第5日 私と、俺の、再会の日
空には輝かしい太陽が昇り、陽の光が世界を照らし出す――。
朝から元気に囀る鳥達の鳴き声を目覚まし代わりに彼女は布団から起き上がった。
「ふぁあ〜眠い……」
昨日は夜遅くまで調合をしていた所為で眠気が取れない頭を振って目を擦る。
ベッドから下りれば足元には白銀の毛並みの犬が一匹。主人の目覚めに彼はじゃれるように足元に纏わり付き部屋を出て行くアイビーを追い掛けた……。
「さて、今日も一日やりますか!」
顔を洗い身支度を整えれば今日も朝からやる事は沢山ある。
三日前に故郷であるこの国に帰って来たアイビーはシャルルから引き継いだ店舗兼住宅で寝起きをしていた。
持ち込んだ荷物は着替えなどの手荷物のみ。家具や調合器具、日用品はシャルルから好きに使って欲しい、と元々家にあった物を使っている。
しかし薬などは一から作り直さねばならず、身の回りの物は後回しにここ二日は調薬に専念していた。
店に並べる予定の薬や元々シャルルが診ていた患者の薬を作り上げ調薬は昨日の時点で一段落している。
今日はお店を片付けようとアイビーは気合を入れて二階の住宅から一階の店へと降りた。
「セシルは今日は好きにしてて良いからね?」
自分も手伝うと言わんばかりに足元に座る犬を撫でた。
白銀の毛並みは青みを宿した色合いで雪原の雪を連想させる。見た目は大型犬そのものだが、ただの動物ではないそれをアイビーは親しみを込めて呼んだ。
「がぅ」
「セシルは今日お休み。中庭で日向ぼっこでもしてきなよ」
文句の唸り声に笑う。
次の瞬間には冷たい風を孕みその姿を変えたセシルにアイビーは中庭に続く扉を開けてやった。
「お昼になったら教えてくれると嬉しいかな?」
「にゃー」
まだ手入れが届いていない中庭は雑草が縦横無尽に生えている。その中をかき分け中央に位置する大きな木の根本に向かう姿は先程の犬では無く優美な白銀の猫の姿。
彼は精霊獣と呼ばれる存在だった。
――精霊獣とは薬師、医師が力を借りる精霊が形を得たモノの一つ。
精霊は力の強さによって低位、中位、高位の三つの位
に分類される。
基本的に精霊は形を成す事がない。人によって見る形は異なるが大体が光の玉や煌めき、オーラなどの形をしている。だが高位の精霊はその力を安定させる為に様々な形を成すことがあった。
中位以上から精霊は意思を得て自らの望む姿に形を変える。
理性的な精霊であれば人型に、力の本性が強ければ動物に。
医師や薬師が契約を交わす事で契約者が望む姿を得るモノもいる。
そしてその姿を得た精霊と契約する事が医師や薬師の頂点――医薬師となる資格を得る事が出来るのだ。
セシルは氷属性の高位精霊。
その中でも彼は氷と水、光、風の複合属性を持つ四種属と呼ばれる特別な存在だった。
精霊は自然の力そのもの。
基本属性が火、水、風、地、闇、光の六種
それから派生した氷、雷、時空、嵐の四種
計十種類が現在まで確認されている精霊が宿す属性である。
その中で一種類だけ属性を持つモノを「一種属」
二種類持つモノを「二種属」
三種類持つモノを「三種属」
四種類持つモノを「四種属」
五種類持つモノを「五種属」
六種類持つモノを「六種属」
歴史を紐解いても有史以来、確認されているのは最大で六種属のみ。その六種属性の精霊はただ一体――精霊の王と呼ばれ、絶対的強者――竜の姿を得た存在のみが確認されている。
そして精霊は一属性に付き一つの姿を得る。
四種属のセシルは四つの姿を得ていた。
「まずは入り口から始めようかな」
店の扉を開ければチリン、と涼しげな音を鳴らすウェルカムベル。
耳に優しい音色を聞いて外へと出たアイビーはまずは入り口の鉢植えから手を付けようと気合を入れ直した。
*
「……流石に買い過ぎたか?」
その頃、ロイドは両手を塞ぐ大荷物に今頃気付いた。
両腕には数個の手提げ袋。気を利かせてくれた店の店主が肩掛けのバッグを貸してくれてそれが二つ。
懐には大きな紙袋を抱えた状態。
「まぁ、いいか」
大の大人でもよろめく様な重さを軽々と持って歩く様は流石に注目を浴びていた。
荷物からは所々買った物が覗き、飛び出ている有様。
「確か――迷宮通り近くだったか」
ぐるりと現在地を確認し、手紙に書かれていた住所へとやっと足を向ける。
商店街の通りを南下すればそこには迷宮があった。
その近くの通りは迷宮がある為、もしもの事態――迷宮から魔物が溢れだす危険を鑑みて建物や店などが少なく、道も他の道より幅が広くなっており無骨な石畳のみが広がる。
そんな通りは景観が余りにも寂しすぎると数十年前、先代の国王が主導し花壇が作られた。
正式名称は[ガーデン通り]と名付けられたが残念な事に一般的な呼び名は[迷宮通り]と呼ばれ市民には親しまれている。
その通りの近くだった筈、と記憶を頼りにロイドは進んで行く。
その足取りは軽く、荷物の重さなどなんのその。
浮かれたロイドは何時もならば気付くはずの背後の気配さえ気付く事なく商店街を後にする。
勿論その背後には四つの影が付かず離れず建物の影から彼を見つめていた……。
*
迷宮通りに出ればそこは商店街とはまた違った活気に溢れていた。
商店街が主婦や商人で溢れていたのに対して迷宮通りでは物々しい出で立ちの男たちが騒がしく、店も武器屋や防具屋が軒を連ねる。
迷宮通りは貧民街にも程近く、治安も余り良くは無かった。迷宮に潜ろうと集まる冒険者でごった返す通りはスリや強盗、恐喝などの犯罪も少なくは無い。
両手に荷物を抱えるロイドはまさに鴨が葱を背負って居るようなものだろう。
両手に荷物で動きづらく、しかもその荷物も大量となれば金がある事は確実。獲物を探す仄暗い人間達には格好の標的になり得るロイドは絡まれる前に、と極力気配を殺しつつスイスイ人混みをかき分け路地裏へと入り込んだ。
――だが。
「……面倒くせぇなぁ」
薄暗い路地裏でぼそりと呟く。
通りを歩いていた時から感じていた嫌な視線。
目を付けられないように歩いて来たが、それでもロイドの姿は目立っていた。
大方ロイドの持つ荷物と金が目的だろう、目踏みする視線は気配を伴い徐々に近付いてきていた。
折角上機嫌だった機嫌も下がるというものだ。
今日は久々の休みで十五年振りに幼馴染に会うというのに面倒事はゴメンだ。
ロイドは素知らぬ振りで路地裏を進む。
しかし――ロイドが歩く度に立ち上る白い冷気。
パキパキと音を立てるのは凍り付く地面や周囲の壁――。
「――よぉ兄ちゃん。随分と大荷物じゃねぇか?」
「俺達が持ってやるよ」
後ろから掛けられた声にロイドは隠しもせず深い溜め息を吐いた。
「生憎と手は間に合ってる。他を当たってくれ」
「そういう訳にはいかないんだなぁ」
「ついでに有り金全部置いてってくれてもイイんだぜ?」
背後に二人。前の路地から二人。
合計四人のゴロツキに囲まれた。
しかし動揺すらしないロイドは肩を竦めて――準備していた力を開放する。
「っな!?」
「何だこれ!!」
――風が吹く……。
ゆらり、ゆらり、揺らぐ白い陽炎。
「ひぃ!」
「さ、寒い……」
背筋を、足を、震える肌を撫でる冷たい風――
軽い音を立てて凍りつくのは――邪魔者達の足。
ぶわっと男達の足元を覆う冷気。
それは瞬く間に広がり空気を凍らせ、男達の足を地面に縫い付けた。
「絡む人間はもう少しよく見ろよ」
無詠唱の魔法によって凍り付く路地裏。
そこだけが極寒の地になったかのように周囲には霜が広がり、周りの壁は氷によって覆われてしまった。
「今日は見逃してやるけど……次は、無い」
ヒッ!と悲鳴を上げ青白い顔を縦に振る男達を一瞥しロイドは路地裏を抜ける。
パキり、パキり、ロイドが歩けば鳴る音は地面の氷を踏み締める音。
キラキラと空中を漂う煌めきは凍りついた水滴。
恐怖に震える男達を残し、ロイドは路地裏を後にする……。
*
「(ここが一番地だから……この先か?)」
キョロキョロと辺りを見回す。
迷宮近くの路地は区画整備が余りされておらず建物や小道が多数あって入り組んでいる。
王城近くならばいざ知らず。曖昧な記憶を頼りに進むロイドだが――静かな路地に微かに聞こえた歌。
それはロイドにとってとても馴染み深い古い詩だった――。
『――――灯りを一つつけましょう
それは未来の篝火となるでしょう
雫を一つ落としましょう
それは癒やしの源となるでしょう
足元を照らす夕暮れは過去の足跡を照らし出す
約束を一つ交わしましょう
それは未来の約束
歌え、踊れ、舞い散る光
歌え、踊れ、未来を謳え
輝きの果てに祖を讃えよ
煌めきの果てに約束を交せよ――――』
吹き抜ける風に乗って微かに聞こえる歌声は優しく穏やかに響き渡る。
導かれる様にロイドは声の方へと足を進めた。
『――――咲き誇れ華よ ひと雫の想いよ
捧げよ、覚悟 唄えよ、想い』
微かなその声は近づく度にはっきりとした歌声となる。
ゆっくりとした足取りはいつの間にか早足に、そして駆け足に。
そうして曲がり角を進めば――そこには一人の女性。
「『歌い踊れよ、心のままに 進め歩けよ、想いのままに――』」
太陽の光に照らされたチョコレートブラウンの髪。
優しく細められるのは蜂蜜色の瞳。
鉢植えを抱えて土いじりをする彼女にロイドは一旦歩みを止めた。
じっと見つめられているのも知らずに彼女――アイビーの歌は楽しげに紡がれる……。
「『希望を灯しましょう、未来に向けて。想いを託し合いましょう、大切な人と』」
土をならし、種を植える。
指先で撫でた土に宿る力を注ぎ込めば種は芽吹き、花が咲き誇る――。
そして、
「「『――それは確かな約束』」」
「え?」
「……見つけた」
詩の結びに声を重ねれば――彼女は驚きを露わにした。
目を瞠り、驚きにこちらを振り向くアイビーにロイドは満面の笑みを浮かべる。
「ビー」
「うそ……ロー?」
お互いに呼ぶ、大切な名前は二人だけの愛称。
見つめ合う蜂蜜色と紺碧の瞳。
立ち上がるアイビー。
その姿は元気そのもので、ロイドはひっそりと安堵の息を吐く。
幼い頃の面影を残す幼馴染にロイドは足早に近付いた。
嗚呼――荷物が邪魔だ。
「って、えぇっ!!」
「うるさい」
ぶんっと全ての荷物を放り投げるロイドにアイビーの驚きの悲鳴が上がる。
慌てて荷物を受け止めようと手を伸ばす彼女の手を取り上げロイドはその身体を懐に迎え入れた……。
「ちょっ、えー……」
「心配しなくても落とさねぇよ」
空中に浮かぶ荷物の数々。
いつの間にか魔法を発動していたロイドにアイビーは呆れと非難を混ぜて声を上げる。
すっぽりとアイビーの身体を覆う大きな身体。
一緒にいた時は同じくらいだった背丈は大きく越され、その体付きも逞しい。
同じくらいに成長した筈のアイビーを受け止めてもビクともしない。
だけど――、その温もりはアイビーが、そしてロイドが、ずっと待ち望んでいたものだった……。
「久し振りだな」
「……そうね」
やれやれと溜め息を吐く彼女にロイドはその目を覗き込む。
「怪我は?」
「それはこっちのセリフ」
「俺は無い」
「私も健康そのものよ」
「そうか」
「うん」
互いに触れ合う頬。
こつりと合わさる額。
「――無事で良かった……」
「お前もな」
目を閉じれば思い出す。
……別れる事しかできなかった過去を。
「会いたかった」
「うん、……私も」
ポツリと囁かれた言葉にアイビーは少しだけ泣きそうになった。
別れる事しか出来なかった。
お互いの夢の為に、それぞれの未来の為に。
別れてからの今まで。
どれ位、会いたいと思っただろうか。
恋しいと、寂しいと、嘆く事は出来なかった。
その言葉すら吐く事は躊躇われた。
瞼を上げれば目の前にはこちらを見つめる紺碧の瞳。
これをまた見たいと、どれだけ願ったか……。
「……会えて嬉しい」
「俺もだ」
会いに来てくれて、嬉しい。
内緒話の様に耳元で囁やけば、とろりと甘く蕩けるその瞳。
「ビー」
「なぁに?」
「……別に」
呼んでみただけ。
そう耳元で囁かれ擽ったさに肩を竦める。
「ロー」
「なんだ?」
「別にー」
呼んでみただけ。
同じ様に返せば喉で笑う彼にアイビーも肩を震わせて笑う。
名前を呼べば返る声。
それをこの十五年、どれだけ待ち望んでいたか……。
額を重ね、すりっと鼻先を擦り合わせる。
視線を上げれば間近に見える紺碧と蜂蜜色。
互いの瞳の中にそれぞれ己の顔を映し、笑う。
その表情はやっと再会出来た安堵と歓喜に彩られていた――