<7>
四人で洞窟を進むこと、数十分が経過していた。
休まずに歩いたとしても、疲労するほどの距離を進んではいなかったのだが、真結良たちは確かな疲れを感じていた。三区で異界と共に生きていた檻也を除けば、慣れない魔力の濃度は思っている以上に体へと負担を掛ける。
「…………少し、休憩を取った方がいいかもな」
体内のコントロールがまだ上手くいっていない弘磨は、自分に対してではなく、最初は元気であった的環の口数が少なくなっていたのを見て判断していた。
「まだまだ、うごけっし! なにミドリン、疲れたん?」
「――ああ、そんなところだ」
いつも迷惑を掛けがちで、普段から冗談ばかり飛ばす的環は、重要なところになると、他人に迷惑を掛けまいとして疲れや痛みを隠し、変なやせ我慢をする部分があることを弘磨は知っていた。
通路のど真ん中に弘磨は腰を下ろして胡座をかく。
仕方ないなと言いつつ、的環も同じようにして座った。
弘磨は自分と同じ胡座をかく的環を横目に。
「お前は、もう少し淑やかな座りかたができないのか」
「えー、今ズボンだからいいじゃん」
「制服のスカートでも関係なしだろ」
「マユマユ聞いた!? ミドリンはそーゆー目で見るんよ!?」
「……………………んーぅ」
真結良は綺麗に正座をしたまま返答に困った。
――いや、それに対してはフォローのしようがないのだが。防御力が弱いというか。隙がありすぎるというか。配慮が足りないというか。自業自得だと思う。明峰的環はそれほど気にしてないようだから、良しとするしかないのかも。
「はい、そこで自分は関係ありませんよーってしてるハマちゃん。どう思うよ?」
立ち膝の状態で、面白そうに話を聞いていた檻也は、いきなり話題に絡め取られたものだから、ほんのちょっとだけ首を傾けて悩む。
「えーっと一応、ボクも男の子だから困っちゃうかなぁ?」
空笑いをしながら、檻也は頬をかく。
檻也の回答をどう思ったのか、的環は急に黙り込んで動かなくなった。
三人も顔を見合わせ、何かあったのだろうかと言いたげ。
すると的環は立ち上がって、ずんずん真結良の方へと近づいてくる。
「え、なに……?」
今度は何をされるのかと身を堅くして構えていると、彼女は真結良を通り過ぎ、急に誰もいない方向へ土下座をした。
三人はあまりの奇行に言葉を失い、声を掛けていいものなのか戸惑う。
地面に鼻がくっつきそうなほど、のめり込みながら地面に顔を近づけている的環。
「ねっ、ねっ! すっごいの大発見!」
「どうした。小銭でも落ちてたか?」
尻を向けたまま人さし指を曲げて手招きする的環に、弘磨は冗談を含めて返事するものの、どうせ大した内容ではないのだろうと、座ったまま動こうとしない。真結良も同じく、彼女の方を向くが首から下はそのままだった。
好奇心の強い檻也は、すぐに立ち上がって的環に並ぶ。
「明峰さんが言ってるのって、それのこと?」
「んだよー。……ねー。みんな来てみ? ここさぁ。人が通ったんじゃないかなぁ?」
予想もしていなかった内容に、弘磨と真結良はまさかといった表情でお互いを見て、同時に腰を上げた。
一緒になって前のめりになり、地面を凝視する。
「ほんとうだ。何かを引きずった痕みたいな」
うっすらとであったが削れてできたような真新しい傷があった。立っていたら見落としてしまうほどの小さな溝は、長い線を描き、洞窟の向こう側へと伸びていた。普通に見ても判断できないようなものを、よく遠くから見つけられたものだと、並外れた視力に感心してしまう。
ここまで来た道に誰かがいた様子はなく。意図的に傷痕をつけたであろう存在は、自分達が向かっている方向にいるかもしれないと推測できた。
「どれ。追っかけてみよー」
駆け足で四人は次の分岐点に辿り着き、
的環は痕跡を逃さぬよう、傷痕を探すために四つん這いで地面を凝視し続ける。その後ろで三人がついて行く。
「ほうほう。なっほどねー。へー」
背の高い的環が、緊張感なく一人で呟きつつ、傷を追跡する。
――まるで、大型犬をリード無しで散歩している気分だ。
普通の女子よりもかなり背の高い彼女は、幅が広くは無いものの、縦に長い。
前のめりになっているせいで、ヘアースタイルが乱れようとも一向に気にしない様子。
「なんか明峰さん、犬みたいだね」
「そおー? …………どお? かっこいいべ?」
「うんうん。かっこいいね!」
こちらを振り向き、キリッとした表情で三人を見る。とてもシュールだった。浜坂檻也の相槌はとても嘘くさい。
――犬っぽいとは確かに思っていたが、失礼だとして言わなかった真結良。平然と言う檻也にほんの少し、デリカシーの欠如を覚えた。
「よく自分を例えるなら犬猫どっちって言うよね? なんでだろう?」
檻也はおおよそ、この場に似つかわしくない話題を上げた。
出会った時から思っていたが、本当に自由人である。
「ああー。ゆーよねー。なんでだろねー。ちなみにあっしはネコっぽいかな。高いとこ、わりとスキだしぃー」
立ち止まって考えた的環に、話すのは良いから止まるなと、呆れた弘磨が注意をする。再び動き出した的環。
「僕は犬かなぁ。褒められると凄く嬉しくなちゃうから。嬉しくて思わず笑顔になっちゃうよ。あはっ」
――いやいやいや、嘘つけ! お前は気まぐれで好き勝手な『ネコ』だろ絶対!
奇しくも、話に乗らなかった弘磨と真結良の思考がシンクロする。
知り合って間もない真結良であるが、どう考えても、忠実さとはほど遠い所に浜坂檻也は立っているような印象を受けていた。
「じゃあ、弘磨くんは?」
「ミドリンは決まってるさね。もちろん。犬。………………てゆーか土佐犬? プッ!! にゃっはははははははッ!」
一人吹き出して、肩をブルブル揺らす的環。褐色の手が堅い地面を叩く。
「土佐犬だってさ! だってッポイもん! やっべーいまの例え、神が降りてきたわぁ」
「完全に顔で言ったろ」
「老け顔だもんね。弘磨くん。あ――もちろんイイ意味でだよ?」
「うるさい。フォローになってない。どこをどうやったら『イイ意味』で解釈できんだよ」
「…………………………」
真結良は一人、ぼんやり天井を見つめ、思考に耽る。
――私は、なんだろうなぁ。やっぱり犬かなぁ? 犬も好きだけど、猫も可愛いからなぁ。あの飽きもせず足と足の間を『8の字』で撫で歩かれるモフモフ感が何とも……。
「谷原さん、なんか楽しそうだねぇ?」
隣で檻也が覗き込んでくる。心に余裕が出てきて、異界だということを忘れるくらい油断していた真結良は、目を開いて顔を赤らめた。
「いや。何も考えてないぞ! ほんとだぞ?」
「谷原さんって、ときどきヒョコッと、どっか行っちゃう時があるよね」
「こ、こんな時にする話でも、ないな」
「そうかな? こんな時だからこそ、するんだよ。危険な時とか、気持ちに余裕がない時って、どうしてもマイナスに考えがちになっちゃうんだよね。もうダメだとか、自分は助からないんじゃないかってさ」
微笑みを絶やさず、いきなり真面目な話になるものだから、的環も止まって聞き入っていた。
「悪い状況になって、悪いことしか考えないと結果も同じになっちゃうよね。だからこんな時だからこそ、苦しいからこそ『楽しい』を考えなきゃ。そうすれば良いことが待ってるって、ボクは思うんだ。だから――とりあえずがんばろ?」
「取りあえずかよ」
腕を組んで弘磨は言うが、その表情は肯定を含むものだった。
「ハマちゃん、たまには良いことゆーねー」
ちょっとだけ、彼らの事を羨ましく思えた。なんだかんだ言って、彼らはチームとして、信頼やお互いを助け合おうとする、仲間意識をしっかり持っていた。
いつか私の班も……こんな風になれるだろうか?
「成れるかどうかじゃないんだ。そうなるように進まなくてはいけないんだよな」
真結良は聞こえないように、一人呟いた。
問題児達、一人一人が意識を変えてゆけるかどうかではなくて、私が彼らを変えていかなければならないのだ。私は彼らの班長になりたい。その前にみんなを引っ張れるだけの自分になることが第一歩だ。
異界から帰ったら、精一杯がんばろう。
密かな決意を胸に秘める真結良。誰よりも〝異界からの脱出〟を強く願った。
痕跡を追っていた的環は立ち上がり、一本の分岐点の前に。
「ん? ねえこれって矢印?」
前屈みになりながら、分岐点の入り口である壁。腰から下にある箇所を指さした。
今度は目をこらさなくてもわかる。矢印だ。
入り口の奥へと向かったマーク。誰かが意図的に削ったのは明白で、目印を付けた際にこぼれ落ちた壁の欠片が、光放たぬ小石となって地面に散らばっていた。
「…………〝誰か〟はきっと近くにいるはずだ。急ごう!」
四人は印を付けた誰かの背中を追う。
誰であるのかは、この際どうでもよかった。
生き残っている人間が一人でも多ければ、それだけ協力し合えると信じていたから。