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児玉英二は近くに転がっていた石ころを、分かれ道の向こう側に向かって投げた。
カン、カンと石同士がぶつかり合う高い音が、自分の立っている分岐点まで反響してきた。
「………………どれくらい、経ったんだかな?」
英二の問いに、端っこで座っていた佐久間晴道が反応する。
彼は自分の腕に巻いていた腕時計を確認した。固有刻印が目覚め、内界に行かなくてはならなくなった時、父親から貰ったダイバーウォッチ。高価なものらしく、様々な気候においても動作すると言うが、この空間で正確な時を刻んでいるのかは怪しいものだ。
「集合が、三時だったから……だいたい一時間くらいだな」
晴道が座っている横には、北川あかりが彼の上着を掛けられて、横になっていた。
「あかり。だいじょうぶか?」
「うん……ごめんね。ハルミ……」
彼らが移動することを良しとしなかったのは、あかりの体調が悪くなったからである。
洞窟で三人が目覚めてからと言うもの、あかりは気分が優れず、晴道の提案であかりの調子が良くなるまで待機していようと提案したのだった。
「………………たぶん、この魔力の影響だろう。わずかだが、俺の刻印も痛みとして反応している。あかりの場合は、それで気分が悪くなっているんだと思う」
二人の会話に参加しようとはせず、手持ちぶさたになっている英二は、自分の剣を使って、岩壁に切っ先を突き立てて削り、投げる小石を作っていた。
緑光を放つ壁面の鉱石の下はただの岩で、壁から引き剥がされると、鉱石は力を失うらしく、輝きが失せてしまう。
「あんまり体力を消耗させるなよ?」
「わーってるって」
「英二。まずは落ち着くことだ。この前の実地訓練を思い出せよ。混乱して良い状況には、絶対にならない」
「うるさいな! そんなのおれだって、わかってるって!」
忠言だということは解っていても、気に障ってしまうのだろう。英二の気持ちに余裕が感じられなかった。体を動かしていないと不安なのだ。
彼の苛立ちを汲み取った晴道は、それ以上、声をかけようとはしなかった。
「二人とも、ごめんね。……わたしが普通にできてたら、みんなで移動できたのに」
「そんなことはない。あかりが普通だったとしても、しばらく移動を控えるべきだと、俺は言っていたはずだから」
元気づける意味合いも含めて、晴道はあかりを慰める。
「べつに、あかりのせいじゃねえし……」
英二もまた手に持っていた剣を壁に立てかけて俯いた。
「英二。あかり。俺達は状況的に良いとはいえない。そして自分達の行動次第では、今よりも厄介になる可能性もある」
二人はだまって、晴道の話す言葉に耳を傾けていた。
あかりと英二の動揺を増長させぬようにと努める晴道であったが、彼も同じ心境にある。
不気味な洞窟の発光を映す瞳は、不安な色を放つ。
とても濃い魔力だ……油断したら、自分も目眩を感じてしまいそうな。
「俺達は、なんとしても、この状況を切り抜けてやる。無事に――訓練所へ帰ろう」
「――ああ」
「――うん」
三人の思いが一つになり『帰る』という目標が強固なものとなった。
後はどうするべきかと、考えあぐねていたら。不意にあかりが力のない笑い声を出した。
何が面白いんだと、いぶかしく英二が問えば。あかりは首を振る。
「なんか――むかし似たようなことあったなぁ、って」
晴道と英二が顔を合わせて『いつのことだ?』と、お互いに肩をすくめた。
「小学校のとき、通学路の近くに、小さい雑木林があったの覚えてる? ……あのとき、近道だからってエイジが、わたしたちを無理矢理引っ張り込んでさ。結局方向が判らなくなって、迷っちゃって」
「…………あー。あれか。さすがの俺も、あの時の英二には殺意を感じたな」
「なんで、今ソレを思い出すのですかね。しかもこんな所で」
心当たりどころか、その事件は紛れもなく自分のせいである。英二は明確に憶えていた。
「ケモノ道みたいな道を進めば良いって言うから、付いていったら途中で道がなくなって、来た道も全然わからなくなって……当てずっぽうで『こっちに違いない』とか言い出して、ますます迷ったんだ」
あかりよりも、鮮明な回想を言葉にする晴道に――あかりは腹の底から笑う。
「でも、最終的にはハルミが解決してくれたんだよねー」
「近くのグラウンドで使われている照明なぁ。夜になるとぼんやり照らしてくれたおかげで、抜け出せたんだよな」
「いま思えば、俺たちが感じていたほど、大きくなかったんだろうな。……あの雑木林」
「たぶん、わたしたちが、まだ小さかったから、本来よりも大きく見えたんだろうね」
「そうそう。あんなの迷ってるうちにも入ってなかったんだって」
「よくいうよ。エイジが一番焦ってたくせにさ。『ごめんな。ごめんなぁぁ』てさ」
「おい。その言い方完全に〝盛ってる〟ダロ!? そんなふにゃふにゃ声じゃねーし!」
「…………『こぉのまま遭難したらどぉうしよう。おぉれ達、だれにも見ぃつからずに、死んじゃうのかなあぁああ』って、ほざいてたな」
「やめろおおお! そんなバカっぽい言い方はしてねえーっ! そうやって取り乱してた、おれの恥ずかしい過去を、ほじくり返して楽しむんじゃねええええよおおお!」
壁に頭をこすりつけて、英二は首を振り続けた。大声が無駄に洞窟内で反響した。
クスクス笑う、あかりの横顔を黙って晴道は眺める。
――そうだ。こういった思い出を共有できる関係だからこそ。
――俺は今を大切にしたいのだ。
――絶対に失いたくないのだ。
掛け替えのない二人。改めて彼らが居るから今の自分が成り立っているのだと実感できる。
もし一人きりで、この洞窟に閉じ込められていたら、いまごろ頭がどうにかなっていたはずだ。
一人きりで外に残されていたら、心が潰れていたはずだ。
自分を保てているのは、二人を悲しませたくはないから。自分に失望して欲しくはないからだ。
「…………………………」
それでも、俺はあのとき、躊躇してしまったのだ。
引き込まれ行くあかりに手を伸ばしはしたも、両足を一歩たりとも動かすことができなかった。
冷静になったいま考えれば、俺はあかりを失うかもしれない感情よりも、恐怖の方が勝っていたのだ。
…………まったく、ソレで何が『好き』だ……馬鹿野郎。
本気で好きだったら、何も顧みずに駆け出せていたはずだ。本気で好きだったら打算を振り払い、彼女の手を掴めていたはずだ。
結果的に――あの手を取ったのは、俺ではなく英二だった。
なんの考えもなかったのかもしれないが。それでも、あんな簡単に身を挺して飛び出した英二の行動は、やはり自分では追い越すことのできないものを持っていると実感させられた。
…………現に、この話だってそうだ。
彼女を笑顔にさせているのは、英二が居たからこそ。
彼がいるから、彼女は笑っていられるのだ。
俺は、こんな風に笑わせることはできないと、思う。
自分を分析すればするほど、取った行動の自己嫌悪で――死んでしまいたくなる。
「あの後、おもいっきり親に怒られたけど……。本当にそれだけ、あぶなかったのかもしれないって思えるよ」
英二から隣に居る晴道に視線を向けたあかり。
目と目が合って――思わず晴道は視線をそらした。
「あのとき、きっとハルミがいなかったら、私たちは抜け出せないで大事件になっていたはずだよ」
「時間は掛かったかもしれないが、俺がいなくとも――」
「――そんなことないよ」
あかりは晴道の言葉を遮って、ゆっくり体を起こし、自分の思いを口にする。
「だから、今回もハルミには期待してるよ。三人無事に……また出口まで連れ出してくれるって」
いきなり、あかりが晴道にむかって手を伸ばして、彼の手を握った。
眼鏡の奥で、晴道は目を開いて驚き、顔を赤くしながらあかりを見る。
「ハルミなら、きっとやってくれるって……信じてるから」
「…………………………」
その眼差しには、自分が期待しているような――自分が抱いている思いと同質のものは、感じられなかった。
不安の中で生まれた突発的な情動。親友としての期待。
勘違いしそうになる。できればこの勘違いが、勘違いでないことを心のどこかで願いつつも。
「ああ。できる限り。なんとかしてみせるさ」
あかりの手に、もう片方の手を添え、握手するように揺らして両手を退き、立ち上がった。
「私、もうだいぶ楽になったから、そろそろ動けるはず……」
立ち上がろうとするあかりに、慌てて二人は付き添うが、しっかり自分の足で立つあかり。最初のときと比べれば、本当に改善されているようだった。
「ハルミ。上着ありがとね」
「――ああ」
三人は移動を始めるための身支度を調えた。持っているのは最低限の装備のみだが、授業と同じように確認を行い、念の為にともう一度、作業を繰り返した。
「それじゃあいくか! もしかしたら、おれ達が思っているほど、この洞窟ってでっかくないのかもしれねーぜ? 案外ちょっと行ったら、誰か居るかもな」
「お前の思考は、何でそんなに短絡なんだ」
「ポジティブ。あるいは前向きと言えよな。ネガティブよりかはましだろ?」
「まあ、な……でも油断するなよ。この魔力は普通じゃない。もしかしたら『異形の者たち』がいる可能性だってあるんだからな」
あかりと英二は真剣な表情で首肯した。
彼らがいる分岐点は全部で三つあった。正面に二本。後方に一本。
どっちに行こうとも、何があるかわからない。どこに行くのかは班長である、あかりに任せた。
彼女はあえて二股とは反対の、後方にある一本道を選んだ。
英二は道中、剣を引きずって歩いていた。
うるさいから止めろと注意したが、もしかしたら地面に付いた痕を追って、誰か来るかもしれないと説明され、英二にしては冴えた発想だと、あかりと晴道は納得するしかなかった。
移動先の通路にも同じ鉱石がびっしりと敷き詰められていて、光を放っていた。
しばらく、当てもなく移動をし続け、彼らもまた、自分が来た場所を明確にマーキングしておくことにした。
「こっちから、こっちに来たって刻んでおけば、後ろから来たらわかんだろ? 晴道。おれ達が来た通路にも矢印を刻んどいてくれ」
「……りょうかい」
散々、壁を削って時間を潰していた英二は、正面からではなく、斜めから刃を突き立てると、簡単に表面が剥がれることを学んでいた。切っ先を器用に扱い、自分が次に進む方向の分かれ道の壁に矢印を刻む。
光が失われた壁は、黒色の岩肌が覗き、非常に目立つ。
「ねえ、エイジ……」
「ん? どしたよ? また気分が悪くなったか?」
「ううん。ちがうよ。………………あ、あのとき……たすけてくれようとしたの、………………ありがとう。すごく、嬉しかった」
恥ずかしそうに俯くあかりに対し、英二はいつになく真剣な声で言ってくるものだから、笑い飛ばしてバカにできず、剣を持ったまま思わず振り向き、あかりの顔を見た。
自分の顔を見られまいと、あかりは素速く背を向けて、天井を見上げた。
「いっておかなきゃ、タイミング逃しそうだったから。…………うんうん。あんがとだよ。………………こ、こんど……お礼するよ」
「んー。お礼なんて、べつにあんま気にすんなよ。体が勝手に動いただけだしな。誰だってああすんだろ?」
意に返さず、壁に向き直った英二は、
「そうだなぁ。……じゃあ帰ったらジュース一本な! 無事にかえって来れましたって、三人いっしょに乾杯しよーぜー」
――誰だってああする。
当たり前のように言ってのける英二であったが。
きっと自分には、あんな真似はできないと、あかりは思う。
あのとき、全力で引っ張られ、好きな男の子に抱きしめられた感触を、まだ憶えている。
天井から首を落とし、あかりは人の気も知らないでと、小さく笑った。
「うん。そうだね。一緒にかえろうね」