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…………スタートの合図が掛かった途端。
二人は地面を蹴り上げて一斉に走り出す。
ここまできて、相手の動きに合わせようとするなど愚の骨頂。お互いがお互いのダメージを把握しているからこそ、一秒でも速く仕掛け、攻め落とすが得策と――動きに加えて思考すらも契合していた。
絵里と真結良は大股で詰め寄り、剣を振るう。
――ぶつかり弾ける、オレンジの火花。
真結良の力を、全身を使って流す絵里。
相手の思うようにはさせまいと、真結良は足を使って回り込み、再度仕掛ける。
切り伏せようとする縦の流れに、絵里は横に避けるものの、真結良はそれを許さず、手首を捻り斬撃を方向転換させた。まるで意志を持っているかのような刃の動きは軌道を変えて相手を追う。
目視しながら絵里は頭が痺れるほどの高速で思考し続けた。二度目の回避は不能と判断。次の行動はカウンターと選択。
剣の重量が相乗した重い一撃を完全に迎え入れる事はできず、真結良の剣が体に接触。
自分の体にダメージがないことが解ると、奪われたポイントを奪い返す気迫を、そのまま剣に乗せた反撃行動を起こす。
「はぁあああッ!」
首を貫かんばかりの強烈な突きを前にして。真結良もまた即座に反応し芯をずらす。十センチにも満たない回避動作。刃は頬を掠めるに留まった。
――両者相打ちでポイントが一つずつ、減算する。
全速力の疾走を何度も続けているのと同じくらい、体力を失っているはずなのに。
キレの衰えない攻撃と、一瞬の隙をも見逃さんと発している集中力が観戦席まで届き、思わず席に座っている者たちから声が上がる。
剣を打ち付け合う音。少しでも不審な動きがあれば、すぐにでも攻撃を繰り出して牽制し合う。
空を切り、肉体に迫る――刃と刃。
防ぐ……衝突。吐き出す息……気合いの声。
痛む悲鳴を押し殺し、剣戟をたたき合う。高く響く。
乱れる髪の毛の合間を切り分けて耳に吹き付ける圧力。次の攻撃を予測しつつも、それ以上に自らの動作が、相手よりも一歩先を征かんと、前へ駆り出させる。
掻き立てられるように前へ……前へ。
体をぶつけながら、絵里と真結良の戦いは白熱していった。
「は、ぁ……くぅぅ」
――なんて女。馬鹿力もさることながら、それ以上に馬鹿みたいな体力。さっきまで息を切らせてたはずなのに、まだこんなにも!
長期戦を予測していなかった絵里は、正に誤算の渦に飲み込まれていた。予定調和にあったはずの自分の流れは、すでに第一ラウンドで置き去りになった。第二ラウンドを敗北することによって、一気に自分に傾いていた勝利の囁きが口を噤んで押し黙った。
正確に体を突こうとすると、相手も正確さをもってコレを相殺してくる。あるいはパワーを持って打ち据え軌道をそらしてくる。剣に剣を当てることは、並大抵の集中力じゃ難しいものだ。集中力……あるいは何千、何万と打ち合ってきた練習の蓄積が、無意識の動作としてそうさせているのか。
体力で負けているなど端から承知している。技術で攻めるもなかなかどうして肉体に辿り着かない。もどかしさだけが蓄積されてゆく。
この状況をどうにかして崩さねば、アタシに勝利は無い。
――ポイントの残りは二対三……アタシがあと三回当てるだけで、勝てる。
二回奪われることを考えるな。残りを奪うことだけに神経を回せ。
利き手の腕は筋力が悲鳴を上げて、燃え上がるように熱くなっていた。
それでも動かさねば、勝機はないと気迫の一閃。
――手首のスナップ、腕関節のしなりを重ね合わせて作り出す高速。
「………………取ったッ!!」
思わず歓喜が声に出る。
谷原の剣は逆の手にある状況……がら空きだ。
タイミング共々、ココまで条件が揃えば凌げまい!
首を刎ね落さんとする軌道を遮るものはなにもない。
ポイントを全損させずとも、また意識を刈り取れればこちらにもッ!
――――が、
「ぐ! つぅぅぅッ!」
剣は谷原真結良へと確かに到達した。……だがそれは絵里が望んでいた首には辿り着かず。
あろう事か、彼女は自らの腕を盾にして決定打を防いだのだ。
実戦ならば、骨ごと裁ち切り、首へと至るもの。
ここに来てスーツが仇となるとは…………なんて、しぶとい女。
それでも、点差は詰めた。
――これで。……次の二撃で仕留める!
「ァアアアアアアッ」
絵里は剣を両手で握りしめ高々と振り上げた。
考えること……ソレこそがアタシの武器。
この一打が当たるとは思っていない――当てる気は無かった。
右か左か、
剣で防ぎにかかるか、
後退して仕切り直すか。
仮に反撃をしてきたとしても、アタシのポイントは残り二つ。
致命でなければ甘んじて受け止める。
そして……間髪入れずに、二回の殴打を食らわしてやるわよ。
小回りの利く武器の差はどうやっても埋められない。
さあ――……全部合わせてやる。来てみなさい!
アンタも行き詰まっているはず。
どの選択肢を取ろうとも、この先はアタシが勝つようにできてんのよ。
――真結良の体力は、限界に近づいていた。
「………………」
酷く、スローモーションに見える。
盾として使った左腕……指先に力が入らない。左腕はもう捨てだ。
右手の剣は――嗚呼。まだ使える……。まだ、勝てるチャンスがあるんだ。
体内の血流と同じくらい、思考が脳内で駆け巡る。
自分はどうすればいいか、その行動。
多くを考えられない。酸欠でどうにかなってしまいそうだ。
喉が、肺が……焼けついている中。
ほんの一瞬、荒屋誠と交わした――会話を、思い出す。
作戦、ってほどのもんじゃないんだけどよ。
…………本当の戦いのように戦うっていってるが、
そりゃあでっけー間違いってもんだ。
たぶん、市ノ瀬は訓練のシステムを自分の計算にいれちゃあいねえよ。
点差がギリギリに、追い詰められれば追い詰められるほど市ノ瀬は、
きっと相手を殺しに掛かる。実戦さながらな。
アイツはオレ達と同じで、確実に仕留める方法を選ぶ。そんな戦い方しか知らねぇ。
ある意味――優等生すぎるんだ。
だから同じ土俵でやったら負けるぜ? 実戦だったら向こうの方が上だ。
だったら意表をつかなくちゃ。つまり言いたいのはだな。
剣を剣で受け止めようと思うなってこと。
体で防いでも骨なんか折れやしねえんだ。
――どうせ、痛いだけだろ?
実戦と訓練の大きな違いはそこだよ。真結良ちゃん。
突きでも払いでもなく。
もし、市ノ瀬が剣を振り上げたら、覚悟を決めて前へ進め。
…………そこに勝機があるかもしれねえぜ?
「……………………ヒュ」
たった一呼吸することすらできない、時間の中で。
真結良は――足が千切れそうになるほどの全力疾走を行った。
剣を振り上げたその一瞬に活路はある。
この瞬間――真結良は思い出したのではなく、
無意識に『コレが正解』であると、
背中を後押しされるなにかによって、踏み出したのだ。
「な、ぁ!?」
自身に満ちていた絵里の顔色が、大きく豹変した。
低い。上半身が地面につきそうなほどの低さをもって迫ってくる。
「やぁぁぁぁああああああッ!」
「こ――んのぉ!」
なんて女。こんなギリギリの状況で前に出てくるなんて……。
どうする。突きか――はたまた切りか。
絵里に迫られる選択の刹那。
切っ先は天にある。振り上げていた状態から腕を畳み、突きに転ずることは不可能。
このまま全力で刃を振り落とし、背中か頭に当てたとて、
彼女の勢いを殺す事はできない。確実に押し負けるッ。
――――この瞬間、
真結良が『士官学校のエリート』という名ばかりの人間では無いのと同じように、
絵里も『訓練所の首席』である名は、形式だけの飾りでは無いことを知らしめる。
下がるか、躱すか。なんでもいい。一端……また体勢を立て直して…………。
「………………チッ!」
――ふざけるな。あと二ポイント奪うだけなのよ!
――アタシはこの女に、一歩も退きたくないッ!
驚くほど研ぎ澄まされる思考の回転。本能的が危険を知らせるものの、その身は反して不動。動けないのではない――『来るなら、たたき伏せろ』と――衝動と自尊心がストッパーとなって、彼女の体を食い止めたのだ。
思考を越えた無意識が、最善と信ずる一手を引きずり出す。
…………もう考えるな! 動けぇ!
絵里は剣を手でクルリと回し、逆手に持ち替え――振り上げていた切っ先を真下に――奇を突いた行動を前にしてもなお、あくまでも『突き』をもって、
……真っ向から真結良をねじ伏せに掛かったのだ。
「墜ちっ――ろぉ!」
斜めから入り込み、背中へと突き刺さる剣。
馬鹿な女。そんなに接近したら、もうアンタの剣じゃまともな攻撃が出来ないでしょうに!
所詮は無策なやぶれかぶれ。このまま…………地面へと磔にしてやる!
「ぅッ」
全体重をかけての突き下ろし。
真結良の背中に、骨が砕けるかというほどの衝撃が加わる。
痛い。本当にいたい。ココまで痛いのは訓練中に高所から落下したとき以来。
あの時は失敗で済んだが。……今回の痛みは勝つか負けるかの痛みだ。
痛いからなんだ。そんなもの――関係ない。
後は強いか弱いかの勝負。技術も計略も――この場では無意味ッ!
体が、地面に吸い寄せられる。
――私は、勝ちたい……彼女に負けたくないッ!
――なんとしてでも、ぜったいに押し切ってやる!
ここから先は意地と度胸。痛みを打ち払い、一歩を踏み出す。
本物の真剣ならば、体を貫いていただろう。
地面に突き刺さった剣によって、
この体は鋲を打たれたように。一歩も進めなくなっていただろう。
だが……彼女の一撃は、体を貫通しない。
これは訓練。限りなく実戦に近い訓練。
――でも、完全なリアルじゃない。
「゛う、……ぉおおオオオ!!」
苦悶と奮起が入り交じった声。噛みしめた口から吠え上げる。
絵里の剣が……一気に持ち上がる。
痛みを乗り越え出すことのできた、その一歩は、
真結良が望んでいた攻撃範囲への侵入を意味し、
ゼロ距離の――懐に入り込んだ彼女は、
叫びながら拳を付きだした。
腹に食い込んだ渾身の一撃が鳩尾を抉った。
「い、ヒュ――ぁ、ぐッ!」
せり上がる内臓。強制的に肺から空気が飛び出る。
体術での攻撃は――ポイントにならない。
痛みで体の動かない絵里の視線は、真結良の拳に注がれる。
「…………!?」
真結良の手には――自らの剣が、確かに握られていた。
刀身は彼女の脇からすり抜け、彼女もまた剣を逆手に持ち替えていて、
柄の先端を絵里に向けていたのだった。
まさか――柄当て!?
「やったぜ真結良ちゃん!」
飛んで喜ぶ誠の声。
――荒屋の入れ知恵か。小癪な真似を。
筋力に任せた正拳突きは、絵里の意識を大きく揺さぶった。
まだ、アタシもコイツも――ポイントは残ってる。
残り――お互いに一ポイントずつ。
つまり、どちらかが、あと一手を打つだけで、勝敗が決まる。
真結良は体力の限界なのか、がっくりと首を落とし髪が垂れ下がっている。
次への動きに転じる様子はない。
「うぅぅ、ゴホッ…………なめ――」
呼吸ができない。体が冷たい。パニックを起こして硬直している。
暗くなってくる視界に意識までも遠くなってゆく中、
絵里もまた、自らの意地を見せた。
動けなくなった真結良に――自分の剣の両端を握りしめ。
「――――んなッ!」
白い項めがけ、ギロチンのように、
その刃を首に向かって振り下ろした。




