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寮から少し離れた――訓練所の高等学校。
『学科エリア』は静まりかえっていた。
学校が終われば、だれもこの場所に近づいてくることはなく、
そもそも、時間外の訪れは禁止とされている。
――警備の任務は退屈そのものだった。
任務用の礼服を着て、授業でしか使った事のないアサルトライフルを携帯し、
誰も居ない夜の道を立っているだけの単純な仕事。
どうやら、先輩の言っていた、
〝お疲れ様でしたアピール〟というのは間違いではなさそうだ。
足が強ばらないように、その場で屈伸運動をしつつ、
京子は暇を持て余していた。
『……今日、見たいドラマあったんだけどな』
喜美子は専用無線でぼやく。
全員に通じる無線は、少しでも回線をずらせば、三人専用へと早変わり。
安藤の悪知恵は、三人の愚痴を軽くしていた。
『そういうなよ。そんなこといったら俺だって』
「おーい。今は任務中だぞー。私語は慎まなきゃ先輩に怒られちゃうぞー」
『……定期連絡済ませたばかりだし。次は一時間後か……誰もいないし、誰にも見られてないし、誰にも聞かれない。そう硬くなるなよ。話してた方が気が楽だろ』
「まあ……ねー」
ミサンガを触りながら、京子は相槌を打つ。
――本当に静かな夜だ。
『ねえ、安藤君……いきなりなんだけど、今度の休み……暇かな?』
『――特になにもないけど、どうした?』
『…………よければ、だけど。一緒に映画に行けたらなんだけど、……どう、かな?』
思わず声が出そうになった京子は、自分の口をそっと押さえた。
おお。なにこの展開。いきなり過ぎるでしょ。
あたし普通に聞いてるんだけど、自分が恥ずかしくなってきちゃうんだけど!
映画、ねえ……と、
少々、言い含んだ安藤は、
『なあ京子、…………お前も行くか?』
「――は? あ、あたし? 何でその会話にあたしがでてくんのさ」
思わず声が裏返る。動揺とかではなく、会話の流れ的にあり得ないと思っていた。
ボクシングで例えれば――逸れたパンチの直撃を喰らった審判の気分である。
『だって、同じ班なんだから、良いんじゃないかなと、おもってよ』
『…………………………そ、そうだね。京子ちゃんも行こ』
喜美子の沈黙が痛かった。
――安藤、馬鹿だなぁ。もうコイツ。ほんと馬鹿すぎ。
前々から知っていたが、喜美子は安藤に思いを寄せていた。
直接聞いたわけじゃない。
視線はよく彼の方を盗み見ていたし、いつも少し後ろを歩き、彼を背中から見ていた――のをあたしが見ていた。打ち明けられるまでもなく、わかってしまった。
――まったく、鈍感とはこういうことのことを言うのだ。安藤は察せない男だ。
この場で断ってしまったら、せっかく喜美子がなけなしの勇気を振り絞って切り出した話が霧散しかねない。
喜美子も喜美子だ。そこであたしを誘っちゃ駄目だろうに。もっとグイグイ行かんとッ!
「……いいよ。今度の休みね」
『ようっしッ! ……おおっと、いけねえ。けっこう声が響くな……』
気のせいか、どこからか彼の叫びが生で聞こえた気がした。静かだからよく通る。
当日になったら上手いこと言いくるめて二人きりにしてみますか。
はあ、まったく。喜美子の成就はまだ先になりそうかな……。
――そこへ、
一切の気配もなく、何者かに頭を掴まれた。
「ひッ!」
悲鳴にならない悲鳴を上げる京子、
なんで、私独りしかいないのに、どうして。
掴まれた頭をぐるんと九十度回され、
「よう……後輩、なにやってんだ」
そこには男子生徒の顔。
耳に銀色のピアスが三つ。
威圧感のある目は京子を睨んでいた。
「あ、せ、先輩……」
ホッとする京子。
心臓が止まる――という言葉は、正にこの瞬間の事を指すのだと思った。
ぎょっとしたのは相当な衝撃であり、
馬鹿げてるかも知れないが、自分を掴んだその手が、
得体の知れない何かだと思ったからである。
暗闇は知らぬうちに、恐怖を増幅させるものなのだと、今更ながらに実感した。
「定期連絡、どうなってんの……」
こつこつ、と自分の無線機を叩く仕草。
「す、すいません!」
少々怒り気味の顔に、萎縮した京子は慌てて謝罪する。
しばらく睨んでいた先輩は、
「…………………………っぷ、ハハハ。大丈夫だって、ちょっと驚かしただけ。定期はまだ先だよ。ククク」
破顔した彼に、強ばった心が一気に氷解する。
怖い人だと思い込んでいたから、押し寄せた安心感はひとしお。
「ち、ちょ――先輩」
「勝手に回線変えちゃって。……話では優良生徒だってきいてたけど?」
「こ、これは――その」
「いいって。実は、一年のとき俺も同じ事やっててさ。こういう警備ってけっこう暇なんだよな。でもこの無線機、回線が少ないし合わせやすいから、偶然向こう側が合わせちゃうと筒抜けになるから気をつけな。過去にバレて、俺はえらいドヤされたことあったから」
「は、はい。注意します」
「優秀な一年生だとはいえ、個別に配置してるのが心配だから見てこいってリーダーに言われて、本隊の方から来たんだよ」
「そうだったんですか」
「ちょうど校舎の隣、にある大型駐車場わかる?」
「中庭を抜けて、学科エリアの先にあるところですよね?」
「そうそう。実は今回の要がそこなんだと。帰還兵と物資の警備。翌日には外から本隊が来て一緒に帰るって算段らしいな……ただの帰還兵なのに、随分と警備が厳重だこと。わざわざ訓練所に寄らずに、その足で帰ればいいのにな」
「……で、ですね」
「それじゃあ、任務ガンバレよ。後輩……ああ、っとそうだそうだ。注意したのはついでで、伝えなきゃいけないことあんだった」
先輩は踵を返し、前に立つ。
「うちのリーダーが用事あるってさ。無線じゃなくて直接言いたいから、後で来いだって。大型駐車場のとこな。特に急ぎの用でもないらしいから、三十分もしたら行けば良いんじゃないの?」
「了解しました……」
「じゃあな、班長」
薄く笑って立ち去る先輩。
今度こそ、誰も居なくなり再び独りになれたところで、
『……だいじょうぶか?』
『…………』
安藤の心配そうな声が届いた、
何も言わない喜美子であったが、緊張した息づかいで案じてくれているのが解った。
「まったく、怒られちゃったじゃん……正直、ちょっと怖かったし」
『ごめんね。長い話になっちゃって』
「気にしなくて良いって……あー、早く終わらないかなぁ」
独りぼやく京子。暗がりの中――今度こそ彼女の呟きを聞くモノは誰も居ない。




