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間宮十河によって取り付けられた約束の時刻よりも早く、
同施設内の練習場にて、トレーニングスーツを着て待つ式弥は、緊張に顔が強ばっていた。
問題児――間宮十河の悪評は、彼も耳にしていた。
入学して間もなく複数の一年生を相手に喧嘩をしたという前歴。
その喧嘩にもう一人、問題児の仲間が居たらしいが、詳しい話はしらなかった。
噂通りの『とんでもない人間』であることは、この目で確認済み。
稽古とかこつけて、もしかしたら殺されるかもしれない。
考えれば考えるほど、悪い予感しかしない。
本人が来る前に、この場から逃げ出してしまいたかった。
「………………準備は出来てるか?」
「は、い……」
逡巡している内に間宮十河、本人が現れてしまった。
トレーニングスーツをしっかり着込んで、鍛えてくれるはずなのに――殺意のようなものは感じられなかったものの――今から実戦でも始めようかという闘志に満ち満ちている。
返事ができなくて、ただ気迫に圧された式弥は頭をカクカクと上下に動かすだけ。
……近くでは誠とエリィが地べたに並んで座っている。
エリィは『雑魚キャラ』こと、吾妻式弥に対して深い関心があるわけでは無く。ただ十河の付き添いというだけ。
対して誠は、珍しく指導を買って出た十河がどんな手腕を見せてくれるのかが気になるも、それ以上に興味があったのは、吾妻式弥がどこまで戦えるのだろうかという部分。
二人は特にはやし立てることなく黙って見守っていた。
「で……吾妻。お前はどこまでやれるの?」
「えっと、授業で習った程度で、それ以上は……」
自信もなにもあったものじゃない。戦闘経験は授業でやらされているレベル。実戦なんか考えたこともない。
参考にならない説明に、嫌そうな顔をすることもせず、
黙って十河は訓練用の武器を持ち寄り、地面に揃えて置いた。
どれでもいいから選べと促されるも、式弥は授業で使用した剣以外の武器は持ったことがなく、選べと言われても、選択は一つしか無いと腹の底で決めていた。
「…………じゃあ、これで」
迷い無く、授業で使われるスタンダードな剣を手に取る。
剣には身体の大きさに合わせて多少のサイズが分けられてあったのだが、式弥は一番短いものを選んだ。その短さは自分の余裕の無さと、自らを卑下した気持ちがそのまま剣の短さに表れているようだった。
「口で全部説明してもしょうがないから、まずは好きに打ってこい。…………別にオレは反撃もしないし、攻撃もしない」
式弥はぎこちない動作から、遠慮がちに剣を振り下ろした。
振り出しは遅く。切っ先の軌道も驚くほど低速。
黙って立ったまま。十河は受け止めるもなく、その場で立ち尽くす。
空を切っただけの剣は彼に当たらず、地面にぶつかり跳ねた。
「………………」
「……………………」
「…………おい」
「は、はい!?」
「どうして、体を避けて攻撃してきた?」
「あの、当たったら痛いから……って」
「当てないとお前が攻撃されるんだぞ。何のためのトレーニングスーツだ。実際の練習試合なら間髪入れず袋だたきにされてるところだぞ…………ハァ。埒があかないからルール変更だ」
「え?」
「またお前が遠慮した攻撃をやってきたら、…………オレは本気でお前に一発食らわせる」
「そ、そんな……」
「お前がやる気ないなら、オレはそうせざるを得ないってことだ。……そもそもお前がオレに稽古付けて欲しいって頼んだんだろ? だったら最低限、誠意を示して見せろ。オレに動いて欲しくないなら、オレをどうにかするくらい血相変えて、本気で打って来いよ」
頭の中の天秤が、悩むまでもなく片方の皿を深く沈めた。
「う――やああ」
叫びなのか気合いなのか判別の付かない裏声をあげて、式弥は闇雲につっこんだ。
体を狙って振り下ろされる剣を、十河は真っ向から受け止める。
衝突した軽い金属音。先ほどの『遠慮』とは違う『攻撃』と呼べる確かな動作だった。
「……ああやって、十河も普通に人と接する事ができるんだな」
少し意外そうに傍観する誠。
必死になって剣を振り続ける式弥。一撃一撃を簡単に受け止める十河。簡単そうにやっているが、相手の剣の軌道を先読みして剣で受け止めるのは、攻撃を避けるよりも難しい。
おぼつかない式弥の動きと、機械のように正確なステップを踏む十河。外から見てると実力差は足運びにおいて顕著に表れていた。
「なんか、自転車の乗り方教える『おとーさん』みたいな光景だな」
「…………お父さんじゃと? なんじゃ? 自転車は父親しか教えられないのか?」
「いや、そういうわけじゃねえけど、例え話だよ」
「じゃあ、自転車は母親でもいいのか?」
「――まあ良いんじゃねえの?」
「前に、お前から聞いた話の続きじゃが……」
「む?」
「自転車乗るには『免許』が必要だと言っておったよな?」
「………………あー、アレねー。あれですかぁ。……ほんと記憶力いいなお前。そこだけはマジ感心ですわ」
「ということはマコト。……お前は免許もっておるのか?」
確かにそんなこと言ったような言ってないような。
いがみ合う仲ではあるものの、普通に会話もしている。
その中で教えた〝嘘〟は、どうやらまだ、ミニ子の頭の中で最新の情報として更新されていないらしい。いつか本当の事を教えるつもりだったが、ずっとそのままにして忘れていた。別に重要な話だったわけじゃなかったわけですし……。
「――お、オレは自転車準二級だぜ?」
「なッ!? じゅ、準二級じゃとぉぉおお!? ………………はて? ソレはすごいのか?」
「おうよ。初段から始まって、十級から上がっていって、準二級まで四年かかっちまったぜ」
「お、おまえ本当は凄いヤツなのか?」
本当の事を言おうとして、ついからかってしまった。コイツの顔はからかいがいのある顔してるもんなぁ。……さて、どうやって嘘でしたとネタばらしして解決したものか。
「じゃあ、マユランも免許もってないんじゃな」
「…………ふうん、真結良ちゃんも免許もってな、い? ……え? あの子乗れないの?」
「だって、練習するのは良いけど、免許無いと乗れんのじゃろ?」
「――――やべ、すげえ意外……真結良ちゃん自転車乗れねぇのかよ」
思わぬ所で、彼女の知らない一面を知った誠。
笑っちゃいけないと抑えつつも、あそこまで運動神経があるのに自転車に乗れないそのギャップが彼の腹を笑わそうと裏側から擽ってくる。
「どこで免許はもらえるのじゃ?」
「あれはな、一部の場所でしか発行されてねえんだよ。偶然にもオレはそこに住んでいて、無事に取得することができたわけだ」
――実のところ、自転車免許という物は一部の地域限定であるが本当に存在していた。
東京の行政事情が崩壊した今ではそんなものは発行されなくなってしまったが。嘘の中に信実を織り交ぜると本当のように聞こえる。しかも嘘だと打ち明けるときも記憶が曖昧でまちがっていたと訂正すれば、多少は許してもらえると見積もっていた。……ちなみに準二級などというものは存在しない。たったいま思いついた嘘だった。どうせ調べようがないんだ。バレるはずがない。
「……い、今は異形だのなんだのって大忙しだから、……免許なくても乗れるんじゃあねえかなぁ。怒られることはないんじゃねえかなぁ。他の連中だって無免許で乗ってることだし」
「ふうん。そんなもんなのか……なんじゃ、免許いらんのかあ」
ようやく真偽をうやむやにした上で、ちゃんと納得させることが出来たらしい。また取っ組み合いになるのはご免だ。心の冷や汗を拭い、誠は肺に溜まった空気を焦りと共に吐き出した。
…………全く関係のない会話を広げている二人が見る先では、
「振りが遅い。本気でやってるのか?」
「軸がぶれている。足の運びが遅れてるぞ」
「筋力だけで振り回そうとするな、もっと体全体を使って動かせ」
「タダ振ってるだけじゃダメだ。もっと相手の動きの先を読め!」
熱のこもった十河が檄を飛ばし続ける。
散々、打ち据えるも、一撃として十河の体に剣を届かせることは出来ず、
――途中の休憩を挟んだとき、肩で息をする式弥に十河が声をかけた。
「お前、随分と剣の間合い以上に入ってくるな? ……何でそんなに差を詰めてくるんだ?」
「わ、わからないですけど、……なんかそっちの方がしっくり来るんです。変なクセみたいのがあって、これのせいで授業ではいっつも失敗ばかりしてて」
――普通。腰が引けた消極的な人間は、むしろ相手と距離を置きたがるものだ。
性格と行動がちぐはぐな式弥を見ながら、
「…………お前、もしかして単純に武器が合ってないだけじゃないのか?」
十河もただ剣を受けていただけではなく、しっかりと観察をして式弥を分析していた。
「で、でもボク……他の武器なんて使ったこと無くて」
「見ている限り、筋力は確かにないが、そのくせあれだけ打ち込んでおいて一回も剣を落とさなかった。…………握力だけはあるな」
十河は地面に置いている武器の中から、二本の短剣を手に取り式弥に持たせた。
「コレだったら剣よりも疲労が軽減されるだろうし、さっきみたいに入り込んでくるような間合いに丁度良い長さだと思うぞ」
「……軽い、ですね」
思ったままを口にしながら。二、三回腕を振るって感触を確かめる。剣とは違って重さや扱う握力はかなり減る。
「わかりませんが、これでやってみたいです」
始めたときの消極さはなく、自らやる気を出して望む姿勢に、十河は何も言わずに従う。
――練習が再開され、
手に収まっている感触を確かめるように、何度も柄を握りながら式弥は走り出す。
「てやああああ!」
気合いの声も様になってきていて、ただ動きの方はまだぎこちない。
たかが、付け焼き刃の練習だけで大きな変化が現れるとは思っていない。
必要なのはプレーヤーの一人として参加する自覚だけあればいい。
武器の重さが軽くなったぶん、攻撃の速度は格段に速く。
そして、十河の見立てどおり、剣の間合いでミスマッチしていた式弥の攻撃は、打ち付ける力は軽くとも、武器を変えただけで先ほどよりもずっと良い動作に補正されている。
「く、うぉおお! ハァッ! てやぁ!」
「……………………」
目に見えて動きと流れが良くなってきている。
それは、自分の体が武器に馴染んでいる証拠であり、
上がってくるテンポに、十河も刃を受け続けることが難しくなってきた。
いよいよ回避も織り交ぜて、なんとかやり過ごす。
空振りするとよろける式弥であったが、空振りの回数が増えるごとに、体勢を持ち直すコツを掴んできたようで、補正されてゆく動きに応じて攻撃の速度が上がってゆく。
更に受け流した十河が、一度距離を置こうとして、
「ッ!」
間髪入れず式弥の攻撃が迫り、剣で受ける選択を捨てて回避に撤した。
空を切った式弥はよろめくことなく。
「――フ、ぅ!」
――――――ぐん、と。
急に式弥が足のバネをもって、十河の移動しようとするスピードを大きく上回って接近したのだった。
流石の十河も、予想だにしていなかった動きに泡を食う。
「――チっ!!」
「ぎゃ!」
観戦していた二人は「あー」と口々に非難めいた声をだした。
「トウガが手を出したのじゃー」
「攻撃しないとか言っておいて、顔面に強打一発かよ……いま見ました奥さん?」
「そりゃあもう、バッチリじゃよ奥さん。我がトウガを好きなことには変わらんが、嘘つきは泥棒の始まりじゃよ」
短剣を落として顔を押さえ悶絶する式弥。自分の事みたいに誠の顔がくしゃり顔になる。
「ちが、……わないが、今のは――」
反射的に手を出してしまったのだ。
今の踏み込みは自分の懐に入り込まれたからであり、
決して油断していたわけではないが、もしあの動きの先に、
ちゃんとした一撃を繰り出されていたら、何もできず確実に体で受けていただろう。
「――うぅ」
地面に突っ伏す式弥に、
「…………すまん、大丈夫、か?」
最初の約束を守らなかった自分に落ち度がある十河は素直に心配した。
「――――ひ、酷いです」
「実戦だったらそんなの当たり前だ! やられないと思っているお前が悪い」……と理不尽な態度を取るわけにもいかず、黙って頭をかいた。
――いまの動きには目を見張るものがあったのは確か。
思いもよらぬ動きを見せつけられた十河は、
ますます、吾妻式弥の持つポテンシャルが解らなくなっていった。




