<13>-2
真結良が打ちのめされたのと、ほぼ同時刻。
屋上から合図によって、校舎から飛び出した三人は、
中庭の奥で、絵里の情報通り、異形の姿を捉えた。
「いたぞ…………目標確認――――パーアライズッ!」
――――常識が溶解し異常が最後の一線を超える。
いかなる異常をも対処せよという意味合いが込められた号令。
異形を確認したとき――あるいは異形の出現が予測されたときに使われるこの言葉は、
あらゆる常識が通用しない状況の到来を示す。
また、パーアライズには『世界が麻痺する』という言葉の意味合いも内包されていた。
追躡する三人。徐々に大きく見えてきた背中。
敵から放たれる血の臭気に脅威を感じながらも、
――彼らの足が止まることは無かった。
号令は初めに十河から放たれて。
「俺も確認……パーアライズ!」
「……パーアライズ」
誠と遙佳も同じく認識の確認を取り合う。
全員の意識が異形に向いたところで、
走りつつも隣にいた誠が十河に話しかけた。
「ところで、十河は何年ぶりなんだ?」
「――――たぶん。二年、三年そこらだと思う」
「委員長は?」
「私も同じくらい」
「――ふぅん、なるほどな。みんな久方ぶりの〝狩り〟って訳か。皆がどういうやり方で戦ってたのかは知らねえが、俺は俺のやり方で戦わせてもらうぜ?」
「……勝手にしろ。オレもそうさせてもらう」
「じゃあ、私はなんとか合わせるようにするね」
『――バカ! 中庭から逃がさないようにって言ったわよね! ファーストコンタクトは合わせなさい! 間宮と荒屋は、遙佳の合図で左右に展開! 遙佳は射撃が可能な範囲に入ったら始めて!』
思わず絵里が怒りつけて手綱を締める。
戦闘経験は豊富だろうが、誰もが別々の生き方をしていた人達だ。
仕方のない事だろうな、と遙佳は客観的に分析する。
「――行けます…………射撃によるアプローチを開始します」
十分に近づき、その場に留まった遙佳は深い呼吸から、徐々に浅い呼吸へと変える。
照準は乱れることなく異形に合わせられた。
残りの二人は背後からの射撃に巻き込まれぬよう、ぎこちなくも左右に分かれて広がる。
瞬時に息を止めながら、遙佳はリズミカルに発砲した。
弾丸は全て、二本の腕が生えた背中へ命中したように見えた。頭を狙う必要はない。
牽制ができればそれでよかった。
異形は首を回し、ダメージを諸ともせず、
「ギギィィ、グゥボガアアアアアアアアッ!」
獣とはかけ離れた、生き物かすらも怪しい奇声。
全身から伸びた角がギチギチとせわしなく動き、
射撃手である遙佳を捉えた。
彼女に向かって走り出したスピードは鈍足。
それでも異様な姿形が、闇をかき分け迫る光景は、並外れた恐怖をかき立てられる。
「…………後退します」
近づくにつれ、視界を占めてくる巨体に狼狽えるそぶりも見せず、
正確な狙いを放棄し、遙佳は腰だめに構えた銃でトリガーを一気に引いた。
連続して絶え間ない発砲音。魔術兵器として威力が上乗せされた弾丸が、吸い込まれるように異形の体へと向かう。
射撃の反動で跳ね上がり、暴れるライフル。
飛び散る空薬莢。
硝煙の臭いが身を包みこんでくる。
体をがっちり強ばらせ、反動を全て受け入れる。
無数に生えている角が弾丸の軌道を逸らし、別々の方角へ飛んでいくが、
残りは角との角の間を滑り込み、肉体へと食い込んだ。
一瞬、ほんの一瞬だけ異形が声を出してひるむ。
さらに後退してゆく遙佳……。
追いかけようとする異形は、予定通り……中庭中央に引き寄せられた。
そこへ、双剣と徒手空拳の少年二人が異形を挟み込む。
『遙佳。スイッチ!』
銃撃を止め、接近戦に持ち込むよう絵里の指示。
遙佳は背を向けて全速力で後退した。
入れ替わり誠が高く跳躍して飛ぶ。
「っせええええええええ!」
既に練り込んである魔力によって補強された脚。かかと落としが一閃。
異形も戦闘によって学んでいるのか、素早く後ろに引くことによってそれを回避。
からぶった誠の一撃はそのまま地面を微震させた。
「くっそッ」
がら空きとなった誠に異形の拳が迫る。
「まかせろ。――ッはぁああああああッっ!」
『………………那夏、援護を。近接二人、着弾に備えろ』
誠を守るようにして、右側から異形の左足めがけて十河が肉薄する。
共に――全員の耳へと絵里の指示が聞こえた。
二本の剣が異形の足を切り裂く。
攻撃が浅い。腕に伝わってくる手応えは微々たるもの――。
それでも思わぬ奇襲にバランスが崩れ、異形の拳は、誠のすぐ隣の地面に沈んだ。
同時に屋上から、ひときわ大きな重発砲音。
大口径スナイパーライフルの発砲音は通信機と、実際に聞こえてくる音と微かにずれを生じ、さらに僅かな誤差で……音より一瞬早く。
――誠の近くの地面に弾丸が直撃。
――芝生の地面を爆破し抉り取った。
「のわ!? マジかよ。あっぶねぇ!」
『……ごめんなさい。……修正します』
動揺も無しに、機械的に言う那夏。
「た、頼むぜ……ほんとに」
次弾を装填する音と、緊張した吐息が無線機を通して聞こえた。
体の軸が傾き、異形は両腕を地面に付いて持ちこたえた。
背中から伸びている二本の腕は、間髪入れず十河と誠を払おうと腕を振るう。
軌道を冷静に見て判断した二人は、攻撃範囲から遠ざかることでやり過ごす。
『…………脆い。行ける。弾丸もしっかりダメージが入っている』
『だいじょうぶ――次は、はずさないから』
十河は両手の剣を握りながら、自分の動きの鈍さに舌打ちをした。
――確かに感じる衰え。
斬ったときの感触。手首に掛かる負担。
本気で攻め込んだはずなのに、
一撃はあまりにも浅く――弱い。
決してトレーニングを怠っていたわけではない。
忘れていたわけでもない。
あの頃の日々を悪夢として見るくらいだ。
「ああ、そうか……」
生き物を傷つけるというのは、簡単な事ではないのだ。
こういうものなのだと思い出させる。
肉体が勢いを失っていたんじゃない……。
記憶が――色褪せていたのだ。
命を賭けるという実感。生きるために必死になっていたあの頃。
鮮烈にして、心圧し潰されるような狂気。
神経を削ってまで、行っていた――『奪う』という行為。
自分でも知らぬ間に、何もかもが過去の出来事として扱い、
もうあんな日は来ないと勝手に決めつけ、甘い考えのままでいたから、
いま戦っている自分に違和感じみた、食い違いが生じていたのだと理解した。
手に伝わってくる感触。恐怖の臭い。自らを奮う叫び。
想定の訓練などでは実感することの出来ない本物の感覚。
空白の時間は、確実に自分を鈍らせていた……。
――思い出せ。……あの時の感覚を。
『間宮ッ!』
絵里の叫びにハッとする。
思考はほんの一瞬――されど戦いでは、その一瞬が明暗を分けるのだ。
迫る攻撃に対して、無意識が体を捻らせていた。
「………………ッ!?」
間一髪。内蔵が萎縮し――心臓がものすごい勢いで胸を打つ。
「十河! ぼさっとしてんじゃねえッ! 死にてえのかよ!」
切羽詰まった誠の叫び。遙佳は射撃でカバーする。
そうだ……。今は集中せねば。
過去がどうこうと考える意味などない。
目の前に敵がいる。自分の役割は決まっている。
巨体の懐はがら空き。
だが、四本の腕から繰り出される、絶え間ない攻撃が彼らの接近を拒む。
『動きが鈍くなってきている……どうにかして隙を作りなさい。頭を撃ち抜かせる』
「うぉ! っととと…………くっそ。言ってくれるぜ。こっちは回避しつつ攻撃しなきゃならねえんだよ」
――オレは、あの時みたいに……やれるはずだ。
「蔵風! もう一度引きつけてくれ! 荒屋。踏み込みつつ回避に徹しろ!」
吹き返したように、十河は二人に向かって叫んだ。
「――はい!」
誠は返事せず、言われたままに走り出す。
その後ろから遙佳の援護射撃が誠をすり抜けて、異形に直撃する。
異形もまた弾丸を防ごうと、両腕を上げて頭を守ろうとする。
敵が自らが作った死角に……十河は全力で走り込んだ。
――十河は思い出す。
異形の左目が潰れていることを。
だからこそ、校舎の中で奇襲したとき、刀を突き立てることが容易く出来た。
最初の挟撃。誠の攻撃は素速く反応できたのに、
相手を正面に、右手から接近したときは簡単に入り込めたのだ。
つまり、そこを的確に突ければ、懐へと侵入が可能。
「おおぉぉぉぉッ!」
「ゴガアアアアアアアアアッ!」
両者の反応はほぼ同時。
腕による刺突が十河に迫るが、攻撃速度は鈍い。
左肩に突き刺さっている刀が……ヤツの動きを緩めたのだ。
決定的な差――見出した活路。
地面を蹴り上げて真横へと全力で飛ぶ。鋭い腕がすり抜けた。
片方の剣を地面に突き刺して、横飛びの勢いを殺し、尚も前進。
自分にある魔力を、魔術兵器である二本の剣に流し込む。
剣が持つ重さの軽減を確かに感じつつ。
攻撃範囲の内側。敵の眼前入り込んだ瞬間――、
「崩れろぉおおッ!」
可能な限り強く。深く――速く。
許された刹那の間に奪い取る。
自らの命を賭して、相手の命を削れ。
――剣の重さが軽減されたことによって、
物質的な質量から解放された刃は、
流線を描き疾く奔る。
瞬刻に繰り出した六連撃。
異形の足を深く切り裂き、
紫の血液が噴き出す。
悲鳴を上げながらも異形は拳を握り、
十河の頭上に、次ぐ一撃を突き落とす。
「トウ――ッ!」
誠が呼ぶよりも速く。
十河は慌てた様子も無く。
ゆったりとした動きでステップし……三歩分の平行移動。
その誤差、数十センチ。
拳が目標を失い、傍らの地面を打ち付け、
暴風と打ち弾けた土が彼の半身に降りかかる。
「――――は」
…………あぁ。そうだった――こんな感覚だったな。
「――――フゥ!」
剣の一本を逆手に持ち替え、
異形の拳が地面から引き抜かれるよりも、なお速く。
全体重を乗せて、その腕を深く刺し貫いた。
「すげぇ…………あ。アイツ、…………いま笑ってた」
思わず漏らした誠。
奇声を叫び。自重を支えきれず崩れ落ちる異形。
その隙を逃さないかのように、
『間宮離れて! 二発目、いくわよ!』
刺した剣をそのまま残し、彼は距離を置いた。
間髪入れず那夏の一撃が放たれる。
二回目は言葉通り……弾丸が異形の頭部へ着弾。
――ガインッという金属同士を叩いたような音。確かな着弾。
異形の頭が砕ける――はずだった。
異形は弾丸の衝撃で、よろめいただけで、
頭部には傷一つ、ついてはいない。
いつのまにか……その頭部には半透明――。
オレンジ色の皮膜のようなものが現れていた……。




