第7日 俺と彼女の夢の店
――水花と柄杓が描かれた看板は薬師の証。
薬屋と簡単な診察を行う小さな診療所はひっそりと路地裏に存在した。
少し前まで寂れた光景が広がっていたが、今や店先は綺麗に掃き清められ、等間隔に並べられた鉢植えには季節に合った花が元気に咲き誇る。
色とりどりの花々に出迎えられた先には数段の階段。
大人二人がギリギリすれ違えるくらいの幅を持つレンガ造りの階段を上がれば目の前には真っ黒な重厚感あるオークの扉。
扉を開けばチリンと鳴る可愛らしいウェルカムベル。
そこはどこか不思議な雰囲気漂うお店だった――――
*
ロイドは同僚達を見送り、改めてアイビーを追い掛け店へと足を踏み入れた。
お茶の用意をしているのか、店内にはアイビーの姿は見当たらない。
足元にある積み上げられた荷物の所為でゆっくりと店内を進む。
木箱に入れられた荷物は乱雑に置かれており相変わらず整理整頓が苦手な幼馴染に溜め息がつい零れた。
「……凄いな」
つい溢れた言葉はその店内の立派さに。
ほぼ無償同然で譲られたというのを聞いていただけにもう少し小さいこじんまりとしたものを想像していたが、予想を遥かに超える立派な店舗は改めてその人物にとても興味が湧いた。
店内はレンガ造りの外見とは裏腹に内装のほぼ全てが木造だった。
天井は高く設計され、天窓からは太陽の光が優しく降り注いでおり思ったより店内は明るかった。
しかも思った以上に建物は大きく縦長で作られており、入り口から奥のカウンターまでは通路として広く大人二人が並んで歩いても大丈夫な程の幅が取られていた。しかもその両脇にはロイドでさえ見上げる高い棚とその裏側には壁に備え付けされた棚さえある。
ここに商品を並べるのだろう。
木の温もりと落ち着いた色で満たされた店内はとても心地良く感じた。
棚を通り過ぎれば通せんぼをするかの様な配置で置かれた頑丈そうな黒檀のカウンター。
右手側の壁にくっ付いた形で設置されたカウンターは大きく広い。ここで金銭のやり取りなどをするのだろう、裏側を見れば机の下には引き出しがあり収納性は確かだった。
カウンターとは反対の左手側には大きな窓が一つ。
その前には長椅子と小さなローテーブルが置かれ寛げるスペースになっている。
窓から外を覗けは中央にどんっと鎮座する大樹と自由に生えた草花が見えた。
そこは中庭なのだろう。
建物を囲む背の高い生け垣を目で辿ればそこも建物の敷地内である事が分かる。しかも建物はまだ続き、L字型に曲がっていた。
「……凄いな」
同じ言葉を呟きロイドは店を見て回る。
それは彼の驚嘆と感心を表していた……。
カウンターの後側の壁には簡易キッチンとして小さなコンロと水道が一つ。それらを避けた形で四角形で区切られた引き出しが壁一面にあった。
調合には手狭なそこは一体何に使うのか……寛ぎスペースがあるのを考えるとお茶等を淹れたりするのか?と、店がどういった想いで作られたのかを少しだけ分かった気がした。
……店の前には階段があったが店内には段差が無く、棚と棚の距離が広くゆったりと作られ、外の光が入り込むように計算され、ゆっくりと落ち着ける色合いで包まれた店舗は全て客であり患者の為に作られているのだと察する。
ただの診療所として待合室と診察室があるだけの場所もあるだろう。もしくは薬屋としてただ薬を販売する所も然り。
だがここは患者と寄り添い、診察をするだけでは無く何気ない話をして相談に乗ったり愚痴を聞いたり、患者としてだけでは無く、良き隣人としてあろうという持ち主の心が反映されているように思えた。
「……いい店だな」
「でしょ〜」
そんな穏やかな光景が見えた気がしてロイドは笑みを浮かべる。
つい溢れた言葉にカウンターの後ろの壁から声が聞こえた。
そちらに目を向ければカウンター側の壁の後ろには二階への階段があった。
ここから二階に上がるのだろう。
上から物音が聞こえるが、ロイドはふと目の前の扉に目を向けた。
寛ぎスペース側の壁に扉が二つあった。
手前の扉は中庭に出る為の、その隣はL字に曲がった建物の奥へと進む扉。
ついつい好奇心に負けてロイドは奥の扉を開けて覗き込む。そこは簡易ベッドと机、椅子が数脚と広々とした調合台があった。
ここが診療所を兼ねているのだろう。
埃が付かないように布が被されている器具類を見つけ在りし日の故郷の診療所を思い出す。
あそことは似ても似つかぬ程の広さと充実した器具類だがその雰囲気はとても良く似ていた。
ロイドは静かに扉を閉めて改めて二階への階段に足を掛ける。
ギシリと軋む木造の階段は途中で折り返し中庭方面へと身体は向かう。
そうして階段を登りきれば目の前には広々としたリビング。そこは柔らかそうな絨毯が広がり上等なソファーセットとローテーブルがあった。
勿論そこにも大きな窓があり、中庭の樹が見えた。
診療所の真上である右手側には大きなダイニングキッチン、その反対側である店舗側には各部屋があり合計で四つの扉が見えた。
「ロー、皆さんは?」
「あいつらなら夜勤明けだから帰るってよ。お前に謝っておいてくれって」
「あらそうなの?」
キッチンでお湯を沸かしてお茶の用意をしていたアイビーが振り返らずに尋ねる言葉にロイドは肩を竦めた。
「さっきは悪かったな」
「ん?あぁ、別に〜ローの心配も分かってるし、でもそう過敏に反応しなくても大丈夫よ」
リビングを避けてキッチンへと進む。
華やかな香りが漂う中、突然謝るロイドにアイビーは苦笑を浮かべた。
お茶の準備が出来たのか茶器を用意する彼女にロイドはさり気なく上の戸棚に手を伸ばすアイビーの代わりに望むものを取ってやった。
「ありがと。まぁ、私がここにいるのを知っているのは協会上層部と師匠、それとシャルルさんぐらいだから」
「は?シャルルってまさかあのシャルル・ナニータか?」
「そうそのシャルル・ナニータ」
「マジかよ……」
手渡されたティーカップセットを軽く水洗いし温める。温めるのは少し横着して簡単な火の魔法で。
本来ならば使えぬ筈の“魔力”を操り彼女はいとも簡単に魔法を発動させる。
アイビーは乾かすのも兼ねてティーカップに付いた水滴を沸騰させた。
その繊細な魔力操作と絶妙な加減で一瞬にして熱くなったカップを少しだけ持てるほどに冷ますのはロイドの魔法。
冷気が撫でて程良く冷めたカップはソーサーに置かれその中には綺麗な琥珀色のお茶が注がれた。
昔から当たり前の様に行っていた二人の息の合った連携はその道の人間が見れば度肝を抜かれるくらいの緻密で繊細な魔法だった。
針に糸を通すよりも遥かに難しい微細な魔力操作が求められるそれを二人は息をするかのように当たり前に行う。
「うーん、良い香り。ねぇこれって何のお茶?」
「固めた蜂蜜に香り付けしたやつって言ってた」
「へぇ、珍しいわね」
「リト二産だってさ」
「あぁ、あそこ名産地だからね」
ダイニングの机に運びながらも二人の会話は途切れない。
ロイドは運んだ荷物を漁りお菓子の箱を取り出してはダイニングの机に広げる。
その間にアイビーは簡単に場所を整えた。
「さて、では久々の再会に」
「お互い無事を祝して」
何も言わずとも互いに隣同士に並んで座り、カップを軽く触れ合わせる。
カップの中身は酒でも無ければ無作法ではあるが、祝杯代わりに掲げる。
その距離は、その位置は幼い頃から変わらない。
ずっと二人でいた。食事の時も遊ぶ時も寝る時さえ二人はずっと一緒だった。
どこか行く時は必ず二人で手を繋いでいた。座る時は隣同士で、食べる物は必ず半分こで分け合い、楽しい時も悲しい時もずっと二人で分かち合ってきた。
そう――互いの夢でさえも。
「騎士団はどう?楽しい?」
「楽しいっていうか面倒事が多いのは確かだな……口だけの奴とか、文句ばかりの奴とか、意味不明に突っ掛かってくる奴とか、あとは……貴族とか貴族とか貴族とか」
「それって全部貴族って事じゃん」
「良い奴も居るが基本建前とか貴族の誇りとか権力とか無意味に振り翳す奴が多い」
「大変ねぇ」
ハァーと深い溜め息と共に吐き出す愚痴にアイビーはしみじみと呟く。
「そういうお前は?ってか良くシャルル・ナニータの店譲ってもらえたな」
「あー、それは師匠のお陰というかなんと言うか……」
シャルルの名はとても有名で流石のロイドでも知っていた。
“あの”と形容詞がつく程に有名なのはその功績もそうだが何より彼女は敬虔な女神信者であり、偏屈とさえ呼ばれる程に同業者に厳しい事が有名だ。
少しでも治療に妥協しようものなら医師免許や薬師免許の返上を命じる女傑。
少し前にもそんな騒動があったと聞いているロイドはついつい零す。
「あの方の志はとても尊敬するが少し頑固のきらいがあると聞いているからな。本当によく譲って貰えたな」
「まぁ条件が色々あったけどね。たぶんあの方にも色々あったのよ」
「あー、まぁここは王都だからな。色んな人が訪れるし人それぞれに考え方がある。それを否定するつもりはないが……ここは特に“欲流者”が多い」
「……貴賎を問わずに集まる良さと悪さが王都の特徴だしね」
互いの意見を言い合い顔を見合わせては共に溜め息を吐く。
それは互いにその良さと悪さを身に沁みるほど理解しているからだろう。
ままならぬ現状はいつの時代も騎士も薬師も頭を悩ます問題だ。
「ま、そんな暗い話は置いといて、ローは今日何時までここに居られるの?」
「あーそれなんだが……」
やめやめ、と話を変えるアイビーにロイドは少し言いづらそうに頭を掻く。
しかしその時、リビングの窓、二人の後ろに感じた気配にロイドは振り返った。
「ニャー」
「あ、セシル!」
風に揺れる白銀の毛並み。
優美な曲線を描く細長い尻尾。
猫の姿を取った精霊は窓枠に座り、その琥珀に煌めく瞳をロイドただ一人に向けていた。
相棒の登場に忘れてた!と言わんばかりに声を上げるアイビーだが、ロイドは猫の姿を一目見た瞬間その様相を変えた。
徐に立ち上がり隠し持っていた短剣を外してはその場に跪く。
目の前に置かれた武器。それは相手に敵意が無い事を示す。
ピリッと肌を刺す緊張感。
睥睨するかのように細められた琥珀の瞳は威嚇と疑惑に彩られ、僅かな殺気すらも宿っていた。
「――お初にお目に掛かる。気高く偉大なる自然を司りし者よ。俺の名はロイド・アレン。貴殿の契約者とは育ちを同じくする者。……貴殿の名を問う誉れをこの身に頂きたい」
目を逸らすことなくロイドは厳かに告げた。
先程までの穏やかさなど微塵もなく、真剣に言葉を紡ぐ彼に精霊として高位に位置する上位者は冷たい風を纏い優雅にその目の前に下り立った……。
『ぼくの名は――セシル。白銀の標を持つ四つの導を司る者。わが契約者と魂のちぎりを分かち合う者に祝福を』
頭の中に響く声。
あどけないその声は幼く、まだ目の前の精霊が年若いことを表していた。
そしてその姿は――先程の猫ではなく、人の姿をしていた。
高位精霊は意思と思考持つ存在だ。
自然を司るその能力は脅威的であり、その宿す心は人間と同じ様に経験と歳月で育ちゆく存在。
だが高位に至るまで長い年月が掛かる。
例え高位精霊としては幼くてもその年齢は遥かにロイドやアイビーとは比べようにもならない程だ。
人間で言えば五、六歳程だろうか、子供の姿でロイドの目の前に凛と立つセシルは精霊と相対する正式な名乗りに警戒を解いて礼節を持って返した。
「セシル――貴殿と出逢えた幸運と女神ルーデントルワに感謝を」
『こちらこそ。キミがロイドなんだね』
「あぁ」
『キミのことはアイビーから良く聞いてたんだ。会えてうれしいよ』
「光栄だ」
胸に手を当て人間としての礼儀を返す。
それに目の前の精霊は嬉しそうに笑みを浮かべた。
そんな二人の邂逅が無事終わったのを見届けアイビーは楽しげに笑って立ち上がった。
「さっ!お互い自己紹介も終わった事だしお昼にしましょう!」
パンッ!と手を打ち合わせ空気を変えるように動き出す――が、そのお腹からはぐぅと一人で返事をしていた。
「……」
「……」
『アイビー……』
何とも言えない空気が三人の間に流れたのだった。