7話:祖父
おれは台所に立っている、夕日が沈み、辺りが暗くなり始めたこの時間帯、半べそかいていた下の四つ子と、練習から帰って来たヒラリ共々テレビを見ている。
先程の騒ぎが嘘のようだ、相変わらず春奈は部屋から出てこないし、霧江はキーボートとマウスを忙しなく動かしているところを見ると、BL系のゲームをしているのは直ぐにわかった、いつもの廃人の様な顔をしてるし、問題の希来里は不貞腐れた顔でスマホを弄っている。
深い溜息だけが台所に響くと言った所かな、おれの。
「あの、手伝います」
そう言っておれの隣に立った三島さんは言う。
彼女もこの状況で落ち着いていられないのだろう、この、家の中に漂うギスギス感に。
「別にいいよ、そこで座っていれば」
「でも…… 何もしないというのは」
「今はしない方が良い、君が作った料理、たぶんだけど希来里が食べないから」
希来里はこの安藤家の中で、たぶんだが、誰よりも家族の事が好きで溜まらない人間だ、あれは何時の事だっただろうか、何で喧嘩をしたのか覚えていないが、親父と母ちゃんが怒鳴り合いの喧嘩をしたことがある、それもおれとまだ小さかった希来里の目の前で、言い合いはエスカレートして最後には母ちゃんの伝家の宝刀である「もう実家に帰る!」と言った。
母ちゃんは希来里の手を引っ張って家を出ようとしたが希来里は家の柱にしがみ付き、離れようとしなかったのを今でも覚えている。
『希来里! お母さんと一緒にお爺ちゃん家に行くのよ!』
『嫌だ!』
『どうして!』
『パパとママは離れちゃダメなの! ズッと一緒なの! じゃないとみんなバラバラになる! バラバラは嫌なの! みんなと一緒! みんなと仲良く!』
そんなことを言って二人を困らせていたなと、おれは思い出し笑いする。
「キモっ」
そう言って、冷蔵庫を開けて食パンとおれの自家製ジャムを取り出して塗り始める希来里。
あの可愛かった頃の面影がない。
「おい、もうすぐ夕飯!」
「別にいいじゃん、パパ、居ないだし」
「それでもな!」
「わたし、部屋で宿題やっているから、声かけないでね」
「おい!」
まるで聞く耳を持たないと言わんばかり、そそくさと階段を昇って部屋に入って行く。
「あいつ」
「ごめんなさい」
「…… 昨日も言ったけど、謝るのなら最初から来るなよ」
「本当にごめんなさい」
「だから、いいって、親父からここに居る間は家族として扱えって、言われているから」
「えっ?」
「パパはそんなことを言ったの?」
驚く三島さんの後ろで静かにのえるが言う、てか、いつの間に居たんだ。
「まあ、そんなニュアンスを言ってた」
「なら、家族、そら姉さん、こっちでテレビ、見よう」
のえるは静かに三島さんの手を取り、テレビのある居間に連れて行く、下の四つ子は順応が早いなとおれはお湯を沸かしながら、そんなことを考えをしていた。
夕飯に作ったフォーを四つ子と霧江と春奈と共に食事を済ませ、帰りが遅くなると連絡があったふわりと部屋から出てこない希来里に、おにぎりを作り置きして、その足で祖父の家に向かった。
親父と喧嘩して逃げ込む場所は祖父の家だと、いつも決まっている、駆け込み寺ならぬ、駆け込み実家、なんちゃって。
家から自転車で三十分ぐらいのところ、小高い丘にある我が家から閑静な住宅街に祖父の家がある、豪邸とはいかないモノのそれなりに大きいの門扉付きの家、それが祖父の家だ。
おれはチャイムを鳴らすと、玄関のドアが開き、中から顔の整った青年が姿を現れる。
「お帰りなさいませ、千畝様」
アンドロイドのグリフィスだ。
ここ数年で実用化され徐々に数が増え始めているアンドロイドは、既に社会に無くてはならない存在と化している、一般家庭から工業工事用、今では人手不足が深刻な介護に至るまで、幅広く普及している。
このアンドロイドは妹のコルダが祖父の介護用にと特別に作ったワンオフのアンドロイドだ。
「いや、グリフィス、母ちゃんは来ているか?」
「由夢様は、現在二階のお部屋に引き籠もっております、出雲様は落ち着くまでは好きにさせて置けと言っておりましたが、わたしとしてはご家族が説得される方が効果的だと、判断致します」
安藤出雲はおれの祖父、母ちゃんの父ちゃんだ。
親父は婿養子だと言っていたことがある、ジョージ・安藤・スマイルはリングネームであり、本名はと言うか戸籍上の名前は安藤城士が戸籍上の名前だ。
しかし、ボクサーとしての親父の知名度が高すぎる為に未だに、旧姓のスマイルさんと呼ばれることが多い、本人はその呼び名を嫌っているが、と言うか、親父の実家を嫌っていると言うのが正しいのかもしれない。
親父はとにかく、自分の父親が嫌いらしい、生まれたこの方、父方の親戚には殆ど会ったことがない。
そんなかんなでおれは親父に連れられてよく、出雲の爺ちゃんの家に行っていた、家からも近いと言う事もあり、学校の帰りなどはおやつ等をおねだりによく寄ったりしたものだ。
おれが中学に上がるまでは祖母も健在だったが、中学一年の中頃に心筋梗塞で亡くなっている。
祖母を失ってしばらく元気がなかった出雲の爺ちゃんだったが、グリフィスが来てから再び元気を取り戻している。
おれはグリフィスと共に家に上がると、家の奥の作業部屋から車椅子に乗った白髪交じり老人が現れる、祖父の出雲だ。
「いや、可愛い孫よ、今日は娘の機嫌を取りに来たのかね」
物静かな、独特な口調はとっつき難いというのか何というのか、まあ、話せば左程苦にならないが、初対面の人は少し気後れするかもしれない。
「直ればいいけどね」
おれは正直に言う。
「そうか、グリフィス、千畝に飲み物を」
「はい、出雲様」
「さて、一度部屋に籠った娘を引きずり出すのは容易の事ではない、どうするかね」
「とにかく、話すしかないだろう」
「フムン、確かにそうだな、話さなければ通じないことがある、理解してもらえないこともある、だがな、千畝、時には『時間』と言う解決策と言うのもある」
「生憎だけど、今は不安がっている妹達が寂しがるんでね、早めに連れ戻したい」
「成程、では、頑張ってきなさい、説得できると祈っているよ」
おれは二階に上がり『由夢の部屋』の札が張られている扉の前に立つ、深呼吸しておれはノックするが返事がない、深い溜息をして静かに扉に話しかける。
「母ちゃん、おれだけど」
「おれおれ詐欺はお断りです」
また、ベタな返しをするなオイ、いつの時代だよ。
「アンタの息子の千畝だ」
「なに、ちーちゃん」
「親父と何の理由で喧嘩をしたかは知らないけど、家出と言うのは度が過ぎると思うけどな、下の四つ子はもう、大泣きだったんだぞ」
「…… 悪いと思ってる」
「なら……」
「でも、今は帰らない、今回の今回は流石に怒ったもん」
「…… 一体何で喧嘩したんだよ」
「パパが任せろって」
「?」
「パパがね、これはおれ一人の問題だからおれに任せて、お前は子供たちの事を見ていてくれって、お前には迷惑は掛けないからって、でもそういう問題じゃないでしょう、これは家族の問題だよ、私たち家族の、なのに心配するな、任せろって」
「なら、そうしてもらえばいいじゃないか、ああ見えて親父は何でも一人で解決するタイプの人間だろう」
「だからなの!」
「はぁ?」
「パパはそうやって他人に迷惑を掛けるなら自分一人で何でも背よい込もうとするの、それが心配だから、だから、怒ってるの!」
「他人に迷惑を掛けないって、良い事じゃないか、おれはいつもユウリに迷惑を――」
「それでなんでも背よい込んで、自分が潰れちゃったらどうするの、他人に迷惑を掛けない様に一人でやろうとすることが返って他人に迷惑を掛けているって、パパもちーちゃんもわからないの?」
「…… 別に潰れるかな、あの親父が」
「潰れかけたことがあるんだよ、ちーちゃん、パパはね、ちーちゃんが生まれる前に一回だけ潰れかけたことがあるんだよ」
「親父が? まさか」
「本当だよ、そん時は本当に大変だったんだから」
おれは想像が出来ないでいた、親父にそんなことが有るとは思えない、いつも自身で満ち溢れている親父にそんなことが、いやないだろう。
「家族なら、家族なら一緒に乗り越えようって、どうして思ってくれないのかな、わたし…… パパの…… スーちゃんの奥さんなのに、それともそう思っているのはわたしだけかな」
弱々しい声におれは返答することが出来なかった、そのまま何も言わずにおれは静かに階段を降りて行く、さてどうしたモノか。
「娘は頑固だったろう」
窓を開け、辺り一面が完全とは言えないモノ、暗くなり始めた空を眺めながら涼しそうな顔で、出雲の爺ちゃんが言う。
「こっちに来て一緒に空でも見ないか、千畝」
「ごめん、八時からバイト」
「今は六時半だ、まだ余裕があるな、少しぐらいいいだろう」
「でも、仕込みとか」
「一二三に任せていれば大丈夫だ、既にグリフィスが連絡を入れている」
「対応早すぎ」
「フムン、まあ、こっちに来て座りなさい」
おれは促された椅子に座り夕日と夜景が入り混じる黄昏時の間から少しずつ星々が輝き始めるこの時間帯、出雲の爺ちゃんは懐かしむような顔をして見ている。
「千畝、君は星は好きかね」
「まあまあ、かな、爺ちゃんは?」
「わたしは天文学者だよ、千畝、好きに決まっているだろ」
「それもそうだ」
「しかし、東京では左程星は見えない、東京の空は明るすぎるからね、昔は東京を離れてよく山奥に行っては朝になるまで星を見ていたものだ、今じゃあ、この足だ、そう、遠くには行けなくなった」
そう言って思うように動かない足を叩きながら言う。
若い頃の事故で車椅子生活を余儀なくされたと、最近は完全に動かなくなって車椅子だなと、小さい頃に言っていたのを思い出した。
その当時は笑いながら言っていたが、今は雰囲気が違う、まるで何かをやり残した様な、感傷をした顔で自分の足を見つめている。
もしかしたら今でも、山に登って星を見たいと思っているのかもしれない、いや、思っているのだろう、でも、動かない足では山は登れないのは爺ちゃん自身がよく知っていることだ、だから懐かしがっているのだろう、懐かしがることで登れない悔しさを紛らわしているのかもしれない。
「東京では月の観察ぐらいが今のわたしの楽しみだ」
「月の観察?」
「そうだよ、千畝」
「変わらない月を見て楽しいのか?」
「何を言っているのだね、千畝、月は常に変わっている」
「いや、変わらんでしょう、満ち欠けは有るだろうけど」
「そういう意味ではない、わたしが生きている限り、わたしが見ている限り昨日と同じ月はない、星もまた然り、自然も然り、家族も然りだ」
爺ちゃんはおれに視線を向けながら言う。
「義理の息子は、他人に迷惑を掛けるのを極端に嫌うクセして、他人に関わり、その人物の悩みを解決しようとする男だ、君の父親は、優しすぎる、誰に対しても、だから多くの問題を抱えてしまう」
「おれには、そう、見えないけどな」
「そう見えないのなら、お前は物事の流れから外されているということだよ、千畝」
「…… そうなのか?」
「ジョージはそういう男だということだ、本流から外して守っているつもりでいるのだろうか、外された方は堪ったものではない、それでは家族とは言えない」
おれの視線が爺ちゃんの方に向くのと同時に、グリフィスがカフェオレを持った来た、おれの横に静かに置く。
「丁度良かった、グリフィス、お前に訊きたいことがある」
「はい、何でしょうか、出雲様」
「君は家族と言うのをどう思っているのか、千畝に聞かせてやってはくれないか、どうやらそのことで困っているようなのでな」
「別に、おれはそこで困っている訳じゃあ」
「困っているだろう、母親をどうやって家に連れ戻すかを」
「そうだけど」
「で、どうだ、グリフィス」
「家族と言うのは共同体における最小の集団でありその構成は――」
「違う、そうじゃない、グリフィス」」
おれは口元で止まったカフェオレの入ったコップを静かに置き、視線をグリフィスの方に向ける。
「違うというのは?」
「それは、お前の言葉ではない、辞書の言葉だ、わたしが欲しいのはその様な機械の様な回答ではない、お前の『言葉』が欲しいのだ」
「わたしは機械です、アンドロイドです、出雲様、わたしにその様な答えも機能も持ち合わせてはいません」
「いや、答えは持っているハズだ、考えるんだよ、ネットで落ちているような言葉ではなく、お前自身の言葉でだ、わたしとお前との生活で感じたこと、お前の生みの親である孫娘の家族を見て、聞いて、触れあって、話して、感じたことだ、グリフィス、さあ、静かに目を瞑りなさい、そして思い出すんだ、そして考えるんだ、家族と言うモノを」
そう言われグリフィスは静かに目を瞑る、瞼の裏側で何かを考えうように眼球が動くのがわかった、そしてグリフィスは静かに目を開け、おれに向かって静かに言う。
「家族とは暖かいモノであるとわたしは、そう…… 思います」
「フムン、どうしてその答えに行き着いたか、答えてくれないか、グリフィス」
「出雲様はわたしの事を家族として接してくれます、そこにどことなく暖かさがあるので、それは、千畝様のご家族、安藤一家の暖かさと同じです、あの大家族は互いに助け合い、励まし合い、時には喧嘩もするけれど、最後には家族全員で手を取り合っています、そこには我々アンドロイドには無い、心の通い合う暖かさ、それが『家族』と言うモノだと、わたしは思います」
「良い答えだ、グリフィス、確かに家族で最も大切なモノは、人の温もり、家族の暖かさが必要だ、だが、そうなるには必要なのは互いを理解し合うことが重要だ」
「理解ね……」
「確かに理解は必要だと思います、しかし、それだけではないモノも必要だとわたしは感じています」
「その必要ってなんだよ、グリフィス」
おれの問いにグリフィスは間を置かずに答える。
「共に過ごした時間そして苦難を共に乗り越えた時間でしょう、その時間を共有するからこそ家族であるとも言えます、その時間の長さこそが『暖かさ』なのです」
「苦難を共にする、か」
「素晴らしい答えだ、グリフィス」
「ありがとうございます、出雲様」
二人の会話を聞きながら、おれは母ちゃんが言ったことを思い出す、『家族なら、家族なら一緒に乗り越えようって、どうして思ってくれないのかな』あの言葉の意味は苦難を共に乗り越えたいという意味か、そうか、母ちゃんは本流から外されるのが、いやなんだ、信頼されてないとか、迷惑を掛けさせないとか、そういうのでなく、共にその苦難の乗り越えて時間を共有したいと思っているのだ。
おれはカフェオレを飲み干し、静かに立ち上がり、そのまま玄関の方へ歩む、これは親父から言わなくちゃだめだ、おれなんかよりは親父の言葉の方が説得力がある、共に乗り越えたいと思う相手の言葉なら、きっと。
おれが玄関に手を掛けた時に、静かに爺ちゃんが「ジョージに言ってやってくれないか、お前はもう一人ではないんだから、家族を頼れと」と言う。
おれにはその意味が理解できなかった、多分だがそれは、おれが生まれる前の話だろう、今は違うハズだ、何せ親父にはおれ達が居る、おれたち家族が居るのだ。
おれは静かに「了解だ、爺ちゃん」と言って祖父の家を出る。
今日の月は満点だなと、夜空にまん丸と光る月を見ながらおれはそんなことを思い、バイト先に歩を向けた。