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洞窟から出てくる異形の数が、どんどん少なくなっていく。
蘇芳が向かって行った中央の分岐路は、彼が入っていた後……異形は一匹も現れない。
ただ、最初に現れなかった左右の通路から、微々たる量ではあるが、異形は出現していた。
「行かなくては……」
真結良は意を決して新しく氷の踏み台を作り出し、壁を乗り越えようとする。
「どこに行くんだ谷原!」
弘磨は慌てて止めに入る。
「草部が、彼の所に……助けにいく」
「バカが! まだ奥にどれだけの異形がいるのか全く判らないんだぞ。自殺行為だ!」
勝手な行動で去って行った人間など気に掛ける価値も無い。
好きで死地に飛び込んだのだ。後を追いかける義理もないはずだ。
同じ班であろうとも、谷原真結良が草部蘇芳と同質の人間であるとは思えない。
――――問題児。訓練所きっての厄介者。
草部の元へ向かう必要など無い。今は次なる敵襲に備えて、再度体勢を整えることこそが最前と弘磨は考えていた。
「私は、班長になると約束したんだ」
「なんだって?」
弘磨は、真結良と蘇芳の間にあった内容を知らない。『問題児の班長になりたい』……戦いで蓄積していた疲労も重なって、彼女がなにを言いたいのかよく解らなかった。
「班の人間は絶対に死なせない。当然のことだ。私は仲間を助けに行く。……何を言われようともだ」
瞳の中にある強い光。
弘磨はその輝きを知っていた。
仲間が――『クズ』と罵る、ウチのリーダーと同じ目をしていたのだ。
『クズといわれようが、外道と蔑まれようが構わない。弘磨。班長ってのは班長に選ばれたから班長なんだ。自分が勝手になるんじゃない。周りの支持や選択がトップを決めるんだ。仲間が消えたら班長ではなくなる……だから、僕は班長で有り続けてやるのさ』
神貫縁の思想に対し、弘磨は完璧な理解者とはなれなかったが、谷原真結良も同一の方向性とまでは行かないまでも、似た志を持っている気がしてならなかった。
そして……そんな人間は共通して頑固さが顕著に表れる。
「わかった。行くからには必ず連れて帰ってこい。死ぬなよ。谷原」
「感謝する!」
軽い足取りで真結良は氷壁の向こうに降り立ち、残党の異形を切り崩しながら草部蘇芳を追っていった。
「ミドリン、勝手に決めちゃって言いわけ!?」
真結良が奥の通路へ消えてゆく。左右から現れる異形は彼女に目もくれず、より多い人間が集まる、こちらへと焦点を合わせて来る。
「まだ敵は残っている。俺達で何とかするしかあるまい」
手のひらに刻まれている刻印が、光を取り戻し――この身が動かなくなるまで、戦う決心を固めた。
結釘で囲った内側には、まだ異形がいて、二年生達が必死になって戦っていた。
何人もの人間が刃を振るい、決して多くない数が負傷し、痛みに悲鳴を上げた。
縦横無尽に檻也が走り、異形を処理する回転率を更に加速させていた。
「内部は先輩達と浜坂に任せて、俺達はこれ以上侵入させないために、全力で守るぞ」
「ほいほい。めんどっちー作戦よっかは、よっぽどマシだわー。入ってきたら、掴んで潰す。シンプルなほうが動きやすいしー」
二人で頷き合い、弘磨と的環は氷の壁だけではなく、いつ異形が入ってきても良いように……警戒を強める。
ひとたび防御の壁が崩れてしまえば、戦闘経験が無いに等しい人間達が、開けてしまった穴を補うことは無理だと祈理は予想していたが、谷原真結良が持つ刻印のおかげで、僅かばかり結界の隙間が塞がり、異形の侵入が鈍くなった。
それでも、早々に結界が崩壊した代償は大きい。
予想外に能力が高い一年生が揃っているおかげで、致命的な結果だけは免れられたようだ。
それでも、異形の侵入は続き、いくつかの敵は陣内で走り回っている状態。
もはや第二陣は第一陣に全員向かい、人数に余裕がまったくない。
ポッカリひらいた第二陣の空白。前線は血生臭い戦場と化し、祈理がいる最後方。第三陣は別の意味で戦場になっていた。
「しっかりしろ。もうすぐだからな」
黒服が生徒に肩を貸して第三陣まで引き返してくる。
「ああぁあああ! あああーーー、痛いッ! いたいよう……」
運び込まれた女生徒は腕が切り裂かれ、こちらへ運んでくるまでに血が点々と続いていた。
傷口から次々に溢れ出る血液。寝かせられた生徒に、男は自ら着ているシャツを裂いて包帯を作り、暴れる生徒に応急処置を施す。白い布はあっという間に朱く染まった。
「おい! 体を押さえてろ! ……大丈夫、すぐに血を止めてやるからな!」
痛みを訴える鳴き声は、聞くに耐えない。何もできない祈理はただ歯を食いしばって指示を飛ばすことしかできない。
前線の活躍のおかげで、内部の異形がほとんど駆逐されつつあった。
そんな中で……一匹の異形が第二陣をかいくぐって、祈理のいる本陣まで侵入してきた。
負傷した生徒に気を取られすぎていたあまり、祈理の反応は大きく遅れ、
黒服の何人かが拳銃を向けるも引き金を引くまで間に合わない。
異形は祈理だけに集中していた。獣の本能か、なにか別の意志か。防衛の要を崩さんと疾走してくる。
「くッ!」
天井には今もなお、異形が壁を破らんと張り付いている状態。
この場は絶対に離れられない。
「――させるかあああああァァッ!」
黒服……祈理と会話を交わした、眉に傷のある男性が、持ち前の大きな体を使って突進し、敵のルートを逸らした。仲間も慌てて駆けつけるも、地面を転がり取っ組み合いになっている状態。どうすることもできない。
暴れ続ける敵の爪が黒服の腕を引き裂く。
彼は苦痛の悲鳴を上げるも、行かしてはなるまいと抑え込む。
祈理がたまらず駆け寄ろうとしたとき、来るなと黒服が叫ぶ。
「君が離れれば、全滅する! 頼む……みんなを守れッ!」
格闘状態になる双方は、一歩も退かない。
筋力では男の方が上であるが。暴れ回る生き物を押さえつけるのは困難を極めた。どうにしかして必死になる男であったが、異形もまた負けじと相手の腹へ鋭い爪を力いっぱいに刺し込んだ。仰向けになっていた異形の体に、男の血が降りかかる。
「ギっ……ィ、う゛う! この、バケモノガアアアアアアア!」
深く腹を刺されても、黒服の男は意識を強く持ち、素速く引き抜いた拳銃を無理矢理に口の中へとねじ込み、連続で発砲した。
弾薬がなくなるまで、口内で放たれた弾丸は、後頭部を突き抜け地面にめり込む。
動かなくなって絶命した異形の上で、男は徐々に力をなくして倒れた。
「あ、………………あぁ」
目の前で人が死にかけているのに、一歩も動けない祈理は、ただ見ていることしか出来ない。
仲間が異形を引き剥がすものの、ぴくりとも動かない。首を振る仲間の姿を見て、祈理は死んでしまったのだと悟った。
死体が引きずられて壁際に持って行かれてゆく。泣き出しそうになる自分を抑え、強く拳を握り込んだ祈理は、周りの状勢に目を向け、これ以上誰も死なせないように努めるだけで精一杯だった。
強烈な死の臭い。今まで感じたことのないくらい多くの生死が入り乱れている。
近くで命を賭けて仲間が戦っているのに、体調不良で満足に体を動かすことができないでいた生徒は、歯を食いしばり大粒の涙を流しながら、自らを呪っていた。
痛いほど良く解る感情。引き裂けそうになる気持ちを飲み込み、涙と悲鳴の代わりに、祈理はできるだけ多くを生かす事……ただそれだけに全神経を傾けた。