第20日 私の新しい日常 その四
夕焼けが最後の瞬きに輝きを増す時刻。
一日の終わりを告げるように夕日は静かに地平線へと消えて行く――
大きく開いた窓からは日が沈み少し肌寒さを感じさせる風が室内に吹き込み、背中に流した髪の毛が緩く巻き上げられた。
お出かけ仕様に纏めていた髪は解け、風に揺らぐ毛先を眺めながらアイビーは帰って来た我が家で一息つく。
店のカウンターに頬杖を突いて思案げに宙を眺めるが……その指でこつり、こつりと机を鳴らしどこか落ち着きが無い。
――どうするべきか。
脳内に浮かんでは消えて行く疑問。
シャルルの言葉とロイドからの情報、ヒースの発言。
自分を付け狙っていた男の証言。
全てが重なっているようで、微妙に食い違う話。
今日一日で色んな情報を知った。
この王都で大勢の欲流者がいる事は事前に知ってはいたが……想像以上に欲流者達は国の中枢まで食い込んでいるらしい。
「……ローは知っているのかしら?」
不意に浮かんだ疑問が口を出るが、あの幼馴染が知らない筈が無いと判断する。
医療に関わる物事が権力に絡む危険性をよく知る人物だ。その辺りのことは慎重に細微まで調べている筈。
そうなれば自分には黙っていたと言う事で……鉄拳制裁確定である。
いや、もしくは―――――
そう考えが浮かんだその時。
アイビーの目の前に一際強い風が旋風となって現れた。
「……お帰り。遅かったわね」
風が消えると同時にそこにはアイビーの相棒であるセシルが猫の姿のままでちょこんと座っていた。
『まぁね。ちょっと厄介な物があったから』
「そう。首尾はどう?」
疲れたーと言わんばかりに伸びをする相棒に手を伸ばし、その毛並みを堪能する。
ゆっくりとセシルの背を撫でながら身体の状態を診るが見た所、怪我は無い。だけど少しだけ力の消耗を感じた。
『取り敢えずはこちらを“視てた”のは風の子たちだったよ。でも……どうやら無理矢理、だったみたい』
「……なんですって?」
『契約でもなく、協力でもない。……反吐がでる。強制的に使われ衰弱していたよ』
セシルの言葉に眉間に皺が寄る。
「“あれ”は禁術中の禁術よ。それが使われていたと?」
『残念ながらね。だから無理矢理外して来たよ。使われていたのは“使役者”共々だった。ごめんね、本当はアイビーに相談しなきゃいけなかっただろうけど……全員分外してきた』
申し訳なさそうに鳴くセシルにアイビーは少しだけ表情を和らげた。
「構わないわ。力は大丈夫?少し補充しておきましょうか」
そう言ってアイビーは座っていた椅子から立ち上がり後ろの棚から一つの緑色の石を取り出した。
精霊獣は基本的に飲食などの食事を必要としない。
必要なのは契約者の聖力と消耗した属性の自然魔力。
アイビーが取り出した緑色の石は魔石と呼ばれる石で緑色は風の魔力が込められている事を示す。
「液体と固体、どっちがいい?」
『液体かなぁ。今は石を齧る気力はないよ』
分かった。と頷き、受け皿代わりの小皿を用意しその上で魔石に聖力を注ぎ込む。
それは一般的には知られていない魔石の使い方。
自然魔力の結晶たる魔石に聖力を注ぎ込める事を知ったのは偶然だった。
幼い頃のロイドと遊んだ時の発見。しかも聖力を込めた魔石――仮称として呼んでいる聖魔石は魔石の保有魔力と同等量の聖力を込めた時は固体のままなのにも拘わらず、聖力が魔石の魔力以上になると途端に液体へと変化したのだ。
しかもその聖魔石は精霊獣を癒やし、能力を高める力を宿していた。
アイビーは両手の甲に刻まれた癒やしの女神の紋章を仄かに光らせ魔石に聖力を注ぎ込む。
どろりと融解するように溶けていく聖魔石を小皿に注ぎセシルに差し出す。
『っはぁー、カラダに染み渡るぅー』
精霊獣にしてはとても人間臭い仕草で舐め取るセシル。
まるで仕事終わりに一杯やるおっさんのようだ。
「それにしても胸糞悪いわね」
『本当にね。だから勝手に外して来たけど……面倒事になったらゴメンね?』
「構わないわ。それに――許す気は更々無いから」
『……そっか』
低い怒りの声にセシルはそっとアイビーを見上げる。
彼女の瞳は怒りに燃え盛り、まるでその視線の先に仇が居るかのように宙を睨みつけていた。
セシルに頼んだのはアイビーを監視していた精霊の撹乱と説得。
――精霊は基本的に自由気ままな存在だ。
自然魔力が豊富な場所を揺り籠とし、成長し、意志を宿した精霊は世界中至る所にいる。
意志を持った精霊ほど、医師や薬師に力を貸してくれるがその存在は純粋で無垢。
セシルの様にきちんとした思考と理性を持つのは長い長い時間が必要となり、つまりは高位精霊だけなのだ。
そして高位精霊は己よりも格の低い精霊達を使役出来る。勿論それは術か何かで縛り強制するようなものでは無く、大人が子供に言い聞かせる。といったような簡単なものだ。
勿論低位精霊達はそれだけで従順に言うこと聞いてくれる。
だからこそそれを頼んだアイビーだが、事態は思った以上に複雑で深刻なものだった。
アイビー自身が得た情報とセシルが齎した情報。
それを深く思考するアイビーの中には怒りの業火が渦巻いていた。
それはセシルが口にした一つの言葉によってだった……。
正式名称は異なるが、その忌むべき効力故に口にするのも憚れ、通称で“首輪”と呼ばれるモノ。
それは聖力を持たない人間が作り出した大罪。
自然を司り、強大な力を持つ精霊を非道な術で縛り、強制的に服従、隷属させるものだった。
世界各国でも禁術として指定し、使用した者はすぐ死罪と決まっている程の禁術中の禁術。
神々ですらもその業の深さから禁止した術が使われている事にアイビーは怒りに震える拳を握りしめる。
“首輪”の質の悪さは精霊を奴隷として使役するだけでは無く、その術の発見が分かりづらい点にある。
特にその術の行使者が高位であればある程、その術の判別は難しい。
一見、普通の精霊術となんら変わらないのが悪辣さに拍車を掛ける。
そして術を解く手段はたった二つだけ。
術を掛けられた者が死ぬか。
術者より、より高位の力ある術者と高位精霊のみ――つまりは精霊術を極めた“医薬師”とその相棒である契約精霊だけが首輪の術を解くことが出来る。
……本来精霊術とは精霊に聖力を捧げ、分け与える事で“協力”を願うものである。
全ては術者側が求め、それに応じた精霊側が力を貸してくれる完全な精霊優位の術だ。
それは当たり前だろう。
自然そのものである精霊はこの世界そのもの。
世界に生きる人間如きが好き勝手をしていい存在ではない。
そうして力を合わせて紡ぎだされた術は奇跡の力――“治癒”を齎してくれる。
しかし“首輪”はその全てを奪い穢す代物だ。
“協力”という力を合わせて奇跡を紡ぐものを強制的に力でねじ伏せ、強引に力を奪う。
世界の理を無理に使う力はやがて精霊を疲弊させ、消滅へと至らせる。
それは世界を、理を捻じ曲げる事に繋がり、世界自体を崩壊へと向かわせる禁忌。
平穏なる世界の均衡を崩す災いであり“悪”なのだ。
だからこそ世界中の国々はその技を禁止した。
それに加え首輪は精霊だけではなく、人間にも使える事が分かっている。
今から約十五年前、アイビーとロイドが離れ離れになるきっかけであり原因のあの大戦でも首輪は使用され奴隷として多くの無辜の民が傷付き、命を散らした。
「ローは一体何をしてるのかしら……」
首輪の取り締まりは国の騎士が行っている。
法として禁止に定め遵守する以上、国が取り締まるべき“罪”だ。
騎士であるあの幼馴染は何故そこまで欲流者を野放しにしているのか。流石にこれは業腹ものである。
「……詳しくはボクにも分からないけど……屋敷の近くに騎士らしき者はいたから、もしかしたら探っている状態かもね」
「そう……」
ムムムッと口をひん曲げ眉間に皺を寄せる。
「情報のすり合わせが必要ね」
協会支部長から教えられた情報とセシルが持ち帰った情報。
頭が痛いと言わんばかりにアイビーは頭を抱える。
それに加えて本来の目的であった今日の往診に関しても頭の痛い問題が多々あった。
前任者であったシャルルから引き継ぎ、店の常連客に顔見せとお知らせをする為に今日は久々に外に出掛けたのだが……。
シャルルから持たされた手紙が無かったら話すら聞いてもらえない程に人々は薬師や医師など医療関係者に対してとても冷たかった。
門前払いは当たり前。怒鳴られたり、水を掛けられそうにもなった。
なんとかシャルルの手紙を渡して話をすれば皆謝ってくれはしたが……まさかここまで毛嫌いされるとは思わなかった。
今日往診した患者のカルテを鞄から取り出し捲る。
そこにはシャルルが書いたカルテをベースにアイビーが書き足したもので埋め尽くされていた。
アイビーは患者に最も合った薬を調合するのを目標としている。
患者の容態は勿論、患者の魔力や味の好み、家族が居るならば彼らが与えやすい状態の薬を。
飲みやすく、飲ませやすい薬を目指してアイビーは調薬する。
良薬口に苦し、とは言うがそれでも苦さが嫌で飲みたくないと薬自体を嫌厭されては本末転倒なのである。
いくつか新しく必要な薬の材料を書き出しながらも、頭の中で考えるのはこの国について。
久し振りに帰った故郷は随分と問題事に溢れている。
幼馴染が次に来るのは……と話し合う算段を考えながら手を動かし人知れず溜め息を吐く。
のんびりと過ごすのも当分は出来なさそうである……。




