6話:家出
6話:家出
少し高杉のことを話そう。
おれと彼女の関係は一言で言えば幼馴染である。
小さい頃から一緒に居た、どんな時でも。
そんな関係が少しずつズレ始めたのは高杉の両親が事故で死んでからだ。
葬儀の日、両親の棺の前で呆然と立ちつくしていた高杉。
棺が火葬炉に入る時に彼女は一言だけ小さな声で呟くのをおれは聞いていた。
「ごめんなさい」
と、あの時小さかったこともあり何よりおれを実の息子の様によくしてくれた高杉夫妻の死のショックが、その時の言葉の意味を深く考えさせなかった。
葬儀の後、高杉は徹さんに引き取られた。
今給黎家に行く事になっても会えないことは無い、学校が変わるわけではない、でもだ、どうしてかわからないが、おれと高杉の心がその日からズレ始めた。
学校では今までの様に笑い、今までの様に授業を受け、今までの様におれの家に来ては、おれと妹たちとよく遊んだ。
でも、おれは気付いていた、その笑いが作られた笑いだと、無理して笑っていると。
そう思えばそう思う程、何故だがおれは高杉が怖くなっていた。
笑顔の下の本心の顔を見るのが怖いのだ。
中学に入ると、おれは反抗期と相まって高杉とは遊ばなくなった。
いや、高杉の方からおれとは遊ばなくなったと言うのか正しいのか、高杉は次第に家に来る回数が減って行き、何時しか来なくなった。
そんなある日だ、おれが中学の卒業を控えた頃に高杉が同級生の女子を殴り飛ばす暴力事件を起こした。
相手は顎にヒビが入る重傷を負わせるほどの大怪我、しかし本人は「悪いことをした」とは思ってはおらず、むしろ「何故怒られないといけないのか」と言いたげそうだったのを今でも覚えている。
おれは聞いた、何故あんなことをしたのか?
帰って来た答えはすごく簡単であり、イラつく内容だった。
「あんたをバカにしたからだよ、あの外人とよく仲良くできるねって」
その当時、おれは相当荒れていた。
小学校の頃はそれ程ではなかったが、中学に上る頃には様相で、影口を叩かれることが多かった。
日本人とはかけ離れた顔立ち、金色の髪にエメラルドグリーンの瞳。
誰がどう見ても日本人ではない、でも、おれは日本人だ。
日本で生まれ、日本で育ち、日本語を話す、国籍だって日本だ。
でもだ、それでもだ、日本人は「でも、お前は外人だろう」と言う。
同じ土地で生まれ、同じ時間を過ごし、同じように遊んだ仲でも、彼らはそう見るのだ。
日本人にとっては『日本人に見られることが日本人』と言う考えがどこかに有るのかもしれない。
だからだろう、中学からは髪を黒く染めてみた。
これでおれは日本人だ、そう思った、でも、染めた髪を見て母ちゃんはおれを殴った、平手ではなく拳で。
「今すぐ、戻しなさい」
おれは反抗した、おれは日本人に成りたいと、でも、お前は日本人だと母ちゃんはその一点張りで主張を変えなかった。
それからだろう、家に帰らずに街で遊び惚け良く問題は起こしていた。
中学二年に上る頃には立派な不良の烙印を押されていたが差して気にするとはなかった。
陰口も酷くなりおれはそう言う連中の陰口を聞きたくないと思い、学校に行かなくなった。
そんな中でも高杉はおれによく逢いに来てくれた。
普段と変わりない、作り笑顔をしながら。
だからだ、高杉がそんな理由で暴力事件を起こしたのが許せなかった。
おれは言ってやった。
「お前には関係のない事だろう! お前がバカにされた訳じゃないんだ、おれなんかの為に問題を起こすな、死んだおばさん達を悲しませるなよ、そもそもいけないのはおれの見た目だ! どうしようもないことだ!」
と、だが高杉はその言葉を聞くなり胸ぐらを掴み、鬼の様な形相をしながら顔を近づけて啖呵を切るかのように言い切った。
「わたしは、アンタが何人でも構わない、何者であろうがアンタはアンタ、他人からアンタが外人と見られるのはアンタが自分自身に自信や誇りを持ってないからだろうが! それを他人の所為にするなボケぇ! アンタの心は日本人だろう、だったら日本人だ! 誇りを持てェ!」
「誇りが持てるなら初めから持ってる! でもな、どんなに自信や誇りを持とうとな、この国では見た目が全てなんだ! 人と違う、人に会わせない、外人、それだけで社会から外されるんだ! どんなに頑張ってもな!」
胸ぐらを掴んだ高杉の手を振り払い、そう言った。
そしたら拳が飛んで来た、小さな拳なのにその拳はすごく重かったのを今でも覚えている。
そして、殴った高杉は何かに見切りを付けた様な顔をしておれに言った。
「もういい、もうやめた……」
その日から高杉の笑顔が消えた。
常にムスッと、何かにイラついているかのように、そしてそれを当たり散らすかのように何かしらの揉め事を起こすようになった。
そして今現在、おれの脇を歩く高杉の顔はいつもの様にムスッとしていた。
何故コイツはいつも不機嫌なんだ、ふと、歩みを止めて高杉は静かに振り向き不機嫌な声で言う。
「なんで助けたの?」
何でと言われても困る。
「見捨てろと?」
「少なくとも助けは要らなかった」
「流石にあの人数はマズいだろう」
「それはアンタの主観」
「なら、お前の主観では切り抜けられたと?」
「無論」
「……まったく助けてもそんな物言いじゃあ、損した気分になるな」
「勝手に助けて、勝手に損しないでよ」
ああいえばこう言い返す、本当に可愛げがない。
「で、お前はどこまで付いて来るんだ?」
「その安藤家を掻き混ぜた張本人に会うまで」
「喧嘩でも売る気か?」
「安くは売らないつもり、バーゲンセールだと思って食いつくようなら買わせるけど」
「……頼むから家の中で血の惨状だけは勘弁してくれよ」
「善処する」
善処かよ。
それから高杉は家に着くまで一言も喋らなかった何も一言も、ふと、家の目の前まで来た時だ、高杉が歩を止めた。
「どうした?」
「あれ、れいちゃんじゃあない」
高杉が指を差す先に四人の幼女、下の四姉妹、れい、あすか、すみれ、のえるが身を寄せ合うように玄関の前で座り込んでいた。
「どうしたんだお前ら?」
「あ…… うくっ、お兄ィいいイイ!」
れい、あすか、すみれがおれに抱き着いて来る、遅れてのえるも抱き着く、のえるを除く三人は大粒の涙を流しながら泣いていた。
「どうした? 泣いていたらわからないだろう!」
「うくっ、ママがママが!」
「母ちゃんがどうしたんだ?」
「ママが家出しました」
覇気のない声で、のえるは言う。
えっ、今何って言った?
「ママが家出しました」
重要なことなので二度言いました、見たいな感じで言うなよ、のえる。
「いや、マジか?」
「うん」
「どうしよう! ママがママが!」
あすかは既に涙腺が崩壊しているのか、大粒どころか滝の様に涙が流れてる。
れいもすみれも泣きっぱなしで話が聞ける雰囲気ではない。
おれはのえるを見ると何かを悟ったかのように、静かに説明を始めた。
「パパが出て行く直前にママと喧嘩しまして『出て行くと!』といい、ママは言葉通り出て行きました」
いや、出て行きましたじゃねよ。
まだ、三島さんが来て一日しか経ってないんだぞ。
「パパもママも出て行っちゃったよ! 兄い! どうしよう!」
すみれは涙と鼻水を垂らしながら言う、おれはハンカチをすみれに渡す、すみれは渡されたハンカチを鼻に当て活きよい良く鼻をかんだ。
「ヒラリや、春奈は? それに霧江はどうした?」
「ヒラリお姉ちゃんは道場に、春奈お姉ちゃんと霧江お姉ちゃんは家に居る」
上の四姉妹は本当にマイペースだな。
「希来里とふわりは?」
「ふわりお姉ちゃんはお友達の家に遊びに、希来里お姉ちゃんは……」
れいがその先を言おうとした時、玄関の方から怒鳴り声が聞こえてれいとあすかが身を竦ませる、おれと高杉はゆっくりと玄関を見ると、制服姿の希来里が三島さんに言い寄っていた。
「何とか言ったらどうなのよ! アンタが来た所為でこうなったんだけど、何か言うことない!」
「あの、その……」
「さっきから、『あの、その』ばっかなんだけど他に言葉ないの?」
「ごめんなさい……」
「だ・か・ら! 他に言うことないのかよ!」
「はい、そこまでだ、希来里」
おれは三島さんに手を上げようとした希来里を抱き上げるようにして止める。
コイツ、本気で殴るつもりだったな。
「ちょっ! どこ触ってるの、変態!」
離れと言わんばかりにおれの腕の中で暴れる。
「変態で結構だ、とにかく落ち着け」
「これが落ち着いていられるの! パパはともかくママまで出て行ったのよ!」
「親父は、三島さんのことで京都に行ったんだ!」
「はあ? 京都?」
「朝、おれに話して行ったぞ、お前らは聞いてないのか?」
おれはれい達を見渡すが誰も首を縦に振らない、おいおい、親父、ちゃんと話しておけよ。
「じゃあ、ママはどうして出て行ったのよ!」
「フムン、それは…… わからん」
「わからないって!」
「それは母ちゃん本人に聞かなくちゃな」
まあ、母ちゃんの家で騒動はこれが初めてではないので行きそうな場所は心当たりがある、それより問題は…… おれは高杉に視線を向ける。
既に高杉は三島さんの目の前に立って睨み付け、三島さんは蛇に睨まれた蛙の様に縮こまっていた。
まさか、血の惨状か。
「アンタが『お騒がせ者』の三島さん?」
高杉の鋭い眼光は獲物を捕らえた肉食動物の様だ、だとしたら三島さんはさながら草食動物かだろう。先程から恐怖で動けないのか、ビクついている。
「えっと、その……」
「わたしは、高杉、高杉ユウリ、よろしく」
そう言うと高杉はスウッと手を差し出した。
お、何だ、さっきは喧嘩を売るとか言って置きながら友好的な態度は? もしかして初めからそのつもりか。
そんなことを考えている間に三島さんは高杉から差し出した手を、おどおどしながらも手を取る。
フムン、良かった友好的な挨拶が出来てと思っていたらそうでもなかった、三島さんの様子が可笑しい、最初は安堵の顔をしたのに、次第に苦痛に歪んでいる。
まさかと思うが高杉の奴。
「おい! 高杉!」
「大丈夫よ、ちょっとした握手だから」
不敵な笑みを浮かべる高杉。
間違いない、アイツは三島さんの手を握り潰す気だ。
あの細い腕でもアイツの握力が八十キロある、普通の人間の腕を握りつぶすのは高杉には容易いことだ。
三島さんの顔が痛みで歪む、おれは高杉から三島さんを引き離そうと近寄ろうとしたが、制服の袖を引っ張って希来里はおれの歩みを止める。
「なにしてる離せ!」
「黙って見てて」
希来里は静かに言う。
「黙って、このままじゃあ三島さんの手が……」
「たぶん、大丈夫」
「……どういう意味だよ、それ」
しばらくおれは二人の様子を見る。
「ねえ、あなたは何が目的なの?」
「も……目的?」
高杉は力を込めたのか、三島さんの顔が更に歪む。
「何も目的なく来たわけ、人の家に土足で上がり込んで問題起こして、アンタ、何が目的なの? それもと目的なしでただ、来ただけ? どうなの?」
「ッっ…… あるわよ」
「そう、その目的は?」
「家族……」
「何? 良く聞こえないのだけど?」
「わたしは家族が欲しいのよ! 家族が!」
今まで静かな声で話していた三島さんが腹から声を出したかのように、周囲に声が響き渡る。
「何も無いわけないじゃない、わたしは、家族が欲しい…… それだけよ」
「…… 何かしらけた」
三島さんの手を放して、高杉は踵を返してさっき来た道を戻り始める。
おれは三島さんに駆け寄る、彼女の手にはしっかりと高杉の手の跡が残っていた。
強く握られた所為で手が痺れたのだろう、ガチガチと震えている。
「おい、高杉!」
「帰る」
「帰るじゃねえよ、三島さんに謝れよ!」
「……謝るのはわたしじゃなくて、その人じゃない」
「はあ? お前なに言って!」
「いつまでも通じると思っていると痛い目、見るわよ」
その言葉は自分ではなく、たぶん三島さんに言ったのだろう、何故だが知らないがおれはそう思えた。
そう思えたのに何故かその言葉の趣旨が理解できなかった。
高杉は謝りもせず、振り向きもせず、夕日が沈み始め暗くなった道を歩いて行った。




