第14日 俺の新しい日々 その一
地平線の向こうから赤く燃える太陽が天へと昇っていく。
宵闇に染まる空は端から赤に、そして青に色を変えていく狭間。
夜明け鳥が朝の訪れを歓迎する声を響かせ、空を優雅に飛び回っていた。
素振りをしていた木剣代わりの木の棒を下ろし、ロイドは眩しそうに目を細め暁の空を見上げる……。
――今日からまた新しい日々の始まり。
――時は流れ、時刻は夕暮れ時。
日中仕事の者は家へと帰るその時刻は王宮で働く者達も変わりはしない。
裏廊下と呼ばれる王宮で仕事をしている者が主に使う廊下には騎士は勿論、メイドや女官、文官や侍従に下働き、はてまで下級であるが貴族までも、笑いながら廊下を行き交っていた。
皆が皆、日中の仕事を終え己の自宅に、又は寮へと帰るのだ。
仕事終わりに飲みに行こうと話し合う者、夕飯は何かと楽しそうに語り合う者、残った仕事の引き継ぎを話し合う者などで廊下はごった返していた。
そんな人に溢れた廊下を制服を片手に突き進むロイド。
いつもは使わない廊下ではあるが、近道でもあるその廊下の人の多さに辟易しながら彼はシャツの胸ポケットから時計を出して時間を確認する。
夜勤の仕事開始時間まであと数分。
つまりは遅刻まであと少しという時間に慌てて歩く速度を早める。
向かう先は己の仕事場である北の建物――。
王城の敷地内には様々な建物がひしめき合っていた。
国が大きくなるにつれて増築に増築を重ね、中心部の城から東西南北に広がった建物の中には国の中枢を担う部署がそれぞれ設置してあった。
その中でも東西南北の端にある建物は四つある騎士団の本部として使用され東を赤杢騎士団、西を緑峰騎士団、南を白樺騎士団、北を黒檀騎士団が使っていた。
黒檀騎士団所属を表す黒の騎士服を羽織りながらロイドは慣れしたんだ通路を駆け抜ける。
いくつかのドアを通り過ぎ、その中の一つのドアの前で立ち止まり、忙しくノックした。
「――すまん。遅くなった!」
返事がされる前に扉を開き部屋に足を踏み入れる。
部屋には部下が数名とロイド付きの見習い騎士、補佐官などが部屋の隅にあるソファーセットで仕事始めの雑談に盛り上がっていた。
「おー、ロイド珍しくギリギリだったなぁ」
「三席お疲れ様です!」
「隊長〜遅いっスよ〜」
部屋はロイドが率いる黒檀騎士団第一部隊の待機室だった。
他にも隊ごとに待機室が存在し、黒檀騎士団はその職務内容から少数人数でありながらも他の騎士団よりも部屋を多く割り振られていた。
特に第一部隊には二部屋をぶち抜いた広い部屋が充てがわれており、扉を挟んだ続き部屋にはロイド自身の個室の執務室さえ存在する。
向かい合わせに設置された執務机が並びその奥に仲間達がいた。
始業時間前ではあるが、見習いが淹れたのであろう紅茶を片手にロイドに次々と掛かる声。
その中には二日前、街へと出たロイドの後を付けた仲間のダナンの姿もあった。
「すまない、引き継ぎはどうだ?」
「無事に終わって今は三斑が見回り、四、五斑からは報告書が届いてるぞ」
「報告書は机の方に置いてあります。お持ちしますか?」
ロイドの言葉に同僚のダナンが答える。
何時もならば誰よりも早く出勤し先に終えている筈の引き継ぎを代わりにしてくれたのだろう。
ダナンの言葉を引き継ぐ補佐官の言葉にロイドは首を振った。
「大丈夫だ。あとで確認しよう。皆はもう帰ったのか?」
「マシューのおっさんとシルバは今団長んとこに行ってる。あとの奴らは帰ったぜ」
「そうか、手間を掛けさせたな」
「別に気にすんなよ」
部屋を見回せばこれから共に夜勤のメンバーだけ。
昼間勤務のメンバーが見えない事に疑問を口にすればそんな答えが返ってきた。
「(まぁ、足りるか?)」
「隊長〜その荷物なんスか?」
手持ちの数と人数を照らし合わせ考えるロイドに部下である青年が首を傾げた。ロイドの手には見慣れぬ紙袋が。
皆が皆、疑問に見つめる荷物に苦笑を漏らしロイドは紙袋からいくつかのお菓子を取り出す。
「まぁ、なんだ。急に休んだしな、迷惑を掛けただろうからお土産だ」
「うお!マジっすか!」
「おぉ〜美味そうですね!」
そう言ってソファーセットの机に並べられる美味しそうなパウンドケーキやクッキーなどのお菓子たち。
まだまだ育ち盛り、食べ盛りな青年達には嬉しい差し入れなのだろう。片手間で食べれるそれに喜色満面の笑顔で群がる。
「それと……ダナン」
「ん?」
我先にとお菓子に群がる部下達を眺めながら少し離れたロイドは自分の副隊長に手招きした。
「これ、アイツからお前にどうぞってさ」
「んん?っ!コレあの傷薬か!」
紙袋の底に仕舞っていた一つの小瓶を手渡す。
ジャムの瓶の様に平たく手のひらサイズのそれはロイドの幼馴染アイビーお手製の傷薬だった。
昔手持ちの薬が無くなり、ロイドから分けて貰った傷薬。騎士団所有の薬もあるがそれよりも遥かに効き目が良くダナンは大層その傷薬に惚れ込んでいたのだ。
むぐむぐとパウンドケーキを咥えながら差し出された手に傷薬を乗せる。
「それと伝言だ『いつでもお店に来てください』と。あの場所はお前も覚えただろう?あそこで薬屋を開くから今度行ってみるといい」
「……良いのか?」
いつもとは違った殊勝な態度のダナンにロイドはつい笑い声を立てた。
「ああ、あいつは元々患者に合った物を作るからな。俺用の奴や大衆用のコレなどではなく、きちんと身体に合う物を作ってもらえば良い」
いくら誰でも使える傷薬といっても人によっては身体に合う物と合わない物がある。
幸いアイビーがロイドに合わせて作った薬がダナンによく効くとしてもやはり個人に合わせた物が一番だろう。そこまで気を使う薬師も居なければ使う側も余り気にしないものだが、アイビーは一番そこに気を配っていた。
患者の身体の状態。薬の効能の効き方。肌の状態や薬の匂いなど細かい所に気を配り患者に一番合った薬を。
勿論その分、通常の傷薬より割高になるが高給取りの騎士にとっては些細な程。
「まぁ、俺の知り合いだから特別。とは言っていたが、お前は特に生傷が絶えないからな。いつも助けてもらってるし、あいつには話を通してある」
気軽に行ってくれ。とロイドはダナンの肩を叩いた。
「なんか、悪いな」
「いや、こちらこそ。……この前の事、黙っててくれたんだろ?」
それはロイドがアイビーの元に行った事だった。
珍しく休みを、しかも二連休も取った事を他の奴らが騒がない筈が無い。
しかし出勤したら質問攻めに合うと思えば、他のメンバーは至って普通の態度。
今まで女の影も形も無かったロイドが幼馴染とはいえ女の元に行っていた事が噂にならないはずが無いのにも関わらず誰の話題にも上らないということは、そういう事なのだろう。
そんな予想にロイドが感謝の言葉を口にすればダナンは気まずげに目を逸らした。
「あー、いやまぁ、確かにそうなんだが……あの後帰ったら団長が待ち伏せしててな……」
「団長が?」
「俺も含めてあの時の奴ら団長と、それに副団長にもこってり怒られて、な」
「……あぁ、なる程」
ハハハっと乾いた笑いで青褪めた表情の仲間にロイドはつい苦笑する。
あれ程まで幼馴染との再会を喜び、見送ってくれた上司達が邪魔した奴らに怒りの鉄槌を下したのだろう。
それが想像付くほどロイドは自分に目を掛けてもらっている自覚はあるし、上司達もそんな風な言葉を吐いていた。
そこまで考え、ロイドは思う……恵まれている。と。
仲間にも上司にも、優しい周りの人達に感謝しか浮かばない。
「まぁ、なんだ、楽しめたか?」
胸に広がる優しい感情に柔らかな笑みを浮かべるロイドにダナンが問い掛ける。
それにロイドは心からの笑顔を浮かべた。
「ああ、勿論」
「そうか……なら、良かったな」
「ありがとう」
「いや、なんか邪魔しちゃったしな……ああ、そうそうたぶん後で団長から知らされると思うが緑峰からタレコミがあった」
「なんだ?」
「――どうやら、医薬師の一人が国境を越えた。と」
ダナンの言葉にロイドの表情が強張る。
「どの医薬師かはまだ分からないが、たぶんうちに調査依頼が来ると思う」
「……そうか」
医薬師は医師や薬師の頂点。一人いるだけでも万の命を救うと言われている。
権力者や国が喉から手が出るほど欲しがる奇跡の存在。
医薬師は殆どがその正体が謎に包まれている。
本名、年齢、出身地など個人が特定出来る情報は全てルーデルトルワ教会及び相互介助組織の協会が秘匿しているのだ。
唯一の手掛かりは教会から名付けられる二つ名のみ。
現在医薬師の称号を得ているのは世界でも十二人。
その半数は遍歴医として世界中を飛び回り、他は女神ルーデルトルワが降臨したと言われる聖地に根付いていると聞く。
ロイド達がいるガルシア王国も女神が降臨した由緒正しい土地ではあるが、残念ながら昔とある事件が起り、それ以来医薬師は寄り付かなくなってしまった。
国としては念願の医薬師だからこそ血眼になって探すだろう。それが簡単に想像が付いてロイドは軽く溜め息を吐いた。
それは件の医薬師が誰なのか知っているからこそ。
どうするべきか、ロイドは少し思案する。
「……少し、団長に会ってくる。他の皆は先に始めていてくれ」
「ロイド?」
どうした?と尋ねるダナンに曖昧な言葉を返しながらロイドは部屋を出る。
向かう先は黒檀騎士団、団長室。
*
少し足早に団長室にへと向かう道すがら前からこちらに向かってくる二人の男を見つけロイドは歩みを止めた。
「――お疲れ様です」
「ん?おぉ!ロイドじゃないか、お疲れ」
「お疲れ様です!第三席!」
ロイドよりは頭一つ低い身長だが貫禄ある姿で顎髭を生やした男性とまだ若い金髪の男。
どちらも黒檀騎士団所属を表す黒の騎士服を身に纏っていた。
彼らはロイドの代わりに出勤してくれた第二部隊の隊長と副隊長だった。
「久々に休めたか?」
「えぇ、お陰様で」
「なら良かった!お前はいっつも休まないからな!」
ハハハッと闊達とした笑い声を上げロイドの肩を叩く男性にロイドはつい苦笑した。
「ご心配をお掛けしました」
「いやいや、ま、なんだ。今回で俺達もお前にばかり任せ通しだったのが分かったし、いい機会だった」
「何かありましたか?」
「ん?あ〜何も無かったとは言えんが、まぁ細かい所だ。俺達がいかにお前に甘えていたか痛感したと言ったところだな。詳しくは団長に聞け、報告してある」
肩を竦め苦笑して頭を掻く男性にロイドは頭に疑問符を浮かべた。
「そうですか。あぁ、それとお土産にお菓子を買ってきたので良かったらマシューさんとシルバもどうぞ。第一の待機室で皆食べているので……」
「何!?バカもんそれを早く言え!行くぞシルバ、あいつらに食われる前に行かんとな!」
甘い物に目がない第二部隊の隊長は副隊長を急かし慌てて第一部隊の待機室へと去っていった。
それを見送り、ロイドは改めて団長室へと向かう。
コンコンっ
「今度は誰だ?」
扉をノックすればうんざりとした様子の団長ベルナルドの声が聞こえた。
それに片手に抱えた紙袋を抱え直しロイドは声を上げる。
「ロイド・アレンです。今宜しいでしょうか?」
「何っ!?」
バタバタ、バサバサと何やら室内から音が聞こえ扉が勢い良く開いた。
内心ヒヤリとしながら外開きの扉を素早く避けたロイドは団長が満面の笑顔でいる事に嫌な予感を感じていた。
「ロイド!お前遅いじゃねぇか!!待ってたぞ」
「え、ちょっまっ――」
ぐいっと腕を捕まれたロイドはベルナルドに力強く部屋に引き摺られていった。
「……あの、これ、どうなさったんですか?」
強引に部屋に引き込まれたロイドは目の前に広がる惨状に眉間に皺を寄せた。
部屋はついこの前以上の書類に埋まり所々雪崩が起きたのか床に散乱していた。
いそいそと机の上を片付けるベルナルドはロイドの言葉に胸を張って答える。
「お前の仕事を肩代わりしようと思ったが……無理だった!」
堂々と言われては流石のロイドも何も言えない。
よく見れば確かにいつもロイドが処理していた書類が積み重なっていた。
ロイド自身は溜まる前に片付けていた為そこまで量を気にしてなかったが、溜ればここまで量があるのかと今更ながら自分が抱える仕事量に驚く。
「いやぁ、お前には随分と仕事を押し付けていたのは分かっていたがこんな量だとは思わなかったぞ」
しれっとまさかの事実を吐くベルナルドにロイドは呆れた目を向けた。
薄々感じていた事ではあるが悪びれずに笑うベルナルドにロイドの胸中は複雑だ。
言いたい事は色々あるが今更言ってもどうにもならない事なので深い溜め息を吐くだけで堪える。
「副団長はどちらに?」
取り敢えずロイドが抱える仕事関係の書類を簡単に仕分けて他の書類とは別に置く。
「あいつなら緑峰本部に行ってるぞ」
「それは――医薬師についてですか?」
ロイドの言葉にベルナルドの表情から笑顔が無くなる。
「誰に聞いた?」
「先程ダナンから聞きました。その事について団長と副団長にお伝えする事が」
「そうか、あいつならもう直ぐ戻ってくるだろう」
少し待て、と告げるベルナルドにロイドは頷いた。
待つまでの間、手持ちぶたさなのでロイドはベルナルドから筆記用具を借り、ついでに書類を片付ける事にした。
黒檀騎士団が抱える案件は多い。
他の騎士団の協力や危険な魔物の討伐、要人警護、凶悪犯罪事件の調査、各地への情報収集など様々なものが毎日舞い込む。
特にロイドはそれらの書類を処理し、情報の整理、部隊の派遣、他の騎士団との調整など行いつつ、それに加えて黒檀騎士団での備品管理や費用運営、問題児や新人達の教育などなど細々としたものまで担っていた。
勿論それらはそれぞれに割り振ればいい仕事ではあるが一括して管理した方が楽なものでもある。
特に金銭関係の決済や各署への調整などは騎士団の長である団長がするべき事でもあるのだが……ベルナルドの言葉通り、その仕事はロイドに押し付け――任されていた。
優秀過ぎるのも考えものか……。
ベルナルドがしみじみと思うが、それも目の前の光景を見ると言葉は喉の奥に引っ込む。
改めて書類を仕分けてみれば、部屋に積まれていた書類の三分の二がロイドの受け持ちだった。
その量は一介の部隊長が抱える仕事量では無い。
ベルナルドだったらゾッとする程の量をロイドは何でもない顔をして捌いていく。
ちゃんと文章を読んでいるのか疑問を抱くほどたった一瞬目を通しただけでロイドはサインを書いたり、何かを書き加えたりしてどんどん書類の山を減らしていった。
何か気になったのか、一旦手を止めた物は新しい紙を用意してそれに何かを書き記し別に分けておく。
時折書きながら文を読むなどの離れ業までして大人の膝までの高さに積み重なっていた書類の山たちはベルナルドが眺めている間に気持ちが良いほど無くなっていった。
「こんなものですかね」
ふぅと息を吐きペンを下ろしたロイド。
あれ程あった書類の山は処理済みの山となり、あとは関係各所に配るだけ。
自分の仕事も忘れて見入っていたベルナルドは呆気にとられたままに零す。
「お前……馬鹿みたいだな」
「は?」
凄いとか流石とかの次元ではなく、馬鹿みたいに優秀。
文官でもない癖にその事務処理能力の高さに、一瞬ロイドが何でここに居るんだろう?と阿呆みたいな疑問が浮かんだベルナルドだった。




