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問題児の態度に心底、頭にきたということもあるが、
今はそれ以上に、京子たちの安否の方が、気持ちの大部分を占めていた。
地面に落ちている人間の一部分や血液が点々と、続く道となって校舎方面へ伸びている。
――――まだ、生きている人間がいるかもしれない。
漠然とした希望ではあったが、生きている気がする。そう信じて疑わなかった。
駐車場から離れると、明るさは打って変わり、外灯が等間隔で設置されているだけ。
校舎に近づくにつれ、闇はいっそう色濃くなってゆく。
恐怖を感じる隙間もなく、彼女らの安否だけを思い、
一心不乱になって、彼女は走る。
見えてきた裏口は、外部からの侵入によって、
砕けたガラス扉の破片が、内部に散っていた。
――――同じく血の跡も、中へと誘うかのように続いている。
「………………京子」
更に深くなってゆく闇に――彼女の名を呼ぶ。
自分の首が、じんと疼く。
私の『固有刻印』が――反応しているのか。
この先に――京子がいる。
漠然は根拠の無い、直感任せの自信に変わっていた。
はやく、助けなければ……。
真結良は意を決して、校舎の中へと入っていった。
内部は更に暗く……切れかかった非常口の表示板が、不気味な明滅をくり返す。
恐怖は無く、自分が思う方向と――血の跡は合致している。
走りたい気持ちを抑え……ゆっくりと、
先ほどの彼等と同じように気配を殺し、足音を立てぬよう腰を屈めながら進む。
夜の廊下は自分が昼に歩いていた場所とは思えないほど、その光景を一転させていた。
――――京子。
言葉にして呼びかけたかったが、暗闇の中で声を響かせることを――本能が拒絶する。
血の道は、徐々に小さくなってゆく。
その意味が何を物語っているのかはわからない。
廊下は終わりを迎え、吹き抜けになっているホールに行き当たった。
血の跡もぱたりと消え、彼女は視覚的な手がかりを失った。
しかし、自らの本能はまだ『探せ』とまくし立てる。
一歩、踏み出す…………………………………………彼女が更に踏み出そうとした一歩先の床。
何かが床に落ちてきた。
「…………………………紐?」
拾い上げた途端に、真結良は戦慄した。
それは幾重にも編み込まれた短いロープで、
何本ものカラフルな紐で編まれた……年期の入ったミサンガ。
彼女が、亡き弟からもらったという――遺品。
次いで――――ハタリ、と。
水滴の音さえ聞こえてきそうなほど……暗闇の中でも、その存在が解る――ほんの一滴。
――――血の……雫が床で弾けた。
「――――――っ!!」
真結良は吹き抜けの頭上を見上げた。
散々、下を向いていた状態から上を見上げたものだから、目眩を感じつつ。
「――きょう、……こ?」
狭窄した視界に写し出されるは、小岩京子の両足。
ようやく見つけた…………が。
見えるのは、力なく垂れ下がった二つのつま先。片足の靴は脱げて
スカートから延びる白い肌がゆらゆらと――。
――ゆら、ゆら……と。
風に吹かれて揺れる柳の木。そんな光景を連想した。
彼女の体は……どうやって浮いている?
じっくりと時間をかけて、視線を上へと移してゆく。
彼女の胴体は――。真っ赤に。
「……………………ぅ」
じゅわりと制服にしみこんだ赤。血液。赤。どす黒く、鮮血。
鎖骨から上。何かが彼女を覆っている。
臭い…………得体の知れない、獣とも似付かない腐敗臭。
なにかが。なにかが!
――――彼女をくわえ込んでいる!
このとき、初めて自分と小岩京子以外の、何かが――唸っていたのに気がつく。
うなり声にあわせて、ブグブグと血の泡が京子の胴体にまとわりついていた。
「………………ヒッ、ぃ」
自分のものとは思えないような、
悲鳴と呼吸が一緒くたになった声が、歯の隙間から飛び出た。
「ウグググ……ブグブグブグブグブグブグブグジュブブブグ」
聞くにおぞましい血塗れの声。
身長は優に二メートルを超え、
二本の足に、四本の腕。
全身から不規則に反りあがった角が無数に生え、
体中傷だらけで、数え切れないほど、弾痕らしきものが広がっていた。
ちょうど、京子の頭の位置には、
真っ赤な眼球が二つ。
片目は潰れ、流れ落ちたであろう紫色の液体が、途中で凝固していた。
彼女の頭部を丸ごと食らう頭部。
――誰が見ても明確な怪物。
――其れは人類の敵。
――其れは『異形の者たち』と呼び恐れられる存在。
「……………………ぅ、ぁ。…………あぁ」
呼吸が苦しい。ここに来て初めて自分に害悪を及ぼすかもしれないという、
異常なほど濃厚な危機感が、全身に駆け巡った。
自分も同じようになってしまうのかという共感性。
恐怖よりも、忌避と嫌悪が支配する。
イヤだ。いやだいやだいやだ。
吐き戻したい衝動を押さえ込み、全身全霊をもって自分の存在を消すことに努めた。
気づかれませんように。どうか自分に関心をよせませんように。
「…………ボガァ!」
口を開ける異形。
ズチャリと、水分をたっぷり含んだタオルを落としたような音と共に、
小岩京子であった物体が地面に落下した。
――顔に飛びかかった。
冷たくなった京子の血が。
動かぬ彼女。暗闇と血で彼女の顔がわからない。
つい、先刻まで笑い合い、
共に頑張っていこうと――約束したのに……。
「ィ…………ぃ、や」
歯がかみ合わない。
顎に力が入らない。
食いしばれずに、がちがちと音を立てる。
――――ズン。
床が驚くほどの重低音を叩き出した。
降り立つ異形は腐臭の風を起こし、床を踏み砕き、
肩を揺らす奇妙な動作と共に、真結良を眼前に捉えていた。
「…………い、いや………………だれか、だすけ――」
腰が抜けて、床に体が吸い込まれる。
体が動かなくなっていた。
恐怖が全身を支配しきっていた。
――――その両者の間に。
「ぅうううオオオオオオオオオオオオオォォォォッッ!」
絶叫の主は――異形が先ほど捕まっていたエントランスの二階から手すりを踏み越え、中空に飛び出していた。
獣の咆吼もかくやといった男の声は周囲に響きわたり、
両手で握り込まれた一本の刀。自由落下のままに躍り掛かる。
切っ先は真下へと向けられ。当初の目的であった異形の頭蓋を掠め、
全体重を込めた一撃は異形の肩に突き刺さった。
「ボグアグァァアアアガアウアアアアアアア!?」
この世のものとは思えない声帯で――しかし確かな悲鳴と聞こえた。
暴れる巨体。刀を残したまま、身軽な着地をした男は、
「何をぼさっとしている! さっさと来い!」
握りしめられた手は熱く、
――間宮十河は真結良の手を、肩が抜けそうなほど強く引いて駆けだした。




