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<3>-7

 彼らが校舎の角を曲がって、居なくなるまで見届けると。


「ふう――」


 ようやく真結良は緊張を和らげた。気持ちと共に首の刻印もフェードアウトしてゆく。

 ――ブラフ(はったり)もここまでできれば及第点か。最初から刻印なんて使う気は無い。もし彼らが逆上して刃向かって来ようものなら、どうなっていたことやら……。

 素手で格闘する技術は多少心得ているが、女子だけならまだしも、男子三人を一度に相手にできる自信はない。能力によってはそこらの銃器よりも強力な刻印は目に見えない凶器と同じだ。使えるからといって自己判断のもとに使用する事は固く禁じられている。

 刻印は戦う能力であるが――決して人間に使うような力ではないのだから。


「大丈夫か?」


「………………」


 真結良が差し伸べた手を無視する形で、自分で立ち上がる式弥。


「まだ痛むか? 痛むなら保健室に――」


「……ボクのことは、……ほ、ほっといてください」


 式弥は体に付いた土を払いながら真結良に言った。


「――また、奴らに暴力を振るわれるかもしれないのに?」


 ――言葉できない。ただ表情が曇る。

 口にしない代わり、首を縦に振ることで質問にイエスと答えた。


「…………あ、あのまま黙って居れば、すぐに終わったはずだったんだ。あいつら――いつか仕返しに来る。そしたら今以上にやられる。だから放っておいてくださいよ」


「じゃあ誰かに相談をして解決を――」


「解決なんてできやしない。あいつらはいつだって、気に入らないことがあったらボクに対して暴力をふるってくる。弱いんだから従うしか無いじゃないか。それが一番苦しくない方法なんですよ」


 (いん)()くさい思考回路に真結良は少しだけムッとなる。


「それじゃあ、なにも変わらないじゃないか」


 強気に出た態度に、式弥も少し不快感をあらわにしたようで、

 分厚い眼鏡の奥で、(まぶた)を細めた。


「あなた士官学校のエリートなんですよね? 刻印も使えるし。さぞかしボクみたいな能無しとは違うんでしょうね。いじめとは無関係なところに立っていられるんだから」


 卑屈に卑屈を重ねたような言い方……。

 何故か、皮肉めいた発言に怒りは湧いてこなかった。

 そのまま彼の言い分に返答をかえすわけでも無く、

 真結良はいきなり身震いをさせて、体をさすった。


「うう。ここは少し冷えるな……」


「…………へ?」


 いきなり予想の外側から入ってきた発言に、少しだけ思考が停止する式弥。


「……あ、私が冷やしたのか。場所を移動しないか?」


 まるで彼の停止時間の隙間へ滑り込むかのように、真結良は歩き出して、


「ほら。ずっとココにいるつもりか? いくぞ!」


 振り返り様、親指で来た道を指し示す。反論を許さない強引な態度。

 目線を合わせず、式弥は地面を見たまま小さく頷いた。

 ――式弥にはまだ、彼女の行動にわからない部分があった。

 だから少しだけ話をしても良いと思ったのだ。

 彼は盗み見るように一瞬だけ、視線を真結良に流す。

 綺麗な顔立ち。寒さのせいか、少しだけ顔が赤みを帯びていた。




 谷原真結良と吾妻式弥は――お互いに思う感情を抱きつつ、

 校舎裏から出て、近くにあったベンチに座った。


「ここもさほど、温度は変わらんな」


 どんよりとした曇り空の下。

 長い時間にわたって日の光を浴びていないベンチは、湿気が含まれた座り心地。

 隣同士とは言えない、相席同然の――一人分の距離をあけて、式弥は真結良の横に座る。

 その距離感は、彼女に対しての警戒や、自分に踏み込ませたくない心の遠さを表しているように見えた。

 特に反応を示すでもなく。式弥はじっと岩のように体を動かさない。


「それで……どうしてあんな目にあっていたのだ?」


 式弥はどう答えたら良いのか悩む。

『異形の死体をさがしていたけど、見つからなかったので暴力を振るわれていました』――口が裂けても言えるはずが無い。しかも、それが原因で懲罰房に入っていたなど、知られたらきっと幻滅されてしまう。懲罰房でボクの隣に入っていた顔の知らない人も、ボクの事を『どうしようもない馬鹿』だと言っていたが、実際そのとおりである。彼らのために、なんでボクがこんなに苦労しなくてはならないのか。


「ちょっと……いろいろと、あって」


 その含みに、拒絶とは別の……秘密のような物があったような気がした真結良は、それ以上に踏み込むことはしなかった。


「君は彼らの班に属しているとか?」


「……いえ。一人です」


「関係も無いのに暴力を? …………あ、すまん。言い方が悪かったな。そもそも班の仲間だろうがなんだろうが暴力など論外であるが、彼らがあれほどまでに君に暴力を振るう理由がわからなくて」


「ボクが。よ、弱いからじゃないですかね。抵抗できないのを知っているから」


「普段から、あんな仕打ちを?」


 まるで告げ口のようであった。

 もし、この人が甲村達に自分が話した事を言ったりなんかしたら……。


「――ああ、別に誰かにいうつもりはないぞ? 好奇心からでもない。心配だからだ」


 心を読み取る能力でもあるのだろうか。

 ただ――『心配だから』

 そんな言葉をかけてくれたのは初めてだった。

 頑なだった式弥の口が、自然と軽くなってゆく。


「よく、やられます」


「ひどいな」


 自分の事のように悲しむ表情。

 たとえ、言葉だけの同情であったとしても、心に()みる。

 両膝に乗せた手を力なく握りしめた式弥は小さな声で言う。


「弱いから、いじめられるし……よわいから、こうやって誰の班にも入れてはくれない」


 自分が全て悪いのだと、いまだ痛むのか腹をさすりつつ()()する式弥の表情には、どこか諦めに似た自虐的な笑いを浮かべていた。


「……だから甘んじて、君は彼らの横暴を受け入れると、そう言いたいのか」


「誰がす、好きこのんで、こんなの――」


「じゃあ嫌なんだな?」


 落としていた視線を真結良に向けると、真剣な表情の中にはどこか凄みのある――オーラのようなものが式弥の目には見えた気がした。

 自然と、首が動いていた。嫌だと。もうあんな思いはしたくないと。

 当たり前の問いだ。誰だって辛いのは嫌なのだ。


「じゃあ、いまのままで居てはだめだぞ」


 言葉で言うのならば簡単だ。

 ダメだというのは解っている、自分だってこの環境を取り除きたい。

 それでも――現実的な問題として、自分ではどうしようもできない。自分の事なのに。

 何度も考えた。結果……『我慢する』という答えに辿り着く。



「じゃあ、どうすれば――いいんですか。ボクは谷原さんのように強くないし」


「吾妻……強いか弱いかだけで、自分を判断してはいけない……そんなものは、いくらでも変えられるし、変化するものだ……大切なのは、どうにかして現状を変えようとする強さなんじゃないか?」


 その場に留まっていてはダメなのだと。一生懸命になって考えた答えを、簡単に否定されて酷く惨めな気分になる。

 他人事のように言わず、常に真剣な――熱を持った言葉が心に響く。


「そんな――な、のに」


「ん?」


「…………でも、なんでですか」


「なんで、とは?」


「谷原さんも、あいつらに絡まれているって」


「あぁ。なに――大した事じゃないさ。ちょっとした因縁と私の状況が重なって、彼らに不快感を与えてしまったのだろうさ」


 ますますわからない様子で式弥は眼鏡を直しつつ、前髪を掻いた。


「怖くは……ないんですか。谷原さんだって、ボクを助けたせいで、甲村達に同じ目に遭わされるかもしれないのに」


「私はああいう理不尽な事は断固として抵抗するぞ。人を(おとしい)れて平然とせせら笑う連中は大嫌いだからな」



 ――やはりな。谷原さんはボクとは根本的に違う。抵抗しようとする心がある。抵抗できるだけの強さもある。やはり、ボクなんかじゃどうしようもないじゃないか。



「私の班も、周りから嫌われているのは知っているか?」


「えっと、あの問題児(ノービス)の……あ! す、すいません」


 自分の所属している班を『問題児(ノービス)』と言われたら不快に思うだろう。

 あくまで『問題児(ノービス)』とは他の生徒達によって付けられた呼び名なのだから。


「気にしなくて良いさ。実際、彼らは問題児だからな……私はまだ入ったばかりだが、あの連中とどうやって接していこうか、悩むに悩んでいる状況だよ。私にとっては甲村から嫌がらせを受けるよりも、こっちのほうが遥かに問題だ」


「――――そんなに。凄いのに。た、谷原さんは、どうして、ノービ(問題)――彼らの班に入ったんですか?」


 誰しもが疑問に思っている事。しかし本人に直接、面と向かって聞いたのは吾妻式弥が初めてだった。問題児と呼ばれている彼らが――異界からの帰還者であるディセンバーズチルドレンだということは、秘密にしなければならない。真結良は少し考えて。


「君と同じ、色々とあってな……。でも彼らの班に入ることが、自分を変える為の第一歩だと信じたから、あの班を選んだんだ」


 嘘をつきたくなかったし、本当も言えない。

 結果的に式弥と同じ、オブラートに包んだ回答。


「色々あった時に思ったんだ。私は弱いんだって」


「……………………そんなウソ、なんでつくんですか」


「嘘なんかじゃないさ。私は弱い……いざというときに大切な人も助けられなかったし、私が強ければ――彼女は」


 話していると…………彼女の笑顔が記憶から蘇る。



 ――――小岩京子。

 先の校内に現れた異形の事件で犠牲になった生徒の一人。

 この訓練所に来て初めてできた友達。



 彼女が生きていればきっと今よりも大切な親友になれた。心の中で棘が刺さる。


「私は弱い。学校で起こった事件だって、何もできなかった。……君の言う〝強い〟というものが私にあったら、きっと助けられた命があった」


「それって、小岩さんの、……ことですか?」


 (いささ)か不謹慎かと思いながらも、式弥は踏み込んだ質問を投げかけた。

 言い当てられたことに一瞬だけ驚くが、

 すぐに心を突かれた真結良の顔は曇り、自分のつま先をじっと見つめた。


「ご、ごめんなさい。……事件のあと、噂には聞いてました。谷原さんは小岩さんの班に居たって……実はボク、今の谷原さんみたいに――小岩さんにも助けてもらったことがあったんです。班の人たちとは面識ありませんけど」


「そう――なのか?」


 吾妻式弥が、小岩京子と接点があった事実に、真結良はまたもや目を丸くした。


「はい。別の生徒にからかわれてて、そこへ小岩さんが来て追い払ってくれたんです」


 その場に居なくとも、京子の行動が目に浮かんできそうだ。


「今でも、小岩さんには感謝してます。…………ほんとうに、残念です」


 私と出会う前の彼女は、何一つ変わらない生き方をしていたようだ。


「ボクはいつだってそうなんです。誰かに助けてもらってばかりで、何一つ自分じゃできない。…………ボクなんかじゃ強くなんかなれない。刻印も使えないし」


「一年だから使えなくて当然だろう。他の一年生だってまだ使えない人間が多いと聞くぞ」


「谷原さんは、そうやって恵まれているから余裕があるんですよ。勉強だって刻印だって使えるから」


「――そうか。君にはそうやって見えるのか」


 思わぬ繋がりに、ますます吾妻式弥をどうにかして助けてあげられたらと思う。

 曇り空を眺めながら、ゆったりと流れゆく曇天に……真結良は昔を(かえり)みる。



「筆記はそれなり。体力テスト……最下位」


「?」


「それが士官学校に入学したとき得た最初の成績だ」


 信じられないといった表情で式弥は、

 彼女が一杯食わせようとしているのではないかと不審がる。


「嘘では無いぞ? ギリギリの合格――らしい」


「でも谷原さんは士官学校を卒業したって」


「ああ。威張るつもりはないが、最終成績は体力も学科も共に上位だった。その点においては胸を張って言える……それだけ、努力をしたのだからな。決して初めから才能などは持っていなかったんだ」


 揺らすつま先から、視線を式弥へと向ける。

 どこか微笑みとも悲しみともとれない表情に、式弥は無言で空を見た。


「――必死になって努力したよ。欠点を補おうと懸命になって走り込んで体力を付けた時期もあった。知ってるか? 本気で毎日走り込んでいると、足の付け根が限界を超えて、意志とは関係無しに階段をまともに登れなくなるほど、足が上がらなくなるんだ。……たとえの一つとして挙げてみたが、ようするに私は努力を信じている……必ず結果になるという保証はできないが、確実に結果へと辿り着く可能性を増やしてくれる。もしあの時ちゃんと走り込んでいなかったら、きっと後悔していたと思う。もっとやっておけば――とな」


 真結良は不意に立ち上がって式弥の前に立ち、彼の手を取る。

 先ほどの冷気とは真逆で、彼女の手は驚くほど熱を帯びていた。

 女の子に手を握られ、今度は式弥の顔が熱を持つ。


「君は、彼らの暴虐にも耐えられるだけの心がある。逃げられないからといって受け入れられた気持ちがあるなら、…………自分をもっと信じて、行動してみるべきだ。後悔しないように、進むべきだ」


「でも、一人じゃ……」


 (きざ)しのようなものが見えたものの、やはり一人ではやれることに限界がある。

 否定的な意志と共に、式弥は振り払うように彼女の手を離す。


「…………ならば班に入れば良いんじゃないか? 私と同じように。…………うん。そうだ。それがいい。我ながらいいアイディアだ。しっかりとした班に入って、仲間を作るんだ。そうすればきっと奴らも手を出してこないさ。どうだろうか?」


「ボクなんかを、必要としてくれる人なんていない、……ですよ」


 今にも消えてしまいそうになる式弥。

 その姿に、どことなく友達を必要としていなかった自分が重なる。


「そんなもの、やってみなくちゃわからないさ。最初から決めつけるよりも、行動してみないか。私と一緒に君の居場所を見つけよう。……近々、代表戦があるのを知っているだろう?」


「えぇ……」


「一年生だけでも結構な数がいるはず。きっとまだ班のメンバーを集めている人間や、君と同じように仲間を求めている人間がいるはずだ。コレは大きなチャンスだ。班を探すとなれば今しかないぞ」


「でも――」


「でももへったくれもない。ネガティブな〝もしも〟なんて言い出したらキリが無いんだ。まずは行動だ吾妻式弥。さあ、立て!」


 再び手を取り、彼の手を力強く引いて無理矢理に立ち上がらせる。

 こうして、真結良は――吾妻式弥の班探しを開始したのだった。


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