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「…………なーなー、どれが良いと思う。トウガ?」
そう――少女は問うた。
口調こそ軽いが、言葉の中には安直な返答を許さない真剣さを忍ばせていた。
細身小柄な体型に、真っ白な肌。そしてそれら負けないほど透明度のある銀髪。
一見しなくとも、視界の端に捉えでもすれば誰もが注視してしまうような外見をもつ少女は、望まぬとも、ごく自然に周囲から視線を集めていた。
そんな注目を少女は歯牙にもかけず、しゃがみこんだ状態で、
色とりどりのドーナツが並んだショーケースに鼻がくっつきそうなほど顔を近づけていた。
全盛期とはちがって、品揃えは少なく、商品が棚置かれているストックは半分以下。
それでも菓子類などの嗜好品が販売されているのは、地区が潤っている証明とも言えた。
甘い香りが立ちこめる店内。はたから見れば可愛らしい少女の仕草に、店員は営業スマイルで事のなりゆきを見守っている。
トウガと呼ばれた少年は、煩わしそうな気持ちを隠そうともせず、
「……………………別に、なんだっていいじゃないか。ドーナツはドーナツだろ」
深い意味を含まず。それとなく吐いた言葉に。
少女はさっと立ち上がり。頭一つぶん高い間宮十河を見上げた。
睨んだ双眸は、吸い込まれそうなほど澱みの無い、ピンク色がかった薄紅藤。
「んの、ダアホめ! 世の中とは常に選択しなければいけない分かれ道で溢れているのだ! 多択であるがゆえに、生き物は悩み、そして答えを信じて進むモノなのだ! そうでなきゃいかんのだ! だぁのにお前というやつは目の前にもたらされた甘美なチョイスを、何でも良い。適当でーなんて、ふやけたオールドファッションみたいな物言いで済ませて良いのか!? いんにゃ、断じて良くない! 我はゴールデンチョコレート、カスタード、ダブルチョコレートが食べたいのじゃ! もんくあっか!?」
「ハァ……オレに聞かなくとも、勝手にエキサイティングして、自己解決しているじゃないか。食いたいならそれにすれば良いじゃないかよ」
「おお。確かにな。さすがトウガだ!」
「いいから、――さっさと済ませてくれ、エリィ……」
間宮十河、エリィ・オルタの二人は、
第十七区の三鷹駅南口。そこから目と鼻の先にある商店街にいた。
彼らは訓練所の生徒であり、制服を着ていたが、
二人を気にする者はだれもいない。
――ただ、気に止めないようなそぶりをしているだけで、
実際、盗み見る視線は、確かな好奇を含んでいた。
二人はそれらを敏感に感じ取っていたが、無視を決め込む。
「……売り切れを恐れておったから、開店前に並んでおいて正解だったな!」
「――――取り憑かれたように並んでたのはオレらだけだったがな。大安売りじゃあるまいし。……ドア開ける時の店員の顔見たか? 何コイツらって顔してたぞ」
「ふっ、ドーナツの『ド』の字も情熱を知らぬ、アマチュアだったということじゃよ」
「……あっそ」
「フフン、フンフン、フン…………やけに人が多いの」
「普段、こんな時間帯になんて来ないからな」
鼻歌交じりに楽しそうなエリィを傍ら、
返事をしはするものの、心はここにあらずの十河。
――人が多い。
…………人口の密度は即ち、安全性の象徴であり、
少なくとも内界において十七区はそれらが確保されている証明でもあった。
街の機能は多少衰えようとも、かつてそこにあった雰囲気や活気は残っている。
内界にある物資のみで、自給自足の生活は難しく、
毎日、外界から物資が運び込まれることにより、人々は命を繋ぎとめていた。物資供給の多くは安定した日常が維持されている――人が密集する地域や繁華街に集中し、人口の多さが、単純に安全の基準として目算することが出来る今日、
三鷹駅周辺も――その恩恵を得ていたのだった。
朝から駅周辺をふらついていた状態の二人。
十河はそろそろ訓練所へと戻らねばいけないのではと危ぶんでいた。
一方、エリィはどこ吹く風で、自分の欲望のまま、やりたいことを全うしていた。
「ムフー。美味いな。美味いな」
歩きながら、齧歯類の如くモグモグと。
顔面崩壊までとは言わないが、悦に浸り溶けきった表情で、
エリィはドーナツを口に運んでいる。
眉をハの字に寄せたままの十河は、ドーナツが入った袋を抱え、
彼女の小さな足運びに、黙って歩調を合わせる。
「…………なぜ、そんな食べづらそうなモノばかり選んだんだよ」
ドーナツに付着している砂糖の粒が、
彼女が制服へ、地面へとぽろぽろ落ちるのを見て、堪らず言った。
「チッチッチ。わかっていないよなトウガ。うまいものというのは得てして食べづらいモノなのだ。それらを超克してこそ、至福の美味が得られるのじゃよ」
「そういうものなのか?」
そういうものなのだ! と威勢良く言い切り、少女はふんぞり返った。
「むふー。ポロポロモフモフ……ポロモフマジヤバだの」
「そろそろ学校に戻らないと、まずいんじゃないか……?」
十河が懸念していたのは、本来いなければならない訓練所――しかも今は授業のただ中――を抜け出し、あまつさえ繁華街で買い食いをしている事実を指している。
校則違反……それも一つや二つの数では済まない行為を、現在進行形で実行中。
現在よりも、少し先の未来が大いに危ぶまれている状況下。
もし、この事実を隠し通せれば、
致命的な校則違反のいくつかは、無かった事として扱われるだろう。
――つまり、帰るなら早ければ早いほうが良い。
隠蔽が可能なリミットが幾許も無いことを、十河は確信と同時に懸念していた。
「なあに、気にするな。我は食いたいときに食らうまでよ。そして、授業を受けなくてはいけないときにサボって、菓子を食うこの背徳感! たまらんのー。たまらんのー。疚しさ加わり美味さが二倍増しだ! ……ま、我は罪悪感など砂糖の一粒ほども感じてないのじゃがな。クハハ」
「………………」
――これぞ、馬の耳に念仏だ。
ただただ沈黙。呆れてものが言えないわけではなく。
どんなに理論や、まっとうな意見を持って諭したとしても、
それを上回る理不尽きわまりない暴虐が返ってくることを十河は知っていた。
ゆえに、この場合の馬は馬でも、文字通りの〝じゃじゃ馬〟であるエリィ・オルタの欲望をさっさと満たすことが一番堅実であり、楽な方法である。
それに、彼女が外へ出たいという申し出を真っ向から否定しなかったのは、
自分自身も外へ出て息抜きをしたかったという――彼女を介しての、隠れた不正心があったからにおいて他ならない。
帯刀すら許されていない、ただの一年訓練兵が授業をおそろかにするなど、普通では考えられないことであろうとも、だ。
「なんだ。もう帰りたいのか? ホームシックか?」
口の周りに砂糖をびっしりこびりつかせながら、エリィは問う。
馬は餌を食べ、そろそろ満足したころかと見立てつつ。
「別にそういうわけじゃないが、エリィ。昼前の授業って班で、戦闘訓練じゃなかったか?」
「………………そうだっけ?」
「おい。最初に聞いたぞ。なのにお前は『大丈夫だ』の一点張りだったじゃないか。さっさと用件を済ませて帰れば良いって。そうすれば間に合うって」
揺さぶるなら根元から。
相手の落ち度を指摘しつつ、
否定も考える暇も許すことなく、
間髪入れず一方的にまくし立てる。
確かに言ったような気もするが、そうでも無いような…………エリィはそんな呟きを、自分自身へと唱えかけるようにすること数秒。
「これは由々しき事態だぞ。オレ達だけならともかく、仲間にも迷惑がかかってしまう。……万が一にも連帯責任にでもなったらどうなると思う?」
「む、ムムムムッ!」
説得するためのハッタリとはいえ、実際にそうなってしまう可能性があるから、始末が悪い。
現実味を与えつつ、最悪な結果を提示し、危機感を煽らせ、
思考を鈍足にさせ、隙を見て背中に跨がり、
あとは好きな方向を指示し、加速するだけ。
言い出したら頑なだが――一度、御するきっかけさえ作ることが出来れば、こっちのもの。
「簡単な事だ。いますぐにでも学校へ帰るぞ。今だったら間に合うかもしれない……このままじゃあマズいだろ?」
「うん…………まずい! エリに殺される! ハルカとナナツに迷惑をかけてしまうではないか……残りの二人は知らん。勝手に困れ」
「おい。オレも困ってる一人だぞ。オレを頭数に入れろ」
「トウガは我と同罪だ。だって一緒にここにいるんだからのぉ」
そういってエリィは駿馬のように走り出す。
「さっさと来いトウガ! 風のようにダッシュだ!」
マジかよと、ひたすら大きなため息を飲み込み、
思惑通りに手綱を握ることに成功した十河は、
まだ残るドーナツの紙袋の口を閉じ、
すでに小さく見えるほど遠ざかっていた少女の背中を追いかけた。