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……『固有刻印』と称されるそれは、
パンドラクライシスと時を同じくして、
一定年齢層の子供たちにもたらされた特殊能力の事を指し、
異形と同等に渡り合える大きな手段として認識されている。
固有刻印の原理は――高度な神秘を行使できる術式の塊であり、
必要な魔力を体内にある刻印に提供することによって、
固定された、独自の魔術を発動することができるというもの。
――そもそも、これらを『魔術』と呼んでいるが、
正確に言うと、魔術的な概念として分類されるものではない。
……この世界で、神秘の体現することは、
その存在自体が非常に不確かで、常識では計り知れないもの。
そんな幻想の産物に近い『固有刻印』の能力を、
――架空上の中でも特に慣れ親しんだ単語で形容し、
『魔術』と分類しているだけなのだ。
事件のタイミング……。能力を使えるようになった時期を照らし合わせてみれば、
固有刻印は『扉』の向こう側から訪れた未知なる力であることは明白だ。
人間には扱えぬ奇跡に近い力が、なぜ子供に限定され――刻印として現れたのか。
あらゆる部分が謎に包まれていた。
ただ、はっきりしているのは、
――固有刻印を自由に扱える人間が、第五層より内側の大地で、
生き残る手段となりえる――ということであった。
旧三鷹訓練所には、三つの施設が隣接して作られている。
学科エリアと技能エリア……そして残す一つが、特殊エリアだ。
生徒たちが宿している『固有刻印』の成長を伸ばす為に建造され、他にも『魔術兵器』の扱いや、魔力のコントロールを主としている。
刻印を保有しているからといって、誰しも思いのままに刻印を行使できるわけではなく。あくまで能力を保持しているだけの一年生は、使用するにはほど遠い水準にある。
適した訓練を積むことで、初めて刻印はその能力を自由に発揮することが可能となり、
サイファーを育成するにあたって、異形に立ち向かう大きな手段である刻印を成長させることは、高い重要性を有しているのだ。
特殊エリアには数多くの部屋があり、
まだ刻印について、本格的な授業を受けていない一年生にとって、
今から行われる〝刻印訓練〟は未知の領域であるといえた。
集められた一年生は、何に使うのかも定かではない機材を不安げに見渡しながら、時間を待つ。
「…………とうとう刻印訓練かぁ。ちょっと緊張しちゃうな」
腰に手をあて、独りごちの京子。
午後はこの授業で終了するということもあり、多少の余裕があったはずだったが、
いざ、授業が行われる施設に入れば見慣れぬ空間に、すこし戸惑い気味だった。
「刻印の訓練って初めてだから……どんなことするんだろうなぁ」
部屋はボウリング場のようなレーンが十数ヶ所。
レーンの前には透明なガラスの球体のようなものが台座に固定されていた。
機械的でありながら、どこか科学を欠いた――シンプルな構造。
端から見たら、どんな使い方をするのか想像も付かないだろう。
「…………たぶん、魔力コントロールを行う訓練だろう。あの装置は見たことある」
「へえ。すごい。真結良はやったことあるの?」
「……ああ。すこしだけだが。…………大丈夫。コツさえ掴めれば、簡単にできるさ」
授業開始のチャイムが鳴ると、女性の教官が部屋の中に入ってくる。
全体を一瞥。挨拶も早々に、
「……すでに座学で学んでいると思うが、君たちの体には刻印と呼ばれる、魔術を使うことが出来る特殊能力がそなわっている。これは異形に対して非常に有効な手段であり、極端な例であるが――君たちの先輩であるサイファーの隊員達は、武器を持たずに前線で活躍している者もいる……この話から、刻印がどれほど重要な物であるかを理解できるだろう」
緊張に包まれる空気をほぐすように、教官は顔をゆるませる。
「そう、緊張する事ではない。……だが今回の訓練は、刻印コントロールの基礎部分に当たるものだ。気張らずとも真剣に取り組むように。訓練と言っても、いきなり刻印を起動させるのではなく、魔力の循環を肌や感覚で感じ取るための……ここはそういう場所だ」
――すると、生徒の一人が手を挙げた。
「でも『魔力』ってグランウド・ゼロの周辺でしか発生してなんじゃないんですかー?」
「ふむ。その通りだ。……魔力とは、我々でいうところの血管を流れる血液のように、異形にとっては必要な構成要素である。グラウンドゼロを中心として、外界に行けば行くほど魔力は薄れ、異形は活動できなくなる……しかし『扉』が開かれた時点で、少なからず魔力はこの大気に存在している。それらを吸い上げて増幅させることができる。ここはそういう施設なのだ……」
へえ、と周りの人間が首を縦に振りながら納得した。
合図と共に、レーンには半透明な紫色の壁が幾重にも連なって現れる。
「ガラス玉には一定量の魔力が流し込まれている。どっちの手でも良い。君たちは球体に触れ、体内に魔力を蓄積させる。そのままの状態で逆の手をかざし、奥にある……紫色の障壁にむかって魔力を放出して、打ち壊すだけだ……習うよりも慣れろ。まずは実際にやってみて感覚を掴むのが一番だろう」
他の職員の誘導によって、レーンにそれぞれ並ばされる。
「おー。マユランっ!」
列をかき分け現れたのはエリィ・オルタだった。
「…………ま、まゆらんって」
彼女のノリについてゆけない真結良は、ただただ対応に困った。
「……えっーっと、そっちのは、誰じゃったっけ?」
首が九十度傾きそうな勢いで倒れる姿に、
不覚にもかわいらしさを感じてしまった。
「どうも。小岩です」
「そっかそっか……って、おお。刀引っさげてるではないか。かっっちょいーのぉ」
完全に少女のペースに乗せられ、京子は苦笑いしか出来なかった。
「マユランは偉い学校で勉強していたのだろう?」
「偉いかどうかは解らないが、他の学校で訓練してた……」
「だから戦い慣れしてたんだな! 先の授業、すごかったぞ!」
それについて特に明確な返答をせず、曖昧な返事だけで受け流した。
「…………君は、見たところ、海外の人間なのか? ……あ、ちょっと疑問に思っただけで、特に答えなくても良いのだが――」
「――おお! そういう好奇心に満ちた質問は久方ぶりだ! あんまそういう所に触れる人間はいないし、トウガなんか全く無関心の草男だからのぉ…………そのとおり。我は遠くの出身なのじゃが、パンドラクライシスのもろ被害者じゃ。まったくもって厄介な事件に巻き込まれたものじゃよ」
間髪入れずに顔を輝かせるエリィ。事件の被害者というのは多かれ少なかれ辛い経験をしてきたはずだというのに、そんな苦労は微塵も感じさせなかった。
「……その、…………大変、だったんだな」
大変だったのはわざわざ言葉にしていうまでも無い。
どこか、自分の言葉に軽薄さと安っぽさを感じ、少しだけ恥じた。
「ハッハッハ。大変もクソもなかったなぁ。パンクラのせいで一時的ではあったが記憶は吹っ飛ぶし、ちっこくなるし。外見も少し変わっちゃったしな!」
事件によって、身体的な変化に影響がでたという事例は絶対数こそ少ないものの、確かに確認されていた。
……おそらく彼女の髪と目の色――背丈すらもそのときの影響によるものだろう。だというのに苦労を思わせない有りよう。過去を乗り越え克服したのか、現状を受け入れたのか、現実と向き合えているのか、いずれにせよ彼女の強さを感じた。
「見た目は、他の連中と比べたら、もの珍しいだろうけど、そこらの人間と大差はないさ。まあ、友好的に接してくれよ」
「――――あぁ」
少女は垂れ下がっていた真結良の手を取り、強引な握手を交わす。
熱を帯びた体温が、手のひらから伝わってくる。
彼女も問題児の一人であり、先の授業ではあまり話さなかったが、
随分と表情多彩で、ドタバタした人間だと思った。
気がつけば列は消化され、京子の番が回ってきた。
レーンの前に立ち、球体に手を乗せる。
すると、球体は青淡く光り出し、腕を登ってゆく。
まるで輝きは根から吸う養分。
血管のように枝分かれした光が一定の光彩を保ったところで京子は一息。
ゆっくり左手を障壁へと翳した。
彼女の左手からは右腕と同じ発光体が現れ、
それは真っ直ぐ光弾と化し、放たれた。
一枚、二枚と光弾は障壁を貫き、三枚目を砕いたところで、光弾は空中に溶けて消えた。
レーンの担当官が評価をボードに書き加える。
「…………うーん、あんまりうまく出来なかったなぁ」
「いや、十分だと思うが……。普通だったら魔力を集中させることができない人間だっているんだ……ほら」
真結良が指さしたのは、隣のレーン。
男子生徒が左手を球体に乗せているが、うんともすんとも反応しない。
球体が仄かに光りはするものの、力を伝導できずにに四苦八苦していた。
「みんな、魔力を操作する以前に、魔力が存在している自体の感覚がわかっていない。それに引き替え、京子のは十分形に成っている」
「だってさ。さすがだなコイワン! 実技訓練見てたけど、お前はすごいんじゃな」
「…………それは違うよ。あたしなんかまだまだ。もっと強くならきゃって思ってるし」
意識の高い発言に、エリィは驚きの表情。
「すごいなぁ。我もそんな風にかっこいい台詞を吐いてみたい――お、ハルカはもう終わったのかー?」
近づいてきた蔵風遙佳は京子と真結良に軽い会釈をし、
「私はぜんぜんだよ。ああいうコントロールとかって難しいんだね。簡単そうに見えたんだけど……難しすぎだよ」
頬をかいて、結果を誤魔化そうとする遙佳。
「ハルカはな、こうやって言うのだが、何気になんでもできちゃうんだぞ」
「――――訓練を棄権、したりとか?」
少々、意地悪く笑みを浮かばせてはいたものの、
冗談ではない口調で、京子は言った。
「あ、あれは、その……いろいろとあって……」
モゴ付く遙佳を押しのけて、
「ちがうわい。ありゃあエリのせいじゃよ。あいつはちとイヂワルでな」
「…………そうなの?」
頷くことはしなかった遙佳。肯定も否定もしない。
彼女の性格から、仲間を思っての反応なのだろう。
「やさしいなぁ、ハルカは。……我は我を甘やかしてくれる優しい人間が好きだぞ。きっとモテるぞー。優しいスウィート女子はモテるぞー………………なあ! トウガはどう思うぅ!?」
ここではない二つ隣のレーンで正に実演の真っ最中だった十河に、エリィは叫んだ。
視線をこちらに向けはするものの「――は? アイツ何を言っているんだ?」と表情が語っていた。当たり前であるが、十河は彼女たちの会話を知らない。怪訝な顔をするのは尤もである。
「優しい女子は好きかッ!?」
エリィの前置きを無視したむちゃくちゃな問い。
「……………………」
しばらく地面を眺めた十河は、無視する形で強制的に相手の会話を断ち切った。
彼の乗せている球体は、一際強く光を放っていたが、
最後まで、反対の手から魔力が放出することはなかった。
「うっわでったのじゃ、無視……どう思うよ、ああいう男」
「ど、どうって?」
急に動揺し始める遙佳。
「アイツは本当に素っ気ないな、って。だのにどうしてアイツと仲良くしたがるのだ?」
「ちょ、ちょっとエリィちゃん!」
慌てふためく遙佳に、薄紅藤の瞳が悪戯っぽく歪む。
「いやぁ、恥じらう姿もまた良し……我が男だったらほっとかないんじゃけどな、どうしてこうもトウガ――もがが!」
好き放題言っているエリィの口に蓋をする遙佳。その顔は真っ赤に染まっていた。
「そこ! 私語は慎め!」
どこからか、担当官の怒気を含んだ声。
周囲もまた問題児かと、嘲笑う声が聞こえた。
「ほら、怒られちゃうから、話はまた今度、ね?」
「でも我はもっと建設的な話を……」
「今度…………ね?」
両手で頬を挟み、鼻がくっつきそうなほど近くで囁く遙佳。
その表情はエリィがたじろぐほどの凄みがあった。
「ふ――ふぁい。ごめんじゃ、です」
自分の番が回ってきたので、真結良は先の話に参加することなく、レーンへ進み出た。
精神を右手一本に集中させ、そっと深呼吸。
「ん? 転校生か…………前の授業は受けていないようだけど、大丈夫?」
レーンの担当者は生徒の資料が挟まれたバインダーを確認しながら心配した様子。
「…………はい。問題ないと思います」
集中を切らせること無いまま、返答は明確に行った。
書類の項目に目を通しつつ、
「……あ、なるほど。……既に訓練を受けたことあるのね。それじゃあ以前と同じ通りにやってちょうだい」
「はい……」
やることは単純。右手から魔力を吸い上げ、体内に伝え、左手へと一点集約。
あとは塊にした魔力を放出するだけ。
球体に手を乗せると、すぐに変化が現れた。
淡い輝きはどんどん強くなり、不安定な閃光を放つ。
「……………………」
まだ――まだ足りない。
魔力が右腕からせり上がってくるのを感じた。
暖かい靄のようなものが、
自分の神経に、血管に、骨に、筋肉に――浸透してくる。
これらを乱すことなく、一定の力として左腕へと流す。
――たとえるならば、体をパイプにするのだ。
球体の閃光を皮切りに、
他の生徒たちとは違う、明らかな変化が現れていた。
強靱なまでの集中力……。いつの間にか、生徒たちの視線が集まっていることなど、
真結良は気がついていないほどに。
彼女の周りに空気が滞留した。
留まりは流れと代わり、さらなる力を渦巻かせる。
魔力とは、形のない存在。
操るにはイメージが必要となる。
難しく考えないで、腕を管にすればいい。
――本当は自分の中に、いったん魔力を溜めておけば、
簡単に魔力を放てるのだが、それはもっと上の技術で学ぶものだ。
この訓練では、そのスキルを求められているわけではないので、
ちゃんと、授業の方針に従って行う。
右腕は管。吸い上げ……体の内部で放出するための圧力を高くしてゆく。
まだだ――たまった魔力は集中をとぎれさせれば簡単に対外へと排出され霧散する。
体内で保っておく為にイメージは決壊させてはならない。
「………………」
十分な魔力を練り上げたのを感じ、真結良はゆっくりと左手を上げた。
塊となった魔力に、更なる魔力を上乗せし、威力の強化を図る。
「………………まだ、まだもう少しいける」
その呟きに、我に返った担当者が慌てて口を挟む。
「も、もういい。そこまでにしろ!」
「あ…………はい」
完全に自分の世界へと入っていた真結良は一気に現実へと引き戻され、
更なる魔力の貯めこみを止め、左手から魔力を放出させた。
周囲に纏っていた空気が四方へと風吹く。
長い髪が踊り、担当官は空気圧に煽られたじろいだ。
飛び出した魔力は、光弾などでは収まりきるもものではなかった。
一筋の流星のような、目映い光が矢の如く伸び、
数十枚にも浮かんでいる障壁の全てが、
ガラスが砕けるような破壊音と共に微塵と砕く。
それでもなお、光の矢は留まるところを知らず、
最奥の壁へと突き刺さり、放射線状の爆発を起こして矢は消え去った。
壁には焦げたような黒ずみが出来上がり、全員が息を飲む。
「ほーっ! すごいのぉ。マユラン!」
静寂を打ち壊したのはエリィの手を打つ音と賞賛。
周りの事よりも、奥の壁を焦がしてしまったことに対して、
少しだけ、やり過ぎてしまったと後悔した真結良であった…………。