
「なんか一時期弟子をとったけど長続きしなくて、専ら来客用に使ってたらしいよ」
「あー、納得すると言うか、なんというか」
「お厳しい方だからね」
あの女傑に弟子など聞いた事の無いロイドが納得に頷く。同業者に厳しいなら弟子にはもっと厳しいだろうと簡単に想像がついてしまった。
「他の部屋の手入れは?」
「そっちは何もしてないの。私もここに来てからまだ三日位だからお風呂とトイレとこの部屋だけしか使ってないから」
「一応、風呂とトイレは掃除したんだな?」
「い、一応しました」
ジロッと睨まれてアイビーは出来る限りの事はした。と挙手して告げる。
「なら他の部屋は俺が掃除する。お前はここを出来るだけ、片付けろ」
「イエッサー!」
出来るだけ、と力を込めて告げられた言葉にアイビーは全力で返事を返す。
そうしてロイドは一旦アイビーから離れて他の掃除に向かった。
その手には何も持っていないがどうせ魔法か何かでするのだろうとアイビーは自分も、と魔法を使おうとしたが……
「ビー」
「はいっ!」
「お前は全て手作業な」
「え」
「まずは自分の手で掃除しろ」
アイビーの行動を見越して釘を差すロイドに魔法の為に上げた手が力無く落ちる。
「ひどい」
「お前が片付け出来ないのは魔法で何でもしようとするからだ。力加減間違えていつもより散らかすのはどこのどいつだ?」
「……ゎたしです」
「あ?」
「私ですよ!!こんちくしょー!!」
ベシっと近くにあった雑巾を床に叩き付ける。
ロイドの正論過ぎる言葉はぐさぐさとアイビーの心に突き刺さった。
アイビーは医薬師として精霊の司と呼ばれる程に精霊術に精通しているし、魔法の腕も一流ではある。
本来ならば人間が宿せる力は一つ。
魔力ならば魔法を、聖力ならば精霊術を、しかし稀にそのどちらも宿す人間がいた。
何百万人に一人の確率ではあるが二つの力を宿した人間が。
しかしそれも必ずどちらかに偏るものなのだが、アイビーはどちらも膨大な程の力を宿し同じくらいの精度で扱える稀有な人間だった。
しかしいつもは繊細な魔法操作もこと掃除に関しては大雑把な性格が災いし、埃を飛ばそうと風魔法を使えば部屋に竜巻を巻き起こし、物を整頓しようと浮遊魔法を使えば逆に物をどこかに飛ばし、洗濯をしようと水魔法を使えば洗濯物を渦の中に沈めて破く始末。
お茶を飲む為にカップを温めるのだって最初こそは温め過ぎてカップを破裂させる程だった。
今でこそそれだけは師匠がお高いカップを使っていたのでこれは割れない!と心に刻み込まれているので上手く出来るようになったが……それ以外が壊滅的な程だった。
「ローの馬鹿ぁ」
図星を指されて罵倒するがロイドは肩を竦めて部屋を出て行った。
くそぅ、と歯噛みするが当たり前の注意なのは分かっているのでアイビーはグチグチとロイドの愚痴を呟きながら掃除を続ける。
部屋の窓の外には中庭に植えられた大樹が。
その枝に寝そべり外から主たるアイビーを見てセシルは猫の姿で欠伸を一つ。
穏やかな日差しの中、優雅な日向ぼっこをしていた。