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寮にある食堂で食事をすませ、
真結良は早々に部屋へと戻り、
明日の授業の為に、しばらく教科書や参考書を読みふけっていた。
初めて寮に来たときとは違って、
日がとっぷりと暮れてしまうと、
寮の中は、ちょっとした騒がしさに包まれる。
廊下から話し声や笑い声が、玄関の扉を通り抜け、真結良の部屋によく響いた。
喧噪を気にすることなく、彼女は自分の作業に没頭し続ける。
――――その中でも、
なにやら、ドンドンとどこかで扉を叩く音。
後を追う形で、何かを話している女生徒の大声により、
真結良の集中は瞬く間に断ち切られたのだった。
「……………………ん?」
耳に聞こえてきたのは空耳などではなく、
静かな部屋だからこそ、外の音の変化に敏感になっていた。
しばらくすると、またドンドン。
部屋の家主と来客は、なにやら口論のような問答が少し。
扉を乱暴に閉められる音。三度――扉が叩かれた。
そこは、真結良の隣の部屋だった。
「…………………………」
――どうやら、留守だったらしい。あるいは人が住んで居ないのか。
「い、いかんな。……これじゃあ盗み聞きしているみたいじゃないか」
ちょっとした自責の念と、同等の羞恥心を感じつつ、
それでも、やることの無かった真結良は、ちょっとした推理をし始めてしまった。
――来訪者は、手当たり次第に扉を叩いて家主を、引きずり出しているのか?
もし、知っている人間を探しているのならば、部屋はわかるはず。
ゴニョゴニョと聞こえる話し声からして、廊下にいる来訪者は複数。
目的はあるのだろうが、意図が掴めない。
そこへ――例によって、真結良の扉も漏れることなく、ドンドンがきた。
自分への来客とは、考えられなかった。
そもそも部屋に訪れてくるような、親しい人間は京子と喜美子と安藤くらい。
男子の安藤が女子寮を闊歩しているとは考えられない。
だとすると残りの二人であるが、可能性は限りなくゼロに近い。
――いったい何を考えているのだ。ただの悪戯の類いであれば、今のうちに釘を刺しておかねばなるまい。
訝しい気持ちが募ったまま、彼女はドアのロックを解錠した。
チェーンを外す前に向こう側から力任せにドアを開けられ、
――――隙間からエリィ・オルタが現れた。
「きったーぁッ! ビンゴじゃッ! ここの部屋だったかぁ」
「え、えっと……」
予想外の人物に、かなり動揺。
「間違いだ」と扉を閉めてしまいたかったが、
エリィの方が一枚上手で、ドアとの隙間に、あざとく足を差し込んでいた。
「マユラン! いま大丈夫かッ!?」
――「いや、無理だ」そう言ったとしても、
差し込まれている細足が退くことは無いのだろう……。
相手に了解を得ているように聞こえるが、扉を開けた時点で〝詰んだ〟と直感した。
「連絡してから来たほうが良かったと思ったんだけど、連絡とる方法がなくって」
エリィの後ろから蔵風遙佳が申し訳なさそうな顔を、ひょっこりと覗かせた。
半ば逃げられないと悟った真結良は、諦めの証としてチェーンを外す。
完全に開いた扉の先には――さらに一人。
もじもじと視線を踊らせ、半身を遙佳の背中に隠している少女。
問題児のグループの一人、稲弓那夏である。
「――何か用か?」
戦闘訓練の一件もあって、少々警戒しつつ問う。
「実は転校生マユランの歓迎会をしようと思ってのぉ。場所わからんかったから、手当たり次第に部屋を探してたら時間かかってしまったよ……あそこの女にキレられてしまった!」
指さす先は、先ほど口論になっていたであろう場所だ。
…………まったく、無計画にもほどがある。
「訓練所ではポストも使わないし、書いてあるの認識番号だけで、表札掲げてる部屋って少ないんだよね……扉を磁石とかでデコレーションしてるところはすぐにわかるんだけど」
よく見れば、三人の両手にはコンビニ袋に入ったスナック菓子やら、飲み物のようなものがぎっしり詰まっていた。
「さあ、マユラン。いざゆかん歓迎パーチー。我こういうイベント系は、わりかし好きなんじゃよ」
真結良本人たためよりも、主催者であるエリィの方が明らかに乗り気だった。
戸惑いの表情を読みとったのか、黙っていた那夏が口を開く。
「や、やっぱり押し掛けになっちゃったよね。ごめんなさい。谷原さんの予定も聞かなかったら……迷惑だもんね。ごめんなさい」
どこか負のオーラ漂う、消え入りそうで弱気な姿。
姿だけなら『瀕死になった小動物』のそれである。
警戒心よりも完全に毒気を抜かれてしまった。
「いや。…………すぐに準備するよ」
多少なりとも思うところはあったものの、既に準備されているものを――しかもわざわざ自分の為にである――無碍にするようなことはしたくない真結良は、快く彼女たちの提案を受け入れた。
一年生の寮と一括りにいっても、
男子と女子の境界はしっかりと建物単位で住み分けられている。
基本的にお互いの寮に行き来することは校則で禁止と定められ、
特に男子が女子寮に入ることは、口にせずとも知れた禁忌である。
「入ってみたい」と語る男子は多く、
心の内で願望するは星の数ほど。
しかし、実行する猛者は皆無である。
見つかったら、それこそ懲罰房行きであり、罰を受けた後も『女子寮に入った男』としての烙印は永劫、尾を引き、後ろ指をさされ続けるだろう。
それだけのリスクがあることは、物事を深く考えないタイプの荒屋誠も認知していた。
「んなの大丈夫だ。一緒にマユランを探すのじゃ」そうエリィに引っ張られはしたものの、
夢にまで見た目先のチャンスより、先の長い未来を取った誠は、断固として内部に入ろうとはしなかった。
どこぞの忠犬よろしく、誠は女子たちの帰還を黙って待っていた。
要らぬ疑いが掛からぬよう、入り口から少し離れたところで待っていた。
「ねえねえ。なんであそこに男子立っているの?」
「……さあ、誰か待って――あれって、問題の生徒じゃない?」
「え、うそ。……ほんとだ」
「なんでいるのかな」
「とうとう女子寮にまで入ろうとしているとか?」
「………うわー。洒落にならないし。マジ引くわー」
「だねー。ヤバすぎ」
――その微妙な距離が、逆に怪しさを湧かせていることも、本人は露知らず。
「お、准尉ちゃん。やっときたか」
何も知らぬ忠犬は駆け足で彼女たちに向かい、
安堵も混じり、思わずはにかんだ。
もし本物の犬なら、千切れんばかりに尻尾を振っていただろう。
「………………なあ、荒屋誠」
「ん?」
「その呼び方はやめてくれないか」
「あれ。いやだった?」
「まあな」
「そーだだーだ。誰しも肩書きで呼ばれるのが好きな訳じゃないんだぞ……マユランはマユランって名前があるんだぞ」
――いや、正直なところ『マユラン』も好きじゃない。あとマユランって名前じゃない。
「それで、どこでやるんだ?」
「ふっふっふ。安心しろマユラン。既に最高の場所を選んである」




