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「――近ぇな」そう草部蘇芳が呟いた。
相手がどれほどの数が居るのか。耳で判断できるほどに〝群れ〟としての声が、洞穴の向こう側から聞こえてきた。鳴き声なのか、人語を越えた話し声なのか、さては体のどこかをこすり合わせて起こる発音なのか、誰にもわからなかった。
音から判別できる数の多さ。閉じ込められている生徒たちの総数よりも多いのではないかと、不安を抱いてしまう。
石蕗祈理が提案した作戦の準備は完了していた。
前方、三叉路の分岐点のそれぞれに一人ずつ生徒が立って、異形が来るルートに対し合図を送る算段になっている。
第一陣が結釘を起動させる前に、群れに向かって一斉射撃を行う。
射撃地点は、結界を張る第一陣よりも外側。
三鷹訓練所の生徒が行うことになっている。
体調不良の六名を除いた、全十四人。この中にはもちろん一年生も含まれている。
射撃においては、間隔をあけないために二手に分かれる。弾薬は関原の生徒からも集められいるので一列目が全て撃ち尽くせば二列目が後退して再装填の時間を稼ぐ。
作戦はいつでも実行することが可能だ。ただ――遂行できるかどうかは別問題。
あまりにも頼りない。目隠しされ、ボールの上に立たされているのと変わりない。そう蘇芳は思っていた。作戦に関しては理に適っている。悪くはない。だから反論もしなかった。
敵の戦力が未知数である以上、ヘタな行動は簡単に全滅を引き起こす。
かといって、消去法から導き出された『籠城』は、苦し紛れの一手でしかない。
生徒たち個々の実力が高いわけではない。もしこちらが展開した防御力以上の力を持ってきたら、どちらにせよ全滅は免れられない。
まるで安心できない。こんなのに自分の命を任せるくらいなら、単独でどうにかした方がまだ良い。まずは敵がどれほどのものなのか、見極める必要がある。
「どうした草部蘇芳? やはりお前でも緊張するのか?」
「アァ? ふざけたこと抜かすんじゃねえよ。指先が震えてるくせに、他人にむかって、よく言えたなぁおい」
真結良は半笑いであったが、蘇芳の指摘通り、ライフルを持つ彼女の手は震えていた。
白めである肌は、白い以上に血色がなくなっている。
緊張と恐怖。けっして武者震いなどといった立派な代物ではない。
「当たり前だ。緊張している……ああ。怖いさ。でも……やらなきゃいけないんだ。私だって、戦える。それにお前らの班長になるって言ったからな。こんなところで負けるようじゃ、お前は絶対に納得するはずないからな。それに私だってサイファーになるためにいるんだから、負けたくない」
「…………へたれのクセして、言うことだけは一丁前かよ」
蘇芳はまるで緊張せず、手に持っているライフルを眺めながら、厳めしい表情を――ほんの少しだけ緩めた。
「おい」
「ん?」
「人型の異形ってのは、どう見たって異形なんだが……手足が人と同じ場所にあると、テメエみたいなお人好しは、どうしても無意識に〝セーブ〟ちしまうもんだ」
異形の叫び声はすぐそこ。三叉路の中央に立っていた生徒が、大きく手を挙げてこちらに向かって走り出した。
左右の通路からは来ないと確信し、残りの二人も急いで引き返す。
蘇芳は気にする様子もなく話を続けた。
「自分に牙を剥いてくるヤツは、どんなヤツだって敵だ。たとえ人であろうが、殺すくらいの覚悟がねえと――異界じゃ生き残れねえ。オレの目の前で中途半端な戦い方はすんじゃねえぞ。目障りだからな」
蘇芳にとっては単なる忠告であったのだが、真結良にとってはディセンバーズチルドレンからの助言。とても良いアドバイスであると勘違いをする。
「ああ、わかった! ありがとうだ。草部蘇芳!」
彼女は精一杯の強がりで歯を見せて笑った。
「中央ぉぉぉおお! きたぞおおおおおおおおおおおおぉぉぉ!」
戻ってきた生徒の叫びによって、生徒たちは一斉に気持ちが氷結する。
三叉路の一つ。その奥から、燐光とは別の、生き物の眼球が放つ緑色の発光体。揺れる、揺れる。何匹も、何匹も。……無数の異形達が、大挙を成して押し寄せてくる。
さながら……巨大な波。禍々しい熱気と、鼻をつく獣じみた臭いが先に届く。大団の移動によって空気が迫り出され作られた微風が、生徒たちの肌を不気味に撫でる。
どれだけの敵が居るのかは解らない。それでも洞窟に反響し続ける、敵の鳴き声が、何十匹にも何万匹にも思えてしまう。
――初めに目視できたのは、地面を歩いてきた六匹ほどのグループ。
それらの異形を皮切りに、どっと押し寄せ次から次へと姿が現れてくる。
天井に爪を立てて近づいてくる者……地面を四つん這いになりながら、こちらを確認するなり二足へと転じ、走り出す。
「こんなの、こんなのに勝てるのかよぉおお!?」
どこからか聞こえてきた弱気と悲鳴。
それらは伝染し、他の生徒たちの不安を大きく煽り立てる。
初めて肉眼で見る異形に対し、恐慌状態になる生徒たち。
口々に悲鳴があがり、手が付けられない状態になっていた。
「しずまれぇぇえええええええええええいッ!」
射撃の列に並んで立っている大男から放たれた大喝に生徒たちの時を止めた。
弘磨は異形の群れに動ずることなく、敵を一点に睨め付ける。
「話し合ったばかりだろうッ! まずは状況の把握だろうに! 石蕗さん。早く指揮を!」
真後ろにいた祈理はようやく声を全員へと届けた。
「は、はい。目標確認! パーアライズ! コレより作戦を開始します! 射撃準備、構え! …………体勢のまま、合図を待て!」
時間を追うごとに、分岐路からは異形が次々に現れてくる。
どれだけの集団がいるのか判断できない。
ざっと見るだけでも、こちらの全員を上回っていそうだった。
「まだかよ!」
「もう限界だろぉッ!」
「は、はやく。はやくはやくはやく……」
魔力を込めたライフルを持つ手が震える生徒たち。
分岐路からこちらの陣形までかなりの距離がある。敵の戦闘は残り五十メートルほど。
「まだです! もっと引きつけて!」
銃を構える生徒たちに並ぶ祈理は、恐怖によって腸が冷え切っていた。
祈理にしても、今すぐにでも射撃の合図を始めたい。
地上よりも遅いが、壁伝いに爪を突き立てて天井にも異形が這ってきている。
――銃撃を始めるタイミング。
――自分が最奥に戻って壁を展開できる速度。
――一陣で展開する結釘。
やらねばならない役割と計算が多すぎて、思考の回転が一歩前へ進み、膝の震えの原因となっていた恐怖の一部を飲み込んでくれた。
異形はもう目の前。どんなにみんなが震えていようとも、当てられるはず。
これから始める一方的な硝煙弾雨。どこまで数を減らせるかは予測できないが、群れで迫ってくる異形に用意した撃攘。躱せるはずはない!
最高の――自分が最善だと思える瞬間を判断した祈理は、強く腕を振り下ろした。
「撃てーーーーーッ!」
合図と共に一斉発射される、魔術兵器による一斉発砲。
絶え間なく発射されてゆく弾丸と爆音。
一気にむせ返る火薬の臭い。無風の中、漂う白煙。
排出されたばかりの空薬莢が地面に、金属豪雨となって転がる。
夢中になって放つ者。引き金を引いたまま硬直する者。恐怖を掻き消すように叫びを上げる生徒。涙を流しながらも歯を食いしばって弾を当てようとする者。訓練通り一発一発性格に当てようとする者。
真結良もまた、鼓膜打つ掃射の一波として、銃を放ち続ける。
射撃訓練ではトップクラスの成績を叩き出していただけに、回避運動を行っていない、突進するだけの異形を撃ち抜くのは難しくなかった。一発一発正確に胴体を撃ち抜いてゆく。
それぞれが弾倉一つ分しかないが、五十人近い生徒たちから集められた弾薬と銃を合わせれば、十分な火力を放つことができる。
前列が弾倉を取り替えのため後退し、後ろに控えていた生徒の列が前に出て射撃を開始する。
「ぼさっとしてんじゃねえ! さっさと引っ込めッ!」
蘇芳が真結良を押しのけて、ライフルを放ち始める。弾丸を発射するごとに命中してゆく。
射撃された弾丸は、時に掠り、あるいは命中し。異形の突進を確実に防いだ。
足に受けて倒れ込んだ異形、頭を上げた瞬間、次なる弾丸によって撃ち抜かれた。ライフルから放たれた弾丸は魔力を帯び、次々に異形の体を容易く貫いてゆく。すぐ背後にいた異形も貫通した弾丸によって負傷する。今まで的や実技訓練での人間しか撃ってこなかった生徒たちからすれば、受けた痛みを知っていても、なんの保護もない血肉をもった異形に着弾した破壊力がどれほどのものなのか、教えられた事はあっても鮮明に想像できていなかった。
相手の肉体が木っ端微塵になるとまではいかないが、魔術兵器を扱って確実に致死に至らしめる攻撃を、自分達が行っているのだと実感できた。
群れはいったん撤退の姿勢を見せようとするが、次々に洞窟から現れる同胞に、前列は右往左往し、逃げることができないと判断すると、突進を再開する。
「上にも居るぞぉお!」
数人の生徒が銃口を斜め上に上げたところで、祈理は叫んだ。
「射撃は地上のみにしてください! 全員、発砲を継続しながら後退! 第一陣まで下がります!」
言われた通り、射撃をしながら生徒たちは纏まって下がる。一部の生徒は自分の発射した空薬莢の存在を忘れていた。足を取られはしたものの大事には至らず。すぐに仲間に起こされて射撃に加わった。
むせ返る火薬の臭いを掻き分け、祈理は全力で後退し、第一陣をすり抜け、第二陣を通り越し、最後方にある壁際。第三陣に辿り着いた。
射撃の激しさが緩まり、異形の進攻の物量が多くなり始めた。
結釘を展開する役割を持つ生徒は、魔法陣が描かれた場所で地面に手を付き続ける。
しゃがみ込む彼らの横まで全員が後退を完了したのを見計らい、祈理は次なる指示を叫ぶ。
「結釘起動ッ! 第一陣、魔術科の人間は絶えず魔力を送り続けること。結界をくぐり抜けてくる異形は第二陣が刻印を持って対処ッ! 絶対に乱戦に持ち込ませないよう、全力をつくしてくださいッ!」
予定通り、生徒たちは壁となる、魔術の障壁を展開してゆく。
薄青の壁が次々に張られてゆく中。祈理も天井から迫ってくる異形を塞ぐ為、自らの仕事を実行に移した。
「――さあ、表れなさいッ!」
胸の中心が熱くなる。それは自らの刻印が起動した証であり、熱は膨大な魔力によって発せられたエネルギーの流れだ。
――彼女の能力は自分の中にある魔力容量を広げる能力である。
単純に攻撃にも防御にも使えないが、一時的ではあるが、桁外れの容量を確保することによって、他の生徒たちとは一線を画す、魔術展開が可能となる。
異界の魔力濃度が功を奏し、広がった容量へ瞬く間に魔力がなだれ込んでくる。
あまりにも膨大すぎる流れ。溜め込む量には問題ないが、いかんせん流れが多すぎた。
想像していなかった初めての感覚に祈理は恐怖した。ここまで暴力的に体内へと入ってくる魔力に体が耐えられるのか? と本能が危険信号を発する。
だが、ココで刻印を納めるわけにはいかない。一度閉じてしまえば、刻印を再起動している間に、天井を這う異形が自陣へと侵入してくるだろう。
額に汗を流しつつ、彼女は魔力のコントロールと、頭の中で遠隔魔術の術式を正確に思い描いた。
胸の中に溜まっている貯蔵を解放させると、力は一気に腹を下り、左足へと。
「結び、繋げ!」
彼女が左足で地面を強く踏みつけると、地面に魔法陣が展開された。
円で描かれた図形は、生きているように光の線が無数となって壁面を走る。
全てが寸分狂わず、天井に突き刺さった結釘へと直結し、一気に薄青の防壁を展開させた。
間一髪――もう少し遅れていたら、迫り来る異形は予定の防衛戦を越えていたところだった。
目の前で壁が表れた事で驚いた異形の何匹かは、天井に突き立てていた爪を離してしまい、そのまま地面へと落下してゆく。
「くっそ、はやく。はやくうごけってえええええ!」
地上の防壁の展開は、まだ完全に張り終わったわけではなかった。
焦りによって、一画の起動が遅れている生徒がいたのだ。
ようやく結釘が起動できたころには、そのわずかな合間を縫って、異形が踏み込んでいた。
その数――三体。
前衛の生徒たちを無視して、異形達はまっすぐ。最奥へ……一番大きな魔力を放っていた祈理へと吸い寄せられていた。
「一年ッ! そっちにいったぞおおお!」
二陣のどこからか叫ばれる。慌てて二年生が素通りしていった異形の背中を追うものの、トップスピードを維持している敵に追いつくことができない。
声を掛けられずとも、檻也は異形を捕らえていた。誰よりも素速く、前へと進み走り出す。
「アハハ。いま戻ったばっかりなんだけどなぁ。敵かぁ――じゃあ、殺さなくっちゃね!」
薄い笑みを絶やさず、居合いの構えで檻也は立ち向かってゆく。
ゆっくりと、刀に手を掛けて。まっすぐに走る。
対立してきた檻也を敵と判断した異形たちは、二匹同時に飛び上がった。
微笑む表情はそのままに、姿勢低く。
檻也は異形の落下地点に立ち止まり――両目を閉じた。
次いで放たれたは、鞘と刃の境目。鯉口から滑り奔る刃の軌跡。
音すら発さない。刃の現れ。刀身が引き抜かれるにつれ、瞬く間に加速する。
切っ先が洞窟の明かりによって反射し、緑に閃光する。
異形は檻也に手が届く前に、空中で斬り付けられ血煙が上がる。
――彼は閉じていた両目を開いた。
そこあったのは、人間離れした鮮やかな緑の光彩。深紅の瞳が揺らめく。
「傷を追え。――羅切ッ!」
言葉を紡いだ瞬間、刃を返していないのに、目に見えぬ二回目の断ち筋が現れ、傷は更に深くを行き、胴体を二分割する。
バラバラになった二匹の異形を人外の瞳で冷たく見つめながら、刀を一振りして、刀身に付着していた赤い血を払い落とす。
「存外に脆いね。大丈夫。この程度なら、なんとかなるさ」
眼光に色を灯した檻也は刀を鞘に戻す。
「浜坂! 横だ!」
真結良は彼の横から突進してくる、残りの一体の存在に、危険を知らせる。
――しかし、檻也は動かない。刀に手をかけるどころか。そのまま両腕を垂らしたまま。
「無駄だよ…………そこはもう、ボクの刻印で斬ってあるから」
異光を湛える緑と深紅の眼で、迫り来る異形を捉えた。
動作も無く。音も無く。ただ空間を過ぎる一筋が、敵の体を必殺をもって捌く。
体を縦に分断されて、何をされたのかもわからず、異形は動かぬ塊に成り果てた。
「……………………なんとかなる……っと思ってたけど」
結界が張られた檻也はずっと先。
洞窟の入り口で光る無数の目を見て、渋い笑いを見せた。
「――うーん。ちょっと多すぎかなぁ?」
壁を無事に展開できた。
犠牲者は出ていない。作戦通り……。
だが、ここからが勝負なのだと、
囲われた中で、誰もが安心できない心境が、
皆の胸の中を埋めつくしていた。