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絵里と那夏。彼女たちのグループは冷静な空気が形成されていた。
「絵里ちゃん……タオル」
「ん。ありがと」
圧倒的な勝利を収めた絵里は、剣を杖代わりに突き立て、余裕の表情。
玉座に座る勝者のように、真結良を観察していた。
谷原真結良は項垂れたまま、こちらから見ても荒い呼吸をくり返す。
隠すように誠が背中をこちらに向けているが、かなりのダメージを与えている。
この手に残っている感触が、確信を持たせていた。
――フン。いい気味だ。調子に乗ってるから、ああなるのよ。
彼女が細身の剣を選んだのは、通常のサイズよりも小さく軽量。自分のように非力でも多くの筋力を使うことなく、素速い斬撃を行えるから。
刃を体に当てれば良いのだ。そのためにどうして重い剣など選ぶ必要があろうか。
利点を生かした武器選び――――それ以外にも、理由があった。
トレーニングスーツは傷は付かないが『痛み』は確かに与えられる。
通常の剣による叩くような線の斬りよりも、
刺突による貫く点のほうが、
より一層、相手に痛みを与えることが出来るのを絵里は知っていた。
だから、確実に一撃を加えるときは、渾身の刺突と決めていた。
散々煽っていたのにも理由がある。冷静な判断を欠かせ、感情的に攻めてくるように仕向けることが本当の狙い。
まんまと罠にはまった真結良の苦痛の表情が忘れられない。
柄に乗せた両手で隠した口元。嗤いが浮かんで止まらない。
……………………。
…………。
「谷原をなんとしても潰してくれないか?」
試合前、間宮十河はそんな話を持ちかけていた。
「へえ。あんたが頼み事なんて珍しいわね」
たぶん、班で一緒になって――初めてのお願いだと思う。
どうしてそこまで谷原真結良を嫌い遠ざけることに固執しているのか。本人が自覚しているのかどうかは知らないが、彼にしてはずいぶんと拘っている。
「トレーニングスーツ越しに与えられるダメージは擬似的な痛覚で作用するのは知っているだろ?」
「ええ。わかってるわ……知っている人間は少ないかもしれないけど、実は物理的ダメージは一切加わっていない。一切合切の接触が出来ないってことよね」
――そう。あらゆる攻撃を無効にするスーツであるのならば、
実戦に投入されて然るべきもの。
それが成されない理由は一つだけ。
スーツは物理的なダメージを無力化するのではなく、磁石が反発するように、スーツの効果を発揮している者同士では触れられないようになっているのだ。ゆえに互いに干渉できず、所持している武器や刻印の能力までも、肉体に接触できない。衝撃や痛覚を擬似的に作用させて、あたかも攻撃が当たっているかのような錯覚を起こさせているだけ。
スーツに力を供給する魔術的なフィールドと、フィールド内であれば常に魔術の効力が発動していられるスーツの特性さえあれば、例えどんな屈強な人間であれ、傷を負わすことができないのだ。
「どれだけやっても怪我しないのなら、徹底的に痛みを与えてやればいい。所詮は外界で訓練してきただけの人間。拷問の訓練をしているのでもあるまいし、どんな優秀であろうとも絶え間ない痛みに耐えられるはずがない」
「――あんた、自分がどれだけ悪どいこと言ってるか自覚してる?」
「別に……」
「ふうん。それであの子をへこませるには、アタシはなにをすればいいわけ?」
「武器の選択を自由にさせる」
一年生がスタンダードな剣のみで授業を受けさせているのにも理由がある。剣は武器の基本であり、突きや斬り防御に至るまで、基本的な動作が集約され、癖なく扱いやすい武器なのだ。実際に異界へ行くサイファーになっても、生還率の高さが随一で、多くの生徒が愛用する近接武器が剣か刀である。
――訓練を行うにあたって、比較的ダメージが少ないため、戦いと痛みに慣れていない一年生に義務づけられているのも、大きな理由の一つであった。
「アタシは構わないけど……どうしてそこまでするわけ? アタシに言わなくたって、直接やればいいことなんじゃないの?」
「オレが表立って谷原を陥れようとすれば、エリィがごねるからな」
「ねえ。いつも疑問に思っていたのだけれども」
「……?」
「あんたとエリィ・オルタってどんな関係なわけ? 同じ区の出身だってことは聞いてきいているけど、なんでそんなに彼女の意向に従っているの?」
「……………………」
「よく好き放題させてるし、たまに学校抜け出すって言ってるけど、そんな面倒なこと、アンタが率先してやるわけないわよね。……それってエリィ・オルタが一方的に望んでるからでしょ? あの子ってあんたよりも強いワケでも無いし、あんたよりも突出して優れているようには見えない。どうして彼女の肩を持つのよ」
「………………別に従っているわけじゃない。肩をもってる訳でもない」
「なのに、彼女の意見を尊重すると?」
「…………………………単なる興味か?」
「そういうわけじゃないわよ」
「逆に聞くが、市ノ瀬と稲弓が一緒にいる理由はなんだ? どこをどう見てもアンバランスに見える……気の弱い彼女が他の生徒に絡まれないのは、アンタが裏で手を引いているからなのは知っている。どうして稲弓を助け続けるんだ? 同じ区の出身だからか?」
思わぬ彼の返しに、今度は絵里が黙る番だった。
無言は即ち、語りたくないという意志の現れ。
「同じ班のメンバーってだけだろ……オレの過去に干渉するなよな」
――その点においては、彼の意見に大賛成だ。仲間だから班だからと言うだけであらゆる自分をさらけ出さなきゃならないなんて、考えただけでおぞましい。
不意に――脳裏に自分の過去がほんの少しだけ滲み出た。
白色の地肌に亀裂が入って、真っ黒で粘着質のヘドロが表面に現れた気分。
…………くるしい。吐き気がする。
「おいどうした。顔が青いぞ?」
「は、話はなかったことにしてちょうだい。アタシが軽率すぎた……悪かったわね」
「エリィには、絶対同じ事は聞くなよ」
額の汗を拭って、自分を落ち着ける。
「うん。わかってる。…………いいわ。さっきの話。利害は一緒。……全面的に乗るわよ。ただし、アタシが勝ったらコレは一つ貸しよ」
「……………………わかったよ」
――市ノ瀬絵里から〝借り〟一つ。まるで悪魔と命の取引をしたような気分になった。
後にどんなハイリスクを背負わされるのかと脳裏をよぎったが、
勝ってくれるのであれば、ひとまずは良い取引であったと、
十河は自分に言い聞かせるのであった。
…………。
……………………。
顧みるだけの余裕と、まだまだ体力面において十分な余力がある。
慣れ親しんでいる武器というわけではないが、扱えないわけじゃない。
不安があるとすれば――少々上手くいきすぎているといったところか。
「……………………」
思考に集中するあまり、微動だにせず絵里は黙って視線を宙に浮かせ続けていた。
計画がままならないよりかはマシ、と考えた方がいい。
上手くいっているなら――一過性にさせず。最後まで維持させたまま突っ走ってやるわ。
「絵里ちゃん、だいじょうぶ?」
「ええ。問題ないわ」
――むしろ最高。とは言えない本心がそこにはあった。
公然と誰にもはばかれることなく、あの世間知らずに一泡吹かせることが出来るのだから。
もっと、もっと痛い思いをしてもらおう。
公式ではないため、ギャラリーは少ないが、大いに無力を痛感し、恥をさらせば良い。
……まだまだこれからだ。
精神的にも、肉体的にも――ズタズタにしてあげるわ。




