<10>
少年が発した叫び声は、真結良たち集団の耳にも届いていた。
絶叫の主が何を思って声を出したのか。発生源は近い。
苦痛、恐怖、驚愕、生徒たちはそれぞれ思い思いの推測をするが、確信はできず。
ただ――五十人近い感情には共通して〝不安〟の感情が表情に張り付いていた。
誰も取り乱さなかったのは、単純に大勢の前であったから。不安の元凶が、耳に聞こえたというだけで、目に見えてそこに出現していなかったから。
周囲に動揺はあれど、冷静そうに見えたから不安を訴えなかった。
集団が促す効果は、良い意味で作用していた。
しかし、この均衡は不安定であり、少しでも彼らを揺るがすものあらば、簡単に恐慌状態に陥ってしまうであろうと、真結良は嫌な予感が止まらなかった。
しばらくすると、一人の男子生徒が顔面蒼白の状態で、目印を付けに出ていた仲間に付き添われてやってきた。叫びの本人らしい生徒の顔は、鬼か亡霊かをみたようだった。
「死んだ……しんだ。殺された」
何度もくり返す言葉。茶髪の生徒は無事でいる仲間を見てもまるで驚かず、完全に自分の世界に頭の先まで浸かりきっていた。
「だから何に、いったい何に殺されたんだよ!?」
付き添っていた仲間は、焦りから問い詰める語尾に力がこもる。
肩に触れると、触れた生徒がたじろぐほど体を震わせて反応した。
ようやく、茶髪の生徒は自分に寄せる大勢の視線を理解したらしく、口を開こうと。
「――――そう、のんびりもできねえと思うぜぇ?」
茶髪が走ってきた通路の向こうから、割り込んだ声がはっきりと響いた。
立っていたのは、草部蘇芳だった。
彼は緊張している場には似つかわしくない、悪性のある笑いを作っていた。
「草部蘇芳! 無事だったか!」
駆け寄る真結良より早く。
「あいつだあああああ。あいつが…………殺したんだぁああああ!」
絶叫する男子は震える指で蘇芳を指す。
途端に周りから悲鳴があがった。彼の片手には、体の一部が持たれていたからだ。それがなんであるのかは、薄暗さで判らなかったが、近づくにつれて〝人間の首〟であると判った。
悲鳴と恐怖による絶叫が現場に満ちる。
「まさか草部蘇芳、おまえ……」
二の句が継げない真結良。彼女もまた体を硬直させた。
蘇芳が切り落としたものであると、誰もが思っていた。
「動くな! それ以上、近づくな!」
これ以上の接近は危険であると、生徒の一人がライフルを構えた。
たちまちに敵意は連鎖し、ある者は剣を、あるものは銃口を向け始める。
「おいおい。オレを狙うのは、お門違いってもんだぜ」
どうせハッタリだろと、蘇芳は気にもしない様子で、歩みを止めない。
「この人殺し! 動くなっていってるだろうがッ!」
誰かが怒りの感情に乗せて発砲した。
銃弾は彼の側面を通過し、背後の岩壁を撃ち抜いた。
「――や、やめろおおおおおお!」
我に返った真結良は蘇芳の間に入り、手を広げた。
「彼は、かれは私の仲間なんだ! お願いだから撃たないでください!」
懇願しようとも、一度吹き上がった怒りは収められない。
羽根のような軽さで、引き金に指がかかっている。いつ次弾が来ても、おかしくはない状況。
「どけ! そいつは人殺しだ! 手にもっているものが、何よりの証拠じゃないか!」
もう一度振り向いて、確認する勇気は無い。背を向けたら合図になって、私までも撃たれてしまうかもしれない。
罵倒の数々を一身に受けようとも、蘇芳の表情に変わりはなく。返り血の付いた顔で、たっぷり皮肉の溜息を吐き出した。
「ガタガタ、うるせえな。クソみてえな勘違いほざきやがって――――そんなに見たいんだったら、テメエらの目で確認しやがれよッ!」
蘇芳は大きく腕を振り上げ、その首を高々と投げ捨てた。立ちふさがる真結良を越えて、天井に届きそうなほど弧を描き、生徒たちの集まっていた中心へ。
鈍い音を立てて地面にぶつかると、蜘蛛の子を散らすように落下地点から逃げる。
「きゃあああああああ!」
誰かが高い悲鳴を上げた。次いで重なるどよめきと新たな悲鳴。
乾きはじめていた生首の断面から、僅かばかりの血が地面にこびり付く。
バレーボールほどの大きさがある首を見て、恐怖が拡散した。
「ち、ちょっとまて、先輩達! ちゃんとよく見てみてよ!」
檻也は混乱を鎮静化させようと、強い声で言った。
急いで転がった首に駆け寄り、なんの躊躇いもなく持ち上げて見せた。
「ほらほら、コレが人間? ――――違うよねぇ?」
頬の真横までもってきて、ニイと微笑む。なぜこのタイミングで笑えるのか。――平然とそれ持ち上げる浜坂檻也はどこか病的だった。
檻也が持っているのは、間違いなく『首』だ。生き物の頭部。
血こそ流れ出ていなかったが、切断面はまだ新しく。皮膚は血流を失い青白くなっていた。赤黒い肉の繊維と組織、それらに包まれ飛び出ている骨。
ただし、顔面に備わっている部位は、人間と大きく掛け離れていた。
ポッカリと空いた鼻の穴ひとつ。耳はなく。口は大きく裂けていて、力なく半開きになった口内は鋭利な牙が並ぶ。眼球は四つ。そして、額にはレンズじみたガラス質の円形が、頭蓋に収まっていた。
「まさか、異形?」
誰かが、ようやく答えを口にする。
「そうそう。異形だよ。異形。みんな、コレは人じゃないですよね? ね? 草部君?」
振り向いて、救いの手を差し伸べた檻也に対し、蘇芳は感謝するどころか、近づきながら舌打ちをする。
「ソレが人間を喰ってた所に、オレが居合わせたから、ぶっ殺した。…………誰だかはしらねえが、食われてた二年は、すでに手遅れだった」
嘘をついている様子はなく、短い説明だけで事足りた。
銃を構えていた姿勢が、徐々に弱まっていき、それぞれ武器を降ろしていった。
「コレで良いのか? 先輩方よぉ? オレは無罪放免ですかねぇ? クソどもが。くだらねえ感情に流されやがって、このド素人連中どもめ。……おい。そこに居るてめえ。勝手な勘違いでオレを巻き込みやがって、最初から殺すつもりだったら、どんくせえテメエなんか逃がしやしねえよ。ド阿呆」
蘇芳から逃げた二年生を指さし、彼は鋭く睨む。言われた二年生は、彼の話す〝犠牲者〟が、先ほどまで行動を共にしていた友人であると察し、半泣きで地面を見つめる。
「草部蘇芳。そういう言い方はやめろ。先輩方だって、混乱しているんだ。誰だってこんな状況になれば、判断の一つや二つ。誤ってしかりだろうに」
真結良はホッとした様子で、何度も首を上下させた。
「ふ、ふう。よかった。ほんとよかった。私はてっきり錯乱したかと…………」
両手を口にあてて、真結良は一人呟く。
「なにが良かったんだよ。谷原てめえ、真っ先にオレに対して敵意を向けただろ」
ビクリと体を震わせた真結良は、口に当てたまま、恐る恐る蘇芳を見る。
「ううん。なんでもないぞ。ぜんぜんなんにもないぞ? 条件反射……みたいな、やつかもしれん?」
一生懸命になって否定している時点で『何もない』は、『何かある』と言っているのと同じ。
「てめえ、オレが人を殺ったって思ってたろ」
「まさか。…………そ、そんなまさかぁッ!? 草部蘇芳。お前も冗談をいうんだな? お前は、とっっても良い人間、だぞ。うん。信じてる。だいじょうぶ。もうだいじょうぶ。疑いは晴れた。お前は無罪だ。しんじて、たぞ」
両手が口から離されると、視線が限界まで逸らされ、引きつった口元で、もにゃもにゃ否定し、ぶわっと吹き出た額の汗を拭い拭い、両手のひらを頻りに擦り合わせる。
蘇芳は真結良から目を離して口を吊り上げた。
「間違っているとか、間違っていないとかなんかじゃねえ。……結局の所、人ってのは追い込まれれば、自分が生き残りたいが為に、人を殺すもんなのさ。誰だって、一番自分が大切なんだよ」
怒っているわけでもなく、真結良に話しかけているでもない。悟りきった瞳が、漠然と洞窟の天井を向き、蘇芳は呟く。
誰かがようやく、これからどうすれば良いのか切り出そうとした時。
『――グァガアヤァアアアアアアアアアアアアアア!!』
鼓膜を揺さぶる声に、全員が戦慄した。
絶え間なく放たれ続ける絶叫。人のものではない、獣の如き叫び。
どこから発せられたのか判別ができないほど、洞窟内に木霊する。
叫びは繋がり連なる。一匹ではない。たくさん。とてもたくさん。別の穴から穴へと。洞窟そのものが伝声管として、次から次へと。いくつもいくつも。反響に反響が重なる。無秩序な重奏。〝群の雄叫び〟と化していた。
「バカが……銃なんかぶっ放すから、他の連中にも聞こえたじゃねぇか。どうすんだよ?」
本人も予想していなかった数だったのだろうか。さすがの蘇芳も余裕を失い、表情が歪む。
急に叫びはピタリと沈静したものの、不安はますます加速し、膨らんでゆく。
静謐の長さだけ、生暖かな不気味さが積もる。
何も聞こえない。嵐の前の静けさ……何かが、起ころうとしている。
不安に次いで、恐怖が増長された。叫び声は人語ではない。故に何を言っているのか、判らなかった。そもそも言語として成立しているのかどうなのかも、謎である。
――裂けんばかりの声は、ただ叫んでいたのではなく。
――何か、仲間内で行動を始める合図であるのだと、本能が直感する。
――――そして、声の主は人間ではない。
――――間違いなく『異形の者たち』である。