第6日 彼女と俺の仲間達
朝日はやがて中天に差し掛かり人々は昼食の準備をし始める時刻。
互いの無事と再会を喜びあったアイビーとロイドはゆっくりと名残惜しげに離れた。
「それにしても随分と大荷物ね」
「あぁ、どうせお前ろくに飯食べてねぇだろ?」
魔法の力によって空中に浮かぶ荷物をゆっくりと降ろしながらアイビーは少し呆れた表情を浮かべた。
しかしロイドの発言に答えるようにくぅと鳴ったお腹を抱え気まずげに目を逸らす。
「……ヨクワカッテイルヨウデ」
「朝飯は?」
「……」
「ビー?」
無言の返答に据わる目。
お前な……、と目で訴えるロイドにアイビーは乾いた笑い声を上げた。
「どうせそんな事だろうと思ったよバカ」
「アハハハー、色々とやる事があって、ね?」
「そんな言い訳が俺に通用するとでも?」
重い荷物はロイドが、軽めの物はアイビーがそれぞれ抱え店の階段を上る。
「食材の他にも調味料類も買ってきたが、流石に食器位はあるだろうな?」
「あー、それは大丈夫。この店をくれた人が色々と残していってくれたから鍋とかの器材もちゃんとございますとも」
「なら良かった」
店の扉は開けたままになっており中を覗けば荷物の箱が至る所に積み重なっていた。
少し見ただけでも広そうな店舗。
二階もあり、この大きい建物を譲ってくれただけではなく器材やら諸々気前良くくれた人が気になる所だが……。
そんな事を尋ねていいのか悩むロイドを横目に徐に道の端を振り返るアイビー。
「どうした?」
「あの――皆さんも宜しければお茶などいかがですか?」
「は?」
それはロイドが歩いて来た路地の先。
建物の陰を覗き込みながら声を掛けるアイビーにロイドはポカンと呆ける。
何を言っているんだ?と思いはしてもよくよく気配を探れば確かにアイビーが声を掛けた先には微かに四つの気配。
まさか……。
その気配にロイドは勢い良く路地を振り返った。
「え、嘘だろ?見つかった?」
「いやいやいや、ただの女の子だぞ?」
「先輩ならともかく、いや、でもこっちめっちゃ見てますよ」
「あー、これは完璧にバレてんな」
コソコソと聞こえる声。
それはロイドにとっては聞き覚えのありすぎる声であり、しかもつい今朝方に食堂で会話したばかりのもの。
「お前ら……」
頭を抱えるロイド。
その胸中は自分の浮かれ具合の後悔と反省が渦巻き、僅かな憤りさえ混ざっていた。
「――いいから出て来い」
はぁ、と深い溜め息を吐いて言葉を吐く。
最初に出て行く順番を揉める声に苛立ち、その声は荒らげなくとも怒りの冷たさを孕んでいた。
「よ、よぉ!ロイドあのな――」
「何故付いてきた」
長年共に働いている所為でロイドの苛立ちは分かりたく無くとも簡単に察する事が出来た。
慌てて建物の陰から飛び出した同僚に食い気味で言葉を吐く彼に他の三人は青褪めた顔色でゆっくりと出て来る。
「何故、付いて、来た?」
一言一言、噛み締めるように言われる言葉。
繰り返す言葉はそれだけでロイドが静かに怒っているのが分かる。
ロイドの怒り方はとても静かだ。
激高し声を荒げ怒鳴るのでは無く、静かに怒りの炎を燃やし氷の様に冷たいそれは怒鳴られるのを堪えるのよりも遥かに恐怖心を煽る。
「(これは……)」
「(めっちゃ怒ってますね)」
「(ヤバイな……ここまで怒ってるの初めて見た)」
「(俺たちここで死ぬんですかね……)」
血の気が引いた顔で口を噤む四人の男達。
怒り狂うロイドを目の前に少しでも視界に映らないように身を縮めるが、問い掛けの返答が無い事にロイドの苛立ちは益々募る。
――気のせいだろうか……春の陽気が満ちていた路地が段々と冬の冷たさに染まっていくのは……。
怒りで魔力が滲み出すロイド。
ロイドの魔力は氷属性と相性が良く、特にその性質を孕んでいる。
魔法により他の属性も扱えるが……魔法を使わない限り彼が宿す魔力は凍える冷たさを宿していた。
――それ故に彼は【氷の悪魔】と呼ばれる……。
「何故答えない?」
「あー、いや……」
「何故俺を付けていた?」
ロイドに相対し、他の三人の矢面に立つのはロイドと同期の男。
しかし彼も初めて見るロイドの怒りように素直に話す事は躊躇われた。
まさか「ロイドに女の影が見えたので付けてきました」と馬鹿正直に言えるはずも無い。
そんな事を言えばどうなるのか……敵に対し一切の情けも容赦も無い彼の姿を四人の中でも一番長く見てきた彼は底冷えする恐怖に言葉が続かなかった。
「おい、ダナン――」
「はい!そこまで〜」
「うぐっ!」
ゴンっと盛大な音を立てて振るわれる拳。
小さくとも固い拳骨を脳天に受け、ロイドは痛みに蹲る。
「ロー、お友達を脅してどうするのよ」
「っつ!ビー!いきなり何すんだよ!」
「お馬鹿な幼馴染に鉄拳制裁しただけですぅ」
「だからっていきなり拳は無いだろ!?拳は!」
お前自分の馬鹿力を理解してるのか!?と叫ぶロイドは痛みで若干涙目だった。
「ごめんなさいねぇ、この馬鹿は後でキツーく叱っておくので……えっと、ローのお友達の方ですよね?良かったら一緒にお茶などいかがですか?」
引っ越したばかりで部屋が汚いけど……、と固まる四人に声を掛ける。
先程まであった緊迫感は霧散し、どこか気の抜けた空気が漂い始めた。
気さくに笑うアイビー。
そんな彼女に向くのはロイドの怒り。だが彼女は怯えるでもなくからかう様にのらりくらりと躱しながらロイドの仲間たちをお茶に誘う。
「おいコラ、ビー!」
「やだ、耳元で叫ばなくても聞こえてるわよ」
「そうじゃなくてだな!」
「あーやだやだ、いい歳した大人が叫ばないでよ」
「お、ま、え、なぁ!!」
いつもは騎士然として後輩達の見本になる為、冷静沈着で礼儀正しく、穏やかで真面目なロイドが子供のように騒ぐ。
言葉遣いも、平民出身なのにも関わらず貴族だと言われてもおかしくなかったその振る舞いも、今や見る影もなく下町言葉で荒々しい。
そんな初めて見るロイドの姿に驚きで目を丸くする男達。
「ほらぁ、ローが子供みたいに騒ぐから皆さん驚いてるじゃない」
「誰の所為だ。だ、れ、の!」
「勿論、私ではないわね」
「てめぇ」
ギロリと睨まれる視線もなんのその。
しれっと吐かれた言葉にロイドの額に怒りの皺が寄る。
「はぁ〜もう、いい。お前に何言っても通じないのはよく分かってるよコノヤロウ」
「あらぁ分かってるのなら良かったわぁお馬鹿さん」
「お前後で覚えとけよ」
「ふふふっ三歩歩いたら忘れちゃうかもね?」
「どこの鳥頭だお前は」
頭が痛いと言わんばかりに深く息を吐くロイドにアイビーは笑う。
「ロー」
「うるせぇな分かってるよ。さっさと進めよ鳥頭」
「ロー、口が悪いわよ?」
「元からだよばぁか」
「師匠が聞いたら嘆くわぁ」
「その前に拳だろうが、あの人は……」
「確かに」
二人の脳裏には豪快に笑いながら容赦無い暴力を振るう男が思い浮かんだ。
アイビーにとっては薬師としての師であり、ロイドにとっては格闘術の師匠である男は今も周りを振り回し笑顔で鉄拳制裁と治療をしている事だろう。
ブルっとトラウマ同然の記憶が二人の脳裏に過り震える。
ガハハハっと師匠の笑い声すら聞こえた気がした。
「あの人の事を思い出すのは止めようか」
「同感」
お互いに神妙に頷く。
「それよりビー」
「なーにー?」
どっこらしょ、と年寄り臭い掛け声で階段を上り店に一歩足を踏み入れたアイビーにロイドは少しの確信と共に尋ねる。
「お前、お茶とかどうかとか言ってたけど茶葉はあんのか?」
「あっ……」
ハッとした表情で勢い良くロイドを振り返る。
食事も満足に取っていない彼女がティータイムなどの高尚な趣味の時間など取るはずもなく。
食材すら無いような状態で茶葉などある方が奇跡だが……やはりと言うか無いらしい。
「えーっと……」
「どうせそうだろうなと思ったよ馬鹿。ついでに買ってきた俺を褒めろ」
「さっ流石ロー!」
よ!騎士の鑑!
調子の良いアイビーの態度にロイドの表情が無となる。
「お前……もうちょっとさ」
「ええっと、さ、さすが私の自慢の幼馴染!ダイスキヨー!」
ガバッとロイドが抱える荷物ごと抱き着き頬に挨拶のキス。
最後にカタコトの愛の言葉を叫びながらアイビーは茶葉が入っているだろう袋を抱えて慌てて店に飛び込んで行った。
「アイツ……調子のいい……」
さっきまで散々人を馬鹿にしてた癖に態度をガラリと変えた彼女に悪態を付く。
だが、その表情は言葉とは裏腹にとても優しい何か満ちていた。
そんなロイドの表情を目撃した男達は、驚きに固まる者。納得の表情をする者。何かに頭を抱える者。真剣な表情で見つめる者。と四者四様のリアクションを露わにした。
「はぁ……お前らも悪かったな。少し頭に血が上った」
「へ?い、いや!俺達は……」
「その俺達の方が悪いんですし……」
深い溜め息を吐いて改めて同僚達へと向き直る。
突然の謝罪の言葉に慌てる仲間達。
しかしそんな四人の中から一人の男が一歩進み出る。
「なぁロイド」
「なんだ?」
「もしかしてあの子が――例の幼馴染なのか?」
ダナンとロイドに呼ばれていた一際大柄な男は真剣な表情で尋ねた。
その表情を見てロイドは頷いた。
「そうだ」
「そうか……」
ダナンは少しだけ知っていた。
ロイドが長年手紙を交換していた薬師の幼馴染の事を。
とても腕の良い薬師で、昔ロイドが分けてくれた傷薬がとても効きが良く、定期的に購入したいと尋ねた時に話してくれた。
傷薬自体は手紙と共に送られてくるのをロイドに無理を言って今も少し分けて貰う程に気に入っている。
遍歴医として師匠に付いて世界中を飛び回る幼馴染。
その幼馴染が女性だった事は初めて知ったが、いつもその幼馴染の事を案じていたのを知っていた。
他国の紛争地帯から、新種の病気が蔓延した地から、災害が起きた地から、届く手紙と荷物。
手紙が届いた事に安堵し、その手紙が送られてきた地域を調べては心配に顔を曇らせるロイドを見て過保護だなと思っていた。
(その時は普通に幼馴染が男で年下と聞いていたので弟的なものだと思っていた)
それが女性だったと知れば、なる程とあの心配ぶりも分かるというもの。
「さて、ビーがお茶を用意してるだろうし良かったら入ると良い」
「いいんですか?」
「ああ、それに大人数の方があいつも喜ぶ」
ロイドが皆を促す。
後輩の一人が喜色を露わに店へと進むが……ダナンはその後輩の後頭部を鷲掴んで止めた。
「いだだだ!!」
「いや、俺達は帰る」
「え?」
「ダナン先輩?」
仲間の疑問符が浮かんだ表情を見てもう一度同じ言葉を吐く。
「夜勤明けで眠いしな、お前ら帰るぞ」
「え、俺は別に……」
「帰るんだよ」
「いたっ!痛いッス頭離してくださいよ!!」
「ダナン?」
「久し振りに会ったんだろう?ゆっくりして来いよ」
騒ぐ後輩の頭を掴む手に力を込めて引っ張る。
不思議そうなロイドに邪魔して悪かったな、と言い残してダナンは仲間達を連れて店から離れる。
罰が悪そうなダナンの表情にロイドはそれ以上尋ねる事を止めた。
その代わりに浮かぶのは僅かに口端を上げた苦笑。
「すまん――ありがとう」
「いいって事よ、こちらこそ幼馴染ちゃんにはすまんと伝えてくれ」
「ああ、分かった」
去り際にロイドの言葉を聞きダナンは首を振る。
折角お茶の用意をしてくれているだろうアイビーに謝罪の言葉を託してダナンは仲間達を連れて今度こそ帰っていった。
それを見送りロイドはいい仲間を持ったとひとりごちる。
「ありがとう」
再び呟いた感謝の言葉は誰の耳にも聞こえることなく空気に溶けていく。
そうしてロイドも店の中へと姿を消した。