4話:理事長室
4話:理事長室
生きているのが不思議だ。
あの一瞬過った光景は一体何だったのだろうか。
おれは教室の片隅で青ざめた顔を隠すかのように、机の上で倒れていた。
正直あの後、母ちゃんを説得するのは骨が折れた、結局のところおれと親父が土下座してようやく納得してもらった。
あのままでは、間違いなく妹達が犠牲になっていた。
「オッス、センポ! どうした朝から青ざめた顔をして」
中学からの腐れ縁である、須賀直人がおれに声を掛ける。
朝から爽や笑顔をおれに向けるなと言いたい。
「お前の爽やか笑顔をブルーマンの様に青く塗ってやりたいよ」
「どうしたんだよ、本当に死でるような顔を死しているぞ」
「実際に死にかけたんだ、母ちゃんの料理で」
「あ…… ああ」
それで納得されるというのは何となく癪だが、説明が要らないので今回はこれでいいや。
「しかし、不思議だよな、お前の家って」
「何がだよ」
「だって、センポのお袋さん含めて女子全員料理出来ないだろう、一人ぐらい親父さんの腕が遺伝してもいいと思うけど」
「ああ、そこは不思議に思うよ、何故、家の女どもは誰も料理が出来ないのかなって、てか、一度も作っているところを見たことがない、母ちゃんが唯一出来るのは刺身ぐらいだが……」
「刺身って、料理に入るのか?」
「バカか、お前は! 刺身の味の良し悪しはな、包丁裁きで決まるんだぞ! それだけで料理人の腕が分かるってもんだ!」
「へえ、うん? てか、刺身が作れると言うことは料理が上手いのか?」
「ああ、最後まれで切れていない刺身が刺身ならな」
要は上手くないと言いたいのだ。
しかし、直人が言った全員が出来ないと言うのは勘違だ、一人だけ出来る妹がいる、コルダだ、アイツは何でも卒なくこなす、料理もそうだが、勉強もスポーツも芸術だってやれる、オールマイティな奴で、たぶん、アイツに出来ないことはないだろう。
コルダが『量子力学の応用による高分子人工筋肉生成と制御人工頭脳について』と言う長ったらしい論文を某大学に送り付け、それが称賛されアメリカ大学へとの飛び級進学が噂されたとき、おれはアイツに訊いたことがある。
「お前は卒なく何でもこなせるんだ、何かコツでもあるのか」と。
コルダは呼応答えた。
「コツなってないよ、わたしは頭に浮いて来たことをそのままノートに書いているだけだし」と言った。
おれは思ったよ、ああ、これが俗に言う天才肌と言うモノかと。
凡人であるおれには一生分からない世界だ。
「そう言えば、タカちゃんの噂、聞いたか」
「アイツ、また何かやらかしたのか?」
タカちゃん、本名は高杉ユウリ。
おれの一つ下でこの私立今給黎総合高等学校の後輩。
彼女とおれの両親は、昔からの知り合いで家族ぐるみの付き合いをしている、俗に言う幼馴染である。
容姿端麗、文武両道の長い黒髪の美少女、おまけに巨乳、いや、最後は忘れてくれ、とにかく、どこかのアニメヒロインの様な奴だが、一つだけ問題があるそれは。
「この前、駅前のファミレスにたもろった不良共を、アイツが殴り飛ばしているのを見たんだよ」
「……またか」
直人は静かに首を縦に振った。
おれは大きな溜息を付く、そう、完全無欠美少女キャラと思われる彼女だが、沸点がとても低い、その上暴力的にプラスで空手の有段者と来ている。
その所為でアイツにはいろいろな迷惑を掛けさせられて来た。
昔からそうだ、アイツにはいろいろと迷惑を掛けられて来た。
ふと、おれは左目を無意識に抑えていた。
「おい、どうした?」
「いや、何でもない、それよりだ、アイツ今どこに?」
「さあな、朝、理事長が担いで連れて行くところ見たけど」
「徹さんか……」
この学校の理事長であり、親父の専属のボクシングトレーナーである今給黎徹は、高杉の成年後見人だ。
高杉の両親は他界している、彼女が十歳の時に交通事故で。
あの時は今でも覚えている、両親の棺が入った棺桶の前で呆然と立ちつくす彼女の顔が。
感情を殺しているのか、それとも本当に何も感じてないのか、それすらわからない彼女の表情が今でも頭から離れない。
おれは席を立つ、直人が「どこ行く」と言うので、おれは答えた。
「まぁ、アイツを助けに行くよ」
おれが理事長室の扉の前に立つと、奥から怒鳴り声が聞こえて来る。
相当絞られているなと、思いながらおれはノックして入る。
ドアを開けるなり、鋭い眼光をした理事長が怒鳴り声を挙げる。
「誰だゴラァ! まだ返事してないだろう! 勝手に入って来るな!」
「おれっス、千畝」
「なんだ、千畝か」
名前を聞くなり、鬼の様な眼光がお釈迦様の様に穏やかになる。
理事長室に来るといつも思うが、この散らかった部屋は何とかならないのだろうか、学び舎のである学校、しかも理事長室がこれほど汚いのは問題がる。
ふと、その汚部屋の片隅に、高杉が首からプラカードをぶら下げて正座している
プラカードには「ただいま反省中です」と書かれていた。
「これ、PTAとか見たら体罰だって言われません」
「言われん、言う前に拳で黙らせる」
拳を握りしめながら言う。
「それ、犯罪だ」
「で、なんだ、今、親としてこいつを矯正しているところだが」
「あ、いや、まぁ、特に何も」
「何もないのに来たのかお前は、まったく暇な奴」
そう、ボソッと高杉が呟く。
おれは軽くこいつの頭に拳で小突き、ソファーに腰を下ろす。
「お前が心配だからと言って欲しかったのか、この間抜け」
「べ、別に、いらないし」
「フムン、徹さん、実は一つ話がありまして」
「話?」
「ええ、ですからその……」
チラッと高杉を見る、理事長も何かを察したのか高杉のプラカードを外して教室に行くように言う。
「今度、問題起こしたら本当に庇いきれんぞ」
「別に、庇わないでいいのに」
「バカ野郎、庇うに決まっているだろう、可愛い妹弟子の娘、なんだからな!」
「うるせぇ! バーカぁ!」
それだけ言い残して高杉は理事長室を出て行く。
「アイツ…… どんどん性格が父親に似て来たな、ホタルの面影ないぞ」
「高杉の母ちゃんと親父、確か徹さんと同じトレーナーの下でボクシングしていたんですよ」
「ああ、おれの親父の下でな、アイツの母親、高月ホタルを連れて来たのはお前の親父さんで、何でもいじめを苦にして自殺しようとしたところを助けたとかどうとか」
「フムン」
「ホタルの奴は何をするにも自信がなさそうな奴だったのに、絶対性格は親父似だ、で、お前は何の用だ」
そう言われてすっかり忘れている自分が居た、おれは徹に向き直り今までの経緯を説明した。
一通り話し終えたところで、理事長の顔が悪魔の微笑みの様に笑っていた。
「ヌフフフ、いい弱み手に入れたぜ」
やばい、おれ、この人に相談したのが間違いだったかと今さながら思うおれだったが、どうやら後の祭り世の様だ、不敵の笑みが徐々に高笑いに変わって行く。
「ヌフフ、ギャハハハハハハハハ! これで、今まで散々苦労掛けられた報いを晴らせるぜ」
この人、本当に兄弟子か、と思えるような高笑いだ。
「いや、徹さん、おれは」
「そもそも、後から入って来た奴がなんでおれより有名になっている、ジムのボスはこのおれだぞ、そう思うだろう千畝!」
「いや、知らないし、それより、三島って人に心当たりは?」
「知らん、アイツは複雑な女関係を持っているからな、その辺は本人に訊け」
「知らないと?」
「まあな」
そうか、おれはため息を付いて、理事長室から出ようとして呼び止められる。
振り向くと、悪魔の角を生や不敵な笑みを浮かべる理事長が居た。
「なあ、アイツの今、どこに居る? これで弄って遊びたいんだけど」
いい歳した大人が下らない遊びをするなよと、ツッコミたかったがおれは溜息だけをして答える。
「京都」
それだけ言って、おれは理事長室を出た。