第11日 私と俺の再会の夜 その1
無事に買い物も終わり帰宅した二人は出来合いの食事と昼食の残りを夕飯に食事を済ませた。
買って来た荷物の整理も一段落付き後は寝支度だけ、というところでアイビーはロイドに風呂を勧める。
「俺は後でも良いぞ?」
「だーめ!ローは一応お客様なんだから、先に入って来て」
タオルと買ったばかりの着替えを持たせてロイドの背を押すアイビー。しかしそれに抵抗するロイド。
浴室の扉の前で二人は暫しの押し問答をしていた。
ロイドとしては慣れぬ掃除と街を歩き回ったから疲れているだろうアイビーを先に入れようとするが、アイビーは客人を差し置いて先に入るなんて!と互いに主張を譲らない。
「ふむ。なら昔みたいに一緒に入るか?」
「……」
そんなロイドの冗談混じりの提案にアイビーはタオル類を顔面に叩き付けて返答としたのだった……。
*
「バカ、本っ当っにっ馬鹿!」
リビングにて取り込んだ洗濯物を畳みながらアイビーは怒り狂う。
そりゃあ昔は男女の差などあってないようなもので一緒に風呂にも入っていたがまさかここでそんな事を言うなど正気を疑う!と怒りも露わにアイビーは荒れに荒れていた。
十五年も経てば流石にアイビーだって女性として成長しているし、ロイドだって同じ筈だ。
なのに女として見られていないのか、と若干の屈辱と小さな棘が心に刺さる。
「どうせローにとっては妹、同然でしょうけど……」
アイビーとロイドの年齢は四歳離れている。
現在は二十一歳のアイビーと二十五歳のロイド。
別れた時は六歳と十歳。
たった四歳違うだけでもその差はとても大きかった。
「……ローのばか」
リビングの毛の長い絨毯に直に座り込み、ローテーブルに腕を組んで顔を伏せたアイビーは深い溜め息を吐く。
二人が出会った当時、アイビーはまだたったの二歳。
ロイドは六歳で村を訪れ、そして両親と共に村に住み着いた。
昔からやんちゃで男の子達に混ざって遊んだり、両親の仕事を手伝い森を遊び場としていたアイビーは良く野生児と呼ばれていた。
そんなアイビーにとってロイドは気心知れた幼馴染であり、初恋の相手だった……。
都会慣れしていた所為か村人とは思えぬ程の洗練された立ち振る舞いと面倒見の良さで村でも特に人気者のロイド。
勿論、見た目だって昔から整っており、地味な色彩が特有の村では彼の金穂の髪と紺碧の瞳は一際目立っていた。
互いの両親が仲良かったのでロイドはアイビーの面倒を見てくれていたが……それだって妹としてだろう。
アイビーもロイドを兄として慕っていたのは否めないが……周りが野生児と男の子の様に扱う中、唯一女の子として扱ってくれたロイドに惚れない筈が無いだろう。
まるで物語の中の王子様のようにきらびやかな色彩を纏った彼に憧れた。
歳が近い女の子や男の子達に囲まれても、遊びに誘われても、いつもロイドはアイビー優先で物事を決めていた。
……狡いと言われた。親が仲良いからって卑怯とさえ陰口を叩かれていたのも知っていた。
子供ながらにやっかみや嫉妬で仲間外れにされた事もあるし、悪質な悪戯やイジメも少なく無かったがそんな事で彼から離れる事の方がアイビーにとっては何より嫌だった。
ロイドだって周囲の子達に色々言われていたみたいだが、それでも彼は堂々とアイビーの側にいてくれた。
寂しいと、悲しいと、言葉にできない感情を一つ一つすくい上げて慰めてくれる、そんな彼に……家族に対する親愛の感情が恋い慕うものに変わるには十分だった。
「――ばか」
小姑の様にあれのこれ小言が多いが、それだってアイビーを思って言っているのは知ってる。
でもそれは、妹を心配する兄の様で、子を心配する親の様で……それとは違う立場で言って欲しいと願うアイビーが独り善がりの我が儘なのだ。
はぁ、と深い深い溜め息に色んな感情を込めて吐き出す。
久々に再会を果たしたが……どうしたって昔の癖が抜けない。
大人の女性として振る舞おうとは思うが、如何せんロイドを前にすると昔の子供っぽい自分が顔を出す。
彼だって昔の様に兄として、家族としてアイビーに触れてくるのだがらそれ相応の振る舞いしか出来ない。
再会した時は大人の女性になって惚れさせてやる!と息巻いていた気持ちはロイドの態度で萎んでいった。
気軽に泊まる。などと言う彼に女として見られていない事を突き付けられた様で悔しくて悲しくて落ち込む。
「むぅー」
否、寧ろ怒りさえ湧いてくるのはどうすれば良いだろうか。
ぐりぐりとテーブルに額を付けていると膝に乗る柔らかな感触。
「セシル?」
「ニャー」
そこには猫の姿をとった相棒がいた。
くるりと膝の上で丸くなるセシル。
あざといと思える程の可愛らしい仕草が微笑ましく思い、アイビーは荒ぶっていた心が凪いでいくのを感じた。
甘えるように喉を鳴らし、撫でろと言わんばかりに差し出した手のひらに顔を擦り付けられる。
青みがかった白銀は少し冷たさを孕んでいた。
「……今日はありがとね」
『どういたしまして』
すりすりと指の腹で喉を撫で、語り掛ける。
ロイドと二人っきりでお出掛けさせてくれた相棒の気遣いに感謝の言葉がするりと出た。
『楽しかった?』
「うん。とっても」
頭の中に響く声に頷く。
本当ならば護衛がいなくてはならないアイビーの立場。それを許されているのは偏にセシルがアイビーの側を離れないからこそ。
――医薬師として称号を得た者は必ず護衛が付けられる事が義務付けられていた。
権力者や魔物などの脅威に対して自衛手段が少ない医薬師は専属の守役と呼ばれる護衛が付く。
数少ない人材を守る為、命の危険が無いように本来ならば関係の無い権力などにその身が脅かされない様に医薬師、又は優秀な医師や薬師にはルーデントルワ教会から護衛が派遣されるのだ。
しかしアイビーにはその護衛がいなかった。
それはアイビー自身が戦う術を持っているから、そして医薬師の中でも四種属性の精霊と契約をしているのも理由として挙げられる。
本来ならば精霊と契約する時、己が持つ聖力特性を宿す精霊としか出来ない。
アイビーの聖力特性は光と風。しかしセシルはその他に水と氷の属性を宿す精霊だ。
しかもその四種属の中でも最も強い属性が氷となれば、何故アイビーが持たない属性の精霊と契約出来たのか……。
セシルと契約した際、様々な物議が醸し出されたが、他の十一人の医薬師の中でも現在契約精霊として最多属性を宿すセシルが側にいるならば。とずっと側を離れない事を条件にアイビーは護衛付きを免除された。
勿論、四種属性のセシルと契約出来たのはロイドのお陰でもあるが、アイビーはそれを知る由も無かった。
そんな条件を破り、二人だけで出掛けさせてくれたセシルに感謝は尽きない。
『彼はとても強いからボクが居なくても大丈夫だしね。これからも彼となら二人で出掛けておいでよ』
ゴロゴロと喉を鳴らしながら言うセシルにアイビーは笑う。
「そうね。ローはとっても強いから」
「――俺がどうかしたか?」
「ひぁ!」
くすくすと笑い声を上げていたアイビーが飛び上がった。
突然声を掛けられたのもだが、ぽたりぽたり、ロイドの濡れた髪から滴り落ちる水滴がアイビーの首元に落ちたのだ。
頭上から覗き込まれた位置も悪かった。
服と首の隙間から背中に流れていく水滴にぞわぞわとした感覚が背筋を走りアイビーは恨めしげにロイドを見上げる。
「ちょっとロー!冷たい!」
「あ、悪い」
「もー!ちゃんと拭いてよ」
ガシガシとタオルで大雑把に髪の毛を拭くロイドに手を伸ばす。飛び上がったアイビーに驚きセシルはもう膝の上には乗ってなかった。
「ん」
「ちゃんと拭いて出て来ないと風邪引くでしょ」
ロイドの手からタオルを取り上げ、先に滴り落ちる水滴を拭き取る。
大人しく頭を下げるロイドに気を良くしたアイビーはリビングのソファーにロイドを誘導し座らせた。
「あー、なんか懐かしいな」
「んー?」
「いや、昔もこんなだったなぁと思って」
ゴシゴシと優しく髪の毛を拭き乾かすアイビーにロイドはしみじみと呟く。
お互い両親が働いていた為に基本的に家では互いに一人っきりだった。自分の事は自分でする。という教育方針で半ば放置気味の生活はロイドは良くてもアイビーにとっては寂しさもあっただろう。
そんなアイビーをロイドが放っておく筈も無く、事あるごとに理由を付けてはアイビーの家に突撃して殆ど居候同然だった。
ご飯も勉強も遊びもずっと二人で、お風呂だってその頃は一緒に入ってそしてお互いに髪の毛を拭き合う。
そんな過去を思い出してロイドは笑った。
「……確かにね」
「ビーも風呂入って来いよ。俺はシャワーで済ませたけど湯船にお湯入れて来たから、ゆっくりして来い」
「ん、ありがと」
大体の水分も取れタオルをロイドに返す。
複雑な気持ちを抱きつつもアイビーはロイドの言葉に甘えて着替えを手に風呂場へと向かった。
そんな後ろ姿を見送りつつどこか元気のない様子の彼女に首を傾げるロイドだったが。
『キミって大胆なのか、鈍感なのか、どっちなんだい?』
「ん?」
はぁ、と動物らしからぬ態度で溜め息を吐くセシルに可哀想なものを見る目で見つめられたのだった……。
*
「じゃあローはこっちの部屋で寝てね。私は隣の部屋で寝るから」
互いに風呂も入り、後は寝るだけ。
昼間に片付けたお陰ですっきりとした室内でアイビーは夫婦の部屋をロイドに明け渡した。
じゃ!といそいそと枕を持って隣続きの子供部屋に向かうアイビーにロイドは待ったをかける。
「いやいやいや、こっちこそお前が寝ろよ。俺がそっちに寝るから」
「えー、でもローこっちの部屋だと狭いと思うよ?」
夫婦の部屋のベッドはダブルで広く大きいが子供部屋はシングルベッド。男性と女性で分かれて寝るならアイビーの提案が当たり前だろう。
しかも客に対して狭いベッドに寝かせるなんて言語道断!と言わんばかりにアイビーは首を振る。
客室もあるにはあるが掃除をしても埃避けの布が被さったままで今から寝れるようにするのも直ぐではあるがその手間が面倒臭いとアイビーは言った。
「だけどなぁ」
「もう!気にしないでそっちに寝る!ほら!」
「おい、押すなよっ」
「じゃお休みー」
「……お休み」
ロイドの意見など全て無視で無情にも扉はロイドの鼻先で閉まったのだった。
*
――やがて夜も更け、草木すら眠りに入る深夜。
静かな夜の世界にとっくに眠りについている筈のベッドはもぞもぞと落ち着きの無い膨らみが一つ。
「……寝れん」
寝返りを何回もして布団から顔を出したロイドはぼそりと呟いた。
はぁと深いため息を吐いていい大人が、と自嘲する。
アイビーに無理矢理ではあるが夫婦用の大きなベッドを明け渡されたが上質な布団はロイドを眠りに誘うには至らなかった。
取り留めもないくだらない事を考えたり、羊を数えてみても睡魔は一向にやって来ない。
はぁと部屋に響くほど大きなため息をもう一つ。
ガリガリと苛立ちを露わに頭を掻き毟りロイドはベッドから起き上がった。
部屋の窓からは月の光が差し込み宵の闇を照らす。
月明かりを頼りにロイドは窓へと近づく。
音も無く開いた窓に手を付いて見上げる月は静かに彼を照らし出した。
「はぁ」
……眠れない理由は分かっている。
だがその理由の為に行動を起こすか否か。
一応は女のひとり暮らしの家に寝泊まりしているだけでも問題なのに今更もう一つ我儘を言える筈もない。
彼女ならば気にせず了承するのが容易に想像できるからこそ、男として見られていない事に若干気持ちが落ち込む。
それに流石にいい歳した大人が口にするのも憚れる――傍にいて欲しい、などと。
「十五年か……」
十五年……それはとても、とても長い年月だ。
子供も立派な大人に成長するには十分な歳月が過ぎた。少年は一人前の男に、少女は立派な女性に。
その成長過程をずっと見れるものだと思っていた。
ずっとその隣で共に成長するものだと……。
しかし現実は非情で、二人はその十五年間を生き別れ同然で過ごした。
戦争という名の壁は二人を確実に隔て、その間手紙も一目相見える事さえ叶わなかった。
やっと届いた報せは戦争が終結してから半年後。
それすら手紙という体を成してない程の小さな走り書き。無事だという事だけが書かれた小さな紙を見てロイドは安堵に崩れ落ちたのを覚えている。
六年という長く続いた戦争は至る所に爪痕を残しつつも過去のものとなった。
だがその六年という月日は生きた心地がしなかった。
生死不明で音信不通。戦場を転々と巡りながら探してもアイビーの手掛かりは何一つ無かった。
夢の為に別れたあの日を思い出しては、彼女の無事を祈り戦いに身を置く日々。
“死”だけが広がる戦場。
ついさっきまで言葉を交わした人が次の瞬間には物言わぬ躯となる光景はまだ子供だったロイドの心を、精神をズタズタに引き裂き、感情が死んで行くのを感じた……。狂えるものなら狂った方がまだマシだった。
それ位あの戦争は凄惨を極めた。
敵を屠るその手が、血に塗れるその身体が、悍ましいほど穢らわしく思えた。
壮絶な程の苛烈で過酷な戦場に仲間と共に死にゆく事も望まなかった訳ではない。
でも、夢の為に、再会の誓いに、その生を諦める訳にはいかなかった。
騎士になる。
その理由を、その覚悟を、心に刻んで突き進んで来た。
でも、偶に過る事がある――戦争が終わったのは夢なのでは無いかと。
今穏やかで平和になったこの光景は、この世界は、自分の夢の中の出来事では無いのかと。
今だに自分はまだ戦場の最中に居るのではないかと。
眠る度に魘され飛び起きる事も少なく無い。
その夢こそが現実で、この世界が夢なのだと時折過る馬鹿みたいな想像。
でも、あの戦争から八年経った今でもいまいち現実味が薄くて仕方が無い。
「……俺も大概女々しいな」
馬鹿な想像だと分かっている。
でも地に足が付いてない心地が拭えなくて、その気持ちを塗り替えたくて、周りに心配を掛けるほど仕事に打ち込んだ。
しなくて良い仕事すら背負い込んで、任せなければならない仕事すら奪って仕事一辺で日々を過ごして来た。
その結果、騎士団直々に休暇を取るように命じられる有様。
「俺は――……」
宵の静けさの中、呟くロイド。
だが、それは小さく響いたノックの音で途切れた……。




