<25>
後ろから、自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
反響して、自分を……あの人が。
「違う。いい加減にしろ。あの人は死んだんだよ!」
ふざけるな、雄弁に語るな。
お前は過去だ。もう終わった事なんだよ。
…………何が、終わっただ。自己完結して無かったことにしたいだけじゃないのか?
また、自分の声が、勝手に耳元で話しかけてくる。
うるさい。うるさい。五月蝿い。煩い。
走ることで、耳元の風切る音が聴覚に蓋をし、奥から放たれている強い魔力に集中することで、心の平静さをムリヤリ構築する。
通路を抜ける前に、十河は鼻が曲がるほどの臭気を吸い込み、口を覆った。
洞窟よりも更に色濃い魔力。空寒さを覚えた。
危険の気配が、自分の幻覚を忘れさせてくれた。
ここから先は別世界。
ただの分岐路ではなく。
異形の……この洞窟における牙城であるかもしれない。
覚悟を決めて、十河は分岐点の空間へと入った。
いの一番に飛び込んできたのは、異形同士で争う光景。
先ほどまで戦っていた、あの人型の異形が、同じく手足のある異形に向かって敵意を丸出しにして攻撃していたのだ。
抵抗する異形は、狼のような頭を持つ異形で、四メートルは下らない。
複数の異形を容易く豪腕で薙ぎ払い、近くの異形を手で捕まえ、食らい付いた。
噛みつかれた相手の悲鳴は一瞬。肉を噛みつぶし、骨を砕く音だけが残る。
体を赤い血に染め、異形は相手をあっという間に食べ尽くしてしまった。
「なに、あれ……?」
追いついた古都子も、十河の言っていた〝気配〟の正体をようやく理解した。
今まで戦ってきた異形とは、一線を画している存在。
個体の違いもさることながら、相手から放たれている魔力の強さが桁違いだった。
抑えきれない力が、内部から溢れだしている。
鋭い鼻先を動かし……嗅覚が新たな獲物を察知したのであろうか、異形は首をぐるりと回す。
十河と、古都子を目視で確認すると、喉の奥から呻き声を発し、血まみれの歯をむき出して唸る。
二人はゆっくりと、通路の入り口から分岐点の内部へと移動する。古都子も十河も逃げる選択をしなかった。脚力のありそうな太い脚。背を向けて逃げようものなら、たちまちに追いつかれ、先ほど食われた異形と同じ末路を辿るだろうと確信したからである。
逃走が目的でなくとも、行動範囲を狭めてしまう通路に戻る事だけはしたくなかった。
「グゥゥゥゥゥ……グルゥゥゥゥゥ」
呼吸する度に、白煙みたいなものが牙の隙間から漏れ出る。
オレ達を観察しているのだろうか? あるいは仕掛けるタイミングを窺っているのか。
「十河くん。君はとにかく後退して。ここは私がなんとかするから」
「あんた一人で、どうにかなるような相手じゃないぞ」
「私は、貴方を守る義務があります。私だってサイファーなのよ? 大丈夫。なんとか――してみせるから」
彼女の声からは、まるで余裕を感じない。嘘もそこまでゆけば立派なものだ。あの異形がどれほどの力を放っているのか、魔導師であれば解らないはずはない。彼女の力量がどれほどのものかは知らないが、正面切って戦える相手とは思えなかった。
古都子はコートを翻し、腰に備え付けていた小さなケースから〝銀のプレート〟を取り出し、出会った最初の時から嵌めっぱなしであった、グローブの甲へ取り付けた。
異形が脚を…………曲げる。
「来るぞッ!」
十河の声と同時に、異形が脚を伸ばし走り出す。
「ォォォオオォオオオオォオオオオオオーーー!!」
地面の死骸を踏み砕き、二人の足の裏へと地響きを伝える。
古都子は十河から渡されていたライフルを構え、すぐさま放つ。
反響する発砲音。軌道を描き、胴体に着弾する。
目標が大きくなるにつれて、古都子は連射の間隔を長くする。
表皮が分厚いのか。巨大な体に実弾のダメージなど、皆無に等しく。
これ以上の発射は無駄であると割り切り、銃弾がまだ残っている銃を、投げ捨てた。
十河から譲り受けていた結釘を取り出し、素早い動作で地面に打ち付ける。
「魔力圧縮。結釘へ接続…………展開!」
魔力を送り込まれた三本の結釘は直後に起動し、古都子と異形の間に薄い壁を広げた。
結界に全速力で衝突した異形は反動で押し返されるも、体勢を立て直し、獣の瞳で結界を一瞥すると、結界の外側から回り込もうと走り出した。
「………………早い!」
古都子の背後で、思わず呟いた十河。
瞬時に下した判断能力の高さに、背筋が寒くなった。
結界の内側に入り込み、目と鼻の先に二人が居る。
十河は刻印を起動させ、いつでも割り込んで戦えるよう、相手に一番効果的と思える武器を展開させようとしていた。
「そう来ることも、予測済みよ」
グローブの右手。二本指を異形に向ける。
古都子が身につけていたグローブは――略式魔導鉄甲と呼ばれる魔術兵器である。
シャッフラー自体に攻撃性能は無く、魔導盤を装着することによって、初めて魔術が行使できる。プレートは複数の種類が存在し、使い切りあるが、刻印並みに強力な魔術が使用可能だ。
サイファーでも一部の上級魔導師にしか支給されておらず、古都子は数少ない所持者であった。
「征きなさい――クラックロウズ!!」
言葉と共に指先から放たれたのは弾丸だった。実弾ではなく魔力によって練り込まれた光弾。
異形の肩、胴体、頭へと、次々に当たる。
異形の表皮を吹き飛ばし、肉を抉り取る。ライフルによる実弾よりも高い威力。
手の甲にはまっていた銀板が独りでに弾かれ、燃えながら空中で融解した。
悲鳴を上げて立ち止まり、たたらを踏む相手に対し、古都子は一気に魔術を使って加速し、目の前まで接近する。その間にも新たな銀板をグローブに装着していた。
異形がようやく古都子の姿を目視するも、彼女はすでに次の攻撃を展開させるために、手のひらを翳していた。
「――フラッドレイッ!」
言葉と同時に、手が閃光し、空気を押しのける爆破が生まれた。
がら空きの胴体に、爆音の正体である光の衝撃波を受けて、異形の巨体が吹き飛んだ。
数十メートルも後方へ投げ出された異形は、そのまま壁に叩き付けられた。
「――ふぅ」
右手のプレートは光を失って弾き飛び、炎を纏ったまま地面に転がる。