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「………………まったく。あの先輩は苦手だ。僕がイヤだと思うことをどんどん提示してくる。できれば、もう交渉などしたくない」
神貫縁は警備の配置場所を直接、生徒会会長と打ち合わせをしてきた直後で、普段は見せない疲れた顔で、常磐羽衣と辰巳虎姫の元へ帰ってきた。
彼らは早々に、いつでも戦闘ができる装備を整え、全身を覆う訓練所指定のレインコートを着ていた。激しい通り雨との予報であったが、流れる暗雲に切れ目は見当たらず、まだ降り続いている状態だ。
「それで、どこいくの?」
パーカー少女、虎姫は黙って仲間の帰りを待ってるくらいなら、体を動かしていた方が気が紛れると二つの拳を胸の前に持ってきて、やる気を出していた。
「僕らの警備場所は、一番安全なところさ」
「はぁ?」
口を歪ませた羽衣は、この後に及んで楽な選択をした縁に、心底嫌悪を抱いた。
「みんなが異界の中で頑張っているかもしれないというのに、アナタはまだそんなことをいってますの!? 神貫さん、恥を知りなさい!」
あまりの怒りように、感情にまかせた勢いで羽衣の全力ビンタが飛んでくる気配がした縁は、一歩後ろに下がって間合いを取る。細目のリーダーはまるで罪悪感を持っていないらしく、やる気を膨らませていた虎姫も両腕を降ろして非難めいた敵意を向ける。
「さんざん、わたくしたちに決めさせるとかおっしゃっておいて、なんですの? なんなんですの!?」
どうしてこんなのがリーダーなのか、仲間をなんだと思ってるのか。
落ち着きのある姿勢を心がけている羽衣の感情が荒ぶる。縁が何を考えているのか、まったく理解できない。
「いやいや。その件で会長とも揉めてね。僕が提示した場所以外だったらどこでも良いからって言うんだけど、僕はやっぱりそこが気に入っててさぁ。絶対に譲る気はなかったわけだ」
「…………………………んぅ?」
キーキーがなり立てる羽衣の横で、虎姫は縁の説明に違和感を持った。
「とにかく落ち着けよ羽衣。こんな所で僕に怒り散らしていたら、体力がいくらあっても足りないぞ?」
本人は神経を逆なでしているつもりは無いのだろうが、馬鹿にされている気がしてならない羽衣。頭まで血が登ってしまい、顔が真っ赤になっていた。
「ほらほら。僕たちだけならまだしも、現地に〝先輩〟を待たせているんだ。早く行かないと怒られてしまうかもしれないぞ?」
――『先輩?』
羽衣と虎姫の頭の中で全く同じ単語とクエスチョンマークが浮かぶ。明らかに何かを隠している。これ以上の問い詰めは無意味。さっさと移動するのが最前と考えた。
技能エリアにも多くの学生がいて、二年生ないしは三年生であった。
誰もが学年に応じた、多くの経験を積んでいるのだと思えた。
彼らをすり抜け、縁はすたすたと歩く足を止めない。
道を進むにつれて、学生がどんどんいなくなって、次第に大人達の数が増えてゆく。訓練所の職員や現役のサイファーたち。
「はい到着」
縁の足はようやく止まった。
「こ、ここって…………」
説明されなくとも、羽衣は思わず喉を鳴らす。
彼らが訪れたのは、ドームが目の前にある――正に事件現場の中心地だったのだ。
ドームの周辺には無数の機材が置かれ、仮設テントに大粒の雨が叩き付けている。
雨具に叩き付けてくる音の方が大きく、何やら大声で連絡を伝えているようだが、周囲の声はこちらまで届かなかった。
「あ、先輩。先ほどはどうも」
「……………………神貫くん。コレはどういうことでしょうか?」
生徒会副会長の東は先ほど来た時と同じ全身を覆う雨具と、腰に刀を携えたまま、深い不審を抱いていた。
「会長が〝警備の警備〟をしろと言ってきて、貴方たちと同行することになったのですが、会長に何を言ったんですか?」
「すいません。まさか先輩を巻き込むとは思ってませんでした」
じっとりとした睨み付けに、まるで動じていない縁は、形だけの頭を下げた。相手が後輩であるせいか、東も本気で怒っている雰囲気ではなかった。
「縁……ここをトラたちが警備するの? なんで?」
「会長にも相談したんだけど、こんど街でボランティアイベントを訓練所主催でやるって言う話だから、その手伝いを行う条件のもと、学長に問い合わせをして貰ったんだよ。もちろんボランティアに参加するのは異界の中にいる三人だ。僕はやりたくないからね」
「そういうことを、お訊きしているのではなくて、貴方が仰っていた〝一番安全な場所〟とはほど遠いのではありませんの?」
「何を言ってるんだ羽衣。一番安全な場所と言ったら、それはサイファーさんたちの近くでしょ? もっともプロフェッショナルな方達の前で警備なんて生意気な言い方だよね。勝手に行動すれば邪魔にしかならない。ここは言い方を変えて『見学』と行こうじゃないか」
「まさか、神貫さんは最初から、こうするつもりだったんですの?」
「当たり前だ。事の進展が全く掴めない、孤島の警備なんぞ、豪雨の中だれがやるか。あの会長が最初からそのつもりで僕を駆り出そうしていたなら、交渉の時点で断っていた。向こうも説き伏せようとしたのだが。今回ばかりは僕の方が一枚上手だったわけだ」
興味深そうな顔で、東の目が輝く。
「……あの会長を口でどうにかしたなんて、すごいですね」
生徒会長に一番近しい存在の東も感心した面持ち。
『ウチの班の……仲間が居なくなったのは知っているはずです。なのにどうして僕らを指名したのですか? それも置かれる場所は蚊帳の外も同然。数を配置するだけの無益にして不合理な警備だ。生徒会が率先して行っていると聞きました。……恐らくこの任務の目的は、混乱から生まれる生徒の勝手な行動を抑制する為のものでしょう? だから一年生の横並びに影響のある僕らや優良生徒を起用し、抑止力にしようとしている。だけど僕ら神貫班は、あのドームで仲間の帰りを待ちたい。現場に向かわせてはもらえませんか? 叶うならどんな任務であろうとも構わない。頭ごなしに却下されるとは最初から思っていない……判っていたら、最初から勝算がない交渉をするつもりは毛頭ありませんから。サイファーになれば捨て去らなければいけない情もあるでしょうが――自分が同じ立場だったら。会長、貴方ならどうします? ――と言うことも踏まえて英断をお願いします』
縁のまくし立てた言葉は、一瞬にして生徒会室を凍り付かせた。
この非常時に、取るに足らない一年生が、面と向かって物申しを行っているのだから。
しかも彼の発言は生徒会の思惑を見事的中させていた。学校は二次的な被害と混乱を懸念していたのである。
待機させているだけの状態でどこまで生徒の忍耐が保つか。指示を守らねばならないのは当然であるが、全校生徒を統率しておく『待機』の言葉だけでは効力が足りなかった。
学校の職員は無事な生徒まで手を回せないのが現状。そこで立ち上がったのが生徒会だった。
少しでも勝手な判断を行う可能性があるのなら、監視しておく必要がある。上位の班を筆頭に『警備』という名目で生徒たちをコントロールする方針を定めたのだった。
二人は黙ったまま動かず、どちらかが折れる話を示さない限り進まない。
そして、高笑いで凍り付いた空気を吹き飛ばしたのは、会長の方からだった。
『神貫一年生。何を言ってくるかと思えば、この忙しい時に面白い事を言うんだな。……そうか。俺の立場が同じ立場だったら、か。そりゃあこんなクズ任務をよこした責任者をぶん殴るだろうなぁ。グーじゃなくて裏拳で仲間の人数分ね。行動まで俺と同じ考えを持っているのなら、俺は殴られるのが嫌いだからご免被りたい。……………………よし。俺から学長に問い合わせしてやろう。君にとってはさぞかし重要案件だろうが、この切羽詰まった状況で学長の耳に無理を言って余計な仕事を増やさなくてはならなくなるのだ。すり潰さなくてはならない俺の心中も察して貰わなくては困る。……神貫縁。話が通ろうが通るまいが、これは大きな貸しになるぞ。なんせ貴重な人材を君らのお守りに起用しなくてはならないのだからな。こっちは問題が一つ増えるのだ。好きなことを言うだけ言って、ノーリスクでいられるほど甘くはない。自ら口から出した責任と覚悟はしておけよ?』
「………………頭下げたら、すぐにオーケー出してくれましたよ」
さて――今後どのような見返りを要求されるのか。頭が痛い。
もしかしたら、こうなることすら想定済みの中に組み込まれていたのだとしたら、そう考えると、なおさら今後どうなるかが気になる。
まあいいさ。言うだけ言ったのだ。要望は受け入れられた。後は野となれ山となれ。
「貴重な人材をお守りにすると会長は言っていたけども、まさか『特等試兵』の東先輩が付くとは思いませんでしたけどね」
「実力はさておき、一年生を単独で現場に向かわせるわけには行きませんから。全ての安全の責任は私にあるので、勝手な行動は慎んで下さいよ」
「え? 特等試兵って……」
『訓練生』の課程を終えれば『試兵』になるが、
試兵の中で一番上の階級が『特等試兵』である。
「二年生ランキング、一位……東班。羽衣は聞いたことないかい? 訓練所の個人順位でもトップテンに食い込んでいる人だよ」
「え、そんなすごい方ですの?」
口に出した後で、全然知りませんと言っているのと同じだった。慌てて失礼だと思い至り、口に手を当てて塞ぐも、東の耳にはもう届いてしまっていた。
「過大評価ですね」
眼鏡の奥にあった目にはなんの謙遜もなく。ただ厳格にして忠実そうな雰囲気を宿していた。
羽衣の目にはもう『超クールなエリート』というフィルターがびったり張り付いた。
「さあ。話はここまでだ。僕らは警備人員ではなく、事の成り行きを見守る見学者だ。恐らく外部の生徒たちで、ここで立っているのは僕たちだけ。しっかり見守るとしよう」
羽衣は、さんざん罵声を浴びせた事を申し訳なく思い、後悔した。
ちゃんと班長として考えてくれていたのだ。彼の思いを汲んであげられなかった。
ドームは大きな穴がこじ開けられていて、内部は暗く向こう側が見えない状態だ。状況は幾分か落ち着いているようで、内部にサイファーが突入していったばかり。
まだ残りのサイファーが集団で残っていて、医療品を多数所持しているところから、安全確保が行われたあとに送り込まれる救助部隊であろうと、縁は分析していた。
「パーアライズ! カウンターに動体反応アリ! 何かがこっちに来るぞッ!」
オーバーフェーズカウンターを持ったサイファーの一人がドームの入り口で叫んだ。
「全班近接戦闘準備ッ!」
一斉に刀剣を引き抜く音が、一瞬だけ雨音を上回った。
索敵したサイファーの言う通り、ドームの中からソレは飛び出してきた。
「異形を確認ッ!」
怪物を捉えるや、一番近くにいたサイファーが鮮やかに斬りかかった。
細身の異形は奇襲を受けて一撃で倒れる。対応の早さは場数の多さを表している。
「反応、まだあります!」
一気に押し寄せた異形のグループはドームの外へと飛び出して、豪雨をはね除けながら、一心不乱に走り続ける。
サイファーは反射的に異形を斬り殺してゆく。
「戦えない人間は下がれ! 第二波は異形の殲滅を行う! 一波の連絡が到着次第、敵を押し戻しながら突入するぞッ!」
あっという間にドームの前が戦場と化し、
縁は嘘のような光景に、細めた目を徐々に開いていった。
このとき、羽衣が見たのは、縁のゾッとする笑みだった。
この血生臭い戦場を、子供が玩具で遊んで楽しむように、声に出さず笑みを浮かべていた。
「コレが、サイファーの戦いか。興味深い」
「三人とも。危険だから下がって!」
東も一年生を守るという役割がある。今すぐにでも撤退させようと後ろへ行きつつ声を掛けるも、縁からの返答はなく。横に並んだ虎姫も黙って戦いを見つめていた。
縁に気を取られすぎて、ハッと我に戻った羽衣が声を出そうとしたよりも早く、
「神貫くん、危ない!」
東がいち早く危険を察知し、縁に向かって叫ぶ。
戦っているサイファーたちの合間を縫って、一匹の異形が頭部から発せられる緑の光を激しく揺らして三人の元へ走ってくる。
東は急いで助けに戻ろうとするも、飛び出した異形の方が数段速く。間に合わない。
縁は銃を構える素振りなど見せず、剣も引き抜こうともしない。ただ黙って雨に打たれるまま。ポケットに手を突っ込んだ状態で異形の突進を見つめる。
たじろぎ、一歩後ろに退こうとする羽衣に向かって『逃げるな』と小さく声を掛けた。
その一言で、羽衣の体が止まる。
「――僕は、後方が好きだ。後ろに居れば死ぬ可能性が少なくなるからだ。…………虎姫」
「いぇあ」
横に居た、辰巳虎姫が短く返事をすると、彼女は一歩前に出た。
――彼女の周りに魔力の固まりが溢れ出し、一瞬にして形となる。
形成された具現は、三メートルはあろう、全身に板金鎧を纏った半透明の巨人。
雨には打たれず、その体を抵抗なく透過している。
腰から下は存在せず。胴体のみが浮遊している姿。
純粋な巨人の拳は――異形を頭から捉えて、地面へと押し潰した。
足下に飛び散る血や脳などに目もくれず、縁はドームの入り口を見続ける。
あまりにも一瞬の出来事と、刻印の強さに、異形を処理した他のサイファーたちからも視線を集めた。
「…………僕は生きる為の後衛を選んだ。生き延びるためだけに班長になった。同時にそれは――誰も死なせない為、前衛を生かし続けることでもある。仲間を生かせない人間が、班長になんかなるべきではない。…………僕は、僕が生きられる環境を作ってくれる彼女たちを、心から信頼している。だから――これからも僕は仲間の命を生かすため、僕自身が死なぬよう、尽力し続ける」
細めた目は、何を考えているのか。
それでも、神貫縁の大きさが垣間見える瞬間でもあった。
「後衛が、最前線の異界に巻き込まれるなんて……そんな事になれば、僕は足手纏いにしかならない。自分の力量など百も承知だ。……僕が立ち回れないフィールドになんて行く気など、さらさらない。だから……巻き込まれたのが彼らで良かったと思っている。彼らであれば生き抜いてくれると信じているからね」
「ぐっじょぶ。縁……青チーズ」
虎姫はポケットからカメラを取り出した。
何をするのか解っていた縁は、死体となった異形を背景に、
細目を僅かばかり開いて、穏やかな表情を見せた。
「そういえば、いまのが……刻印使った初実戦」
「ソレはおめでとう。どうだい感想は」
「可もなく。不可もなく。あたりさわりなく。……なんとなく難なく」
「そうか。それは頼もしい。是非とも引き続き僕をまもってくれたまえ」
「うえっさ」
今にもまた新たな異形が出てくるかもしれないというのに、普通に話せている二人。
――やっぱり、頭のねじが飛んじゃってますわね。
二、三本どころか、全部抜けているかもしれない。
余裕のない羽衣は状況を許容できない。彼らとの差に、悔しさを憶えてしまう。
「そう緊張するなよ羽衣。怖いのはみんな一緒だ」
「なぁ!? き、緊張なんかしていませんわ! 怖くもありませんし!」
縁にずばり指摘されて、慌てて意地を張る。
「そうだ。その調子で良い。お前は気張りすぎるところがある。異形が出てきても落ち着いて対処しろよ。決してお前は弱くないのだから」
「い、いわれなくても、できますわよ。ふんっ」
「虎姫。羽衣……引き続き、僕らはここで待つ。サイファーの方々が、仲間を連れ帰ってくれるまで。ここで待つ……いいな? 例え、いかような結果になろうとも、僕たちは覚悟しておかなければならない」
三人は並んで、立ち続ける。
東はそんな彼らを見ながら、そっと小さな溜息をもらした。
「……へえ」
――良い班ね。
まだ一年生なのに、能力も高いが心構えがしっかりしている。
どうして会長が彼らの事を買っているのか、理解できた気がした。