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十河と古都子。遅れて真結良が戻ってくると、
足音に反応して、二度目の襲撃が来たのかと構え、震駭していた生徒たちの緊張が幾分か緩む。なんとか難局を切り抜けた生徒たちは、みな疲弊して寄り集まっていた。
奥の方では、負傷者が痛みを訴え、怪我をして手当をするも、最低限の医療品もなく。血が流れ出ないよう布をあてがうだけで精一杯。
無言のまま仰向けにされている生徒は死亡していて、上着がかぶせられていた。
「谷原!」
弘磨が彼女の姿を見るや否や、駆け足で近づく。
後ろには、檻也と的環もいた。
「十河! 十河も来てたんだね! よかった十河!」
まさか彼がいるとは思わなかった檻也は、十河に突っ込んでいく。
跳ねながら両手を握り、満面の笑みで喜ぶ。
「…………十、河?」
握った手を振っても反応のない彼の顔を、心配そうに覗き込む檻也。
「――――ああ。問題ない。大丈夫だ」
「……………………」
彼は俯いたまま、目を合わせようとしない。
檻也は、その顔を知っていた。
仲間……家族を失って、誰にも頼らず、誰にも心を開かず、自らが作った箱の中に全て押し込んで悲嘆に暮れていた頃の彼だ。
目に精気はなく、何を考えているのか、まるで読み取れない。
一抹の予感。……この洞窟に来て、初めて大きな胸騒ぎが、檻也の中を通り過ぎていった。
「現場を指揮していたのはどなたですか?」
古都子は急ぎ足で学生の集団に向かい、声をかけた。
「……あ、芦栂士征、ですか?」
実地訓練の際に一度だけ見た綺麗な女性を、祈理はよく憶えていた。
人類最強をトップとした、神乃班の副隊長。
一方、古都子の方は、女学生が何者であるのか判らず、関原養成所の正装を身につけている時点で、先の訓練に参加していたであろう生徒であると思った。
古都子が祈理の問いかけに対し、その通りであると告げると、祈理は落ち着き払った態度で、所属と名前を名乗り、敬礼をする。
「私が指示を出し、みんなで食い止めていました……でも、犠牲者が」
後ろで並んでいる死体を見ることが出来ず、話すうちに祈理の表情が沈む。
「石蕗さん……今はとにかく、生き抜くことだけを、皆を生かすことだけを最優先に考えること。良いわね? 悲しむのは後。優先順位をはき違えてはダメよ」
両肩を掴んで、古都子は真正面から祈理の泣きそうになっていた瞳をじっと見つめる。
「指揮しているのは貴女。まだ助かったわけではない。一緒に乗り切りましょう」
「――は、い」
一度強く瞼を閉じ、涙を飲み込んだ祈理は、再び自分を取り戻す。
一方、真結良が連れ戻すと言っていた人間が、どこを見ても居ないことに、弘磨は静かに問う。
「草部はどうなった」
「やつは新たな群れが迫っていたというのに、自分で洞窟を爆破して通路を塞いでしまったんだ」
「はー? なんでんなことしたのさぁ?」
的環も蘇芳の行動を理解できないようだ。
「きっと一人で食い止める気なんだ。私たちには残りの二本を何とかしろと言い残して……」
拳を握る真結良の腕は震えて、彼を説得できなかった不甲斐なさに唇を噛む。
異形の叫びが聞こえた。間違いなく近づいてきている。中央の通路は塞がれている。すると左右の通路から異形が来ようとしているのか。
「また敵が来ます! 全員陣形を再開。範囲を狭めて応戦を――」
祈理が指示を出した時、誰かが自暴自棄な叫びを上げた。
「もう無理だよ! あんなのをもう一度なんて……もう、抑えられっこない!」
「一回だけだったらまだしも……私たち、死んじゃうのかな」
座り込んだまま諦めてしまった生徒は何人もいた。
「ふざけんな! こんなとこで死ねるか! あきらめねえぞおれは!」
英二は敗北の空気に渇を入れた。
「私も、イヤだからね……絶対、帰るんだから!」
あかりも声に出して言う。
隣にいた晴道は、なにも言わず、無言で戦闘を行う支度を調える。
「通路が二つあるのならば……一本は私が引き受けましょう」
本来だったら、草部蘇芳の元へ向かうつもりだった古都子は、優先順位を頭の中で切り替え、自ら手を挙げて、全員に向かって言い放つ。
「やれるかどうかは判りませんが……なんとか、食い止めてみます」
「芦栂士征、幾らサイファーでも無茶です!」
祈理が慌てて止めに入った。
最初の群れと同じくらいの数が来るとしたら、たった一人でどうにかできるとは思えないからだ。技術はないとは言っても、大勢の試験兵で挑んで、ようやく防げたくらいなのだから。
相手の個体能力は低い。一滴の水では何も感じないが、鉄砲水ともなれば話は別だ。自分達は身をもって知った。数の力というものは恐ろしいの一言に尽きる。
「でも、これ以上生徒たちを分散させるわけにはいかないでしょう? これは可能性の問題です。石蕗さん。一人でも多く生き残れる可能性が広がるのなら、その選択をするしかない。あの通路の奥にいる生徒を助けに行かなければなりませんし。敵が来るのを待ってはいられません」
蘇芳の元へ帰ると約束した古都子。彼がどこまで持ちこたえられるかは判らないが、事は一刻を争うのだ。
「わかり……ました。ご武運を」
「ええ。貴女も」
去り際に、古都子は最初から一緒にいた十河に声をかけた。
彼の顔色は悪く、目もうつろな状態だ。
「十河くん。君はここに残って……私はあの生徒を助けに行くわね」
「……だめだ。あんた一人じゃ」
「谷原さん。十河くんをよろしくね」
真結良は深く頷いた。古都子は駆け足で去り、どんどん小さくなって行く背中。
完全に見えなくなったところで、急に十河は目を見開いた。
もう、何度目かになるのか解らない閃光回帰。
十河の目には、ここではない違う幻影が見えていた。
「待て! ミズ…………芦栂さん!」
現実と過去との境が混じり始めている十河は、芦栂古都子とは違う、別の誰かの背中を追いかけ、走り出していた。
「間宮! どこへ行くッ!」
一心不乱に走り出し、暴走する十河を真結良が呼び止めるも、彼はまるで聞く耳を持たなかった。
檻也は確信し、背筋に寒気が走る。
十河はもう、こことは違う別のものを見ている。
『十河は――あの頃に戻ろうとしている』檻也の中でそんな言葉が浮かび上がった。
彼の知る過去は、檻也にとっても同一の最悪である。
思い出したくない過去と、捨てられない暖かい思い出。
十河はいったい、なにを思い出し……取り憑かれてしまっているのか。
無言で十河の消えた方へと、檻也が向かおうとしたところで、
弘磨の大きな手が細身の肩を掴み、阻止した。
「いやだ。弘磨くん。ボクを行かせて!」
「だめだ浜坂!」
「でも十河、十河を……あのままにはしておけないよ!」
「ハマちゃん……」
的環も初めて取り乱す檻也に、かけてあげる言葉が見つからなかった。
「今戦えるのは、俺達しかいない。俺達は残りの通路で戦うしかない。そうしなければ、全員を守り切れなくなる」
「なら…………私が行こう」
真結良が発言したことで、次はお前かと弘磨の顔が殺気立つ。
「谷原、お前いい加減にしろ! 集中させなくてはならない戦力が手薄になればどうなるかなど、さっきの戦闘で判りきっているはずだぞ!」
「間宮一人では心配なのもそうだが……彼は私の班の仲間なんだ。見捨てるわけにはいかない」
済まないと、言い捨てて。
真結良は十河が向かっていた、右の通路へ走り出した。
――もう迷っていられない。大勢を生かす事を最優先に。
ほんの微かな判断ミスと遅れが、他人の命を脅かすことを理解した祈理は、去って行く一年生を気に止める余裕はなくなっていた。負傷者と残りの生徒の命。
今は、こちらをどうにかすることが、自分の全てである。
「みなさん。サイファーの方が向こう側を守ってくれます。残りは一本を死守するだけ。ここで負ければ全員が死にます……」
まだ活力が残っている者。抜け殻になって虚ろな者。それら全てに自分の声を届ける。
もはや戦う意志を示そうとする人間の方が少ない。戦意の喪失。折れた幹を立て直すのは難しく。一度倒木してしまうと、あとは腐るのを待つのみだ。
「私は、……………………わたしは生きたいッ!」
祈理は空気を一杯に吸い込んで、叫びとして主張した。
あまりの強さに、生徒たちや黒服も驚いて視線を集めた。
「こんな所で死にたくない! みんなはどうですか!? 誰一人だって死にたいと望んでいる人は居ないはずです。だから皆で力を合わせて戦った。そしてこうやって生き残れたのです!」
言葉に熱を帯び、生徒たち全員に届く。
「大勢の仲間を、私が殺してしまった。私が至らなかったから。……でも、いまここで挫ければ、全て……全てが無駄になる。無意になる。無価値になる! そんなの――私は受け容れたくない。まだ生きているあなた達に、生きることを放棄する権利なんてないはずです! 生きようと必死になって戦い、散っていった仲間の前で、あなた達はまだ平然と、自らの意志で諦めを、死を選ぶというのですか!?」
仲間達の視線は、祈理から死体となって横たわる者たちに向けられた。
俯き、すすり泣く声が聞こえる。
それらの空気を、情け容赦なく引き裂く、異形の雄叫び。
負けじと祈理は恐怖を押し戻すように、声を張り上げた。
「動けるならば、最後まで足掻きましょう! 異形には負けません。いま一度……覚悟を示す時です! 一人の人間として勇敢に戦うか、武器も持たず無様に死ぬか! 私は生きます。最後まで戦い抜いて、この異界を……脱出してみせます!!」
祈理の言葉に、誰かが『生きたい』と、囁くように言った。
誰に伝えるでもない発言は、小さな連鎖となる。
「……そう、だよな。戦わないとだよな」
「私も、生きたい。しにたくない」
「オレたち、全員で帰るんだ」
「食われて、たまるかよ」
落ち込んでいた雰囲気に確かな変化。熱が蘇る。
空元気でも構わない。やけくそでも構わない。
諦めず、進もうと前を向ければそれでいい。
敵はもうすぐそこだ。通路を抜けられる前に、応戦しなくてはならない。
どんなに数が来ようとも、広範囲に拡散できない場所ならば、多くの人数を割かなくて済む。
「負傷者を守る最低限のチームをここに置き……残りは左の通路で、異形を迎えます!」