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――コレが、サイファー。魔導二級の力か。
銃も剣も使わない、魔術の戦闘。
自分が思っていた以上の能力を目の当たりにした十河は驚きを隠せない。
崩れた壁に押し込まれていた異形は、まだ死んでいないらしい。
口から真っ赤な血を吐き出し、座り込んだまま震えていた。
異形の実力がどれほどあるのかは、まだ判らないが、保有しているであろう魔力の量からして、かなりの力を持っているはずだ。
優勢に見えるのは、やはりサイファーである彼女の実力が際立っているからであろう。
強力な魔術を叩き込んだというのに、狼頭の異形にはまだ息がある。殺しきれないほど頑強な肉体を持っていた。
「堅い……。十河くんは、合図したら向こうの洞窟に向かって! 一か八か洞窟を崩して追ってこられないようにするから!」
十河が古都子へ返事をするよりも早く。
狼頭の異形は、いちど十河を見て。
素速く……彼女が言葉で指し示した方向の洞窟を見た。
怪物の視線を、十河は見逃さず。その行動をよく知っていた。
言語が理解できていないと、異形がとった動きはありえない。
確信をもって、十河は古都子に向かって、強く叫んだ。
「芦栂さん、気をつけろ! ソイツは〝知識〟を持ってるぞッ!」
壁にもたれ掛かったまま動かない異形は。彼の叫びにも反応し、素速く十河を見つめ。
項垂れながら、肩を震わせた。
「ウグロロロロォォ………………ウゥェ、ゴェ、ゴェ、ゴヘェ」
唇のない裂けた口角を大きく引き延ばし、牙の隙間から流れた涎まじりに、
異形は確かに――笑った。
声帯機能を持っていないのか、腹の底から発せられたそれは、
なんとも形容しがたい、不気味な声。
「グ、ロォ……ニィ、ニガサナイ。……ミンナ……ミィンナ、ミンナ……コロスゥ」
喉から出しているのとは違う異形の言葉に、古都子も身を堅くする。
「喋れるなんて……こ、この異形……まさかウィザード級!?」
最悪の事態だ。巨大なだけでも厄介だというのに、相手は知識ある者。
こちらが話し合っていることは、全て筒抜けであるのだ。
壁に打ち付けられたダメージが回復したのか、異形はゆっくり立ち上がり、前へと進む。
略式魔導鉄甲で撃ち抜いた傷は塞がっていた。
「ニガ、サナイ……ニニガサナイィ。シヌ……シヌ、ゼンイ、ン。コロス」
笑いながら、自らの意志を伝えてくる。狼頭の異形。
十河は剣を引き抜き、古都子と異形の間に割って入る。
「オレが引きつける。だから洞窟を崩す準備を!」
「だめ! 訓練生の貴方じゃ勝てない!」
頑として許容できない古都子は強く拒絶する。
二人の掛け合いを、待つはずも無く、異形は右手を畳む。
右手首がぎゅりぎゅり音を立てて反時計回りに回り始めた、一回転、二回転。生物が行えるよな関節稼働の限界を超えて。捻りは手首から二の腕までへと達する。なおもねじ曲がり続ける腕。関節が外れ、腕の中の筋組織が千切れてゆく音。作り出される右腕の螺旋。鋭い爪は矛先を定め。
「ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
関節の可動限界以上の螺旋を解放した異形は、一気に腕を突き出した。
長く伸びて突っ込んでくる腕の槍。激しい回転をしながら、十河へと迫った。
「間に合って!」
立ち尽くす十河の前へと古都子は一気に飛び出し、左手に自らの魔術を込める。
「……空間固定、魔力圧縮……障壁展開!」
割って入った女が手をかざすと、正面に大きな薄膜が現れた。
異形の爪は膜によって留められ……先へ進むことができない。
展開されたは巨大な盾。魔術の防壁としては高度な術式で構成されていた。
古都子の魔術に、異形の腕がぶつかる。ドリルじみた回転はすぐに収まり、だらりと垂れた腕は元の位置へと、素速く引き戻る。
「魔導盤は、あと四番と二番のみ……」
魔術を使って戦う事は可能であるが、すぐに限界を迎えてしまうだろう。
そうなる前に、速攻でとどめを刺さねばならない。
古都子は決め手となる銀盤の一枚を取り出し、いつでも発動できるよう、コートの内ポケットへと滑り込ませる。
――――まさか、ウィザード級と戦う事になるなんて。
単純な腕力では勝てない。こちらの魔術と相手の腕力ならば五分五分。
思考の中で、可能不可能を取捨選択し、最善の選択は―― 一人でも多く生き残らせること。
「たぶん……長くは保たないから。十河くん…………貴方だけでも、逃げて」
「――――な、なにいってんだよッ!?」
「私は大丈夫。できるだけやってみる。私も追いつくから。いきなさい十河くんッ!」
歯を食いしばって、掌に全神経を集中させる古都子。
芦栂古都子の背中を、目を開けて見つめる十河は、
またもや断片的に、過去と重なった。フラッシュバック。
『だいじょうぶだよトウガ。私も後から行くから。先に逃げて』
そう言いながら、目の前で大事な人が死んだ。
あの夜。赤い雪振りしきる、オレ達の居場所で。
ただ呆然と立ち尽くす。彼の視界は目の前にある戦いなどではなく。過去を見ていた。
頭が痛い。胸が苦しい。現実といつかの過去が重なり合って。今が今と――感じられないほど。曖昧な幻想に包まれる。
左胸。背中。貫かれた…………。命を。断たれた。
真っ向から古都子は異形に走り出す。
魔術で防御の姿勢を取りつつも、もう片方の指先から、略式魔導鉄甲よりも威力の劣る魔術の光弾を放ち、異形にダメージを与えてゆく。
相手の回復力には目覚ましいものがある。
どんな仕組みなのかは知らないが、恐らく魔術が施されているのだろう。
向こうの魔力が枯渇するのを待つか。こちらが即死級の攻撃を放つことができれば。
狙うは……頭。首を落とすか、頭ごと吹き飛ばしてしまえば、回復などできないはず。
振り落とされた一撃が、コートの袖を掠める。
焦ってはダメだ。確実に魔力を体内に取り込みながら、障壁を維持し続けるのよ……。
古都子の手から放たれた魔術の光弾は、確実に命中していた。
あとは、最前のシチュエーションでカードを切るだけ。
異形の圧倒的な暴力は、当たらなければ意味がない。
どんなに攻撃しようとも、素速く動き続ければ当たらない。
知識を持っているが故に、異形は感情的になって苛立っていた。
一対一の攻防。十河はただ何もできず、古都子の言う通りに逃げることもしなかった。
どうにかして、加勢しようと考えるも。
何故……いま、過去が溢れかえってくるのか。
『脆弱……。下等な貴様如きが、私を止められると?』
古都子が危ないというのに、十河は目を逸らして、幻聴に頭を抱えた。
忌まわしい過去。忘れようとして。もう捨てたはずの記憶。
どんなに消し去ろうと努めても、あの姿が……あの声が。自分を苦しめる。
理性が……心を繋ぎ止めている、理性の一部が、また千切れ始めた。
『力なき者が、意見を言う資格などない。奪う者は、いつだって強者であるのだ。ソレはお前達、人間がよく知っていることであろう?』
「やめろ……いまは、助けることに集中しろ。なんで今になって――――こんな」
全身から汗が吹き出る。力が抜けて両膝が地面に落ちる。
記憶に植え付けられた恐怖が焼き付いて離れない。実際にヤツはいないはずなのに。
十河の葛藤は、古都子の悲鳴によって引き戻された。
顔を上げて双方の姿を見て、十河は口を開けたまま、その方向を見る。
異形の腕はまっすぐ伸ばされ、古都子の胴体を掴んで持ち上げていた。
「ぐ、ぅうう! あ、アアっ!」
古都子が更に悲鳴を上げる。その声がまたもや、十河の過去を鮮明にさせる。
抵抗も、虚しく。オレはヤツに、この胸を刺し貫かれた。
握りしめた左胸は熱く。奥底で、泥が溢れる。
古都子は抵抗したところで、胴体を掴んでいる指が離れるとは思っていなかった。
彼女は最悪な状況で、ようやく最高のタイミングを引き寄せることができたのだ。
そして、間一髪の奇跡的な幸運。
苦しさに思わず悲鳴が上がる。それでも体をくねらせていたのは、逃れる為にあらず。
コートの内ポケットから、魔導盤を取り出すだけに、抵抗を続けていたのだ。
銀盤は非常に脆い。おそらく腰の一枚は拉げて使い物にならなくなっているだろう。
「ぅ。あ……ぐ……だけど、これならッ!」
古都子はまだ何も諦めていなかった。
その意志は生きるため……敵を撃破するためだけに向けられている。
素速く銀のプレートを右手に押し込んで、手をかざす。
術式は短距離にして、発動した際の作用は細い。
しかし――それは生き物を貫く。ただそれだけに特化した術式である。
「焦がし貫け……ドレッドノートッ!!」
赤く光る拳を突き出すと、魔力の塊が赤い柱となって表れる。
複雑な術式を必要とせず、略式魔導鉄甲から放たれた、魔力の固まりは灼熱を持ち、撃ち放った本人ですら熱線で肌が傷むほどの高威力。杭は異形の頭部を貫通する。
至近距離から射出された攻撃は一発。古都子は狙い通りに命中させた。
あらゆるものを焼き尽くすとされる限定魔術。
光が収束すると、彼女の胴体を握っていた指の力が緩む。
相手の頭部は半分吹き飛ばされていて、血液すら漏れ出ないほど、断面は黒く焦げ付いていた。
足先に戻ってくる血の巡りを感じながら古都子は勝利を確信した。
――――――――だが。
「ぅ……ああああああああああッ!?」
異形の指に力が蘇る。思わず暴れ回る古都子。
彼女よりも全体像を見ていた十河の方が、彼女の身に起こった異常が判断できた。
殺した異形の手は弱まるどころか、更に力を増して、古都子の胴体を締め付けたのだ。
半壊し、脳さえも炭化していた異形の頭部は見る見るうちに、新しい肉が脳が再生され、頭蓋が蘇り、時間を巻き戻すかのように元通りになっていく。
ついには潰れた眼球も形を取り戻し。ぎょろりと古都子を睨む。
「そんな……頭を潰したのに……あぁああああああ!」
今にも気を失いかねない古都子を掴む異形の握力が更に高まると、
彼女は苦しさのあまり、ついに悲鳴も上げられず、
抵抗する力が弱々しくなっていた。