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いつの間にか寝てしまったこともあって、
真結良の朝は太陽が昇る前に始まった。
日頃から行っている自主トレーニングを済ませ、シャワーを浴び、制服に腕を通す。
あらかじめ持ち込んでいた食べ物で軽い朝食を済ませ、一息ついた。
「………………」
改めて見渡してみると、何もない部屋だと思った。
テレビもパソコンもない。近代的な道具は携帯電話の端末だけ。
インターネットの回線規制があるのと同様、
電話も例外から漏れることなく、外部への連絡は出来ない。
電話帳も必要な人間が数件入っているだけ。
馴染みの感覚で電話できる人間は、一件も登録されていなかった。
――友人をつくれ。
昨日、岩見大尉が言っていた言葉が、頭の中で反芻された。
本人を前にして言うことは出来なかったが、必要の無いことだと思う。
別に学生気分を堪能したいわけではない。
私は一日でも早く、サイファーになりたいだけ。
その足がかりに友人が必要かと問われれば、断じて否である。
「………………ハァ」
漏れた溜息は、岩見大尉の言葉に困惑していたからだ。
『任務』として友人を作れと言われていたら、私は全力で行動していただろう。
――――だが、プライベートとしてならば……やはり必要性を感じない気がする。
予定の時間よりも少し早く、
真結良は寮を出て目的の場所へと向かった。
寮から校舎までは少し距離があり、
どれほど時間が掛かるか解らないこともあっての早出であった。
約束されていた集合時間は、本来の授業開始よりも少し遅い。
――恐らく、相手の一年生の都合もあってのことだろう。
登校時間から外れた道のりには、人の気配が皆無だった。
現時刻から、逆算すると一般生徒は授業中といったところか。
単純な道のりであったため、難なく校舎に到着。
昇降口までの階段を登りきったところで、
――扉の前に、一人の女性が立っていたのが見えた。
相手がこちらの存在を確認すると、薄い笑みを作り、軽い会釈。
「…………おはよーです。貴女が谷原さん?」
しっかりとした――という印象づけられる涼やかな声。
パーマが掛かった黒のミディアムボブが、妙に大人っぽさを感じさせる。
――同じ制服を着ているところから、さほど年齢は変わらないのだろうが。
「はい。今日からお世話になります」
「よかったぁ。……外界から来る人がいるって言うものだから、どんな怖い人が来るのかなぁって心配していたんですよー」
両手を合わせ、途端に涼やか――という印象から一変。
年相応のあどけなさが現れて、破顔する。
「はじめまして。一年生の小岩京子でーす」
伸ばした二本指で敬礼のポーズを取った。
当たり前であるが、この敬礼はちゃんとしたものではない。
軽いノリと、喋り方はやはり同年代の女子によく見られるそれである。
少しだけ気後れ。僅かに間を開けた上で、自分のペースに持ち直し、
「谷原真結良です。よろしくおねがいします」
――岩見大尉が言っていた〝案内人〟とは、彼女のことか。
同期と知り、少しだけ緊張の度合いが緩む。
それでも無表情であったのは、感情を表立って出さない彼女の性格がゆえ。
「これから学校で会うこともあるだろうし、同じ一年生だし、仲良くしようねぇ」
仲良くしよう――か。
友好的な人物で助かったところもあったが……。
相手に悟られぬよう、真結良は京子の腰へと視線を落とす。
腰には革のベルト。
彩色も装飾も無い無骨な柄と鍔。臑近くまである鞘。……刀である。
学生服に刀。ミスマッチも甚だしく、
物騒すぎるそれは、ごく自然と腰に収まりながらも、強い存在を放っていた。
一見、隙がありそうな女生徒だが、
帯刀を許されている時点で、実力は確かにある事が察せられた。
「……………………」
観察することに集中しすぎるあまり、無言になってしまった真結良に、
「どうしたの? 表情が硬いね。同じ学年同士なんだし緊張しないでよー」
「いや、特に緊張してるということは無いのだけれども……」
自分の表情など鏡を見なければわからないのだが。
面と向かって言われると、やはりそうであったのかもしれない。
刀を持つということの意味を理解していれば、自ずと表情も硬くなってしまうというものだ。
「……ここはサイファーになるための場所って感じだろうけど、同時に学校なんだから〝楽しい〟を優先にした方が良いよぉ……ちょっと余計なお世話だったかな?」
「いや。参考になるよ。順応できるよう、心がけて行こうと思う」
「うんうん。それじゃ。いこっか……………………ああっと」
くるりと背を向けて歩きだそうとする京子は、
思い出したように再度振り返り、正面に立った。
慌てて足を止めた真結良。
一歩後ろへ下がり、少し近い距離感を正す。
「何事も最初が肝心っていうから、とりあえず形式だけでも…………」
「…………?」
そう言って、京子は背筋を正し、
人が変わったように目つき凛々しく。先とは違う正式の敬礼を示す。
「第十七区・旧三鷹訓練所へようこそ。谷原真結良准尉。貴女の入学を心から歓迎します」
言い知れぬ様々な思いが胸によぎりつつ、
真結良は条件反射のまま、敬礼を返していた。