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戦闘訓練はたった一人で、五人を打ち倒す無双を行い、
刻印訓練においては他の生徒を驚かせ、
卓抜した転校生――谷原真結良の認知度は一気に高まった。
休み時間は彼女の周りに生徒が集まり、ちょっとした騒ぎが出来上がっていた。
「すごいよね谷原さんって、士官学校にいたんだよね?」
「あ、ああ」
――今日一日で、何度目の同じ質問だろうか。
少々、辟易していた所もあったが、話す者にとっては初めての質問なのだ。
仕方のない事であると割り切り、なるべく表情には出さないように対応した。
「へー。じゃあエリートじゃん。階級が最初からあるって事は、ゆくゆくは隊長とかやることになるのかね」
「いや、それは今後の努力次第だし、階級は関係ないと思うぞ」
なるほど、と違う男子生徒は納得した様子。
士官学校に行っていたからといって、即ちエリートと直結してしまうのは違う。
実際――人間として出来ていない者もいた。
ああいう人間が、ゆくゆくは陣頭指揮を執るのだろうと思うと、嫌気が差す。
「刻印っていつから使えるようになったの?」
「もう帯刀はできるの?」
「実戦訓練見てたんだけど、あんな戦い方どうやって覚えたの?」
「谷原さん、今度一緒に遊びに行こうよ」
「まだ決まっていないんだったら、ウチの班に来てよー」
「あ、ずるい。アタシの班だって谷原さん欲しいよ」
真結良は完全にごちゃ混ぜの質問攻め状態になっていた。
「でもさー、谷原さんすごく優秀だから、きっと先輩たちにも噂が伝わっているかもね」
女生徒は思い出したように、誰に話すでも無く言う。
「…………そらあ、外界からの転校生なんて早々いるものじゃないからなぁ。それだけでも十分な話のネタだろ」
「もしかしたら先輩たちの……『ディセンバーズチルドレン』の班に入れるかもしれないよね」
「…………あの、第一次異形進攻を生き残った? か、彼らはこの訓練所に在籍しているのか!?」
どの質問にも大きなリアクションを見せなかった真結良だったが、
ほとんど反射的に食いついていた。
――――『ディセンバーズチルドレン』
異形と人類の関係性について学んでいれば、自ずと耳に入ってくるその名前は、授業でこそ習わないものの、士官学校で常住坐臥、噂の種として絶えなかった話題の一つだ。
数年前――異形がグラウンドゼロを越え、第三層の結界を打ち破り、戦いの火蓋が切って落とされた異形と人類、初の大規模戦闘。それが『第一次異形進攻』である。
この時点ではまだ、魔術や刻印の存在が認知されていない時期であり、
人類が現代の戦闘形式の上で常套手段である、火器類を用いて戦いに挑むが、異形相手に対人兵器が通用する道理など無く。これにより敗戦……後退を余儀なくされた。
時間をかけて国は固有刻印を持った人材を集め、魔術を学び、異形への対策を講じ、
一縷の望みを抱き、第五層からの奥へと――異界への再アプローチを開始した。
生存している人類の捜索と、少しでも個体を減らすため、異形の駆逐を目的とした任務。
……これが後の『サイファー』の雛形となる。
盤石を期したはずであったが、それでも犠牲は出た。
未知の異界に翻弄され、
異形の襲撃に遭い、
何人もの隊員の死と、
幾度も異界の探索が継続された。
もしかしたら、生きている人間がいるかもしれない……。
雲を掴むような希望は暗澹たるもので、
見つかるのは人々が無残に殺し尽くされた死体ばかり。
残存している住民はいないものと決定づけられてしまうほど、
異界とは人が生きられるような場所ではなかったのだ。
しかし、人間の生命力というものは時として常識を脱し、
予想の範疇を大きく飛び越えるものなのだ。
困難を極める捜索の末、
異形の巣窟となった土地で生き残った人間が確認された。
それこそが――『ディセンバーズチルドレン』
寒ささえ失われた異界の十二月。
地獄の三年間を生き抜き――当時十八歳の少年は、人類初の生還者となる。
これらを足がかりとして、一区から四区の出身者が次々と現れた。
彼ら生還者は、異形に対しての貴重な情報などを豊富に持ち、
――子供たちの多くは自警団と呼ばれる、子供たちだけのコミュニティーを作り上げ、
自給自足のサバイバル生活を送っていたという。
生きていたというだけでも、奇跡的であるというのに、
逃げるどころか自警団は自ら異形を討伐して、自分の住処を守っていた。
彼らの生存こそが、異形に立ち向かっていたという確かな証拠であり、生き証人でもあった。
子供たちは誰から学んだでもなく、
自らに眠る刻印の存在を知り、
刻印の使い方を我流で学習し、
独自の方法で生きる術を見出し続けた……。
ただ――生還した子供たちはほんの一握り。
何百万、何千万人とも言われている、
異界の中で散っていった犠牲者のうちの――数十人でしかない。
だとしてもディセンバーズチルドレンは誰よりも戦闘経験を積んでいることに違いはなく、単体だけで数多くの異形を相手にできるとまで言われている。
彼らは正に一筋の曙光――パンドラの箱に残された希望の如く扱われているのだ。
「上級生にいるのは知ってるけど、一年生にもいるらしいね。噂だけど……」
「…………一年生のディセンバーズチルドレン…………どうして誰も知らないんだ?」
「うーん、確かに居るって噂は聞いたことあるけども、実際に『自分だ』って言っている人間は見たこと無いからなぁ」
やっぱり、ただの噂なんじゃないの? と女性徒。
「でも火のないところに煙は立たないって言うじゃん。ディセンバーズチルドレン自体が稀少な人材だから……きっと上層部で特別優遇されてる生徒に違いないと思うぜ」
「ふむ……」
顎に手を当てて、なるほどもっともな意見だと解釈した真結良。
ディセンバーズチルドレンほどの大物ならば、一般の訓練に参加しているはずもない。
別口でカリキュラムを受けているに違いない――そう結論に至る。
「ところで……」
初めて真結良が質問する側に回る。
どんなことを聞かれるのかと、興味をもって周りは耳を傾けた。
「君たちは、サイファーになりたいと思っているか?」
彼女の質問が余りにも予想外だったのか、誰もが表情を変えることなく静止すること少し。
男子生徒の一人が最初にに思考を再会したらしく、
「い、いやだなぁ。俺たち確かに訓練はしているけども、好き好んで異形の者たちと戦いたいなんて思わないさ……できれば、なあ?」
同意を求めようと、取り囲んでいた全員を見やる。
その誰もが、顔を歪ませながら失笑していた。
旧三鷹訓練所は訓練だけではなく、基地としての機能も併せ持っている。
広大な土地を丸々、外壁で取り囲んだ場所は、高等学校の生徒が学習や訓練をするために使用される他にも、一般の軍人が使用する施設などが多数点在していて、施設の中には高等学校の生徒たちが住まう学生寮も備えている。
サイファーになるための訓練を行っている高校生であるが、扱いはあくまでも学生。
放課後は、寮の門限さえ守れば自由時間が与えられる。
多くの生徒は拘束された時間から逃れるかのごとく、
一時的に解放された裏門から繁華街へと向かってゆく。
真結良もまた、何人かの生徒から遊びに誘われたのだが、
同年代との付き合い方に対して免疫が皆無であった彼女は、やんわりと辞退した。
高校から寮までは、目と鼻の先。
高校と隣接している旧公園は全体をフェンスで囲まれ、内部は実戦訓練場及び、銃の射撃場として使われている。
夕焼けが赤く、影を伸ばす黄昏時。
日没はどこにでも訪れるのだと、たわいのないことを思い。
同時に、真結良はここが内界であることを一瞬忘れたほど、
内界は自分が思っていた以上に、日常が満ちた場所であった。
もっと切羽詰まっている雰囲気なのだと思いこんでいた。
旧首都は荒廃に包まれ。
誰もが不安と共に朝を迎え、
誰もが恐怖を抱え夜を過ごす。
誰もが緊迫した状況に立たされていることを自覚し、
誰もが毎日が異形との戦いに備え、神経を研ぎ澄ます。
パンドラクライシスを過去の出来事だと危機感を失い、
勘違いし始めているような外界とは違って、
使命感のようなものに燃えている人間が集まっているのだと……。
だが、現実は自分の思いと、幾分か食い違っていた。
士官学校の有り様は、異形に立ち向かうため、自身が第一線に立つための下準備を行うためのものなどではなく、一歩でも後ろへ、一歩でも戦いの中心から遠ざかるため、無傷で済む数少ない上官の席を奪い合うために用意された舞台だった。
とんだ茶番劇だと、真結良は打ちのめされたものだった。
もちろん――心の底から尊敬できる先輩はいた。共に価値を共有し、お互いを高め合えるような仲間もいた。それが友情かと聞かれれば違うのかも知れないが。
それでも総合的に見ると、やはり士官学校は前線に行きたくない人間が集まる、腑抜けの衆だった。
きっと内界にくれば、世界は変わるはずだ。
自分の望んだ戦いは――もっと異界に近づくことによって、異形を滅ぼすために生きているような人間と出会えるはずだと、思っていた。
だというのに、やはりこの程度だったのだろうか。
私は、まだ異形と相まみえたことがない。
訓練での成績は良くとも、実戦経験は皆無だ。
それでも――私は強い意志をもってここに来た。
きっと『ディセンバーズチルドレン』の人たちなら…………自ら異形と戦い、生き抜いてきた人たちなら、私のことを理解してくれるはずだ。
彼らは誰よりも異形と戦い。生き抜き。……そして強い意志で生還したのだから。
………………いつからであったか、
噂話を聞くだけでも、
脳裏に浮かんでくる猛勇に想像を膨らませていた。
初めて救出された人間さえ、
異界化した世界で三年間も生き抜いてきたのだ。
最低でも……三年。
気の遠くなるような時間と、
いつ救出されるのかもわからない、弱肉強食の世界で。
生死の境界線が朧気で、明日は我が身の絶望の中……。
私ならば、精神が保たないだろう。
どんなに生きる技術と、異形に負けない力を身につけようとも、
何年も命の危機に晒され続けていたら、きっと心がどうにかなってしまうだろう。
いつしか――私の中で『強さ』の象徴が、彼らディセンバーズチルドレンとなっていた。
今でも壁を越えたこの場所で逃げることなく、
異形相手に、世界を守る為に戦っている。
そんな凄まじいまでの生き様に惹かれ感化されていた。
私がこの訓練所に来た理由の一つとなるほどに。
いつか――彼らのように戦えたら、と。
そんな淡い憧憬を、胸の片隅に抱いていたのだった……。
「あ! 真結良ぁ~!」
「………………?」
自分を呼び止める声。
フェンスの向こう側から走ってくる人影、
真結良の前に到着するなり、金網を両手で握る。
片方の手首にはカラフルなミサンガ。
「…………京子」
「真結良は、いま帰り?」
「ああ。君はまだ授業か?」
「アハハ。違うよぉ。これは自主トレだよ。今度、班でテストがあるから、足引っ張らないように練習してるとこ」
「…………そうだったのか」
胸が満たされるような気分になる。
そうだ、全員が全員……同じ意識を持っている訳ではない。
彼女のように、常に向上心をもって努力を重ねている人もいるのだ。
「京子はさすがだな」
「ん? そうかなぁ。あたしは安藤と喜美子に置いて行かれたくないからがんばってるだけ……練習を積み重ねていれば、最前線に出ても迷わず行動ができると思うしね。褒められることはしていないけど」
彼女の取り組んでいる姿勢を見ていると、
自然と励まされているような気持ちになった。
訓練所に来たことは、決して間違いなんかではないのだ。
「……ありがとう」
「へ?」
「私もがんばるよ。京子のようにがんばって、少しでも早く前線に立てるよう精進する」
フェンスの向こうで、彼女は感慨深い表情で、真結良を見つめた。
「どうした?」
「――――なんか、さ。真結良と出会ってまだぜんぜんなんだけど、すごく懐かしいような気がするんだよね」
「……なつかしい?」
「うん。初めて会った気がしない――というか、昔から友達だったような感覚……なんかあたし、すごく不思議なこと言ってるよね」
愛おしそうに、ミサンガを撫でながら、
自分でも確信できない感情に説明を加えていた。
「別に、真結良みたいな友達がいたとか、誰かに似ているとか、そういうのじゃなくて……なんだろうなぁ。もどかしいなぁ」
頭を掻きながら京子はしどろもどろになる。
「…………京子と同じ、とは違うのだが」
真結良もまた、彼女の話に同調のようなものを示した。
――彼女の意志に合わせたいワケでは無く、自然と言葉が紡がれたのだった。
「私は、友人と呼べる存在は、ぜんぜんいなくて……こういうのが友達だったら…………悪い気はしないと、そんなふうに思って――」
「ぇ? あたしたちって、もう友達じゃないの?」
「………………え?」
「――――え? あ! ご、ごめんなんか勝手なこと言っちゃって、あたしが勝手にそう思い込んでいただけだから、もし気を悪くしたのなら……」
「そんなことないっ」
その否定は無意識が、真結良を叫ばせていた。
「私も、友達だと――そうで有りたいと、思ってるぞッ」
「へへへ……なんか――青春だよね。…………でもすごく嬉しいよ」
京子はフェンスの隙間からできる限りの指を伸ばす。
「お互いがんばんなきゃだね……友人として」
「ああ、そうだな。友として……がんばろう」
伸ばされた三本の指をそっと握り、握手を交わす。
昨日までは友人など必要の無いものだと、本気で思っていた真結良であったが、
この瞬間、初めて岩見大尉の言わんとするところが、
少しだけ理解できたような気がした……。