第1日 俺と彼女の重大発表
【ガルシア王国】
それは周辺諸国に比べて小国でありながら大陸一の山脈を背負い、国土の三分のニを豊かな森に包まれた国である。
王国は、肥沃な大地と貿易の要である一つの大きな湾港を支配していた。
そんな国の都、王都トレシャスは「森の都」と称されるほど緑豊かで木々が至る所に存在し、人と森の共存の姿を表していた。
華やかでありながら落ち着いた雰囲気の王都。
時折見られる不思議な形の建物は木を伐採する事なく、生かす事を前提に建てられた建築物だった。
木々と融合した家や木が家の真ん中を貫いた建物。
逆に大きな木をくり抜いて作られた家など様々な形とその見事な大樹の姿に初めて王国を訪れた外国者は感嘆の吐息を溢す。
王都トレシャスの目玉はそれだけではない。
南地区に存在する摩訶不思議な迷宮。
地下に深く、広く存在する構造物は階層ごとに魔物や魔獣が跋扈し独自の生態系を作っていた。
建国以前よりその存在を確認されている迷宮は金銀財宝が時折見つかる事から国所有とし、治安維持、管理をしていた。
勿論、入場には規制がされているがあくまで入場者の管理のみなので迷宮の利用は基本的に自由だ。
一攫千金を狙う人々が街には溢れ活気に満ちていた。
そんな王都には季節の花々が至る所で咲き誇り、穏やかで平和な、とある日。
優美で繊細な幾つもの尖塔に囲まれた王城、その足元にその建物はあった。
――十四年前にはその肥沃な大地と交易の要の港に目を付けた隣国との戦争が起こったが、無事に戦いを勝ち抜いた王国には英雄たる四つの騎士団が存在した。
人の住まう地を守護し、民を守る赤杢騎士団。
主要土地や国境を守り、防衛の要を担う緑峰騎士団。
王侯貴族を守る白樺騎士団。
そして――全ての騎士団を支え、国の守護、治安に特化した黒檀騎士団。
特に黒檀騎士団――通称黒檀は遊撃部隊として他の騎士団の補助、情報収集、工作、護衛、魔物の討伐など仕事は多岐に渡る。
その為、実力も他の騎士団よりも遥かに強く、高い技術を求められるエリート集団だった。
――そんな騎士団の宿舎寮で、彼は寮母から手渡された手紙を持って暫しの間、固まっていた。
日の光を照り返す金穂の髪。
見開いた瞳は深い紺碧の色。
人の良さを表すような柔和で清潔感のある顔は驚愕に彩られ、その手元の紙を凝視しては目は上から下を繰り返し、繰り返し文を追う。
「アレンさん?どうかなさったんですか?」
「あ、いいえ!すみません何でもないです。手紙、ありがとうございました」
「いいえ、夜勤お疲れ様でした。ゆっくり休んで下さいね」
男は寮母に一礼して足早に部屋へと帰っていく。
それを見送りながら寮母が珍しいと思うのは、驚きを露わにしていた男の様子。
それにちょっとした好奇心が刺激される。
定期的に送られてくる手紙と簡単な小包を知っている彼女は珍しく速達で届いた手紙と『重大発表!』と書かれた封筒にその送り主を考え、好奇心を疼かせた。
幼馴染だという薬師からの手紙。
冬になると手荒れが酷い寮母に男はたまにその薬師から送られた物だからと差し入れとしてハンドクリームをくれる。
『いつもお世話になっているから』と入寮してから騒ぎを起こす事なく、真面目で誠実な心優しい男に良い知らせでありますように、と寮母は一人微笑みを浮かべた……。
*
バタンッと勢い良く開けたドアが荒々しく閉まる。
自室にて先程寮母から手渡された手紙を再び見つめ男はニヤける口元を片手で覆った。
「良かった……」
男の名は【ロイド・アレン】
ガルシア王国黒檀騎士団所属第三席の序列に席を置く彼は幼馴染からの手紙に歓喜の声を零した。
定期便にはまだ早い時期。
『重大発表!』と封筒にでかでかと書かれた文字にロイドは彼らしからぬ焦燥で慌てて人前だというのに手紙を開封した。
そうして入っていた手紙には長い事会っていない幼馴染が夢の一つを叶えた事。そして確かに重大な言葉が走り書きでなぐり書かれていた。
彼女も慌てていたのだろう。
文章などは几帳面な彼女にしては所々跳ねた文字。しかしそれは喜びも表しているのかもしれない。
『 拝啓、私の大切な紺碧の君へ
――なんてまどろっこしい挨拶は悪いけどそれだけにしとくわ!聞いて!重大発表よ!まずは結構前に医師免許試験に受かったのは言ったわよね!?それで師匠からお墨付きを貰って、ナーシェル帝国での治療院の仕事が終わったらなんと!独り立ちを認められたわ!!凄いでしょ!褒めなさい、私を褒め称えなさい!!
それに伴い自分の店を出す事も許可されて私達の村に帰ろうかと思ったんだけど既に医師薬師協会から母さん達の後任が居るらしくて行けなかったの。
でも、で・も!!話はそれで終わらないわ。
これはローにもいい話よ!
なんと!師匠のお知り合いの方がお歳を召して現役を引退するみたいでそこのお店を私が引き継いでくれると嬉しい。とお言葉を貰ったの!
場所は――王都。
そう!今ローもいるガルシア王国の王都トレシャスにお店を開く事になったのよ!
やったわね!この幸運に癒やしの神ルーデントルワに全財産捧げて感謝しても良いくらい舞い上がっているわ!
でもこの話はついさっき決まったばかりで、今丁度ガルシア王国に向かってる途中なの。
もしかしたらこの手紙がローの元に届く前に私自身がトレシャスにいるかもしれないから店の場所だけでも教えておくわ。
くれぐれも!無理をして迎えに来なくて良いからね!
場所はトレシャス南部のガーデン通り、裏路地2番地よ。
暇な時にでも顔を出してくれると嬉しいわ。
言っておくけど!!ちゃんと休みの日は身体を休めること!貴方の仕事は身体が資本なんだから。
本当に何も予定が無い暇で仕方ない日だからね!
用件はそれだけよ。一番にローに伝えたかったの。
じゃあまたね!
やっと夢を叶えた貴方の幼馴染より』
「――本当に良かった」
ロイドは歓喜に震える手で手紙を握り締めた。
良かった。本当に良かった。と呟く言葉は部屋の沈黙に消えて行く。
どれだけ会いたいと願っただろうか。
どれだけ彼女の無事を長い間祈っただろうか。
彼女と離れた時代は大陸全土が一つの好戦的な国の所為で緊張感に包まれていた。
そんな中を国を跨いで旅をする師匠に付いていった大切な幼馴染。
ロイド自身時代の波に飲まれ戦争の最中に身を置いた事もある。何を目的で戦っていたのか、何を望んで目の前の敵を屠ったのか分からず苦悩する日々があった。
彼女もまた滞在した国で国外渡航を禁止され軟禁されたり、災害が起きた国で、飢饉が起きた国で、流行り病や新種の病気、魔物の氾濫が起きたり様々な事件があった。
でも、幼い頃の約束の為に死にものぐるいで突き進んだ月日は決して無駄では無かった。
少年は大人になり騎士になる夢を叶え、少女もまたやっと夢を叶えた。
十五年の月日は長い。
その間手紙のやり取りは出来ても、会う事は一度たりとも無かった。
それがやっと、やっと彼女に再び会えるこの幸運にロイドは徐に手を組み、彼女が信仰する癒やしの神に感謝の祈りを捧げた。
部屋の窓から差し込む光はロイドにとってまさしくこの世の光にさえ思えたのだった…。