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問題児へのメンバー加入を成し遂げた――翌日。
真結良は上の空で学科授業を受けていた。
サイファーになるための訓練所と言っても、同時に年齢ともに扱いは高校生だ。戦術知識を学ぶ以外に、一般的な高校で習う科目も授業の内容に含まれている。
……思えばほんの何キロか先で異形がいるというのに、
こんな所で数学の授業を行っている。非常に不思議な感覚だ。
異形を抑え込むためにある、全九枚の壁のうち、
早くも四枚が打ち破られ――残りは五枚。
最前線である『第五層結界壁』は……『第六層人工防壁』と連動した二重構造になっている。
単純な引き算になるが、五枚の防壁があって一枚は二重。
すると、人類が進攻を――断じて許してはならないのだが――許せるのが、この訓練所があるエリアも含めて三つの土地までだ。
この三つの土地にはいまだ、人が住んでいる。
―― 一つでも落とせば、それこそ想像を絶する桁の人間が死ぬだろう。
十枚目の壁を作っているという噂も囁かれていたが、私が外界にいた頃は――そんな気配は微塵も感じられなかった。
どうなってしまうのかは――――神のみぞ知る、である。
そして、この先をどうするのかは、他ならぬ人間だ……。
自分はなんとかして、世界を救いたかった。
グラウンド・ゼロに到達できる方法は限られている。
時間は限られている。
いつまでなのかは、誰もわからない。
壁の限界は今日かもしれないし、明日かもしれない。あるいは十年後かもしれない。
――ただ、解っていることは、この一時的な安定は無限ではない。
確実な刻限が定められた有限であり、もたもたとしている余裕は無い。
もし、この第十七区も陥落したら……、
一度だけ、本物の異形に出遭っている真結良だからこそ、
その危機感は、他人よりも一層強いものであった。
――――こつん。
後頭部に何かが当たったことで、真結良は現実へと引き戻された。
投擲方向へ視線を向けてみれば、
席に座っていたのはニヤニヤ笑う男女合わせた生徒のひとかたまり。
「………………………………」
視線を戻してしばらくすると、
――――こつん。
また後頭部に直撃。
何かと、頭に付いている投擲物をつまんでみれば、
――消しゴムだった。
ご丁寧に、刃物で綺麗な正方形刻まれていた。
…………始まったか。
周りの人間は加勢していないようであるが、
私に投げつけられているのは知っているようだ。
余計なトラブルには関わりたくないと、
見て見ぬ振りをしているのだろう。
暇な事をするものだと、心の中で溜息を吐く。
投げつけてくるものには限界がある。消しゴムがなくなるか。その前に授業が終わるか。
そのどちらかである。
終了のチャイムが鳴ると、散々受けていた投擲はピタリと止まり、
彼女の黒髪には、無数の消しゴムが埋まっていた。
――嫌がらせを受けることは、大方の予想が付いていた。
私が『問題児』の班に入ることを、周囲の人間が認めるはずがないからである。
認めないだけではなく、良く思わない生徒もいるだろう。
結果として悪評を生み、根も葉もない噂が飛び交い、
最終的には物理的な嫌がらせに発展するだろうと予測していた。
「ちょっと、谷……ま、真結良……ちゃん?」
「ああ、蔵風、どうした?」
「ちょっときて」
「……え?」
「いいから!」
消しゴムの一件を傍目から見ていた遙佳は、
すぐに真結良を連れてトイレに駆け込んでいた。
彼女が連れてきたトイレは、学科エリアの中心部から少し離れていて、
普段は、あまり人の来ない場所だった。
「――あの、別にこんな事しなくても、手櫛で梳かせば取れると思うのだが」
「だーめ。ほんと酷いことするもんだよね。大事な髪の毛にこんなことするなんて……身だしなみはちゃんとしておかないとだよ」
黒髪にブラシを入れながら、遙佳は痛みを与えぬよう、丁寧に消しゴムを取り除いてゆく。
「うわぁ。真結良ちゃんの髪、すごい綺麗だねぇ。ぜんぜんブラシが引っかからない」
「……そうか?」
「そうだよ。すごく柔らかいし、艶もあるし。どんなお手入れしてるの?」
「普通にシャンプー程度しか心当たりがないのだけれども――」
「ええ!? そうなのぉ!? いいなぁ。うらやましいなぁ」
「……………………」
今までそんな事いわれたことがなかった真結良は、すこし気恥ずかしさを感じた。
「私なんか、結構なくせっ毛で大変なんだよ。雨の日は更に酷くなるし、梅雨の時なんて最悪だよ。前髪どうしようもなくなったらピン留めか編むかするんだけど……この三つ編みだって時間掛かるし。洗った後のドライヤーとか、ちょっと油断したら翌朝おかしなことになっちゃうし――」
「あ、うん。……なるほど…………ん、っと、そう……なのか?」
早口で力説してくれているのだけれども、
世間一般、同年代が抱えている髪の問題などに興味は無く。
――遙佳のように手入れなんぞ気にしたことないから、よくわからない。
洗面台のガラス越しに、遙佳の髪を見る。
彼女が「酷い」と言うほど私には、悪くは見えなかった。
綺麗に整えられた三つ編みが両肩から二本下がる。眼鏡も掛けていることから班の人間が――といっても荒屋誠のみであるが――『委員長』と呼ぶのも頷ける。
結い方も左右対象……正確に結ばれていた。それは彼女の真面目な性格を表象しているようにも見えた。
艶のある黒髪は、さぞしっかりとした手入れが成されているのだろう。
一髪二姿三器量――身だしなみが整っていようとも、髪の毛が整っていなければ女性は美しく見えないという。
………………これをきっかけに、少しだけ髪を気にしてみようかな?
「はい、おわり!」
地面に散らばった消しゴムも一つ残らず拾い、ゴミ箱に捨てる。
――何から何まで、しっかりとした生徒だ。
「真結良ちゃん髪の毛すごく綺麗なんだから、大事にしなきゃだよ」
「あ、ありがとう」
綺麗などと言われた事など今までなかった。思わず嬉しくなってしまう。
よくよく思えば、他人に髪を触れられるのは生まれて初めてかも知れない。
「いた! マユラン&ハルカ!」
呼び声に誘われ出入口をみると、ひょっこり現れていたのは、エリィ・オルタだった。
「お前らが逃げるように教室から出てきたから追っかけてきた。二人で連れションか?」
「ちょ、ちょっとエリィちゃん……」
恥じらいもなく言ってのける彼女に、遙佳はドギマギする。
特に詳しい話をしなくても良いと判断した真結良は、適当にやり過ごす。
「何かあったら言うのじゃよマユラン。班の先輩として、手取り足取り教えてやるからの」
「………………お前は私が班に入ることは不満じゃないのか?」
エリィはおおいに首を傾げ、
「なんでじゃ? なんで我が不満になるのだ?」
「いや、だから……お前達にとって、私は不要な人間なわけだし……」
「んー。好き嫌いはあるだろうが、必要か不要かなんて個人が決める事じゃないじゃろうに……必要とされたければ自ら必要とされるように精進するだろうし、不必要な扱いをされるのは水準に達してないか、そうだと知ってもなお努力を怠るからじゃろ?」
「え、うむ…………確かに……仰るとおりです」
思わぬ反論に今度は真結良が泡を食う番であった。
見た目は幼く、しかし同じ一年生……。
それでも、言うことは年齢を感じさせないほど、
議論の挟み所が無い説得力があった。
「個人の見解でマユランが班に入るかどうかを聞いてるのならば、我は大歓迎じゃよ……マユランは良い人間そうじゃしな! それになんとなくトウガに似てる感じもあるし」
――自分が間宮十河に似ている? どこをどうやったらあの男に似ているというのだ?
ニカッと綺麗に揃った歯を見せて笑う少女は、同じ年齢と見紛うほど幼く。その純粋さを前に真結良は面と向かって否定する言葉が出てこなかった。
「なあ、エリィ・オルタ……」
「エリィでいいのじゃよ。フルネームで呼ばれるとこそばゆいからな。呼ぶなって言ってるのに、呼ぶのはイジワルなエリだけじゃ」
「じゃあ、エリィ。……話が少し変わるが、お前は授業に出席していたか?」
別に自分が受けた出来事を知っていようがいまいがどっちでも良かったが、
授業の教室で、エリィの姿を見かけなかったのが気になった。
これだけの銀髪を持っているのだ。いくら背が小さかろうが、
砂浜で寝転がっているゾウを見つけるくらいに容易く、彼女の存在は目立つ。
「えーっと、授業なー。物理…………いや、世界史だな。あの授業だなー」
「……数学だ」
「エリィちゃん、また授業さぼったの?」
ほぼ同時に二人が言う。
視線はまったく似かよった、冷ややかなものであった。
「いや、ほんとうは数学受けようと思ってたのだが、久々にドーナツが食いたくなっての。ちょっと外まで……トウガと――そうじゃ、トウガに拐かされて」
「お前、訓練所を抜け出したのか!?」
剣幕にエリィは気圧されて、後ずさった。
「ぬ、……むうぅ。そんな怒らんでも。ちょっとじゃよぅ……ちょっと、繁華街の、そこらへん……まで、な?」
繁華街というと、往復でそれなりの時間が掛かるはずだ。
一体、何時から抜け出していたのだろうか。
「まったく。お前というやつは……よし。私も班の一員なのだ。ならばお前が言う通り、私は私が必要とされるように努力をしよう。その一歩として、エリィ・オルタ。お前はしっかりと授業を受けてもらうからな」
「……………………………………haー!?」
日本語としてイントネーションがおかしくなった「はぁ」を叫ぶ。
よほどの衝撃だったのだろう。
「ちょ、ちょちょちょちょちょ、マユラーン……そんなご無体な。いままでみんな授業に出ようなんて、一言もいわれなかったのじゃが――我は基本的にフリーで居たいというか、なんというか」
「じゃあ、これから変わろう。私が入ったことは大歓迎なのだろう先輩? だったら、同じ班のメンバー同士、実技や勉学を通して親交を深めようじゃないか。蔵風、世話になったな」
固まって動かなくなるエリィに、
去り際、真結良の手が、彼女の肩をぽんと叩いた。
二人だけになったところで、エリィはようやく口を開く。
「――――我、やっぱマユランが班に来るのはイヤじゃかなぁ」




