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――いつか、自分がやってきたことが、自らの身に帰ってくるのではないかと、
甲村寛人は試合を間近に控えたロッカールームで座りながら、
一人……心の中で、誰にも話せぬ恐れを抱いていた。
他人をいじめる行為……その性分が昔からあったのかと聞かれれば答えは否であり、
寛人自身、小学生まではいじめられる側にいた人種である。
単純に自分が背が低く、太っていたこともあって、身体的特徴を取り上げていじめの対象にされたのである。日を追うごとにエスカレートしてゆく暴言や暴力。それは当時の少年にとっては大きな心の傷となっていた。
中学に上がった頃には、背が高くなるにつれて、いじめられていた特徴は失われ、
気がつけば品行のよくない連中と付き合うようになり。気がつけば、今度は自分がいじめる側に回っていた。
その割に外面の良い寛人は、周囲の環境を読み取り、上手く立ち回ることによって、他の連中とは違って余計な非難を背負わないで済んでいた。現在もそのスタンスは変わることなく。パンドラクライシスが起こる前と同じ事を、この旧三鷹訓練所でもくり返していたのである。
単純に人を蔑むことで自分の優越感を満たす役割を持っているのと同時に――弱肉強食が色濃くなった現在。異形が現れようが現れまいが、影ながら当たり前のように存在していたこの摂理。他の生徒は知ってるのか見て見ぬ振りをしているのか、パンドラクライシス後の世界で、目に見えるほど、内界では暴力が公然化されていた。
……他人に舐められては自分が、またあの立場に戻るのではないかという恐れがあった。
自分が虐げられてきた側の人間であるからこそ、寛人は吾妻式弥に奇妙な共鳴を感じていた。同時に彼が苦しむ姿を過去の自分と投影して、眺めているような不思議な気分だった。
そして、ここ最近の彼は、確実に以前とは違う態度をとっていた。
刃向かうのとはまた違う――自分自身を変化させようとする気持ち。
悩み……考え、そして答えを求め、貫き通そうとする姿勢。
自分は変われなかったのに――アイツは、変わろうとしている。それが許せなかった。
そんな強さが、あの時の自分にもあったら……。
何度も考え、そしてその先へは踏み出せなかった。
今の自分は――そんな諦めの行き着いた先。決して変わることが出来ずに、惰性のままで変化しただけの結果。
……〝もしも〟吾妻式弥のような強さが自分にあれば、
きっと。今とは違った結果に。
彼とも違う形で関係性を持っていたのかもしれない。
まるで――自分の揺らいでいる心を見透かすように永井雅明は、無表情で顔を覗き込む。
「どうした、甲村?」
「いや、なんでもない」
「――指示、しっかり出してくれよ」
「わかってる。問題ない」
二人の座っている正面では小刻みに貧乏揺すりをする山田和夫がいた。
彼の頬には真新しい痣がついている。
「間宮……あいつ、来るんだよな……」
唇を噛みながら、殺意の籠もった目で虚空を見つめるその姿は、不気味な雰囲気を出していた。
「殺してやる。ぜってぇ。ぶっ殺してやる……」
間宮十河に殴られたことを根に持っているのか――少し方向性はずれているものの、やる気があることは良いことであると、寛人は思う。
先日――班長である寛人に無断で行動し、吾妻を利用して真結良を襲撃するつもりだった和夫の計画は見事に失敗した。その勝手な行動に対して、寛人は特に怒りはなかった。もし谷原真結良をどうにかしてくれたのであれば、それはそれで自分の憂さが晴れた気分になるのだから。
そもそも、和夫の単独行動ならまだしも、雅明が一緒になって、そんな頭の悪い計画を実行するとは。そちらのほうが意外だった。
「なあ甲村……俺はさ、自分で何かをすることが苦手でさ」
「どうした急に」
理由を求めていたのだが、雅明はその答えに意味はないといわんばかりに、自分の話を続けた。
「正直、俺は自分の人生ってよく解らない。パンドラクライシスが起こったからだとか、そういうのじゃなく。…………きっと異形が現れなくっても、俺は自分の人生がよく解らないままだったと思う」
雅明が自分の事を語るのは、たぶん初めてだったかもしれない。
興味も無かったし、彼の事をメンバーの一人程度しか捉えておらず、心許せる仲間だとは思ったことはなかったからだ。
「どんな人間になりたいだとかそういう願望がなくて、だから人生もすげえ不透明でさ。中学のころに将来について作文書かされたことあったけど――白紙で出したっけな」
彼が訓練所に来る前のいきさつなど、寛人にとっては至極どうでも良い話だった。
聞きたくないからといって去るわけにもいかず、仕方なく相槌めいた返事する。
「……こうやって班に入って、吾妻をボコるのだって、俺にとっては、どうでもいいんだよな正直」
「そのわりには、楽しそうにやってたじゃないか」
「楽しそうにやってるのと、心から楽しんでいるのとはまた違う。俺はそういった部分を分けてるからな。上手く立ち回ってるお前と同じ」
「……………………」
「つまらない毎日だから、お前の班に入っていれば何か楽しいことが見つかると思って、ソレで入ったのが理由」
「んで……お前の〝楽しい〟は満されたのか?」
「わからない。だから……甲村、お前には期待している」
「期待されても困るんだけどよ。俺が望みのものを与えられるとは到底思えない」
「口悪い女二人……安達原と小林だって、なんだかんだいってお前を信じている。信じているから今の今までちゃんと付いて来ている」
「………………」
考えたことがなかった。コイツらは好きにやりたいだけで、班なんてものは形式だけとしか捉えていないと思っていたからだ。
「甲村……お前、ここのところ行動が変じゃないか?」
「唐突になんだよ」
頭がズキリとする。自分の罪を抉られている気分になるからだ。
「……試合に施した細工とやら、それと関係しているのか?」
――お前には関係の無いことだろうが。余計なことを聞くんじゃない。
頭痛と思考を一緒にかき回して、寛人は黙って首だけを振った。
「異形の死骸を欲しがったり、試合に手を加えるとか言い出したり……最近では真夜中にどこかへ行っているというのを見たって噂が立ってたぞ」
…………細心の注意を払っていたはずだったのに、やはり見られていたか。
「こういうのも何だが、別にしつこく穿鑿したいわけじゃない。言いたくなければ、言わなくて良いさ。ただ……仲間として、心配になっただけだ」
「……………………」
「なあ、何があったんだ?」
「……………………」
寛人は何も言わなかった。
痛むこめかみを押さえながら、彼はうっすらと汗ばんだ額をさりげなく拭う仕草をする。
――――言うつもりは無い。コレが自分の懺悔をする最後のチャンスだったとしても、俺は話すつもりはない。仲間だ? ふざけるな。俺は仲間などと思ったことは一度としてない。
長い沈黙は拒絶の証だと受け取ったのか、小さく息を吸い込んで吐き出すように雅明は口を開いた。
「甲村――今回の試合でやった細工とやら、絶対に成功するんだよな?」
「………………ああ。俺らが絶対に勝てるようにしてある」
「俺は性格的に実際に目で見てみないことには信じられない質なのだが、面と向かってお前が言うのなら……少しは信じられるし。楽しめそうだ」




