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――旧三鷹訓練所の警備は厳重だ。
二十四時間体勢で外部からの侵入を阻むためのセキュリティを設けているのだが、
あくまで外部からの出入りに関しての警備。
一部の軍事施設は内部にも強固な警備体制を敷いている。
対して、同じ訓練所でも寮を含んだ学生用のエリアは手薄な作り。
監視カメラを設置している台数が少ないのは、『管理されている』という精神的ストレスを軽減させるためという意味合いもあった。これら配慮は逆に言うと、内部を熟知していれば監視の対象から外れて行動することが出来るという欠点が如実に表れる。
元々、旧三鷹訓練所は軍事施設などではなく、都内のどこにでもあったような市街地の一角を切り取って訓練所として取り扱っているに過ぎなかった。
よって突貫的な部分は幾つも存在し、普通の生徒が考えないであろう悪知恵を働かせれば、自ずと監視の死角や訓練所外へ出ることが安易な、構造上の盲点が見えてくる。
――今宵もまた、一人の生徒が厳罰覚悟で夜の街へ繰り出した。
彼にとって、少し前まではこんな危ない橋を渡るような行為を良しとしなかったであろう。
だが――今夜はそれだけの価値があると信じていた。
着ているものは、制服などでは無く、
闇夜に溶け込めるよう、全身を黒の服で統一していた。
まるで彼の行為を後押しするかのように、昼間から続いている曇天が夜空に広がっていて、以前のような月明かりも無く。星の光すらない街はいつもより暗がりを広げているように見えた。
悠然と闊歩する余裕はなく、なるべく早く事を済ませようという気持ちが、駆け足となって行動に表れている。
ルームメイトはすでに床についているはずであるが、無駄な時間を過ごしていて自分が不在であった事実を知られてしまう事は、なるべく避けたい。今日の行動を知られなければそれで良いのだ。誰にも認知されなければ――明日は誰も知らぬ大きな成果と、誰もが目にする変わらぬ朝を迎えられるのだ。
訓練所からさほど離れていない一角にある倉庫は、以前と変わらず人の気配もなく、どんよりとしていて雑草は伸び放題。劣化した鉄階段は塗装がめくれ上がって錆色を覗かせていた。
鎖の外された門扉をくぐり。彼は中へと入る。
埃臭い。がらんどうの空間には一人の男がすでに佇む。
「やあ、こんばんは。最後に会った日から、それほど時間は経っていないだろうが、オレはこの瞬間を待ちわびていたよ……おや? ずいぶんと息を切らしているね」
例の男の声。余裕の笑みを浮かべているのだろうが、こちらからは目視できない。ただぼんやりとした、形ある影にしか過ぎない。
「早速だが、例のモノは持ってきてくれたかな?」
彼は躊躇いがちに、紙袋に入れていたものを取り出した。
――それはコーヒー缶より一回り小さい〝棘〟だった。
先端はそれほど鋭利では無いものの、頑強で貝殻のようにざらつきのある質感。
叩いて音を確かめたことがあったが、空洞ではないのに驚くほど軽い。
投げてよこすように言われて、もしかしたらそのまま持ち逃げされるのでは無いかと勘繰ったが、ここまで来たら相手に従うしかなかった。
ゆるやかな孤を描いて飛ばした刺を、男は難なくキャッチする。
「そうそう。これだよ! これが欲しかったんだ! 別に君の事を信じていないわけでは無いのだけれども、検めさせてもらうよ。…………フム。異形の中でも〝名のある者〟ではないにしろ、それなりの年月を生きた存在だろうね」
何故、そんな事が解るのだろうか。そもそも『名のある者』など聞いた事がない。
――この男の素性がますます解らなくなってきたところで、
「ほら。これが約束のモノだ」
あまりにもあっけなく、男はこちらに向かって投げてよこした。
よろけながらも受け取ったは、手のひらの収まるほどの、小さなガラス玉だった。
こんな玩具……ふざけているのかと、喉元まで出かかった不満は男の二の次に放たれた説明によって腹の底まで叩き戻される。
「それには、ちょっとした魔術が組み込まれていてね。オレのお手製だ……効果は一度きりだがなかなか面白い事ができる。君が望んだ力。君の力を数倍に膨れあがらせることが出来る力だ……固有刻印を使う際にどうしても必要なのは魔力なのだが、実は魔力を使うには自分の体内に一度、大気に充満した魔力を取り込む必要があることは知っているね?」
授業で習ったことがある。固有刻印は魔力を消費するのだが、
空間にある魔力は直接使用する事ができないのだとか。
「異界だったらほとんど不自由なく魔力が使えるのだが――人間にとって魔力は毒では無いにしろ〝あからさまな異物〟なんだよ。あってもなくても良い存在。ソレを体の中に取り込むのだけど、実はこの取り込む容量には限界があってね。キャパシティには個人差がある。……もちろん魔力を糧にして生きている異形と比べたら人間の容量など微々たるものだけどね」
闇夜に移るシルエット。細指の一本がこちらを指した。
「そのガラス玉はそんな脆弱を補う。キャパシティを増やす道具だ。魔力をあらかじめ吸わせておけば自分の魔力として上乗せされて扱うことが出来る。――つまりは魔力の携行タンクだ。人類の技術じゃ魔力を携帯できる量は大して多くない。オレが作った魔道具には遠く及ばない」
――そんなに凄いモノなのか。自分には手のひらサイズのビー玉にしか見えない。
「使うときはそれなりに苦しいと思うけど――ま、取引までしても願い請う。とても強い願望だ。……二次的な効果は君にとって瑣末。注釈程度の野暮な話だ。君はそんなリスクなど容易く飲み込んでしまうのだろう?」
あたりまえだ。ここまで苦労したのだ。今更引き返せないし、多少のリスクなど承知の覚悟だ。
「――――コレで、アイツを。…………タニハラを」
一人になって、不適にほくそ笑む。
闇夜よりも色濃い感情が、心の中で蠢いていた。




