<18>-3
第二演習場には観戦席が設けられていた。
――といっても簡易に作られた足場のような段差に、銃弾などの流れ弾を防ぐ為の保護シールドが張ってあるだけの心許ないものだった。
「…………思ってた以上に、なんかつまらんのぉ。飽きたのぉ」
「もぐもぐ。…………うん」
二人の少女はちょこんと最前列に座りながら、試合会場を見つめていた。
西側に備え付けられている観戦席とは名ばかりで、見えるのは廃虚だけ。
更地だったらよく見える場所であろうが、向こう側まで三百メートルという広域。設けられた高さ十メートルほどの客席は、どう見ようとも――何も見えない。
なんで席を作ったのかさえ謎な仕様に、那夏とエリィは早くも飽きてしまった。
席に座っているのは二人だけ………………かと思いきや、自分たちから離れた場所に誰か座っている。訓練所の生徒だ。景観しか見えない試合風景を好きこのんで見ようと訪れる人間など、よほどの物好きか廃虚マニアのどちらかしかないだろう。
近くで銃撃の音が聞こえる。近い。
彼女たちは知りようもないが、西側ではちょうど十河と誠、和夫と雅明が交戦中であった。
だが見えなければ誰が撃っているのかも解らない。つまらなすぎた。
「……………………むぅ」
紙袋を覗き込むと、まだ半分以上残っていた。こっちの方にも飽きた。
同じ味に、いい加減うんざりしたあげパン。エリィの食べる手はすでに止まり、紙袋から香り立つその匂いに、気分が悪くなりそうだった。
隣ではいまだ口に運ぶ手が止まらない那夏。目を輝かせながら一心不乱に食べている姿にエリィは狂気すら感じていた。見てるだけで胃もたれを起こしそうだ。
「の、残りはトウガにあげよーっと。我、超優しいのぉ……」
一方、平和的な観客席とは真逆で、現場は空気が張り詰めていた。
なんとか追撃を振り切り、絵里と式弥に追いついた二人。
感情的になる誠とは違って、十河は自分を落ち着かせつつ、呼吸を整える。
彼らはちょうど、エリィたちが座っている客席の真下にいた。
恐らく……いや、九割の確信をもって十河は全員に話した。
「…………どっちかは知らんが、こちらの動きを知覚する刻印を使える」
「レーダーみたいに? ……だとしたらアタシらの位置も解ってるってこと?」
「わからない。待ち伏せの正確さから、能力の精度は高いだろうが、有効範囲はそれほどでもないと思う。オレ達が逃げても追ってこなかった。……あるいはわざと逃がしたのか」
「なんだっていいわ。追撃してこないなら自由が利くって事だから。…………那夏! エリィ・オルタ! いるんでしょ!」
シールドごしの観客席から二人の頭が覗いた。
幸い客席には誰も居ないようだった。好都合。
「間宮……無線かして」
十河の無線機を受け取り、絵里は自分の手首に巻き付けられているICタグと一緒に、二人に向かって放り投げる。
観客席のシールドを越えて飛んできたタグを危なげにキャッチする二人。
『あ、あの……も、もしもし?』
「那夏。緊急事態が発生したの。理由は後で……必要なのはアタシのノート。ロッカーにあるから急いで取ってきて。観客席からだと不正行為でバレるから、南のエンドゾーンに来てちょうだい。…………無線機だけこっちに返して」
『…………うん、……わかった』
十河の無線機だけが投げて返され、持ち主の耳に再び収まる。
「作戦って程じゃないけど、アタシは一人で南に向かう。端末を受け取り次第、制御塔に向かうわ。それまで五分……いや、最低十分は全員が陽動となって保たせなさい。やれるかどうかわからないけど、端末でコントロールが出来るかどうかやってみるわ……それまで動きは個人の判断に任せる。相手を倒そうとは思わないで、とにかく気をつけなさい」
誠は緊張感無く、口笛を吹いた。
「こっちは生身。あっちは最強……すっげえチートじゃん。だけども、ひっかき回す程度だったらなんとかなりそうだな!」
「向こうがその気なら……オレは容赦はしない。陽動と言わず潰してしまっても、別に良いんだろ?」
あれよあれよと現実的とはほど遠い作戦が組まれていく非常識に、
唯一、常識の残っている式弥は声を張り上げた。
「何言って、…………だめだよ。止めようよ! 今すぐ棄権しようよ!?」
その判断は間違っていない。命がけの訓練など、もはや訓練では無い。
銃弾を一発でも受ければ、当たり所によっては致命傷になりかねないのだから。
「――イヤよ。断るわ」
絵里は真正面から式弥を直視したうえで、固い決意を示した。
「ど、どうして」
「コレはプライドの問題よ。アンタには関係なくっても、アタシには大いに関係ある……棄権ですって? ハッ。冗談は顔だけにしてよ」
「よく言う。……自分だって前に『降参』とかなんとか言って、棄権したくせに」
「何ですって?」
「――――別に」
嫌味な言動に対して、きつい目線を十河に向けたが、
彼は特に感ずる事もなく、無表情で腕を組む。
「でも……もし。あぁ。む、無理だよ。絶対にむりだって! ここここんなの試合じゃないよ。もしかしたら死んじゃうかも知れないのに」
「ふーん。だからなんだってんだよ?」
腕の流血が止まっているのを確認しながら、誠は素っ気ない態度。
「確かに死ぬかもな。洒落になってないし。もう、こうなっちまったら試合でもないかもな」
「じゃあ――」
「でもよ。負けるのは嫌だぜ」
破いたシャツを傷口あてがい結ぶ。
腕を曲げ伸ばししながら、誠は動作に不都合がないかと確かめた。
「真結良ちゃんは逃げなかったし、俺みたいな人間を庇ってくれた。まあ、たぶんワケあって今は来れなかったと信じてるぜ。……だったらよ。ココで男見せなくてどうする。お前も真結良ちゃんに助けられたんだろ?」
「あれは……あの人は強い人だから、だって異形を倒せるような人だ。彼らに立ち向かえるなんて、簡単にできるのは当たり前じゃないか! ボクは…………ボクはそんな人間じゃない。彼女みたいに強くないんだよおぉ!」
「………………おい」
式弥が顔を上げた瞬間、
力を乗せた、誠の拳が彼の頬に炸裂していた。
あまりの威力に体が吹き飛ばされ、背後の瓦礫に体を打ち付けた。
目から星が飛び出すほどの衝撃。涙を浮かべながら誠を見遣る。
「別に恩を売りたいからとか、そういうんじゃねえぞ。…………俺はお前の為に戦ってるってのもあんだよ。なのにお前がそんなんで、どうする」
「あ……うぅ」
ズンズン近づいてくる誠。
その手が式弥の胸ぐらを掴み上げ、無理矢理立たせる。
「当たり前なんかじゃねえッ! 真結良ちゃんは、決して強くなんかねえんだよ。いや……市ノ瀬に勝てるくらいだから強いんだけど、お前が思ってるほど強くねえ! あの試合で俺は聞いてたからわかってる。…………えーっと、なんかよくわからねえが……つまりそういうことだ!」
「………………ハァ。荒屋が言いたいのは、谷原はどんなことにも動じない、鋼のような精神力を持っているわけじゃない、ということだ。彼女だって同じ人間。オレ達と同じ一年生。普通の女子と変わらん。ヤツらに楯突いたのだって、多少なりとも勇気が要っただろうな」
「そう、それだ十河! 俺がいいたかった事を、お前は全部言った!」
指さし、そして親指を立てた誠。
「クソ。何でオレがあの女の弁護なんかしなきゃいけないんだ。――腹が立つ」
掴んだ手を解放することなく、式弥に向き直る。
「できるかどうかじゃねえ! やるかやらないかだ! 生きるか死ぬかなんてのは関係ねぇ! もし死んだら死んでから泣き喚きやがれ。テメエは出来ないと端から決めつけて逃げてるだけじゃねえかよ!」
「……………………ッ」
「別に逃げてもかまわねえけどもよ。…………逃げちゃいけない時ってのはどうしてもあるんだよ。人生……どんなに好きにやってようとも、逃げれねえ時ってのは、必ずあんだよ。お前にとっちゃ、それが今、なんじゃないのか?」
その言葉には、どこか誠が自身に問いかけているようなそんな投げかけ方だった。
「お前は変わろうとして、その思いを信じて真結良ちゃんがここまで連れてきてくれたんだろ? …………なあ吾妻。誰も助けてくれなかったお前を助けようとしてくれた人が用意した舞台がここなんだ。他なんてのはねえ…………今ここで、この場所で立ち向かわなきゃ。きっと一生後悔すんぞ」
ようやく手を離される。
尻餅をつきながら、喉の苦しさに咳き込む。
――いや、苦しいのは喉よりも、心のほうだった。
「男って、どうして言葉足らずな会話しか出来ないのかしらね。…………暑苦しい」
絵里はあの時打たれた肩をさすりながら、冷淡な瞳で座ったままの式弥を見つめた。
「アンタ……変わりたいんでしょ?」
目の前にある危険と、変化を望む自分が絡み合っている。
式弥は、まだ心の中で息をしてる小さな思いの端を引き抜いて、小さく首を動かした。
「変わるって事は、時には痛いときがあるのよ。今がその痛いときなんじゃない? 別にアンタなんか変わろうが変わらまいが知ったことじゃないけど、決めるのはアンタよ。ただ憶えておきなさい。…………どんなに使えない人間だろうとも、今はアタシの中で、あんたは戦力として計算している。たとえ百あるうちの一でも五でも、この代表戦において参加している限り、戦力は戦力。――決してゼロとは数えていないの。…………だからアタシに下らない計算違いをさせないでよね」
時間が惜しいから行くわ、と絵里は返答も待たないままに去って行った。
「……オレ達は、今からあの二人をどうにかする。…………別に戦えとはいわない。勇敢と無謀は別物だからな。ただお前に出来る仕事があるとすれば一つだ」
十河は間を置き、溜息を飲み込んで式弥を見据えた。
「フラッグリーダー……甲村を探せ。情報だけで構わない。この状況のなかでフラッグを倒せるかどうかは定かじゃないが、それでも足となって一つでも情報を得られるだけで戦況は大きく変わるからな。………………行くぞ荒屋」
「へいへい」
足早に瓦礫を縫って、来た道をまた戻ってゆく。
あっという間に二人の姿は見えなくなり、
「……………………ボクなんかに、なにができるってんだ」
眼鏡に付いた砂埃も拭うことさえせず、
痛む頬をおさえて、地べたに座る。
一人残された式弥は、退くか進むか。
――大きな分かれ道の前に立たされていた。




