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移動を始めて、必要の無い会話は望んでいなかった十河であるが、
古都子は真逆で、積極的に話をしてきた。
訓練所の事や、自分の人間関係。帰ったら何がしたいか。好きな食べ物、好きな授業科目。
十河からしたら、ずけずけと心の中に侵入してこようとする古都子の態度は、嫌いであった。
そもそも人と会話する事さえ、億劫だと思っている十河。延々と尽きない話題。相手が上官でなければ『いい加減に喋るのを止めろ』と言っているところだ。
「訓練所とかで、流行っているのとかある? 私は本部に行くことが多いんだけど、最近サイファーの間で、音楽が流行っててね。何でも二十区あたりで自分達で電波を飛ばして、ライブ放送をしている学生がいるらしくて……」
十河にとって、まったく興味の無い話が繰り広げられている。
しばらくして、ようやく気がついた。彼女は会話をする事で、オレの中にある緊張感を和らげようとしているのだろう。できるだけ不安にさせないように、配慮しているのかもしれない。
喋り好きではなく、彼女からしたらオレは『タダの訓練生』
異界に入った事も、異形にも出会ったことの無い、一年生と変わりはないのだ。
自分から素性を話す気は無く、かといって無駄なおしゃべりをして欲しくはない。
だから、意を決して十河は話を逸らしにかかった。
「あの……話は変わるのですが」
「うん? なになに?」
自分から話し出した十河に、古都子は興味を示した。
「オレらが最初に吸い込まれた、あの空間なのですが、あれは、魔術によって作られた物ですか?」
あくまで十河は素人として聞く。
間違いなく魔術であることは解っていた。芦栂古都子が魔導師と判ったからこそ、彼はそれ以上の情報を喋ってくれるだろうと期待する。
その話を始めて、怖くならないだろうかと、古都子は心配した。
「ええ。確かに魔術だと思うわ。誰かが、何らかしらかの形で、意図的に出現させた魔術。広場に現れた〝孔〟は、転送魔術の一種なのでしょう。あらかじめ定められた空間へと強制的に転移させる術式」
「そんな方法が可能、なんですか?」
「可能か不可能かと聞かれたら、可能だわ。……魔術というのは、私たちが培ってきた知識の斜め上を行く技術。常識の枠組みでは考えられないことが実現可能なのよ」
「じゃあ洞窟は、あらかじめ用意された場所で、何者かがオレ達を転送したと?」
「実際に触れられるということは、現実に存在している場所なのかもね。自然に作られた洞窟なら、きっと出口があるはず。同じように吸い込まれた生徒も、どこかにいるはずだと、私は思っているの」
でも、と古都子は立ち止まって、壁に触れた。
「この発光……光る鉱石が実際にあるのは知っているけど、あまりにも多すぎる。発光の条件には紫外線や加熱。摩擦や鉱石を砕くことによって生じるトリボルミネセンスなんてものもあるけど、ここの鉱石はそれらに起因するものじゃない。それにこの魔力」
顰め面になる古都子は、壁から全体を見渡す。
「さっきも話したけど、どう考えても、ここは異界。地球上に存在しているのだとしたら、内界のどこかとしか、考えられない」
――人間が居住するための家を作るように、異形にも自らのテリトリーを示すための〝巣〟を作る個体が存在していた。
器用に建物の残骸を組んだり、地中深くに穴を掘ったり、群れそのものが巣の壁面として寄り合わせていたり……酷いのになると、生きたまま捕らえた人間や異形を加工して材料とする者までいた。
この洞窟はとにかく広く、目に見えるおぞましさは感じられない。
光る鉱石と岩石で構成された横穴というだけ。
「どれだけ深いのかは解りませんが、地下水が流れている気配もないし、風も吹いていない」
「水が流れていたら、水流を下れば川に繋がっていたり、風が吹いていれば出口が近い可能性があるものね。生き物が住んでいる気配すらない。どこかに痕跡ひとつでも、発見できれば希望が見出せるけど」
どんなに知識があろうとも、方角もわからなければ現在地がどこなのかも、皆目見当がつかない状態だ。洞窟にも特徴的な通路はなく、鍾乳石もなければ、目印になりそうな独特の形状をした岩もない。
ただ、同じ高さ。同じ空間。おなじ……岩肌が続くだけだ。
――わかった事と言えば、半円形状の接続通路と、分岐点となる開けた空間の連続だということ。通路に高低差は感じられず、行き止まりはない。真っ直ぐや左右の曲がりがあるだけで、次の分岐点に繋がっている。分岐点はどれも建物三階ほどの高さまである天井。綺麗に弧が描かれている。
ゆいいつ洞窟の特徴があるとすれば――分かれ道の数。
七つの時もあれば、二本しかないときもある。
規則性のある構造。間違いなく自然が生み出した場所ではない。
やはり、動き回るのは得策ではなかったのだろうか。
分岐点に到着するたび、古都子が中心の地面に魔術でマーキングを施す。訪れた分岐点はこれで十を超え、同じ場所に戻った回数は二回。確実に移動範囲は伸ばしていると思われる。
黙したまま真剣に考える横顔ををチラリと見て、古都子は思わず問いかけていた。
「十河くん。貴方ってもしかして、ディセンバーズチルドレン?」
「――は?」
いきなり隙だらけの背中から、心臓を直接掴まれた気分。
わずかだけ呼吸を忘れたが、表情には出さず、十河はゆっくり首を回して古都子を見る。彼女はじっと十河の顔を、心の奥を覗き見ようとしている。
「………………………………どうして、ですか?」
「ただの勘――かな。…………ううん。嘘ついた。貴方にはいくつもの、そう思わせる点があるわ。――まず一つ。この異界に対して、なんの動揺もしていないということ。慣れている雰囲気を持っている。――二つ。この濃い魔力に対し、躊躇いもなく受け入れているということ。訓練していれば、簡単に対処ができるでしょうけど、二等訓練生にそこまでのスキルがあるとは思えない。個人差があるからコレは五分五分。――三つ。アナタは私を助けようとした時、魔術……あるいは刻印のようなものを使っていた。魔力で作られた刃。いくら刻印が使えるからといって、あの緊急時で展開させた素早さは、手練れのそれと変わりがない。一回生の訓練二等ではありえない。――四つ。アナタと似た人を知っている。――それらを総合したら、タダの訓練生ではない。整合性のある答えがあるとしたら、アナタは『帰還者』である。どうかしら?」
十河は否定も肯定もしなかった。
余計な情報を、この女に与えてやる気はないからだ。
しかも、球体に吸い込まれる混乱の中で使った、オレの刻印も鮮明に覚えているとは。
――忌々しいくらいに鋭い。サイファーだからとかではなく、年齢だからか、あるいは今までの経験上か。観察眼は大したものだ。油断できない。
「ウチの訓練所には、一年でけっこう刻印を使いこなせている生徒は居ます。……オレもその中の一人でしかありません。芦栂…………さん? サイファーや魔導師の方を呼ぶ時にどういう呼び方をするんですか? ファーストとかセカンドって呼ぶんですか?」
「フフ。なんか野球みたいね。かなり曖昧な部分はあるんだけど、大体が『士征』って呼ぶかな? なんでもまだサイファーと名付けられていなかったときに『士』と『征伐』を掛け合わせて作られた造語らしいけど…………あれ? ひょっとして、この前話していた『征伐試験小隊』がルーツなのかな?」
勝手に蘊蓄と独り言を語り始めた女。質問にはハッキリ答えず、話題を逸らし、なおかつ相手に質問をして答えをはぐらかす。見事、女は勝手に横道へと逸れていった。
「芦栂、士征は……」
「別に堅苦しくしなくても良いわ。『芦栂さん』でも『古都子さん』でも『お姉さん』でも良いわよ? 好きに呼んでね。十河くん。あ、十河くんって言い方、キライかしら?」
「…………………………別に」
――とことん馴れ馴れしい。定型された笑顔といい、ずかずかと人の心に踏み込んで来る発言といい。出会ったその日から友達みたいな感覚で接してくる人間は苦手だ。オレはこの女を信用しているわけではない。この洞窟と同レベルに警戒しなくてはいけない対象だ。
「芦栂士征は、実戦経験があるんですか?」
十河はあえて、相手の要求に沿わず、そのままの姿勢で相手との距離に一線を引く。
「実戦は多い方――ね。ついこの間も〝ヨンク〟を相手にしたばかり。何日か前にも同じ敵と異界で交戦状態になったわ」
――ヨンク。俗に〝始まりの四十九体〟と呼ばれる存在を知らない十河は、初めから説明を受けなくてはならなかった。
パンドラクライシスの直後。第一次異形進攻に至るまで、増えも減りもしなかった、都内に発生した異形の数である。たった四十九体によって首都圏は全壊。圧倒的な存在であるという。
「…………………………」
――時系列で言えば。オレらが異界で生活を始めた頃には多くの異形が溢れていた。だとすると四十九体の異形は、僅かな期間で東京を陥落させたのか。
異界化した東京は、景観までもどんどん変化し、完全に異形の世界となった。
…………きっと〝アイツ〟も四十九体の一匹なのだろう。
下を向いて歩く十河は、心の中で憎しみが沸き上がるのを感じた。どす黒く……粘ついた感情。心臓の鼓動が、徐々に早くなる。服ごしに左胸の傷を押さえた。
世界なんかどうでも良い。滅ぼうが、救われようが。……関係ない。
彼女の居なくなった世界など――オレには無価値にしか過ぎない。
そうだ……平穏を望め。孤独を選べ。間宮十河。
周囲の流れにひっかき回され続けてどうする。
変わり続け、動き続ける時間の中で――、
オレはオレを停止させ、不動で居ることに、生き方を見つけたはずだ。
大切な人が失われた。代わりになるものなどあるはずがない。
異界なんか知らない。どれだけ人が犠牲になろうが、知ったことじゃない。
どうでも良いのだと、そう決めたじゃないか。
信じていた存在に騙されるのは沢山だ。裏切られるのはこりごりだ。
この手に――あの時、締め上げた、アレの首の感触を……思い出しそうになる。
「ちょっと十河くん、だいじょうぶ? 顔、真っ青よ?」
「大丈夫、です」
古都子が心配そうに覗き込んでくる。
現実に戻った十河は、違う意味で血の気が引いた。
くそ。馬鹿なことを、もうオレには関係ない。下らない感情を晒して女に知られてしまう事だけは避けたい。一体何を感情的になっているのだ。思考を止めろ。オレはもう戦う事を放棄したんだ。諦めるのだと――ようやく自分と折り合いを付け始めたのだ。
後ろ髪を引かれて、過去を振り返り続けて、何になるってんだ。
「これだけの魔力だから、訓練二等の十河くんには、とても厳しい環境なのかもしれないわね。気持ち悪くなったりとか、辛くなったらいつでも言ってね」
「………………………………はい」