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「んだとテメエ! もう一回言ってみやがれ!」
授業前には似つかわしくない罵声。
周囲の視線は集まり、真結良もその一つとなった。
声を張り上げた主は、茶髪をトサカのように逆立てた少年。
安藤と同じで、シャツは着ていない。
トレーニングスーツにハーフパンツといった出で立ち。
細い眉はハの字に折れ曲がり、相手の胸ぐらを掴んで威嚇していた。
「…………またやってる、『問題児』の人」
安藤の横に並んだ喜美子が、胸の前で拳をにぎる。
「ノービス?」
「一年生たちの中でも、特に素行が悪い生徒が集められた班なの。…………入学早々に暴力沙汰を起こしたり、授業を無断で欠席したり、訓練をまともに受けないとか、悪い噂は後が絶えないんだよ…………この前だって訓練中、他の生徒に大ケガ負わせたって話だし」
「…………へぇ」
「それで、あの掴み掛かっているほうが、問題児の一人」
短髪の男子生徒は見た目からして、おせじにも良い生徒のようには見えない。
喜美子の表情には嫌悪の念がありありと出ていた。
「まったく、お前みたいなハンパもんが、いい気になってんじゃねえよ。ロクになにもしていないくせに、同じ生徒として扱われるのは、一生徒の俺らとしては、心外ってもんだぜ」
胸ぐらを掴まれている男子生徒は余裕なのか、更に挑発を続ける。
彼の近くには男女合わせて生徒が四人。恐らく同じ班の人間だろう。
「んだとぉぉコラ!」
まだ拳を振り上げないにしろ――いよいよ一色触発の状態。
高まる緊張感と、だれも関わりたくないと言った表情を並べ、傍観に徹する者たち。
あるいは目を逸らし――それでも、しっかりと聞き耳を立てている諸々。
極めつけは、この先の劇的な悶着を期待しているように、笑っている生徒もいた。
見ていられない…………もとい、見るに見かねた真結良は、静かに歩き出す。
「ちょ、真結良ちゃん」
止めに入る喜美子の手は、真結良の肩にさしかかり、空を切る。
「真結良! 何する気!?」
静止しようとする京子の呼びかけにも応じず、
両の足は迷い無く、黙っている野次馬たちを押しのけ、
いざこざの中心地。トサカ頭の背後に立つ。
「――おい」
「あァ!? 今度はどいつだおい! まとめて相手に…………って、あれ? だれ?」
思いも寄らない人物の登場に、毒気を抜かれたトサカだったが、すぐに表情を硬くさせ、
「――もしかしてアンタも、コイツと同じように、俺に文句でもあるのか?」
「…………ああ。文句がある。でなかれば声などかけない」
思いも寄らぬ飛び入り参加。聞き耳は最高潮に達しようとしていた。周囲は素知らぬように見えるが、集中のあまり挙動が止まっていた。野次馬根性もここまで極まれば立派なモノである。
「なんだよ。言ってみろよ」
相手が女生徒であることに一瞬、気後れしたようだが認識を改め、眼前で仁王立ちする少女を敵と判断しかけていた。
「まずは、その手を離したらどうだ。私は暴力で訴える気は無い」
言葉に嘘偽りはなく、本当に手を出す気は無かった。
――もし相手が暴力を翳すのであれば、不本意ではあるが、こちらとて実力行使に出るのもやむなし、と内なる覚悟は秘めていた。
短髪は少しの間、考えたようで。
舌打ちをしつつ、掴んでいた胸ぐらを離し――素直に応じる。
……完全な馬鹿、と言うわけではなさそうだ。
しかし不意打ちの可能性もある。油断してはならない。
「――んで、アンタは俺をどうするつもりよ?」
「そうだな――どうしてこうなってしまったのかを…………おい。誰が帰れと言った」
「……ぅ」
胸ぐらを掴まれていた生徒は黙って立ち去ろうと、
踵を返していたところで、真結良に呼び止められた。
「勝手に当事者を抜けるんじゃない。……お前はこの男を怒らせるようなことを言ったのか?」
「べ、別に……何も言ってねぇよ」
「あぁ!? 何も言ってないなんてふざけたこと――」
彼女の細指が、短髪の眼前でピタリと止まり『黙っていろ』の合図。
「――で、どうなのだ?」
なるべく萎縮しないようプレッシャーをかけたつもりの真結良であったが、
雰囲気から醸し出される威圧は、十分な効力を持っていたようで。
男子生徒は追い込まれ、混乱状態にある被食者のように目が泳ぐ。
後ろにいた仲間のほうも、真結良とは目を合わせようとしなかった。
このままでは話が進まないと判断した男子生徒は乾いた唾を飲んで、
「…………問題児が、偉そうに歩いてたから、……それで、むかついて」
「この学校では、人にランクをつけて差別し、冷遇を推奨ような制度でもあるのか?」
男子生徒はそのまま黙り込んでしまった。
「授業を受けるために歩いていただけだというのに、この男は誰かにそれすらも許可を取らなければいけない道理があるとでも?」
「い、いや…………べつにねえけども」
「ルールが無いというのならば、お前がやっていることは、勝手な判断で、公然の場で他人を辱めているだけの低脳な行為において他ならないと思うぞ――別に理解しろとは言わない。ただ私は誰かを言葉で嘲るような、低俗な行為が気に入らないだけだ」
まくし立てられ、有無も言えなくなり、相手はただただ縮こまる。
「くだらない事で周りを騒がせた元凶を作ったのは、他ならないお前の方だ………………それで、何か言いたいことはあるか?」
今度は男子生徒が追い込まれる番だった。
周りの視線が次の一言に注目しているのが解った途端、渋い表情で真結良を睨め付け、
「てめえ…………覚えとけよ」
最後の最後に放った言葉は、典型的な負け犬の捨て台詞。
男子生徒と他のメンバーは逃げるようにその場から去って行った。
ようやく緊張が緩和され、周りの人間たちからの注目も薄らぐ。
「ったく、別にアンタに助けてもらわなくても、俺だったらあんなヘナチョコなんてぶっ飛ばしてやったのによ」
得意げにパンチを打ちながらステップを踏む短髪。
そんな彼を横目で見る真結良の目は、まだ険しく。
「別に助けた訳じゃ無い。どうして彼に暴力をふるったんだ?」
……しばしの沈黙。
やがて観念したトサカの少年は言い淀む。
「………………アイツが俺のことを馬鹿にしたからだよ。毎回毎回、会う度に問題児だのなんだのって難癖つけて来やがって、ふざけんなっつーの」
「だから暴力を振るったって言うのか。まったくどうしようも無いな。……ああいう輩は、煽られて反応するお前を楽しんでいるだけだ。反論すればするほど、相手の思うつぼだぞ? ますます『問題児』とかいう烙印が濃くなるだけじゃないのか?」
「――――ぅうむ」
「人が集まる場所で…………いや、そもそもどこであろうと騒ぎを起こすなどと言語道断。どんな理由があろうと暴力に訴えかけたお前の行為も考え物だ」
「む…………むぅ。で、でもよぉ…………」
「でももへったくれもあるか。もう少し頭をつかって行動しろ。一番手っ取り早い方法を安易に選択するんじゃ無い」
まだ反省の色が見えないトサカに対して、
真結良が更なる説教をしようとしたとき。
「ご、ごめんなさいぃぃ!」
まるで少年の身代わりとなって謝罪するように、
慌てて駆け寄ってくる三つ編みの女生徒。
息を切らせ、膝に両手を付いて呼吸を整える。
よほど全速力だったのか、両耳が赤くなるまで顔を赤くさせ、
バッと首を上げるや、開口一番。
「アラヤくん………………荒屋君がなにかしましたか!?」
眼鏡の奥で目を見開き、恐る恐る問うてきた。
「……えっと、少々トラブルがあった程度で――」
「――もう! だから一人で行かないで待ってて、ってそう言ったのに!」
「だってよ『委員長』……女子更衣室の前で待ってるわけにもいかなかったからよぉ……」
「言い訳は無しだよ!」ぴしゃりと切って捨てる。
『委員長』と呼ばれた彼女は、威圧感の無い剣幕で詰め寄る。
「いっつも、いーっつも喧嘩になっちゃうんだから。絵里ちゃんも那夏ちゃんも心配して探してたんだよ!」
「……ぅ。…………わるかったよ」
「おーい。二人ともー。いたよー!」
立ち呆ける真結良を余所に、委員長は誰かを呼んだ。
声に導かれてきたのは、更に二人の女生徒。
「那夏ちゃん、居なくなったの聞いて、すごく心配してたんだよ。また何かあったんじゃないかって」
「――わりい」
「…………よ、よかった。みつかって」
モジモジしながら目線を下げて言う、那夏と呼ばれた小柄な女の子。
女子の平均よりも身長は小さく、額を被うウェーブが掛かった長髪が肩の左右から降りていた。
真結良から見た第一印象は『小動物』のそれである。
「よかった……ね? 絵里ちゃん?」
隣を見上げる那夏。
対して彼女の背は、少し高め。中分けにした黒髪。気の強そうな細い眉に吊り目。
両手を腰に当てて、斜に構えていた。
「…………いや別に。アタシたちは、いざこざが起きた時点で荒屋が居ることはわかってたから、巻き込まれないように那夏と一緒にジュース飲んでたわ」
「え、急にジュースのみにいこう、っていったのって、それが理由だったの?」
「そうよ。だって同じ〝バカ〟とは思われたくないし――いっそのことやらかすだけやらかして、授業中止になれば良かったのに。アタシはそっちの方が楽で良かったのだけれど」
冗談か本気か、絵里はぼやきながら舌打ちをした。
「市ノ瀬、お前ほんっと。ひでえ女だな」
「毎度のトラブルを起こすのは、アンタの日頃の行いが悪いからでしょ……自業自得」
ぐうの音も出ないトサカ少年、荒屋は一人唸る。
「…………で、彼女はだれ? 見ない顔だけど?」
絵里はようやく認識したように、真結良を見た。
「荒屋君の仲裁に入ってくれたんだよ」
「――なにそれ。随分と物好きね」
棘のある言い方に、真結良は内心ひっかかるものがあったが、受け流した。
「本当にありがとうね。荒屋君って――ほら、すぐに怒鳴っちゃうから。いっつもあんな感じなんだよ」
「別に気にしなくていいさ。勝手にやったことだ」
「私、蔵風遙佳……彼らの班の、副班長をやってます」
「谷原真結良だ」
委員長改め、蔵風遙佳は副班長をやっているという――ということは、
彼女も『問題児』の一人だというのだろうか。
「俺は荒屋誠な!」
「別にアンタは聞いてないでしょ」
「彼女は市ノ瀬絵里ちゃん……で、その後ろに隠れちゃってるのが」
「あの、稲弓那夏……です」
恥ずかしいのか警戒しているのか。
顔半分を出して頭を下げる動作。やはり小動物である。
「…………タニハラ、…………貴女が士官学校を出た、一年生で准尉の階級もってるとかいう転校生?」
値踏みするような絵里の視線。
不快感を顔に出さぬよう、真結良は黙って頷くことで心根を隠す。
「成績優秀なんだってね。授業で一緒になるようなことがあったら、ぜひとも手を抜いて相手をして欲しいわ。アタシ達じゃ全然、相手にならないだろうから」
「……………………」
返答を待つこと無く手を振りつつ、絵里はその場を後にした。
那夏も追うようにして小走りで後ろに付いていった。
「あ、あははは……絵里ちゃんはいつもあんな感じだから、気にしないでね、別に悪気があっていってるわけじゃ無いから」
「別に…………大丈夫だよ」
少々の間を作ってしまい。真結良は嘘を自ら露呈してしまったことに、ばつの悪さを感じた。
遙佳は苦笑することで、彼女の心情を無言で受け取った。
「――それじゃあ、私たちもこれで。……お互い授業がんばろうね」
「じゃあな。准尉ちゃん」
騒がしい一団が去ったところで一息。
真結良はもと居た場所、京子たちのグループに戻った。