第22日 俺と部下と協力者
――ガルシア王国の王都は至る所に木々がそびえ立つ森の都である。
通行の妨げになっていたとしても国からの許可が無いと伐採すらも許されず、その為道は木を避ける様に整備されているのが多い。
大通りは兎も角、小道や路地裏は不自然に曲がりくねり、根っこを傷付けない様に剥き出しの根を避ける為の段差があり、整備された地面から覗く根はボコボコと平らな地面を隆起させていたりと、逆に真っ直ぐな道の方が珍しい程だった。
家屋も同様に木を主体とて建てられているのが多い。
屋根から突き出た枝葉、大樹の中をくり抜いて作られた家。それらを見て驚くのは観光客だとすぐ分かるほどに奇抜な家々が並ぶ城下町。
そんな王都の路地を突き進むのは部下であるディルを引き連れたロイド。
「隊長、これからどこに向かわれるのですか?」
「うん?ちょっとな……」
片手に軽食を持ち、齧り付くロイドにディルは少し驚く。
いつもは貴族と間違う程に洗練された仕草やマナーで食事するロイドしか見た事が無かったディルにとって下町の平民らしい大口を開けて粗雑な仕草で食べる光景は初めて見るものだった。
そんな二人は黒檀騎士団の証である黒の団服を脱ぎラフな格好をしていた。
剣こそ腰に下げてはいるがぱっと見、街に繰り出した身奇麗な冒険者といった風貌だ。
ガルシア王国の王都には迷宮がある。
その為、一攫千金を狙い冒険者が数多く集まる王都で二人の格好が浮く事はない。
騎士服を脱ぎ、手渡された服に着替えたディルだがその意図が分からず先程から疑問符で頭が一杯だった。
問い掛けた疑問も片手間に誤魔化され益々頭を悩ませる。
そんなディルを横目にロイドは何かを探すように辺りに目をやり忙しない。
もぐもぐと屋台で買った肉を挟んだパンに舌鼓を打ちつつ、やがて見つけた印に内心安堵の息を吐いた。
「あったあった。ディルちょっとこちらに来てくれ」
「は、はい!」
ちょいちょいと手招きしつつ見下ろした印。
それは路地の階段に刻まれた小さな何かの模様。
「これは……悪戯ですか?」
「いや」
子供が描いたかのように崩れた丸とその中にあるのは木を模しているのか、只の長い棒に三つの短い棒が足されたもの。
箒を逆さに描いたようなそれにディルが首を傾げつつ尋ねたがロイドは苦笑を浮かべながら首を横に振る。
「お前も覚えておくと良い。これは道標だ」
「みちしるべ」
これが?と言わんばかりに言葉を繰り返すディル。
「そう。これからはお前にもお使いに行ってもらうつもりだから覚えておいてくれ」
「はぁ」
どこに?誰に?と疑問ばかりが頭を埋め尽くす。
生返事しか返せないディルにロイドはただ覚えろと繰り返した。
「この三本は道を、丸は広場を表している。つまりはこの先の三本の小道の先に小さな広場があるって証だ」
そう説明しながらズボンのポケットから取り出した地図をディルに見せる。
「今いるのがここで、大通りは書かれることは無いから小道だけを見るんだ。そうすると、この三つが書かれている小道。ここから行くとその先に井戸があるからその井戸のある広場を示していることになる」
指先で辿る先。
王都には上下水道が整備されており、上水道は水路として王都内に張り巡らされている。
その水路の水は大規模な魔法具によって王宮内の地下水脈から汲み上げられており、生活用水として城下町へと流れていた。
下水は地下に張り巡らされた水管を通って王宮内に戻り、これまた魔法具によって浄化され近くの川へと返るような仕組みだった。
そして上下水道が整備される前は井戸を利用していた。
その中でも古くから存在する井戸の水は地下深い水脈から汲み上げられ、その水は自然魔力に富み、王都の木々をよく育て、薬師にとっても調合の際、薬の効力を高める大事な水だった。
……そこまでよく知る者は今はもう、あまり多くは無いが。
「……この広場に何があるのですか?」
ディルが静かに問い掛ける。
意図的に隠された道標。
暗号の様なそれに何故ロイドが知り、それをディルに教えるのか。誰かに会う為なのか、何かをする為なのか。
全ての疑問を込めた言葉にロイドは柔らかな笑顔を浮かべた。
「俺の古い知り合いが居るのさ」
*
標を辿り、漸く着いた広場。
そこは忘れ去られた井戸がぽつんと存在し、その隣には枯れかけた細い木が静かに佇んでいた。
人気のない小さな広場は建物に囲まれ、陽の光が届かぬどこか薄暗い場所だった。
「……そろそろ来る頃だと思ったよ」
木の傍らには背の高い細身の男が一人。
焦げ茶の髪は寝癖だらけでぼさつき、ひょろっとした体格はディルがちょっとでもぶつかれば簡単に倒れそうな程に痩せていた。
「久し振りだなニル」
「そう言っても一ヶ月振り位じゃないかい?」
親しげに手を上げるロイドにニルと呼ばれた男はへらりと力の抜けた笑顔を向けた。
「その木が例のやつか?」
「うん。まだ寿命は来てないんだけどね。どうやら疲れちゃったみたいで……」
どうしよう。としょぼんと落ち込む様子のニルにロイドは少し苦く笑った。
「木を心配するのも良いがまずは自分の事も考えてくれ。また食べてないだろう?」
「だって、この子が……」
「ニル」
咎めるように声に力を込めれば叱られたニルが肩を竦める。
「わかったよ。食べるよ。で、ご飯は?」
「ほら、よく噛んで食べろよ」
「わー、これ人気の屋台のだ。相変わらず外さないねぇ」
とてとてと力ない足音にロイドは眉間に皺が寄るのを我慢できなかった。
どいつもこいつも仕事を愛するのは良いが、自分の事も大事にしろと己の事は棚に上げて憤る。
「ロイドったら怖いかおー」
「誰の所為だ、誰の」
「うーん、ボク?」
こてんっと首を横にする男にどつきたくなる。
大の大人がする仕草ではないが不思議と似合うのが腹立たしい。
ニルはロイドと並ぶとその身長の高さがよく分かる。
ロイドも男として高めの身長だが、それよりも頭一つ分高いニルはその身体の細さも相まって良く『枯れ木』だとイジメられていた。
本人は木と揶揄されるのを嬉しがっていたがそれは断じて褒め言葉ではない。
そんなニルは実はロイドのもう一人の幼馴染だった。
あの戦争の始まり。滅ぼされたアイビーの村の生き残りの一人。
今は心優しい人達に拾われ、樹木愛を突き進んだ末に樹木医として王都に住んでいる。
木々が数多く存在し、そんな木々を守る様に法律さえ定めている王都にとって木を治療し、育てる樹木医は無くてはならない存在だ。
しかもこの王都には他国には存在しない樹木医協会という組織もあり、その身分は国内限定と言えど騎士とも引けを取らない確かなものだった。
「それで――そちらの人はだぁれ?」
ひょいっとロイドの頭の上から覗き込み後ろにいたディルを見下ろす。
子供の様な話し方だが、その目はどこか冷たい色を宿していた。
細くても自分よりも高い視点から見下されたディルが息を飲んで顔を強張らせる。
ロイドと話していた時は飄々として無邪気な様子だったが、ガラリと変わった雰囲気に飲まれ無表情の中に僅かな怯えを見せた彼を見てロイドはニルの肩を叩き離れる様に促した。
「俺の部下をイジメてくれるなよ」
「えー、だってロイドが……」
「ニルヴァーシュ」
「……」
久し振りに呼ばれた名前。
愛称ではなく、本当の両親が名付けてくれた秘するべき名前にニルは口を噤む。
『ニルヴァーシュ』
古い言葉で《大樹の子》もしくは《不滅》を意味する。
生と死と再生。それを体現する大地の樹を愛していた両親が付けてくれた名前。
どっしりと大地に根差し、例え傷付いても尚立ち直れるような強い心と身体を持ってほしいと願って授けられた。
今はもうその名前を知る人は少ない。
その中の一人であるロイドは険しい顔で彼を見つめていた。
「……ニル。忘れろとは言わないが、囚われ続けるのは止めろ」
「……それ、ロイドが言う?」
「俺はとっくの昔に踏ん切りが付いてる。認めろとは言わん。だが少しは信用ぐらいはしてみせろ」
確信的な何かは言わず、上辺だけの言葉で交わす。
あの時の記憶は決して忘れる事は無い。
誰に滅ぼされたか、何に幸せを壊されたのか。
傷付けられて血を流す心は決して癒える事は無い。
その傷は一生抱えていかなければならない不滅の傷。
それを嘆き悲しむ事を、悲嘆に暮れる事を、幼い頃からの英雄は止めろと言う。
――嗚呼……本当に彼は強い。
「ボクはロイドみたいに強くは無いんだよ」
「馬鹿を言うな。お前は俺では無い。俺の様になる必要も、俺を目指す必要も無い。ただお前なりに踏ん切りを付けろと言っている。……ディルは俺が信頼する部下だ。だからこそそのキッカケになればと思い、連れて来た」
ニル、と呼ばれた名前にいつしか俯いていた顔を上げる。
「人を恐れるな。心を怖がるな。憎めば良い、怒ればいい、恨み辛みは人間にとって悪い感情かもしれんが、その気持ちを抱いては駄目な理由などありはしないんだ。」
「っ」
あの時、優しい両親が最期に言い聞かせた言葉。
『怒っては駄目よニルヴァーシュ』
『ニルヴァーシュ、彼らを憎むなよ』
どうか、どうか、と両親は村から逃げ出すニルに懇願した。
どうしてと叫んでも両親は困った表情で微笑んでいた。死ぬ最期まで……殺した人間を憎み、恨むなと。
――何故、何故、何故、なぜ!!
何故怒ってはいけない?
愛する両親を手に掛けた人間になぜこの感情をぶつけては駄目なのだ。
憎悪を抱くこの心は、憤怒を宿すこの感情は……誰に向ければ良いのだ……?
「ニル。」
「……」
「だから言ったんだ……囚われ続けるなと」
ボロボロと頬を伝う冷たい感触に泣いている事に気が付く。
滂沱の涙と言ってもおかしくない程に泣くニルにロイドは苦笑する。
ディルを連れて来ている事に多少の反応は覚悟していたがここまで顕著に警戒と怒りを露わにするとは……。
ニルはあの悲劇以降、幼い時とはガラリと変わり人嫌いになった。
昔は無邪気で純粋な子供だった。お人好しで悪口すらもニコニコと笑って聞き入れ、誰もが善人と信じて疑わないような。
しかし村が滅ぼされた時から全ての人間を嫌悪した。
特に騎士である人間を。それを行った“人という存在”を。
同じ村の生き残りは兎も角、“人間”である自分すらも忌み嫌う。
だが、それを彼自身は強い意思で律していたようだったが……。
親に言われた言葉を守る為に、両親の言葉を守れない自分の心を嫌い、感情を押し殺し表面的には普通に振る舞っていた。
人間を憎む感情と人間を愛する感情。
相反した心は今にも壊れそうな程危うく、その発露として自分を犠牲にする程の木々への献身ぶり。
死んでも良いと言わんばかりに飲食を忘れて木々に傾倒するニルにロイドは嘆息する。
「ニル。これだけは忘れるな。人は悪い奴もいればいい奴もいる。憎み、怒り、嫌っても構わない。だけどお前の今の両親はお前の事をとても心配していた。……信じたいと思う己の心すら嫌わないでやれ」
「っ……なんで……」
「手紙を貰った。何日も家に帰ってないだろう?どこにいるのか知らないか?と、見つけたら教えてくれと。ニル、お前が誰にも言わずに姿を消すのはいつも我慢できなかった時だけだ。そしてお前はいつも小さな印を何処かに付ける」
それは相手を信じたいからだろう?
まるで子供がその愛を試すかのような、どこまで許されるのか試す我儘に似ているその行動。
二十歳も過ぎたいい大人だが、それでもニルの心はまだあの頃に囚われ続けている。
死んだ両親と育ててくれた今の両親。
そのどちらを信じればいいのか分からなくなった心が衝動的にニルを逃がす為の行動を起こさせる。
無意識に行うそれは幼稚ではあるが、確かなのは“信じたい”と叫ぶニルの願い。
「ニルヴァーシュ。あれから長い時間が経ったんだ。忘れろとは言わない。だけどもう過去なんだよ」
ロイドの言葉は残酷だ。
残酷だけど、正しい。
——あの大戦以降、再会してからも一度としてお互い触れて来なかった話題。
やんわりとそれとなく言われた事はあるが、それでも今日までこんなにはっきりと言葉にされた事は無かった。
それがニルを想ってなのか、それともロイド自身が飲み込めていなかったからなのか。それは定かでは無いが、もう逃げ続けるのは潮時なのだろう。
「ローの馬鹿」
「……お前がローと呼ぶな」
「ずるい」
「黙れ」
「ビーちゃんに言いつけてやる」
「お前がアイツをその愛称で呼ぶな」
「心が狭い男は嫌われるよ」
「うるさい」
黙れと頭を乱暴に撫でられる。
だけどその温もりはとても温かかった……。
*
「……」
その頃ディルはどうすれば良いのか途方に暮れていた。
ニルと呼ばれた男が嫌悪と憎悪をその目に宿していたのに驚き、その苛烈さに若干怖がってしまったが敬愛するロイドがそれを窘めてから雲行きが怪しくなり、何やら話し始めたので少し離れた方が良いかと二人から離れたが……いきなりニルは泣き始めるし、ロイドは子供の様な口喧嘩をし始めた。
寧ろ自分はいない方が良かったんじゃないかと思い始めたその時。
「ディル」
「っはい!」
呼ばれた名前に反射的に返事をする。
視線を向けた先にはこちらに来いと手招きするロイド。
慌てて駆け寄ればニルは涙を拭いており、真っ赤な目でこちらをジロリと睨んできた。
「隊長?」
どうすれば良いのか、指示を仰ぐようにロイドを見れば彼は満面の笑みでがっしりと肩を掴んできた。
「ディル、すまなかったな。こいつはニル。俺の古い知り合いの樹木医だ」
「はぁ」
「ニル。こいつは俺の部下のディルだ。先程も言ったが俺が信頼する奴で良い奴だから安心しろ」
突然互いを紹介し始めたロイドに首を傾げつつも“信頼する”と紹介されたのだから、内心感激しつつも合わせて頭を下げる。
「ディルと申します」
「……ニル」
ずびっと鼻を啜りながら言葉少なに名乗る相手についついロイドの顔を見る。
「ディル、これからはお前がニルと会ってもらう。良ければ友達になってやってくれ」
「は?」
「えー」
ロイドの言葉に二人の言葉が被る。
片や呆然と、片や嫌そうに発せられた声にロイドが苦笑した。
「まぁそれぞれの気持ちも分からないでもないが……お前達はたぶん、いや、絶対に気が合うと思うぞ?」
クスッと笑うロイドは二人の未来が見えているかの様に断言する。
「ふーん」
「あの、隊長……?」
こんな奴が?と言わんばかりの訝しげな視線にどうすればいいのか分からず目線で上司に助けを求める。
その視線を受けてか、ロイドは話を変えるようにニルに話し掛けた。
「そういえば、ニルお前にいい知らせと悪い知らせの二つがあるんだが」
「……聞きたくないなぁ」
「いい知らせでもか?」
ロイドが持ってきた話はどちらにせよ面倒事になる事が多い。
いくらロイドの話でもまた巻き込まれるのは嫌だなぁと思いつつもどうせ聞いてしまうのだろうな、と自分の近い未来予想図にニルは嘆息を吐いた。
「先にどちらが聞きたい?」
「うーん、じゃあいい話から」
嫌な事は後回しにしたいと思うのは自分だけでは無いはず。
誰に言うでもなく心の中で呟きロイドを促すニルだが次の瞬間にはその嫌そうに細めた目は驚愕に見開かれた。
「喜べニル。ビーがやっと帰って来た」
「……へ?」
「既に住処も得て店を開く準備中だ」
「へ?!」
その言葉は余りに衝撃的過ぎて一度では理解まで至らなかった。
しかし、
「後でビーの家の場所は教えてやる。――会いに行くと良い。アイツも喜ぶだろう」
そう言って笑う彼の表情は遠い昔、幼い頃の彼の笑顔と重なった……。




