<18>
ローブの男はほくそ笑みながら高みの見物。
異界の中で繰り広げられる混沌の渦を楽しんでいた。
人々が焦り、恐怖に駆られ、本陣が崩れる時を見守る。
視覚が増える、と言うことは簡単なものではない。人が備えている『見る』という機能は、眼球から視神経を通して、膨大な照度や色彩信号が送り込まれ、複数の脳内部位で処理を行ったのち、初めて『認識』の結果へと至る。
一つの視界につき、一つの脳。人が思っているよりも多くの情報を扱っているのが『見る』という機能である。男は一つの脳で多くの視覚を得ていた。外部から集まり、入り込んでくる映像は全て別の異形からの視界だ。
これら統一されてない映像を、脳一つだけで『認識』までこじつけていた。
両腕を振って全速力で走る者、
天井に張り付いている者、
バラバラになった人間に食らい付いて、死肉を貪っている者、
攻撃されて身動きが取れなくなっている者、
霞んだ視界で死にかかっている者、
その全てを男は理解し、異界でどのような状況になっているのかを判断していた。
男は幾つもある視界の中で、やけに目立つ存在を見つけた。
――火炎……いや、爆破使いか?
金髪のオールバック。随分と戦い慣れしている。
たった一人で立ち向かってくる姿。
無抵抗に等しく、死亡したスウォームの映像が途絶えた。
それだけではない。他にも戦い慣れしている生徒がいた。
居合いと、得体の知れない斬撃を行う男。
憑依型の刻印によって、人外の両腕を振るう女。
発光している手のひらに触れられると、動けなくなるスウォーム。
悉く、彼らを見ている視界が潰れてゆく。
「ふむ…………良い刻印を持っている。確実に追い込み、消耗させているのだが、単純な物量だけでは、質の良い連中を押し切ることはできない、か」
消耗戦はいかに相手に多くの損害を出させるかである。
攻めより勝る防御に対し、どれほど戦力を送り込もうともこちらが消費するばかりが現在の状況。長期になられると困る。外部では早くても異界とを隔てているドームに風穴が開けられる頃であろう。内外の事情を抱えているこちらは、必然と短期戦を強いられているのだ。
敵に余裕が生まれ始めている。安定し始めた籠城ではスウォームをぶつける意味がなくなる。
次なる戦力を投入し、一気に畳み掛けた方が良いかと、第二陣の準備をしようとした所で。
「……………………………………………………………………ン?」
――――男は異常を捉えた。
好き勝手に移動していたスウォームの一匹。男にもこの異形がどこにいるのかはわからない。
瞬く間に視界が消えてゆく。隣に居たスウォームが分断された。
一匹を操り、倒した相手を探させるも、死角からの一閃。
また一体殺され、自分の見ていたビジョンが途絶える。
「なんだ? ……なにがあった?」
状況がわからない。ただ……何かが変化した。直感がざわつく。
空気の流れ。状勢。追い込んでいたはずの展開が、逆に蹂躙されてゆく光景。
現場を支配し、把握している状態を続けていたのに、知ることのできない何かが、起こっている事に男は一抹の不安を抱いた。
「………………また、一体。二。……四。はやい…………はやすぎる」
籠城している現場の視覚を全て切り落とし、スウォームを使って全神経を総動員させ、別の場所で発生している死亡の連鎖を確かめようとする。
数が十五を超えたあたりから、敵は恐ろしいほどの高速移動をしながら、常に死角から狙い定め一撃で殺しているのだと判断できた。
手練れ……いや、手練れなどの枠組みにすら入りきらない。異常そのもの。
敵の移動に合わせて、スウォームが死体に変わってゆく。
なんて速さ。このまま殺され続けては、全滅する。
男は懐から純度の高い魔力で固めた『結晶石』を取り出す。
手のひらに収まる程度の大きさ。ガラス質の青い鉱石。
高圧縮させた魔力を物理的な結晶としたものだ。
この日のために作り上げていた結晶石は――五つあった。
一つはこの術式を起動させる為に使用した。
二つ目は……数日前、取引として異形の欠片と交換してしまった。不安定な十七区のエリアで作った第一号。誤って劣化させてしまった失敗作。残り四つは長い時間をかけ、しっかり完成させてあった。
失敗作を渡したのは、決して出し惜しみしたのではなく、完成したものを使えば、膨大すぎる魔力に耐えきれず、取引相手である訓練所の少年の体が爆散してしまう危険性があったからである。
――取引は取引だ。相手がしっかりと、こちらが欲するものを提供してきたのならば、男も取引相手が使える相応のモノを提供したに過ぎない。
他に理由があるとすれば、ヘタに死んでしまえば、ブラックボックスは死亡の原因を追求し、こちらの作戦に狂いが生じる可能性を恐れた。
男にも確固たる美学とプライドがあり、狡猾にして用意周到な気質があった。
何ヶ月もの時間をかけて人間を攫い、儀式のため血肉を使って生きた器を作り、異形の欠片をもって刻印を持った人間の魂を抽出する。そして――探り続けた。この内界における謎を。
異界を閉じ込め続けている人間たちの……表には決して現れない、基礎部分にいる連中が何者であるかを知る必要があった。
行き着いた先は――中枢機関。
サイファーを含め、あらゆる魔術、神秘を管理し続けている、結成してから日の浅い不透明な組織。男が知りたかったのは組織の根元に居る存在の確認である。
………………成果を出さねば、また多くの材料が必要になる。もう火は焚いてしまった。大釜の中へ素材を入れてしまった。いまさら止められない。こちらも損害を覚悟なのだ。コレが失敗すれば次は無い。
せめて成果を。自分の求めている答えが欲しかった。
「そこかっ!」
高速の敵を目視で捉えるため、規定数以上のスウォームを操り先回りさせて、洞窟の入り口から構えていると、一瞬で三匹が視界が死に。残りの二匹でようやく目視できた。だがそれもほんの僅かな時間だけだ。
黒いコート。二刀流。背中に巨大な物体を背負って、魔術を展開させながら自分の肉体を高速移動させる行為を絶え間なく、くり返していた。
「…………人間。あんな戦い方をする人間がいるなんて」
間違いない――相手は異形殺しのプロ。……サイファーだ。
それは、いよいよ本格的にブラックボックスが動いているのを指し示していた。
屋上からは見えないが、異界化したドームの外から、穴を開けて侵入を開始したらしい。
「構わないさ。こうなることも計算ずくだ――だから、石が必要だった」
男は魔力が詰まった三つ目の『結晶石』を足下にある魔法陣へと、擦り込むようにして砕き、魔力を注入した。反応した魔法陣から、極大の光が溢れ出す。
地面に描いていた魔法陣に輝きが蘇り、小さく建物が振動する。
「これで百は、増えるだろう。ソレも大小含めて、ね。……さて、そろそろお前の出番だよ」
男は新たに、四つ目の結晶石を取り出して、後ろへ放りなげた。
高い軌道を描いて、落ちた先。
後ろに引かえていた〝狼頭の異形〟は、男が投げた結晶石を受け取ると、噛み砕くこともなく、ゴクリと一飲み。体内に莫大な魔力を宿した異形は、口から大きな煙を吐き出す。黒く細長い瞳孔の色が、金色へと変化する。
両肩から無数に生えている触覚のような器官が、与えられた力に激しく動く。
男が指を弾くと、異形が立っている足下が歪んだ。
赤黒い泥が沸き上がり、異形の周囲に広がってゆく。
「人間は全部殺せ。どんなに相手が強かろうとも、貴様の能力をもってすれば倒せるはずだ」
「グロロロロロロォォォォ…………」
返答は言葉で行わず、唸るだけに留まる。
足下の泥は、巨体を足先から飲み込み、
――――トプン、と。泥の中に頭まで沈んで消え、泥は地面に吸い込まれて消えた。