<12>-3
いまいち、緊張感の足りていない一年生グループとは別に……。
祈理の思考は、いまにも擦り切れて、火が噴き出してしまうのではないのだろうかというほど、短時間で焦燥していた。
――周囲が自分に過信する。皆が望む以上の結果を期待されて、また私は押し出された。
断らなかったのは、私が断ることでみんなの希望や期待の柱を折ってしまうかもしれないから。
決して、仲間の為を思って首を横に振らなかったのではない。
断っていたら勢いは沈む。この危機的状況で気持ちを取り戻すのは難しいだろう。次に新たな選抜者が出てこようと、統率に揺らぎが出てくる可能性がある。時間も無い。
少しでも、全員の気持ちを固めた方が良いと思っての判断であった。
イヤとは言えない極限状態で背負わせてくる期待というものは、他に縋る物がないから心の拠り所とする狂信的な信仰に近いもの。生き残る一点が目的ではあるが、ではどうするかとなると意見は茫漠になる。背負わせてくる期待とは同時に『責任』でもあった。私が指示した全てが彼らの命に直結する。自分でも精一杯の命を、さらに四十二人分……。
――のし掛ける重圧がどれほどの物なのか、誰もそんなことは考えない。だって操縦席に座る人間が決まれば、後は客席で一蓮托生の飛行に加わるだけなのだから。
一つ一つは小さくとも、大多数の期待が一点に集約される重みというものを、祈理は学校で暮らしていて、嫌というほど痛感していた。積載超過の飛行機が、距離の足りない滑走路で飛び立とうとするのと同じである。期待が膨らめば膨らむほど、達成内容が難しいほど、必要以上に重い善意で塗り固められた荷物を乗せて、飛び立たなくてはならない。
私は自分が優秀だとは思っていない。真に優秀な人間というのは、学校で評価される数字だけの成績ではなく、実際の現場で取り乱さず、自分の成すべき事をなして、確実に生き残れる人間を指すのだと私は思う。
自分に備わっている能力を、できる限り生かし続けてきたに過ぎず、誰かに求められるような理想を体現できる存在ではないのだ。
近くにいた女の子がすすり泣いていて、友達らしき生徒が宥めていた。
誰よりも泣いてしまいのは私だ。
皆が思っているほど、私は強くなんか無い。
怖い……異形が来る。怖い。こわい。
訓練を除けば、実際の戦闘で二度目の遭遇になる。
一度目は関原に現れた事件。
あのとき、私は何もできず、実質一つ下の後輩の男の子が異形を倒してくれた。
私は何もできず、ただ震えていただけ。
あの戦いで私がしたことと言えば、彼の手を取って私の魔力を与えただけ。
二度目の――危機。ここに後輩の彼はいない。
私が、どうにかするしか無いのだ。
指揮を執りたくはなかったが、決まったからには精一杯やるしか無い。
できる限りの、作戦を行うしか選択は残されていないのだ。
洞窟の広さは端から端までが、約百メートル。分岐点の中では、かなり広い方だ。
前方は洞穴の三叉路。後方は全て壁。
壁を背にして百八十度見通せる、半径三十メートルの結界を展開させる。
三叉路しかない場所で、挟撃されることはない。敵は必ず前方からやってくる。
敵は前方からやってくる。展開された結界までの距離は六十メートルほど。
天井に備え付ける結界は、地上よりも距離を広げた、半径三十五メートル。
籠城を展開するのは良いが、敵の量によっては、完全に取り囲まれてしまうだろう。
どこまで、この作戦が保つのか。あるいは異形がどれだけ忍耐強いのか。
結釘はどれだけの時間、維持できるのか。
もし陣形が崩れた場合、適切な指示ができるのかどうか。
生徒たちは納得してくれたものの、あまりにも不安要素が多い。付け焼き刃だらけの作戦。
物体の加速魔術を、なんの詠唱も工程も踏まずに行い、
祈理は天井に、結釘を一本一本、打ち込んでゆく。
他の生徒から預かった結釘は、全部で二十本。地上を守る結界よりも数メートル広範囲に設置した。こうしておけば、浜坂檻也が言っていた、天井を走れる異形が存在しているとして、万が一落下してきても、地上を守る壁よりも外側なので、内部から異形が入ってくる可能性を減らすことができる。
――通常、魔導科の生徒でも、一度に扱える結釘は多くて五本が限界だ。
しかし、祈理の固有刻印は、それら問題を一気に解決できる能力を備えている。
手に、じっとりと汗が滲む。
まだ作戦前だというのに、取り乱されっぱなしである。
――私の肩には、何十人という仲間達の命が、のし掛かっている。
叫び出したくなる。逃げ出したくなる。怖くて……泣きたくなる。
私は、みんなが望んでいる結果を出せる人間じゃない。ちがうのだ。
「石蕗さん? ……石蕗さん?」
「あ。はい。ごめんなさい」
「端っこの結界はどうすればいいですか?」
「壁のほうまで展開させるようにしてください。天井から伸ばしますので、天井と地面の継ぎ目は特に頑丈にしておきましょう」
次々に浴びせられる質問に返答し、この急務を要するときに喧嘩を始めた生徒を止めさせ、天井の結釘に不都合はないかと確認し、最奥に体調不良の生徒を移動させるため、大人である黒服に対して慣れない指示を出し。
怠ってはならないのが、第一陣に設置する、結釘の確認だ。
一枚でも、展開できない事態になれば、たちまち作戦は瓦解し、全滅する危険性が飛躍的に上がる。
関原の生徒は手慣れた作業で、地面に遠隔起動の術式を地面に書いている。
結釘はそのまま使用が可能であるが、真近くに行かなければ発動出来ない欠点がある。
異形がどんな動きを見せるのかわからない以上、できるだけ展開した防壁から距離を置くのが安全だと判断した上で、祈理が遠隔術式を使用するよう指示を出したのだ。
関原の人間は全部で十七名。
第三陣に入る体調不良の生徒が三人。
祈理も除けば十三人で、八面の結界を維持しなくてはならない。
…………絶望的に、人数が足りなかった。魔力切れに備え、ローテーションで回したとしても、どこかしらか穴が開く危険が十分に考えられた。
初めは、三つの分岐路そのものを結釘で塞いでしまう考えも浮かんでいたが、どこから来るのか判らない上、一枚でも破られれば、他の分岐路を塞いでいる仲間の背中はがら空きになる。やるなら分岐路を正面にできる地形を生かすのがベストだと思った。
――作戦が正解かどうかも、判らない。
三鷹の生徒は全二十人。体調不良が六人。
総勢十四名で第二陣を担当し、異形を迎え撃たなくてはならないのだが、
十四名の内、三分の一が―― 一年生。いくらディセンバーズチルドレンがいるとはいえ、戦力で考えると、こちらも心許ない。
二年生は三人一組で構成されているので、三組で全面を守らなくてはいけない。
ブラックボックスの六名は、戦いの訓練を受けているだろうが、刻印を使えるわけではないので、戦力としては難しい。
「こんな時……東堂くんがいてくれたら…………」
祈理は誰にいうでもなく、心の内を声に出していた。
彼が居たら、私の固有刻印は最大限に発揮できる。
二人で居れば、怖いものなんて無いはずだ。
――と、嘆いても、始まらない。
いまはあるだけの要素を上手く組み立て、敵の襲撃に備えなければいけないのだ。
「なあ、君……」
今度は誰だと、祈理が振り返れば、ブラックボックスの人だった。
黒のスーツを着ていて全員が男の人。大きな体格をしているので祈理はどれも同じに見えた。
話しかけてきた人はとても怖い顔をしていた。片方の眉に傷痕がある時点で、怖さは三倍増し。
「あ、はい。どうしました、のでしょうか?」
生徒の対応をしていたが故に、一瞬――同学年と同じ口調になりそうになった祈理は、話しながらも大人と話す態度に変化させていった。
「すまない……本来だったら我々が率先して、君たちを指揮しなくてはいけない立場なのに」
ばつの悪そうな表情。その気持ちに優しさを感じた祈理は、気後れしていた印象を徐々に修正していった。
「さっきの作戦だが、結釘を発動させる前に、銃撃で応戦するとのことだが、俺たちも参加させてはもらえないだろうか? 君たちが戦うというのに、我々だけ最後方にいるわけにはいかない。刻印がなく魔力に疎いのが幸いしたのか、我々六人は誰一人、体調を崩していない。どうか手伝わせてはもらえないか? 格闘はできないが、射撃ならば十分戦力になるはずだ」
「………………」
子供が戦う手前、大人が安全な場所で、暢気に黙って見ていられない。
とても立派な考えだと思う。安易に決めたのではないとすぐに祈理は理解した。
命を賭けなければいけない行為であるのだ。簡単に決められるはずがない。
「とても有り難い話です。でも申し訳ありませんが、それはお受けできません」
「し、しかし」
「敵がどれほど居るのかは見当がつきませんが、第一陣の結界が一枚でも破られれば、大きな混乱が予想されます。そうなれば負傷者が必ず出てくるはずです。ブラックボックスの方達は負傷者をここまで運んでくること。これは同時に死者を出さないようにする為でもあります。負傷した生徒を第一陣に置き去りになんかできませんから。この重要な役割を生徒たちに任せることはできないと判断しました」
傷の男は、しっかりと納得した上で頷く。
「とても重要な役割。同時に危険でもあります。戦う以上に、渦中で守り続ける事の方が――戦場においては難しいものだと、私は認識していますから」
限られた人員で、できる限り配置した結果、与えた役割。大人とか子供とかは関係ない。
祈理は〝全員が生き残れるベストな選択〟をしたに過ぎない。もちろん彼女自身、自らの考えが完璧であるとは思っていない。
「すまない。下らない我が儘でこまらせてしまって」
「い、いえ! 私も、その……なんか、すごく偉そうにいってしまって」
顔を赤くして俯いてしまった祈理。その仕草を見て、初めて傷の男は声を出さずに笑った。
「なにか、おかしかったですか?」
「いや。こうやって見ると、普通の学生なのに……いざ戦いの話となると、立派な兵士なんだって思ってね」
――兵士、か。他人からみれば上等に見えるのだろう。
自分が出来る能力と、他の人間から見える石蕗祈理の評価には明らかな差がある。彼女はいつもその点においてもどかしい感情を持っていた。実際にこういった事柄に対処できる人間は、いざ脅威が現実のものとなったとき、どれだけ自分を保ち、周囲を引っ張っていけるのか。そういった能力が大事であると思う。
怖かった……。誰もが万能でないのと等しく。自分も凡庸と変わらない一人の人間である。
異形を前にした時。どこまでいけるか。どこまで全員をまとめ上げられるのか。
分厚く塗り固められた鍍金がどこまで維持できるのか。
不安――それ以外になにもない心。
祈理の内を知ってか知らずか、傷の男は大きな手で、祈理の肩をそっと叩いた。
「大丈夫さ。君なら、きっとこの困難を乗り越えられる。一緒に……生きて帰ろう」
優しい言葉に、感情が溢れそうになる。
まだ始まっても、終わってもいない。
絶望は、すぐそこまで迫ってきていた。
全員が――生き残る。その希望だけを信じ。
嵐で行く先見えない雲海めがけて。
翼の脆い機体に乗った作戦が……飛び立とうとしていた。