<15>
間宮十河との一件以来、真結良は自分がわからなくなっていた。
異形に出遭って、何も出来なかった情けない姿。
持っていたはずの強さを根こそぎ奪われてしまった気がした。
――いや、そもそも自分には強さなんてものは無かったのかもしれない。
想定や訓練だけで、実際にも出来るのだと勘違いし、
虚構の力に満足していたのではないだろうか。
本当の恐怖を目の当たりにして――私の鍍金は簡単に剥がれ落ちた。
……あの体たらくで、他人にどうこう言っていたなんて。
なんて道化……不甲斐なさ過ぎる。
悩みは晴れないままに――真結良は突然の呼び出しを受け、
初めて訓練所へ来たときと同じ面接室で、
最初に出会った時のままと変わらない岩見大悟と対峙していた。
「いやいや。大変だったね。谷原くん……でも無事でよかった」
顔色をうかがい愁える岩見に、真結良は自分の悩みを隠すように取り繕う。
「まさか、異形が表れるなんて、思いもしなかったでしょ」
「ええ。……岩見大尉は、このようになると、知っていたんですか?」
「僕も一介の兵士にしか過ぎないからね。今回の事件はあまりにも予想外すぎて、今でもかなり混乱している……なんで、あんなものをココに持ち込んだのか。…………いや、原因の根本を突き詰めれば、どうして異界からあんな生き物を持ち出したのか」
革張りのソファーから上半身を乗り出し、彼は膝に両肘をのせた。
「上はいったい何を考えているのか、人の噂は堰き止められないが……彼らを迎えに来るはずだった連中が、実際にあったであろう事件の痕跡を根こそぎ持ち去った。きっと、君に口止めをしなかったのは、あえて圧力を掛けないことで、不審を抱かせない腹づもりだったのだろうね。ただ――」
肘をついたまま、彼は自らの口を被った。
「……今回の事件、僕にとっても痛恨の極みだ。いくら本部の意向だからと言って、訓練所にはなんの情報も提供しないまま、異形を持ち込む事など言語道断…………何よりも、生徒が犠牲になったことは、非常に許しがたいことだよ」
明らかな苛立ちと、瞳には言葉通りの憤怒がありありと浮かんでいた。
「上には抗議した。今後一切――危険因子は持ち込まないようにして欲しいとね」
「――――私も、友人を目の前で、失いました」
「……彼女か」
真結良はそっと頷いた。京子の顔が頭の中でよぎったのに、
あれから悲しみはすれど、今でも涙は出こない。
自分の薄情さを心底嫌悪する。
「転校して来たばかりだというのに、こうなってしまうとは……彼女の班を選んだのは僕だ。責任は僕にある」
「――いえ、そんなことは……――しかし」
「……?」
「私は今回の件で、尚のことサイファーになる意志は固くなりました」
――っと、言うが。下らないやせ我慢。強がりだ。
自分の心には大きな不安があった。
私は今のままではきっとサイファーになどなれはしない。
あんな、体たらくを見せておいて。兵士になりたいが聞いて呆れる。
「……そっか。君はやはり優秀だ。一年生の彼等にも見習わせたいくらいだ」
「――彼等?」
「ディセンバーズチルドレンの彼等だよ」
「!!」
「何で、そんな事を知ってるのか、って顔してるね。一応――僕は生徒の管理を任されている責任者だからね。生徒たちの事はある程度は知ってるつもりだよ――もっとも、彼等を引き抜いたのは、他ならない僕だ。大半の上官はこの事を知らないから、知ればさぞかし驚くだろうね……今回の事件でも彼等が関わった事は、解っているつもりだ」
誰も知らない――そう思い込んでいた。
いや、よくよく考えてみれば、稀少な人材であるディセンバーズチルドレンが、一年生の中で六人もいて――なおかつ全員が同じ班であること自体が、出来すぎた話だったのだ。
「…………皆は私が異形を倒したと言っているのですが……私は何もしてはいないのです」
「そうかな?」
「え」
「だって、彼らは君を助けるために、異形と戦ったんじゃないのかい?」
「いえ……アレは自分たちが平和に生きたいから動いただけだ、と」
思考することしばらく。岩見はクスリと笑った。
「平和に生きたいから、ね。――ソレは便宜上の理由にしか過ぎないんじゃないのかな? 黙って待っていれば、増援が到着していただろうし。仮に彼らが動いたとしても、自分の為なのに君を助けたのは、どうも矛盾している気がするんだけど。……本当に自分の為だけに行動していたら、君など助けない。…………なのに大きなリスクを冒してまで、彼らは君を助けた。僕も経験あるけど、異形から誰かを助けるって、異形と正面切って戦うよりも、命の危険にさらされる行為なんだよ」
岩見は自分の足を撫でる行動を、真結良は見逃さなかった。
「彼らを動かしたのは、他ならない君だよ。谷原くん……」
「……………………」
「君が居なかったら、彼らは逃げるつもりだったんじゃないかな? この結果は君が居たからこそ、導き出された結果なんだよ」
そんなものは都合の良い解釈から生まれた結果論だ。
……『単なる弱者』そんな言葉が頭の中で浮かぶ。
何一つ、できなかった。踏み出すことも刃を向けることも。
――暗闇の中。京子の死体。そして異形を前にして動けなくなっていたとき。
私を囮にしていれば、十分な隙を狙って倒せたかもしれない。
なのに、間宮十河は危険を承知で私を助けた。
「…………………………………………」
――無意識に、自分の手をなぞった。
彼に掴まれた手の感触が蘇った気がした。
彼がどんなに軽薄な言葉で私を避けたとしても、
異形から逃すため、私を引いて連れ出してくれた気持ちに偽りはない。
『あの強さこそ――私が憧れ、なりたいと思っていた理想――確かにあった本物だ』
自分の手を握りしめながら、真結良の表情が思わず綻ぶ。
心の片隅に小さな決意と、一筋の光が見えたのだ。
「類は友を呼ぶって言うけど、本当にあるもんだね。……分散すると思ってた彼等が、まさか全員が集まるとは思わなかったよ。なんせ彼らはお互いの素性を知らなかったんだから……僕にとっては、ちょっとした誤算だ」
「岩見大尉は、彼等の素行をご存じなのですか」
「それはもちろん。ハハ、けっこう派手にやってるみたいだね」
当たり前のように訓練所の責任者は、そう言ってのけた。
「――――ちょっと昔の話だけど、第一次異形進攻に敗北して以降……僕も何度か異界に入ったことがあってさ。彼等ではないのだが、一人の子供を助けたことがあった。君たちの先輩にあたる人だけどね」
「…………………………」
「その時の状況は、正に悪夢だったよ。――食べる物も少なく、子供たち同士で殺し合い、奪い合うような事を平然と行っているような世界が出来上がっていたんだから……」
「…………………………」
相槌も、頷くことさえも出来ない――言葉を失うとは、こういうことを言うのだろうか。
私は想像することも憚られるような状況を、必死になってイメージしようと試みたが、そんな経験をしたことのない私にとって、浮かぶのは何とも陳腐な形だった。
「異形進攻の地獄を見て、これ以上のモノはもう見ることはないだろうと思ってたけど……異界の現状に流石の僕も心を病んだ。数日はまともにご飯が食べられなかったくらいさ……状況は人それぞれであろうが、彼等も同じような体験をしているはずだ。人類に見限られて、バケモノたちと一緒に蓋をされて、さぞかし人を嫌いになっただろう。人類を――恨んだだろうね」
だから、今の彼らの素行については、
ある程度の校則の範囲内であるのなら、
それほど問題視していないのだと、
岩見はそう説明した。
「…………私にとって、彼らディセンバーズチルドレンは、希望の象徴です。異形を相手にして生き残った英雄だと、彼らを間近で見た今でも、その思いに変わりはありません」
「君のこれからには、僕も大きく期待しているよ。本当のところをいってしまうと。今回呼んだ理由は、君のメンタル面を知っておきたくてね――あれだけハードな経験をしたんだ。外界に戻れる方法を相談されるんじゃないか、って心配していたくらいだよ」
「ほんとうの事を話しますと、ずっと悩んでいました……あの時、私は何も出来なかった。他人に言われなければ、行動することも――自分の命さえも守る事ができなかったのです」
「……………………それで、君は此度の経験を経て、何を学んだ?」
「きっと、訓練や授業などでは到底、知ることの出来ない多くを得られたと思います。……初めて内界に来た時と同じで、決意は変わりません。…………それに大尉と話していて――私がこれから歩むべき道を見つけられた気がします」
先ほどとは違う瞳の色に、彼も何かを感じ取ったらしく。
「――ほう。その決意がどんなものかは解らないが、僕に出来ることならば、是非とも協力させてもらうよ」
これからやらなければいけないこと。
真結良の心は晴れた。
目標の場所は決まった――あとは行動に移すのみである。




